シアとテオ
馬車を襲っていたハイイロモリクマを一刀のもとに倒したエリン。
だが、襲われていた馬車に乗せられていたのは…
※誤字の報告を頂きありがとうございました。気を付けます…
「あ、あんたたちは昨日の…」
馬車の影から出てきた男が、震える声で言った。その顔には見覚えがある。街でフィルに絡んできた奴隷商の男だ。
「またあなたなの?」
呆れたようにフィルは言う。昨日はせっかくエリンのおかげで命を拾ったのに、危うくまた死ぬところだったようだ。運の悪い男である。
「す、すまない。助かった」
「まぁ、いいわ。町に戻って、このことを門番に通報しておいて」
街道で何かあった時は、速やかに最寄りの町の門番か衛兵に通報しなければならないことになっている。フィルたちが引き返すのも面倒なので、通報はこの男にやらせよう。
フィルは早く行けというようにひらひらと手を振る。
「わかった…」
馬を殺されてしまったので、馬車はここに置いておくしかないだろう。
男は馬車の中に入ると大きめの背負い袋を外に放り出し、やがて鎖を引いて出てきた。鎖の先は首輪に繋がれており、引き出されてきたのは、狼人の女の子と狐人の男の子だった。女の子の方が10歳くらい、男の子の方はそれより少し下、7~8歳くらいに見える。2人とも俯き、みすぼらしい身なりをしていた。
「待ちなさい。その子たちは何?」
フィルの声が明らかに怒りを帯びる。
「こいつらは俺の奴隷だ…」
フィルの様子にやや怯えつつも男は言った。
フィルの命令により、ベナトリアとリンドニアでも魔族を不当に奴隷にすることは禁止されていたが、奴隷売買自体は禁止されていない。
だが、こんな子供の奴隷など明らかにおかしい。フィルが見逃せるはずが無かった。
「それなら、命を助けてあげた代価として、その2人はわたしがもらい受ける。いいわね?」
フィルの言葉に男が慌てる。
「待ってくれ!確かに助けてはもらったが、俺は馬もやられて大損なんだ。この2人を売って金を作らなきゃならねぇ!」
「そんなことはどうでもいいわ。ここでお前がクマに襲われて死んでいたって通報してもいいのよ」
じろりと男を睨み、悪役のようなセリフを吐くフィル。
「なっ…」
フィルの目が決して冗談を言っていない事に気づき、男は青ざめる。
「早く、その子たちの首輪を外しなさい」
「…」
「外せ!」
チッと舌打ちして、男は子供達の首輪を外した。
「…これでいいんだろ」
「えぇ」
フィルはスカートのポケットを探って帝国金貨を2枚掴み、男の足下に放る。
「さっさと行きなさい!」
男は、慌てて足下の金貨を拾い、馬車から放り出した荷物を背負うと、逃げるように街の方へ向かっていった。
「リネア、この子たちに水を」
「はい」
すぐに水の入った革袋を肩に掛けたリネアが馬車から降りてきた。カップに水を注ぎ、子供達に差し出す。
「どうぞ。ゆっくり飲んでください」
のろのろと顔を上げた2人の子供は、そこでようやく目の前にいるのが自分達と同じ魔族だと気付いたのだろう。
「…お姉ちゃん、ありがとう」
女の子の方が安心したように礼を言い、カップの水を飲み干す。それを見た男の子も真似をしてカップを傾けた。だが、急いで飲んだせいでむせてしまい、激しく咳き込む。
「もう大丈夫だから、ゆっくり飲みなさい」
男の子の背中をさすり、フィルは優しく言った。だが、フィルが人間だと気付いた女の子の方は表情を固くする。
「お姉ちゃんも、奴隷なの?」
どうやらリネアのことをフィルの奴隷だと思ったようだ。フィルとしては大いに心外だが、この子達の境遇を考えれば仕方ない。
「違いますよ。私は奴隷ではありません」
「でも、人間が…」
「私はリネアと言います。フィル様は、魔族を虐める方ではありません。安心してください」
女の子は、まだ信じられない様子でリネアを見上げ、そしてフィルの方をちらちらと見ている。
「すぐには信用できないかもしれないけど、わたしはあなたたちを奴隷にするつもりなんてないよ。…でも、こんな所で『さぁ、どこへでも行きなさい』って言われても困るでしょう?だから、しばらくわたし達と一緒に来ない?」
フィルは、女の子の目をじっと見つめた。しばらくして、女の子はこくりと頷く。
「テオも一緒でいいの?」
「テオって、この子?」
男の子に視線を向けると、女の子は頷く。
「もちろん、テオも一緒だよ」
女の子の表情が安心したようにほころぶ。
「わたしはフィル。あなたは?」
「…シア」
フィルは、シアと名乗った少女の頭にポンと手を乗せ、優しく撫でた。
「シア…辛かったね」
シアの目にじわっと涙が浮かぶ。そして、張り詰めていた何かが切れる。シアはフィルの胸に顔を埋め、大きな声を上げて泣き出していた。
