表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
傾国狐のまつりごと-食われて始まる建国物語-  作者: つね
 第3章 アルゴス王国の危機
83/489

無常の実

囮になるのを考え直し、リネアと仲直りしたフィル。

古い神話が語る、かつて神々がティフォンが封じた方法とは。

「『無常の実』ですか?」

 アルラの話にフィルは問い返した。


 翌日、フィル達のいる客室にやってきたアルラが、何かの参考になるかもしれないと語ったのは、アルゴスに伝わっている古い神話だった。それによれば、ティフォンはかつて、神々によって封じられたことがあるという。


 その昔、強大な力を誇ったティフォンは、神々の長に挑み、ついには彼を破った。

 しかし神を殺しきることは出来ず、手足の腱を奪って動けなくした彼を、深い洞窟に幽閉してしまう。残された神々はなんとか長を奪い返そうと知恵を絞り、ティフォンが隠した長の腱を見つけ出して、長を奪還することに成功する。そして反撃を開始した。


 神々の反撃に、ティフォンも手をこまねいていたわけでは無い。あらゆる望みが叶うという『勝利の実』の力を得ようとし、その実を手に入れ、食べた。

 だが、ティフォンが手に入れたのは実は『勝利の実』ではなく、望みが決して叶わないという『無常の実』であった。

 復活した神々の長と再戦したティフォンは『無常の実』のせいで力を削がれて敗北し、神々がこの地を去るまで、北の大地にそびえるエドナ火山の下に封じられていたという。


「そんな実が本当にあるとは思えませんが…」

 フィルは困惑した表情を浮かべた。神話というのはだいたいが大幅に脚色されたり創作されたりしているものであり、そのうちのどれだけが実際の出来事なのかわからない。そんな話が手がかりになるのだろうか。


「はい。そんな実は実際にはなく、おそらくは何か暗喩なのだと思います。ただ、何かティフォンの力を削ぐための方法を示しているのではないかと」

「食べると力を削がれる実、ですか…」

 アルラの言うとおり、暗喩だとしたら何のことを示しているのだろうか。

 無常の実について神話で語られているのは、実の効果は『決して望みが叶わない』。ティフォンは実を『食べた』。そのせいでティフォンは『力を削がれた』。…断片的かつ曖昧過ぎて、何のことだかさっぱりわからない。


 とりあえず神話のことは頭の片隅に置いておくことにして、まずはアルラと現実的な対応について相談する。


 アルラは反乱の鎮圧とティフォンが領内に侵入している事を国民に公表し、避難準備を始めることになった。当初は国土を捨てることに難色を示していたアルラだったが、昨日のフィルの話を聞いて、さすがに他に選択肢はないと覚悟を決めた。

 避難民はまずアラクネの里を目指し、それから白骨街道を通ってベナトリアで受け入れる。厳しい道のりになるため、十分な準備が必要だ。


 イネスとミュリスはそれぞれ、サエイレムのテミスとベナトリアのグラムに向けて、フィルが書いた手紙を携えて飛び立った。もちろん、遺言の方ではない。

 逃亡していたルギスの処刑とアルゴスの反乱の鎮圧、そして何よりティフォンという巨竜の脅威が迫っていること、アルゴスからの避難が始まる可能性を伝える内容だ。フィルが対処を試みるが、最悪の場合、サエイレムを拠点にしてティフォンと戦うことも有り得ると申し添えておいた。テミスとグラムなら、必要な準備を整えてくれるだろう。


 パエラはこちらに残っている。

 朝、フィルが寝室を出ると、目を腫らしたパエラに、昨日書いていた遺言の手紙を突き付けられ、言い訳する暇もなく怒られた。パエラもフィルがティフォンの囮になろうとした事に薄々気付いていたらしい。

 夜中、フィルがリネアと喧嘩した声もしっかり聞かれていて、1人で行こうとするなんてひどい、リネアちゃんを泣かせるなんてひどいと、わんわん泣きながら責められた。


 フィルの胸をポカポカと叩くパエラに謝ってなだめすかし、1人で行くなんてもう絶対に言わないと固く約束して、ようやく許してもらった。

 夕べは眠れずにいたようなので、今は寝室に押し込んで寝かしつけている。


 しかし、やはりティフォンにはもう一度会いに行かなくてはならないとフィルは考えている。

 アルゴスの避難ためにも、ティフォンの居場所は確かめておく必要があるし、滅びを諦めて北に帰ってくれないか、または、自分達と共に生きる道を選べないか、もう一度、説得してみようとも思う。

 当然、1人で行くなんて言ったら、またリネアとパエラに泣かれるので、みんなで一緒に行くつもりだ。フィルがティフォンと対峙している間、パエラにはリネアとメリシャに付いていてもらおう。


 アルラが出て行った後、客室のテーブルに頬杖をついて、フィルはもう一度神話について考えてみる。食べると力を削がれる『無常の実』。それは一体、何なのか?

