メリシャと一緒に
パドキアに戻ってきたフィルたち。
第3部「アルゴス王国の危機」は今回で最終話です。
リネアは、腕に抱いていたメリシャをそっと降ろしてアルラに一礼した。
「リネアさん…?」
「はい。そして、今は私がティフォンでもあります。アルラ様」
にこりと微笑んでリネアは言った。
「それは、一体どういうことですか…?」
アルラの表情には困惑の色しかない。いきなり告げられても、どう理解すればいいのか皆目見当もつかない…アルラは助けを求めるように、フィルを見やる。
「わたしが狐の神獣、九尾の力を得たように、リネアもティフォンと意思を交わし、巨竜の力を譲り受けたのです」
フィルはアルラにかいつまんで事情を話した。
神獣の意識の代替わり。それを利用してリネアは当代のティフォンの意識となった。滅びを望んでいた"先代"は望み通り消え去り、最強の巨竜の力は一人の少女に託された。
正直、荒唐無稽と言ってもいい話である。
しかし、フィルが嘘を言っているとも思えなかったし、自分自身、ついさっき巨竜の姿がリネアに変わるところを目の当たりにした。
「では、本当にリネアさんがティフォンであると…?」
少し固い声で、アルラはリネアに確かめる。
「はい」
微笑んで頷くリネアに、アルラの後ろにいたカルムがその場にへたり込んだ。
「…フィル様、リネアさん、正直言って、私はまだ信じられません。ですが…そうなのですね」
「まぁ、こんな話、すぐに信じろという方が無理かもしれません。ですが、もうティフォンがアルゴスの土地を襲うことはありません…ね?リネア」
「はい。決して」
「わかりました。フィル様とリネアさんを信じましょう」
少しぎこちない表情を浮かべながらも、アルラは頷いた。
場所をアルラの部屋に移し、リネアはアルラとカルムに『無常の実』に関する説明をした。
「なるほど、あの神話の意味は、そういうことだったのですね」
アルラは深く頷いた。
「アルラ様が神話の事を教えて下さらなければ、わたしは生きていなかったかもしれません。感謝致します」
礼を言うフィルに、アルラは柔和な笑みを浮かべながら、とんでもない、というように手を振り、フィルの後ろに座るリネアを見つめた。
「いいえ、その神話から真実を読み解いたのは、リネアさんです。おかげで我らも救われました。リネアさん、国を代表してお礼を言わせて下さい」
「そ、そんな、私なんて…」
わざわざ立ち上がって頭を下げるアルラに、リネアも慌てて立ち上がり頭を下げる。
最強の竜となっても以前と変わらないリネアの様子を微笑ましく眺めながら、フィルは隣にいたメリシャを抱き上げ、自分の膝の上に座らせた。
「フィル?」
メリシャは不思議そうにフィルを見上げる。
「アルラ様、お聞きの通りティフォンの脅威はなくなりました」
ゆっくりと、アルラの反応を確かめるようにフィルは言った。フィルにとっては、ここからが本題だ。
メリシャはサエイレムで育てる。もちろん、力づくで連れ帰ることは簡単だ。でも、ここはメリシャの故郷、できれば関係を悪くしたくない。
そのためには、メリシャを連れ帰ることをアルラたちにも納得してもらいたいと思う。
「これでアルゴス王国がメリシャの能力を必要とする理由はないはずです。メリシャはわたしたちと一緒にサエイレムに帰ります。…よろしいですね?」
フィルの口調は丁寧だったが、メリシャは渡さないという強い意思が透けて見えた。
アルラは何か言いかけたが、そのまま口を閉ざす。
「待って欲しい。ティフォンの脅威、そして国内の反乱鎮圧、総督殿には大きな借りがある。しかし、メリシャのことだけは、再考してもらえないだろうか」
アルラに代わって言ったのはカルムだった。だが、フィルは素っ気なく答える。
「カルム殿、メリシャをここに残せば、また反乱の種となり、王位継承の問題に巻き込まれないとも限りません」
「メリシャは王太子に嫁がせ、共に王位に就かせたい。それならばどうだろうか?」
一応、カルムもメリシャが騒動の種にならぬよう考えてくれたのだろう。だが、そんな政略結婚をさせるつもりはないし、そもそも根本的な所を見落としている。
「メリシャは、かつて神の一座に数えられたアルゴス本来の能力を持っています。その寿命は、長命種である今のアルゴスと比べても、ずっと長いのではありませんか?」
「それは…」
カルムもそれは否定できなかった。一族に伝わる伝承から察すれば、そうである可能性は非常に大きい。
「アルゴスの中で婚姻したとしても、いずれは夫を見送り、自らが産んだ子すら見送らなければならない。そんな運命をメリシャに背負わせるつもりですか?」
