フィルとリネア、奴隷になる
奴隷商たちがやってくる気配に、フィルはドルグにある提案をする。
「ドルグ殿、奴隷商が来たら、先ほどの話は聞かなかったことにして、わたしとリネアを奴隷として差し出して下さい。それで奴隷商たちは満足するでしょう」
「なっ…そんなことができるはずがないだろう。フィル殿たちは恩人だ。もはや隠れる必要も無いなら、我らで奴隷商を追い返すことくらい出来る」
ドルグは立ち上がり、部屋の梁に掛けてあった古い槍を手に取った。
「村に来ている連中はおそらく下っ端です。彼らを追い返すのは容易いことですが、それでは、今までに連れて行かれた村の子供たちがどうなったのかわかりません。わざと捕まって連中の雇い主を探れば、子供達がどこに売られたのか、子供達を取り戻す手がかりが得られるかもしれません」
フィルはその場に座ったまま、真剣な表情でドルグを見上げた。
「奴隷商が村から出て行ったら、わたしの仲間のアラクネ族のパエラとアルゴス族のメリシャが、アニアとテオを村に連れてくることになっています。パエラとメリシャには、そのままこの村でわたし達を待つように伝えていますので、ふたりをよろしくお願いします」
「それは構わないが…フィル殿とリネア殿の身が…」
「大丈夫です。こう見えて、わたしもリネアも強いんですよ。ね?」
「はい。ドルグ様、私と姉様のことなら何も心配はいりません」
大妖狐と巨竜。その気になれば万の軍勢すら滅ぼせる過剰戦力だとはつゆ知らず、ドルグは心配そうにフィルとリネアを見る。そこへ、入口の扉が乱暴に開いた。
「…村長、差し出す子供は決まったのか」
入ってきたのは、30代後半くらいの中肉中背の人間の男だった。後ろに2人、粗末な革の防具を着けた傭兵を従えている。
「いや…それは…」
口ごもるドルグの声に被せるように、フィルが言う。
「村長、わたしとリネアが奴隷になります。それでこの村が助かるなら、我慢します」
「私も、フィル姉様と一緒ならどこへでも行きます」
リネアもフィルに続いて言った。ちなみにフィルは演技、リネアは本心だ。
「ほぅ、まだこんな娘がいたのか。ふん、前回はあんな子供を寄こしおって…まだ隠しているのではないだろうな」
不機嫌そうな言い方をしつつも、奴隷商の口元は緩んでいた。
思った以上の上玉を隠していたものだ。しかも2人。どちらも魔族とは言え見目も良い。前のような子供の数倍、いや10倍の値が付いてもおかしくはない。奴隷商は密かに値踏みする。
「いや、その2人は…」
言おうとするドルグに、フィルが小さく首を振る。
「なんだ、まさか嫌とは言うまいな?」
「い、いや…」
「よし。今回はこの2人を連れて行く。…おい、こちらへ来い」
奴隷商が言うと、傭兵がフィルとリネアを立たせ、背を押して家から連れ出す。ドルグは困惑した表情を浮かべつつ、無言でそれを見送った。
奴隷商たちは、フィルとリネアに首輪を嵌め、さらに手首を縛って馬車に押し込むと、長居は無用とばかりに村を出発した。
馬車は、車内の真ん中に仕切り壁があって前後に分かれており、前部が普通の居室、後部が奴隷を乗せる檻になっていた。檻の部分は通気口として格子のはまった小さな窓があるだけ。中は薄暗く、外の様子も見えない。当然座席もなく、フィルとリネアは床に直接座らされていた。
「リネア、手、痛くない?」
フィルは縛られた自分の手を持ち上げる。
「平気です。フィル様こそ大丈夫ですか?」
「わたしも大丈夫。もうしばらくの我慢だからね」
「はい」
フィルは縛られたリネアの手首を見つめる。平気だとは言うものの、華奢な手首にゴツゴツしたロープが巻き付いているのは見た目に痛々しい。
「……そういえば、リネアはアルゴスの反乱の時、縛られてたロープを自分の火で焼き切ったんだよね」
するりとフィルの中から妲己が顔を出した。
「ほんとに、いつもは大人しいのに、無茶をすると思ったわよ」
呆れ顔の妲己に、リネアは自嘲気味に笑う。
「…でも、どうにかして逃げなくちゃと思って…わたしのせいでフィル様まで捕まっているなんて、我慢できなかったんです」
「もぅ、そんなこと気にしなくて良いのに…リネアがお母さんから受け継いだ能力なんだから、自分を傷付けるような使い方はダメだよ」
「はい。もうしません」
リネアは素直に頷く。ティフォンの力を受け継いだ今、そんな必要はもうないのだから。
「…そうじゃ、その能力のことを言いそびれておった」
リネアの中からも玉藻が抜けだしてくる。
「玉藻様、私の能力が何か?」
「うむ、ティフォンの一件でリネアの中に住むようになって、麿も初めて気が付いたのじゃが…」
少し不安げな表情を浮かべたリネアに、玉藻はくくっと笑う。