5人連れの一行に、人間が2人と魔族が3人。しかもテオよりも小さなメリシャまで一緒にいるのを見て、シアは驚いていた。リネアはテオと同じ狐人だが、アラクネのパエラとアルゴスのメリシャは、シアとテオが初めて出会う種族だった。
一応、フィルが一行の主のようだが、食事は全員同じものを一緒に食べるし、リネアやメリシャ、パエラの着ている服だって、人間のフィルやエリンと見劣りしない。
フィルは、次の町に着いたら服を揃えるからね、と言ってシアとテオにも自分達の服を着せてくれた。サイズは合わないが、今まで着ていたボロボロの服よりもずっと着心地がいい。
リネアが用意してくれた食事もとても美味しかった。それに甘いお菓子までもらえるなんて。
甘い物を食べたのはいつ以来だろう。何年も前の何かのお祝いの時に、小さなスプーンにほんの一掬いの蜂蜜を舐めさせてもらったくらいしか覚えがない。テオも、もらった焼き菓子を夢中で頬張っていた。
「リネアお姉ちゃん、もう一つ、食べていい?」
木皿の上にまだ焼き菓子があるのを見て、テオが言う。
「どうぞ。好きなだけ食べてください」
微笑むリネアに、テオは嬉しそうに木皿に手を伸ばした。
「あ、ずるい、シアも…」
「えぇ。どうぞ」
シアも焼き菓子を掴んで、口に運ぶ。香ばしくてほのかに甘い味が口に広がる。ついさっきまで、鎖に繋がれて、乾いて固くなったパンと水しか与えられなかったのに、まるで夢のようだ。
小さいメリシャより夢中で食べてしまい、少し恥ずかしくなる。でも、メリシャは『お菓子を食べると幸せになるよね』とにっこり笑ってくれた。
「フィル様は、どうして魔族を奴隷にしないの?」
不思議そうに訊いたシアに、フィルは逆に問い返す。
「ねぇ、シア、どうして魔族は奴隷にならないといけないの?何か悪いことをしたの?」
「ううん。でも、村のために、そうしないといけないんだって言われたよ」
シアの答えに、フィルは微笑みを消した。
「シア、何があったのか、わたしに教えてくれる?」
シアの生まれた村は、魔族だけが暮らしていたらしい。村には狼人族と狐人族、合わせて数百人ほどが住んでいたが、他の町や村との交流がない孤立した村だったようだ。
シア達を連れていた男に馬車に乗せられ、4日ほどかけて前の街に来た、というシアの話が間違いなければ、おそらく村はベナトリアの領内にある。
その村では、以前から、年に2回やってくる人間の男達に、10代前半くらいの子供の中から2人、奴隷に差し出す決まりになっていた。
しかし、1年ほど前から、男達はもっと多くの奴隷を求めるようになり、適齢期の子達がいなくなった結果、ついには本来なら差し出されない、シアやテオのような小さな子まで、奴隷に差し出すことになってしまったのだという。
どうして人間に奴隷を差し出さなければいけないのか、それはシアも知らなかった。
「まるで生贄ね」
ぼそりとフィルはつぶやく。
本来魔族がいないはずのベナトリア領内に魔族の村があることも驚きだが、奴隷を差し出すという村の決まりは一体、どういうことなのか。
考えられるとすれば、子供達を奴隷を売らないと暮らしが立ち行かないほど貧しいのか、それとも脅されているのか…
いずれにせよ、今はフィルの命令で魔族を不当に奴隷とすることは禁止されている。
奴隷制自体は廃止されていないが、人間でも魔族でも、奴隷にされるのは一定以上の重罪を犯した犯罪者か、或いは債権放棄の代わりに自ら奴隷になることを選んだ者だけだ。
シアやテオがそれに当てはまるとは思えない。
「フィル様、なんとかならないでしょうか?」
眠ってしまったテオに毛布を掛けてやりながら、リネアが言った。
「もちろん、そんなことは止めさせる。…シアの村はどこにあるか、わかる?」
「ごめんなさい。今、ここがどこなのかもわからなくて」
村から出たことのなかったシアにとって、世界は自分の村とその周りだけだった。他の町の事など何も知らないし、地図だって見たこともない。馬車の中に繋がれていたため、どこをどう通ったのかもわからなかった。
「いいえ、無理言ってごめんね。…こんなことなら、あの奴隷商、逃がすんじゃなかったな…」
チッと舌打ちするフィルの隣でパエラが言った。
「ねぇ、次の街はこの地方の中心都市なんだよね?…そこで、フィルさまが奴隷を買ってみるのはどうかな?」
パエラの話を詳しく聞いたフィルは、なるほど、と頷く。
「やってみましょうか。…シア、手伝ってくれる?」
「うん、シアも手伝いたい」
ぎゅっと拳を握り締め、シアは頷いた。
次回予定「奴隷探し」
ベナトリア領内に魔族の村があり、村の子供たちが奴隷にされている。
村への手掛かりを得るため、フィル達がとった方法とは。