 

「フィル様、どうぞ」

 リネアがテーブルにお茶を置いた。

「ありがとう…リネアも座って、一緒に考えてくれない?」

 フィルは、そう言って隣の椅子を少し引く。

「はい」

 リネアは、いつもと変わらぬフィルの眼差しに口元を綻ばせる。

 今朝、目が覚めて、ちゃんとフィルが隣で眠っているのを見た時、どれほど安堵したことか。どれほど嬉しかったか。

 隣にフィルがいてくれる。それだけで目を潤みそうになるのを我慢し、リネアはそっとフィルの隣に腰を下ろす。


「先ほどのアルラ様のお話ですか?」

 さりげなくフィルとの間隔を詰めつつ、リネアは尋ねた。

「うん。『無常の実』っていうのが、何かティフォンの力を弱めるヒントだったらいいんだけど」

 フィルは、自分の仮説を話し始める。


 まず普通に考えれば、毒だとか眠り薬だとか、或いは強い酒ということも有り得る。古今東西の神話や伝承において、酒に溺れて討ち取られた怪物は珍しくない。しかし、あのティフォンにそんなものが通用するだろうか。巨人族あたりに対してなら、そういう手も使えると思うが、あの巨竜に対しては、現実的ではないようにに思う。


 では、口の中が弱点で、文字通り口の中に攻撃を"食らわせる"ということだろうか。硬い外皮に覆われた外側よりも弱いのは確かだろう。しかし、ティフォンが自分の弱点と認識しているなら、おいそれと口を開くまいし、開いた口から炎でも吐かれてはこちらがやられる。実際やるとなると難易度は高そうだ。

 

 フィルがまず思いついたのは、その二つだった。


「どう思う?」

 フィルに問われたリネアは、軽く首をかしげる。

「どちらも有り得なくは無いと思います。けれど…無常の実という例えには合わない気がします」

「そうだよね…わたしもなんかしっくりこないんだよ…」

 うーん、と2人して唸る。

「お酒で酔わせて…口の中を攻撃して…」

 リネアが小さくつぶやき、しばらくして、ん、と声を上げた。


「どうかした?」

「いえ…毒や薬、お酒で弱らせたり、弱点を攻撃したりできたなら、神様はどうしてティフォンを殺さなかったのでしょうか?」

「そういえば、神様はティフォンを封じたんだったね。…でも、ティフォンも神々の長を殺しきれなかったんでしょ?だったら逆も有り得るんじゃない?」

「でも、『無常の実』はティフォンの力を削ぐんですよね?弱らせるわけではなく、戦う力だけを抑えるような感じだったんでしょうか?」


 リネアの指摘に、フィルは考え込む。確かに、単に力を削ぐと言っても『力』には色々な側面がある、単に攻撃の威力だけでなく、防御や体力、俊敏性、広く解釈すれば戦うための知恵も力のうちだ。『無常の実』にその全てを削ぐ効果があったなら、ティフォンは殺されていたはずだ。戦いには勝ったが殺しきれない、ということは、戦う力は削がれたが、防御や生命力は削がれなかったとも解釈もできる。


 そうだとすれば、『無常の実』とは単に攻撃の方法や弱点といったものではないのかもしれない。

「リネアが言ったこと、結構当たってる気がする。けど、そうなるとますます『無常の実』の正体がわからなくなるなぁ…」

 フィルは頭の後ろに腕を組んで、椅子の背に身体を預けた。

「戦う力…力を削ぐ…」

 リネアもブツブツとつぶやきながら考える。ティフォンをどうにかしなければ、フィルとの穏やかな日常は戻ってこない。リネアも真剣であった。


 だが、ゆっくりと考えるほどの時間はない。手掛かりになるかどうかもわからない『無常の実』について考えるより、もっと九尾の力を引き出す方法を会得する方が良いのかもしれないとフィルは思った。妲己や玉藻なら、何かアドバイスをくれるだろう。


