竜を継ぐ者
ティフォンに自ら食べられたリネア。
果たしてメリシャが『見た』未来を掴めるのか。
「……?!」
目の前の異様な光景への驚きに、フィルの怒りが冷めていく。
リネアは…ティフォンは…一体…
(なるほど、リネアも…思い切ったことを考えたな)
頭の中に玉藻の声がした。
(どれ、先輩として麿も手伝ってやるとするか)
フィルの中から、するりと玉藻が出ていくのを感じた。
(玉藻?!)
(その方がいいかもね。フィルの方には妾が付いてるから)
見送るように妲己が言う。
(玉藻は何をするつもりなの?!)
(しばらく見ているといいわ。…大丈夫、とは保証できないけど、玉藻もあっちに行ったし、あとは上手くいくことを祈りなさい)
妲己は、諭すようにフィルに言う。
ちょうど人の背丈ほどになった白い球が、真珠ような淡い光を放ちつつ目の前に鎮座していた。
「フィル、ごめんね。さっき、リネアに頼まれて『見た』の…みんな大丈夫な未来も、ちゃんとあったよ」
「みんな、大丈夫な未来…?」
フィルは、のろのろと背中のメリシャを振り返る。
「…だけど、メリシャには、どうしたらその未来になるのか、わからないの…でもね、リネアは必ず戻るって言ってたよ。リネアの望みを叶えたいって」
メリシャは、力をこめて言った。リネアのことは心配だけど、リネアはきっと大丈夫。自分の見た未来を思い出し、メリシャはそう思った。
「ごめんなさい、フィルさま…リネアちゃんを止められなくて…でも、リネアちゃんは、必ずメリシャの見た未来を掴むって言ってたよ」
どうやら二人は、自らティフォンに食べられることを、リネアから打ち明けられていたようだ。だが、リネアがあの様子では、パエラたちに止められなかったのは仕方ないと思う。
フィルは小さく息をついて白い球を見つめた。あの中にリネアがいる。
もし、このままリネアが戻ってこなかったらと考えると、身体の芯から凍り付くように怖い。
しかし、今の自分にできることは何もない。ただ、見守るだけだ。
「…わかった…待とう…リネアが帰ってくるのを…」
フィルは、メリシャたちが背から降りられるように、その場に身を屈める。
「約束したよね、リネア。ずっと側にいてくれるって……わたしを一人にしたりしないよね…?」
フィルは、淡い光を放つ白い球を見つめて小さくつぶやいた。
やがて夜になっても、白い球に変化はなかった。球の内側から漏れ出るぼんやりとした光が、脈動するように規則的な強弱を繰り返している。
フィルは、九尾の姿のまま身を横たえ、寒くないようメリシャとパエラを腹に抱えている。頭を伏せてはいるが、その目はじっと白い球を見つめていた。
(ねぇ、妲己…何が起こっているのか、予想はついてるんでしょう?)
フィルは、頭の中で妲己に話しかける。
(フィルは気が付いてないの?)
(リネアは、ティフォンに食べられて、ティフォンの意識になるつもりなのかなって…)
(なんだ、わかってるじゃない)
(でも、うまくいくかどうかもわからないのに、どうしてそんな危険なことを?…確かにわたしではティフォンに勝てそうもなかったけど…そもそも、ティフォンは意識を代替わりさせることができないから、滅びを望んだんじゃないの?)
(そうとは限らないよ。できることを知らないだけなのかもしれない。だから、リネアはメリシャに『見て』もらって、できることを確かめた。本当にできないなら、成功する未来なんてないはずだもの)
(それじゃ、本当に代替わりができるの?)
(えぇ。だから、リネアは二度とない機会だと思ったんでしょうね。この前、フィルが一人で行こうとしたのが余程ショックだったんじゃない?)
妲己は冗談めかして言ったが、フィルはその言葉か引っかかった。
(二度とない機会?)
(えぇ。神話の時代ならともかく、この人の世に、神の末席に連なるような神獣がそう簡単に現れるわけないじゃない。今回みたいに、同じ世界、同じ時代に2体の神獣が出会うなんて、とても珍しい事なんだから。だからリネアは、この万に一つかもしれない機会に賭けた。ティフォンの力が、どうしても欲しかったのよ)
(そんな力なくたって、リネアはわたしが…)
リネアは戦う力を欲するような娘ではない。もし、自分が囮になろうとしたせいで、リネアが力が欲しいと思ったのなら、とても悲しい。
(力って言っても、色々あるのよ…フィル。あとはリネアから直接聞きなさい。今は、あの娘を信じて待つしかないわ)
妲己は、それっきり黙り込んだ。
ティフォンが変じた白い球の中、リネアは自分に流れ込んでくるティフォンの力と記憶の奔流にじっと耐えていた。人の器をはるかに超える力を注ぎ込まれるのは、力づくで全身を圧迫され、押し潰されるかのように感じた。
もう止めてと叫びを上げそうになるのを堪え、グッと歯を食いしばる。苦しくても拒絶してはならない。すべて受け入れるのだ。
…と、ティフォンの力に混じって、よく知っている気配が自分に入り込んでくるのを感じた。
(玉藻様…?)
