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傾国狐のまつりごと-食われて始まる建国物語-  作者: つね
 第4章 フィルのお忍び旅
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魔族への視線

ユーリアスからの招きを受け、保養地アルテルメへと旅立ったフィルたちは、ベナトリア領内へ。

「これほどの農地があるなんて、豊かなわけだわ」

 馬車の窓から外を眺めながら、フィルは感嘆の声を上げた。目の前に広がるのは、地平線まで続く黄金色の小麦畑。帝国随一の大穀倉地帯と呼ばれるのは伊達ではない。


 サエイレムは交易都市として栄えているが、一番の弱点は食料だった。

 街の北側には深い森が広がり、南は大河ホルムス、東は魔族領と接し、西にはテテュス海。

 農地を開墾できる平地は限られ、気候は乾燥しており、土地自体も痩せている。とても都市人口を養うには足りない。交易で稼いだ資金で、外から食料を買い入れるしかなかったのである。

 もちろん、ベナトリアからも大量の食糧を輸入していた。フィルと大グラウスとの仲は悪かったが、食糧輸入に関してはあまり妨害されることはなかった。輸入にかかる関税や商人からの利益還元などが大グラウスの懐を大いに潤していたからである。

 あの強欲爺…と、食料輸入の書類にサインする度にフィルが苦々しくつぶやいていたのは、総督府の文官たちの間では良く知られた話であった。


「すごいですね。一体どれだけの麦が収穫できるのか、想像できません」

 リネアも目を丸くしている。

「フィル、これ全部食べ物なの?」

「うん。これは小麦の畑。メリシャが毎日食べてるパンやお菓子の材料なんだよ」

 フィルはメリシャに教える。

「へぇ…これだけあったら、お腹いっぱい、パンやお菓子が食べられるね」

「そんなに食べたら、メリシャのお腹がはち切れてしまいます」

「それは嫌ー」

 くすっと笑うリネアに、メリシャは自分のお腹を押さえた。


「フィルさま、町が見えてきたよ」

 御者台のパエラが声をかけて来た。開けっ放しになっている御者台への出入り口をくぐり、フィルはパエラの横から身を乗り出す。

 道の先に見える町は、小麦畑の真ん中に浮かんだ島のように見えた。

 サエイレムのような高い城壁ではなく緑の木々に囲まれ、漆喰の壁に褐色の屋根の家々が立ち並んでいるのが見える。美しくのどかな田舎町の風景であった。

「良さそうな町だね」

 パエラに微笑みかけながらも、フィルは内心では緊張していた。


 ベナトリアには魔族はほとんどいない。いるのは少数の奴隷だけ。それも領都など一定以上の大都市に集中している。このような田舎町で魔族を見る機会と言えば、せいぜい旅の商人が奴隷を連れているのを見かける程度だろう。その機会自体、かなり稀だ。


 美しい田舎町、おそらくは平和で居心地の良い町なのだろう。ただし、人間にとっては。

 良くも悪くも外から雑多なものが入り込む都市よりも、こうした、同じ人々が、同じ暮らしをずっと続ける場所こそ、最も異物を受け入れない。

 

 街に近づくと、人の背丈より少し高い木の柵が街の周りにめぐらされているのが見えた。戦争の為の防壁としては役に立たない。おそらく野獣避けの柵だろう。その柵と街道が交わる場所に街への出入りを監視する門があり、槍を手にした門番がこちらを見つめていた。

 門番の詰所と思われる小屋の前で馬車を止め、フィルたちは馬車を降りた。


「わたしたちは、サエイレムのレベニア商会の者です。わたしは店主の娘フィル、こちらは妹のメリシャと侍女のリネア、そして護衛のエリンとパエラです」

 フィルは身分証や通行証を門番に示し、自己紹介した。

 案の定、門番の視線はリネアとパエラに集中していた。メリシャは一見しただけでは魔族の特徴がわかりにくく、フィルの腰の後ろに隠れているので、人見知りの子供だと思われているようだ。

 門番がパエラとリネアを見る視線は、奇異と警戒が入り混じったもの。今はまだ仕方ないと理解はしているが、思った通りの反応にフィルは軽くため息をつく。


「通っていいか」

 エリンが門番に言う。

「あぁ、…その二人は魔族か?」

「そうだが、何か問題があるのか?」

「い、いや…通って構わない」

 エリンに睨まれ、門番は慌てて書類を返した。

「では、失礼いたします…」

 フィルは門番たちに軽く会釈する。微笑んだ頬がヒクついているのが自分でもよくわかった。 


 街に入っても、御者台に座るパエラの姿は目立っていた。

 下半身が蜘蛛のアラクネ族は、人間から見れば異形である。住民たちがパエラを見る視線は、まるで化け物を見るかのようだった。

「パエラ、わたしが代わろうか?」

「あたしは平気だよ。お嬢様に手綱取らせるわけにはいかないじゃない」

「じゃ、パエラの隣にいる」

 フィルはそう言って御者台に這い出てくると、パエラの隣に座った。

「もう、心配しすぎだよ。フィルさまは」

「いいじゃない。わたしはこうしていたいの」

 呆れたように言うパエラに、フィルは身体を摺り寄せた。


「あー、魔族への印象を変えるって、難しい」

 翌日、次の町へと向かう馬車の中で、フィルはぼやいていた。


 町で一泊したフィルたちは、終始、奇異と警戒の視線にさらされ続けた。少しむきになったフィルが、リネアやパエラを連れて食事や買い物など、積極的に住民たちの前に姿を見せたため、余計に注目されたというのもある。


 果ては魔族を連れたフィルを同業者と勘違いした奴隷商が絡んできて、パエラとリネアを売ってほしいなどと言い出す始末。フィルが殺気立つのに気付いたエリンが、先に奴隷商をボコボコにしたため、逆に彼は命拾いすることになった。

