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傾国狐のまつりごと-食われて始まる建国物語-  作者: つね
 第4章 フィルのお忍び旅
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領内視察

今話より新章です。

皇帝ユーリアスから届いた一通の招待状。再びフィルたちの旅が始まります。

 ティフォンの件が解決してしばらく、サエイレム属州は平穏であった。


 併合したベナトリアとリンドニアの統治では、大グラウスの時代に比べて税率を引き下げたこともあって、新総督は領民から好意的に受け入れられている。

 魔族に対する感情は未だ変わらないものの、今のところ魔族との交流はサエイレムが窓口となって行われているため、魔族の存在をさほど意識することもなかった。


 ティフォンの一件で縁ができたアルゴスとは、近々、正式に使節団の相互受け入れを行うことになっている。

 アルゴスとの交易が始まれば、中継地点に当たるアラクネの領地も賑わうことだろう。アラクネの里は、谷の奥の隠れ里であるため、そちらはそのままに、街道沿いに新しい街を作ってもいい。いずれは、白骨街道とあだ名されているルブエルズ山脈を抜ける間道を、きちんとした街道に整備してベナトリアとアラクネ領を結び、交易ルートの拡大もしたいとフィルは考えていた。


 そんな、ある日のこと…。


「フィル様、どうぞ」

 午前の執務を終えたフィルに、リネアが昼食代わりのお茶と菓子を用意する。それはいつもの日課だが、今日は、それとともに丸められた羊皮紙がテーブルに置かれていた。

「これは手紙?」

「はい。先ほど帝都より御使者が来られたそうです。別室でフィル様の返書をお待ちです」

 ポットからカップにお茶を注ぎながらリネアは答える。


 フィルはリボンを止めている封蝋を見て、嬉しそうに笑みを浮かべた。封蝋に押されていたのは、皇帝の紋章であった。

「兄様からだ。何だろう…?」

 皇帝からの直々の手紙、他の貴族なら頭上に頂いて感激する代物だが、フィルは何の躊躇いもなくパキリと封蝋を割って、羊皮紙を広げた。


「そっか、…忘れてた」

 手紙に目を通したフィルは驚いたように呟いた。内容は、高級保養地として知られるアルテルメにある皇帝の離宮への誘いであった。

「ユーリアス様は何と?」

 リネアも内容が気になるのか、フィルに尋ねる。

「アルテルメにある離宮へのご招待。わたしの誕生日を祝ってくれるんだって。…そういえば、来月の終わりにはわたしの誕生日だったっけ…」


 前の誕生日は、サエイレムに来る直前だった。それから、死にかけたり、襲われたり、領地を侵略されたり、色々なことがあり過ぎて、正直、自分の誕生日の事などすっかり忘れていた。

 もう1年…いや、まだ1年もたっていなかったのかと思う。


「おめでとうございます。それは素敵ですね…」

 ぱぁっと顔を明るくするリネアに、フィルは手紙を差し出した。

「せっかくだし、メリシャも連れて遊びに行こうか」

「いいんですか?私たちが行っても」

 サエイレム領内では気にならないが、アルテルメは帝国本国に属する街だ。魔族の自分たちが行っても良いのだろうかとリネアは心配になる。


「いいよ。兄様の手紙にも、リネアとメリシャもぜひにと書いてあるし」

「ユーリアス様が、そんなことを仰るなんて…」

 フィルから受け取った手紙に確かにそう書いてあるのを見て、リネアは少し呆れた。きっと、そう書かないとフィルが来ないと思ったのではないだろうか。


「きっと、兄様もリネアとメリシャに会いたいんじゃないかな。アルテルメは保養地として人気だから、他の貴族連中も多いと思うけど、兄様もわたしもいるから、心配ないよ」

 何か言う奴がいたら、わたしが物理的に黙らせるし。フィルは内心続けた。

「ありがとうございます。楽しみです」

「アルテルメは温泉が豊富に湧いててね、すごく綺麗な街なんだよ」

 フィルも幼い頃に1回か2回、父に連れて行ってもらったことがあるだけで、鮮明に覚えているわけではないが、美しい町並みの印象は残っていた。

 