実感のこもったフィルの言葉に、カルムも口を閉ざした。そう、それは神獣となったフィルとリネアの運命でもあるのだ。
「…わたしも人を辞めた化け物です。寿命などないに等しい。だから、わたしは婚姻するつもりもなければ、子を成すつもりもありません。…メリシャがその生を全うするまで、共に生きるつもりです」
「ずっと一緒にいてくれるの?」
黙って聞いていたメリシャが、上目遣いにフィルを見つめる。
「そうだよ。わたしとリネアは、メリシャと一緒にいるよ」
「メリシャが嫌じゃなければ、そうさせてください」
「嫌なわけない。メリシャはフィルとリネアと、ずっと一緒にいたいよ」
メリシャは、両隣に座っているフィルとリネアの服を両手でぎゅっと握り締める。メリシャ自身が何を望んでいるのか、疑問の余地は無かった。
「カルム殿、よろしいですね」
諦めきれない様子のカルムを睨みつつも、フィルの口元は主の意思に反して今にも緩んでしまいそうになっている。アルラとカルムの前でなければ、メリシャを存分に抱き締めていたところだ。
「カルム、もう良いでしょう」
黙っていたアルラが、寂しげな笑みを浮かべつつ口を開いた。
「…メリシャはアルゴス本来の力を宿した子です、正直言えばアルゴスの中に置きたいという気持ちはあります。しかし、この子と母親を守り切れなかったのは私達。そしてメリシャの命を救ったのはフィル様です。…それを今更、返せとは言えません」
「姉上!それでは…」
抗議の声を上げるカルムを制し、アルラは言葉を続けた。
「先日、フィル様は、いずれメリシャに総督職を継がせると仰いました。それは本気でお考えですか?…魔族の娘を帝国の総督にするなど、反発も大きいはずですが」
「無理強いするつもりはありませんが、わたしはもちろん本気です。お言葉の通り、帝国内での反発がないとは申しませんが、わたしが総督の間に、メリシャが総督を継げる環境を整えるつもりです」
フィルは、そこで一旦言葉を切り、にやっと笑った。
「…わたし達もメリシャも、50年や100年はどうということはありません。帝国を変えるための時間は十分にあります」
もちろん、大妖狐と巨竜に凄まれて文句が言える者など居るはずもないが、メリシャが総督となるには人間も含めた民衆の信頼を得なければならない。
サエイレムの民はともかく、多くの帝国の人間は魔族のことをよく知らない。知らないが故に拒絶することもある。魔族との交流を増やして、人間の意識を時間をかけて変えていくしかないとフィルは思っている。
「なるほど…フィル様とリネアさんが一緒にいて下さるなら、メリシャにとってこれほど安心できる場所はないのでしょうね」
神獣の力を得たフィルとリネアは、メリシャよりも更に長く生きるはずだ。この2人が生涯見守ってくれるのなら、メリシャもその能力に煩わされることなく幸せな一生を送れるだろう。それは、アルゴスの中にいるよりも良いことだと、アルラも思う。
メリシャがアルゴス本来の能力を持って生まれたからと言って、それでアルゴス全体の衰退が止まるわけではない。メリシャの存在は、ほんの一時、一族の自尊心を満足させてくれるに過ぎないのだから。
「フィル様、メリシャをどうかよろしくお願いいたします」
「はい。お任せ下さい。一生大事にします」
アルラは深々とお辞儀をすると、フィルに手を差し出す。フィルは、その手をしっかりと握り返して頷いた。
そしてアルラはメリシャに近づき、頭を撫でる。
「メリシャ、たまにで構いません。この伯母に顔を見せに来てくれますか?」
伺うようにフィルの顔を見たメリシャに、フィルは頷いた。アルラはメリシャの母の姉だ、その縁まで絶つつもりはない。
「はい。おばさま」
メリシャは元気に返事をして、にっこりと笑った。
……後日、イネスが届けたフィルからの手紙を受け取り、ティフォンの来襲に備えて布陣を整えていたエルフォリア軍主力とケンタウロス族、アラクネ族の連合軍1万2千は、金色の妖狐に先導されて飛ぶ赤褐色の巨竜の姿を目の当たりにした。
風を裂く轟音を立てて頭上を旋回するティフォンの巨体に、歴戦の将兵達、勇猛を誇るケンタウロスですら、悲壮な決意を固めそうになる。
だが、愛馬に乗ったエリンは、すぐさま全軍の前に走り出て、大きな声を上げた。
「全軍、その場で待機。あれは敵に非ず!」
巨竜を先導している金の妖狐はフィルだ。事情はわからないものの、フィルが何らかの方法で巨竜を味方に付けたと察したのである。
その後、巨竜がリネアに姿を変えたのを見て、さすがのエリンも落馬しそうになるほど驚いたのは、言うまでもない。
次回予定「領内視察」
次回より新章はじまります。フィルたちは漫遊の旅に出る?!