(リネア、良かった、ちゃんと自身を保っておるようじゃな)
(どうしてここに?!)
(フィルのことは妲己に任せておけばいいからの。麿はリネアの側で手伝ってやろうと思ったのじゃ)
(ありがとうございます…フィル様は、…やはり怒ってらっしゃいましたか?)
(リネアが死んだと思うて、ティフォンと刺し違えようとした)
(…帰ったら、フィル様に謝らないと…)
リネアは、フィルにきちんと説明せずに行動したことを悔いた。
ゆっくり説明する時間が無かったというのは言い訳だ。本当は、フィルに言えばきっと強く止められると思ったからだ。リネアは必ず帰ると決意している。だが、それを知らないフィルから見れば、リネアのしたことは、1人で囮になろうとしたフィルの行動と変わらない。
自分が感じたのと同じ恐怖をフィルにも感じさせてしまったことに、リネアの心は痛んだ。
(そうじゃな…だが、とにかく今はティフォンの力を受け入れる方が先じゃ。ティフォンを代替わりさせて、そなたがティフォンの意識になるつもりなのじゃろう?)
(やっぱり、気付かれていたんですね)
(まぁ、麿も昔、九尾に食べられたことがあるからの。九尾に出来るのなら、同じ神獣であるティフォンにも出来ると考えるのは当然じゃ…だが"先代"はどうも代替わりのことを全く知らぬようだな…)
(はい。ですが、ティフォン様は私の提案を受け入れて下さいました。全てを私に譲って、望み通り自らは消えると…)
(そうか…まずはこうしてリネアと話ができて安心した。下手をするとを神獣の力に触れた瞬間に、為す術もなく自我を飲まれてしまうこともあるからの)
(…軽く考えていた訳ではないのですが、そんなに危険だったとは思いませんでした…)
メリシャがうまくいく未来を『見て』くれたことで、どこか安心していた。しかし気を抜けばいつ未来が変わってもおかしくはない。リネアは気持ちを強く引き締める。
(人の身で神獣を御そうと言うのじゃ。簡単なことではない…今は、自分自身を強く念じ、リネアがリネアたる意思を保つことに集中せよ。どうして神獣の力を欲したのか、それを忘れるな。自我を飲まれれば、ティフォンの本能に溶けてしまう。正真正銘の獣に成り果てるぞ)
(…フィル様、もう少しだけ、待っていて下さい…必ず、お側に戻ります)
リネアは、そうつぶやくと、胎児のように身体を丸めて自分の意識に集中した。
空が少しづつ白み始める。毛皮に埋もれて寝息を立てるメリシャたちを起こさないよう、フィルは少し頭をもたげた。
白い球の光が、少しづつ薄くなっているように見えたからだ。
「お願い…無事に、帰ってきて…」
フィルは祈る。ただ祈る。それしか出来ないのがもどかしかった。
「フィルさま、リネアちゃんは帰ってくるよ」
起きていたらしいパエラが、そっとフィルの毛皮に身体を擦り付けた。
「フィルさまがリネアちゃんを信じなくてどうするの?リネアちゃんは、フィルさまの側にいられないなら命を返すとまで言ったんだよ」
「そうだね…」
「フィル…?」
もそもそとメリシャが目を擦る。
「ごめんね。起こしちゃった?」
「フィル、リネアはまだ…?」
「うん……」
フィルが頷いた時、ぼんやりと白い光を放ち続けていた球が、急速に光を失っていった。
良い予兆なのか、悪い予兆なのかわからない。フィルは人間の姿に戻って白い球に近づくと、そっと手を伸ばした。
触れた手に伝わってくるのは、つるりとした感触、だが、温かい。フィルはその表面を優しく撫でる。そして次の瞬間、パァンと高い音が響き、白い球は泡が弾けるように砕け散り、光の粒になって消えた。
そして……!
「フィル様っ!」
勢いよく抱きついてきた温もりに、フィルは掠れた声で答える。
「おかえり…リネア…!」
ぎゅっとリネアの身体を抱きしめ、フィルはリネアの首筋に顔を埋めた。
次回予定「リネアの望み」
フィルのもとに帰ってきたリネア。命を賭けてティフォンの力を望んだ、その理由とは?