「ティフォンの件では、リネアにもメリシャにも、すごく辛い思いさせたから。せめて、罪滅ぼしさせて」

 にこっと笑ったフィルの後ろで、窓辺に影が差した。

「フィールーさーまー…」 

 するするとバルコニーに降りてきたパエラが、じとりとフィルを見つめている。 

「あたしもフィルさまの事、すごく心配したんだけどなぁ…一晩中泣いちゃうくらい…」


「パエラも行く?」

「いいの?!」

 一瞬にしてパエラの表情が明るくなる。

「いいよ。行先は、帝国皇帝の離宮だけど」

 パエラはそういうのを嫌がるかとフィルは思っていた。パエラさえよければ、むしろ連れて行きたい。だが、パエラはどうやら行き先に気付いていなかったようだ。


「え、皇帝って、…帝国で一番偉い人…だよね?」

「そうだよ」

「でも、兄様って…」

「皇帝陛下は、わたしがまだ幼い頃に兄のように可愛がってくれた人なの。だから兄様と呼ばせてもらっているのよ」

 フィルが気軽に兄様兄様と言っているので、パエラは手紙の主が、まさか帝国の皇帝だとは思わなかった。正直、少し怖気づいた。


「パエラが良ければ、一緒に行こうよ。前に帝都に行ったときは、パエラは里のことがあって行けなかったからね」

「でも、帝国の皇帝って、怖くないの?魔族にひどいことしない?」

 戸惑いの表情で訊くパエラに、フィルとリネアは揃って微笑む。


「大丈夫だよ。そんな人だったら、わたしがリネアやメリシャを連れていくわけないじゃない」

「帝都でお目に掛かった時、ユーリアス様は私達にも人間と同じように接して下さいました」


 パエラもようやく安心したらしく、ぼそぼそと答える。

「フィルさまやリネアちゃんと一緒なら、行ってみたい…」

「良かった。…そうだ、パエラにもちゃんとした衣装を仕立てないとね」

「やった!」

「他の貴族なんかに負けないように飾ってあげるから、覚悟しなさい」

 新しい衣装にはしゃぐパエラを横目に、フィルは兄への返書を書き始めた。  

 

 それから半月ほど後、ベナトリアの街道を進む1頭の馬と1台の馬車がいた。

 先を行くのは愛馬ゼラに跨がったエリン、そしてパエラが手綱をとる二頭立ての四輪馬車が続く。


 エリンの装備は軍団を指揮する時の軽甲冑ではなく、稽古などの時に着ける革の部分鎧。商人が雇った護衛兵に扮しているつもりだ。馬車に乗っているフィルたちも、地味めの旅装束である。

 その馬車も、貴族用の豪華なものではなく、商人が使うものであった。木製の梯子型フレームに鉄輪で補強された車輪が付き、その上に御者台付きの居室が載っている。居室は両側のフレームから上に伸びる数本のアームから太い革ベルトで吊られてフレームから浮かされており、地面からの振動が直接伝わらないように工夫されていた。


 お得意様への挨拶回りに訪れたサエイレムの大手商会の令嬢姉妹と、お供の侍女、護衛、というのが今回の設定である。フィルとメリシャが姉妹、リネアが侍女、エリンとパエラが護衛という役どころだ。

 フィルはリネアも姉妹設定に加えようとしたのだが、狐人が人間と姉妹というのはさすがにおかしいということで、仕方なく諦めた。フィルとしては遺憾の極みである。


 商人としての身分は、サエイレム財務官に就任しているバレンが用意してくれた。サエイレムにある実在の商会の身分証である。内容は偽でも、サエイレム総督府が発行した身分証だから偽造ではなく本物である。ちなみに馬車もバレンから借りたものだ。


 どうしてこんな設定で旅に出たのか…?


 皇帝の別荘があるアルテルメへ行くには、陸路と海路、2つの方法がある。

 海路で行くなら、サエイレムからテテュス海の東岸沿いに北上し、約7日ほどで港町ロンボイに入る。そこから北へ半日進めばアルテルメだ。

 陸路で行くには、サエイレムから本国へ向かう街道を辿り、ベナトリアとリンドニアを通過しなくてはならない。順調に行けば馬車で約半月という道のりだ。

 

 フィルは時間がかかる陸路を選んだ。せっかくだから、アルテルメに向かうついでに、領内視察をしようと思ったのだ。しかもお忍びで。


 ベナトリアとリンドニアを領有したものの、フィルはそれぞれの領内を詳しく知らない。

 大グラウスの領地であったベナトリアはもちろん、エルフォリアの旧領であるリンドニアも、屋敷のあった領都リフィアの周り以外はさほど詳しいとは言えなかった。


 総督代行として派遣したグラムやフラメアからは定期的に報告が届いており、頑張ってくれている。だが、まだ着任していくらもたっていない今、領内は基本的に以前のままだと思ってもいい。

 グラムによれば、大グラウスの統治が長かったベナトリアでは、サエイレムとは価値観が異なる部分も多いらしい。


 フィルは、今後どうしていくか考えるために、一度、領内を実際に見ておきかった。

 民たちがどう暮らしているのか、地域による格差や暮らし方、そして、魔族に対する反応…。


 でも、サエイレム領となったからには、ベナトリアやリンドニアにも魔族を受け入れる下地が必要だ。

 まずは、魔族を見たこともない人間たちに、魔族にはきちんとした知性があり、人間と分かり合えるだということをわかってもらわなくてはならない。

 

 期待と不安が半々といった心境で、フィルは馬車の窓から外を眺める。

 窓の外には、大穀倉地帯として知られるベナトリアの象徴、見渡す限り広がる小麦畑が広がっていた。

次回予定「魔族への視線」

ベナトリア領内へと入ったフィルたち一行。

しかし、人間の魔族への印象は、やはりサエイレムのようにはいかないようで…。

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