「フィルさま、リネアちゃん、おはよー」

 メリシャを抱いたパエラが寝室から出てきた。安心して眠ったらしく、その表情に陰りはない。

「おはよー」

 パエラの口調を真似るメリシャの様子に、フィルの顔にも自然に笑みが浮かんだ。

「メリシャ、パエラ、おはよう」

 挨拶を返したフィルは、ちらっとパエラの様子を伺う。視線に気付き、パエラは少し恥ずかしそうに笑った。


「メリシャ、もう一度、ティフォンの所に行こうと思うんだけど、いい?」

 フィルの問いに、メリシャは少し不安そうな顔になる。

「また、戦うの?」 

「ううん。そのつもりはないよ。向こうが戦うそぶりを見せたら、すぐに逃げるつもり」

「うん、それならいいよ。リネアとパエラも行くの?」

 メリシャがそう訊くと、リネアとパエラの視線がフィルに突き刺さった。

「もちろん、みんな一緒だよ」

 フィルは、軽く苦笑しながら答えた。…もう1人では行かないと約束したが、2人はまだ心配なようだ。ティフォンをどうにかしなければと焦るあまり、周りが見えなくなっていた…この件が片付いたら、何か2人が喜ぶようなことを考えよう。

   

「フィル様、…少し、玉藻様にお訊きしたいことがあるのですが」

 メリシャとパエラの前に、王宮の厨房で作ってもらった朝食を並べるリネアは、手を動かしながらフィルに言う。

「なんじゃ、麿に訊きたいことというのは?」

 フィルの背後から、するりと玉藻が抜け出た。

「女子同士の睦み合いのことなら、麿もそれほど詳しくはないぞ」

「ち、違いますっ!」

 フィルとリネアが揃って顔を赤くするのを、さも楽しそうに玉藻は見やる。


「ほほほ、左様か。…では、何じゃ?」

「…はい、神獣は食事を必要とするのでしょうか?」

 リネアの質問に、フィルは首をかしげる。

「わたし、ちゃんとお腹すくよ?」

「はい。でも、九尾のお姿の時に、何か召し上がったことはありませんよね?」

 言われてみればそうだ。そもそも必要な時にしか九尾の姿にならないので、あまり気にしたことがなかった。九尾の力を受け継ぎ、その知識を得てはいても、フィルの中身は人間の頃と大きく変わってはいない。九尾の力で敵を倒しても、それを食べようなどと思うはずがなかった。九尾が何かを食べたのは、フィルを食べた時だけだ。


「うむ。神獣に食事の必要はないな」

 玉藻はさらりと言う。

「神獣というのは、実体の身体が有って無いようなものじゃ。だから人間の姿でも九尾の姿でも自在に変身できる」


「じゃあ、この身体って、元々のわたしの身体とは違うものなのかな?」

 不思議そうにフィルは自分の身体を見回す。九尾の力を得てから、人間の姿でも身体能力がかなり強化されているのは、自分でもよくわかる。元の身体なら、妲己が繰り出すような攻撃や瞬発力にとても付いていけない。

「そうとも言えん。あの時、フィルは九尾に食われ、九尾と混ざり合った。だから、完全に元のままとは言えんが、元々のフィルが素材になっている事に違いは無い。九尾がフィルの姿を真似ているというわけではない」


「では、フィル様が人間の姿の時だけ食事をされるのは、元のお身体に近いから、ということなのですか?」

「そう理解するのが良いじゃろうな。だから腹も減るし、美味いものを食えば満足もする。…だが、食べないと飢えて死ぬというわけではない。食事を必要としないという本質は、人間の姿の時も変わらぬ」

 玉藻はリネアに頷く。


「おいしいご飯食べられなくなったら、生きてても楽しくないもんね…あたしがもしそういう身体になっても、やっぱりご飯は食べたいなぁ」

 もりもりと朝食を食べながら、パエラが言う。

「そうだね…でも、リネア、急にどうしてそんなことを?」

「神獣にとって、『食べる』ということは、私達の食事とは意味が違うんじゃないかと思ったんです。『無常の実』のヒントになるんじゃないかと」

「…食べる意味、か…」

 フィルも腕組みしてつぶやいた。

次回予定「ティフォンふたたび」

対抗する方法は未だわからないまま、フィルたちはふたたびティフォンのもとへ

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