「リネアには、わずかじゃが九尾の血が流れておる。小さいながら狐火を使えるのは、おそらくそのせいじゃ」
『え?』
フィルとリネアの声が重なる。
「それって、わたしが傷を癒やしたせい?」
「いや、そうではない。元々リネアの身体には九尾の血が流れていたらしいの…確たることはわからんが、リネアの母君も狐火を使えたということなら、おそらく母君の血筋の先祖に、その時の九尾と子をなした者がいるのだろう。相当に昔のことだとは思うがの」
「九尾って、子供を作れるの?」
「無論じゃ。フィルとて好いた男と交われば、子をなすこともできるぞ」
「…う、そんなことしないけど…」
フィルは眉をひそめつつ目をそらした。
玉藻は、黙って自分の手を見つめているリネアに言う。
「リネア、母君に感謝すると良い。ティフォンの力を無事に受け継ぐことができたのも、わずかとは言え神獣の血が混じっておったことが良い受け皿になったのかもしれぬ」
「そう、なんですね…私に、フィル様と同じ血が…」
リネアは、ポッと指先に狐火を灯した。揺れる小さな炎がフィルと同じ狐火だと思うと、とても愛おしく感じる。
「嬉しいです。フィル様と同じ力だったなんて」
「リネア、わたしも嬉しいよ」
見つめ合い、微笑み合うフィルとリネアに、妲己が呆れたようにため息をつく。
「はいはい、イチャイチャするのはそこまで。馬車が止まりそうよ」
妲己が言ったところで、ギシッと車体を軋ませて馬車が止まった。扉が開けられる前に妲己と玉藻はサッと姿を消す。
まだ出発して半日ほど。レントに着いたにしては早い。何かあったのだろうかと不思議に思っていると、ガチャガチャと鎖を外す音がして、扉が開かれた。
「おい、出ろ」
傭兵の1人が、檻を覗き込んで言う。素直に従って馬車の外に出てみると、周りはやはりまだ森の中だった。
手を縛っていたロープが解かれる。奴隷商が近くの平たい石に座って何やら食べているところを見ると、どうやら食事休憩らしい。
「分けて食え」
傭兵の1人がこぶし大のパンのようなもの一つ、投げて寄こす。それを受け取ったフィルは、あまりの質の悪さに顔をしかめた。
カチカチに固いだけならまだしも、表面にはカビのようなものも生えている。シアたちはこんなものを食べさせられていたのかと思うと腹が立つ。
もう1人の傭兵は、手桶に入った水を馬に与えている。フィル達に水を出さないところを見ると、あれを一緒に飲めとでも言うつもりなのだろうか。
「リネア、少し早いけど、やろうか?」
「はい。フィル様をいつまでも床に座らせておく訳には参りません。そろそろ席を譲らせましょう」
にこりとリネアも笑う。
「おい、さっさと…」
さっさと食え、とでも言おうしたのだろうが、その言葉は途中で途切れた。フィルが手にしたパンを思いっきり傭兵の口に突っ込んだからだ。
「なっ…お前たち、刃向かうつもりか!」
慌てて剣を抜いたもう1人の傭兵の前に、リネアが立ちはだかった。そして、傭兵の構える剣に手を伸ばし、素手で刀身を掴む。少し力を込めると、バキンと音がしてリネアの手の中で刀身が砕けていた。
「こんなものでは、私達は傷一つ付きませんよ」
微笑みを浮かべつつ、自らに巻かれた金属製の首輪を引きちぎるリネアに、傭兵の顔が青ざめる。
フィルにパンで殴られた傭兵は昏倒し、リネアに剣を砕かれた傭兵は戦意喪失。奴隷商は、一体何が起こったのかわからない。
にこにこと笑いながら、フィルは奴隷商に歩み寄る。後ろでは、リネアが2人の傭兵を縛り上げ、軽々と抱え上げて馬車の檻に投げ込んでいた。
「さて、この先も予定どおりわたし達を運びなさい。あなたたちの雇い主のところまで」
「ひぃっ…お、おまえたちは…一体…」
ガタガタと震える奴隷商に、フィルは顔を近づける。
「そんなことはどうでもいい。わたし達をこのまま運べと言っているの。わかる?…助かりたければ、黙って従いなさい」
「は、はい!」
「手綱を取って。すぐに出発よ」
奴隷商が慌てて御者台に上がるのを見て、フィルとリネアは奴隷商が使っていた馬車の居室に乗り込む。内装は豪華ではないが座面には一応クッションがあり、座り心地は、まあ普通といったところだ。当然、さっきまでの床よりはかなり良い。
ゴトゴトと馬車が動き出した。
「さて、誰の所に連れて行かれるのかな?」
「あまり遠くないといいんですが。着くまでに何日もかかると、パエラちゃんとメリシャが待ちくたびれてしまいます」
「そうだね。少し無理させてもいいかな」
少し困った顔で言うリネアに、フィルはクスクスと笑った。
次回予定「牢の中の子供たち」
魔族の子供たちを奴隷にしていた黒幕とは…?