 ただ、周りの視線は、奴隷を売って欲しいと言ったくらいで、そこまでしなくても…とむしろ奴隷商に同情的なものが多く感じられた。

 フィルはそれも気に入らないが、流石にそこはぐっと我慢した。


 宿に戻ったフィルは、リネアとパエラを好奇の目にさらしてしまったことに落ち込んでいたが、ふたりとも気にしないと笑い、逆にフィルを励ましてくれた。

 サエイレムだって、フィルが来る前は似たような反応をする人間が珍しくなかった。むしろ、たった1年足らずの間にフィルがサエイレムを変えたことの方がすごいのだ。


 住民たちに悪意はない。皆、普通に暮らしている者たちだ。ただ、魔族をよく知らず、恐れている。

 10年も続いた魔王国との戦争が終わって、まだいくらもたっていない。住民の中には兵役で戦争に駆り出された者、家族や友人を失った者もいるはずだ。

 そこへ、魔族を恐れるな、人間と同じに扱え、と言われても、染みついた恐れは拭えまい。

 …恐ろしいもの、理解出来ないものに側にいて欲しくないと思うのは、当たり前の反応なのだ。


 総督の権力をもってしても、その感情はすぐには変えられない。フィルはそれをつくづく思い知らされた。その結果がこのぼやきである。

 フィル自身がアルラに言った通り、本当に100年かけて地道にやっていく必要がありそうだ。


「ねぇ、フィルさま、もう気にしないで、楽しく旅をする事を考えようよ」

 あっけらかんと言うパエラに、フィルはため息をつく

「ごめん。…なんとかしなきゃって、つい…」

「フィル様、パエラちゃんの言う通りです。私はフィル様と楽しく旅ができればそれでいいです」

 リネアもそう言って笑った。

「……うん、わかった。次の街に行ったら、まずおいしいものでも探そうか!」

「おー」

 メリシャが勢いよく拳を上げる。気を取り直したフィルであったが、騒動の火種はすでに燻っていたのだった。


 翌日、町を発ったフィルたち一行は、整備された街道を北へと進んでいた。

 天気は良く、街道の両側に広がる麦畑では、農夫たちが収穫作業に励んでいる。

 のんびりとした田園風景を進むこと半日。麦畑一色だった風景に、小さな森や草原が混じるようになった。ほとんど起伏のなかった街道も、先ほどから緩やかな上り坂になっており、丘陵地帯に入ってきたようだ。


「パエラ、止まれ!」

 先頭を進んでいたエリンが鋭い声を上げ、パエラも馬車を急停止させた。

「どうしたの?エリン」

「フィル様、ハイイロモリグマです。…前で馬車が襲われています」

 馬車から顔を出したフィルに、エリンが答えた。

 柵などで守られた町や村は安全だが、こうして街道を行く旅人や郊外の農地で農作業をする農民たちが野生の獣に襲われることは、さほど珍しい事ではない。 


 エリンが告げたハイイロモリグマというのは、この地域の山間地や森に生息する肉食獣である。

 その体格は、立ち上がると人間の大人を軽く上回るほどであり、鋭い爪や牙を武器とする。敏捷性も高く、一般的な獣の中では、危険度が高いとされていた。

 クマは馬車を引いていた馬を襲ったらしく、地面に横たわる馬を食い漁っている。道の脇に止まった馬車の影では、人間の男が1人、震えながら身を隠しているのが見えた。


「エリン、討伐を!」

 フィルはすぐさま決断した。躊躇う理由はない。

「はっ!」

 エリンは鞍に括りつけていた大刀を引き抜き、愛馬ゼラを駆って突進する。フィルはパエラの隣を動かず、あえて手は出さない。

 エリンならあの程度の獣に後れを取ることはないし、魔族へのアレルギーが残る土地で、あまり人外の力を見せるのはよくないと思ったからだ。


 ドドッ!ドドッ!と音を響かせて突進するゼラとエリンに、クマは顔を上げた。どうやら新たな敵と認識したらしく、囓り付いていた馬を放り出して口元から牙を剥き出しにする。

 エリンを迎え撃つように走り出し、交差する直前に後ろ足で立ち上がった。前脚による一撃がエリンに振り下ろされる。

 だが、エリンはそれを読んでいた。ゼラの進行方向をわずかに修正し、クマの攻撃が届かないギリギリの間合いをとる。手にした武器が剣なら一撃を躱して仕切り直すところだが、大刀の刃はその間合いでも十分に届く。

 野獣は手負いにすると面倒だ。エリンは長めに大刀の柄を掴むと、すれ違いざまに薙ぎ払う。水平に弧を描いた刃は、前脚を空振りしたクマをとらえ、一撃でその首を刎ね飛ばした。ドサリとクマの頭が地面に落ち、続いてゆっくりとクマの身体が地面に倒れた。


「…見事なものだねぇ」

 パエラも感心したように声を上げる。闘技大会の時よりも、さらに腕を上げたのではなかろうか。まともに戦ったら自分はもちろん、ウェルスでも危ないと思う。人外の力を持つ妲己は別として、人間の身でここまでの強さを身につけているのは、素直にすごいと思う。

「さすがエリン!」

「エリンさま、格好いい!」

 刃に付いた血を払い、戻ってきたエリンを、フィルとパエラはパチパチと拍手しながら迎える。


「妲己が稽古をつけてくれたおかげです」

 まんざらでもなさそうな様子で、エリンは微笑んだ。

次回予定「シアとテオ」

ベナトリアの人間たちの魔族への意識に悩むフィル。そこに、さらなる事件が。

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