ルギスへの罰
反乱の首謀者たちと、ベナトリアから逃亡していたルギス。
フィルの前に引き出されたルギスは…
「総督に相談するんでしょう?ベナトリアの総督がここにいるんだから、ここで相談しましょう。話してごらんなさい、ルギス・ベルナート」
部屋の入口で腕組みして立つフィルの姿に、ルギスの顔色が見る見る蒼白になる。
「どういうことだ?」
アルゴスたちは、フィルとルギスを交互に見る。
「知らないようだから教えてあげる。ベナトリアはサエイレム侵攻に失敗した。前ベナトリア総督グラウス卿は、わたしが討ち取り、そのルギスもすでにベナトリアの総督秘書官ではなく、ただの罪人だ」
フィルは、じろりと一同を見回し、言葉を続けた。
「皇帝陛下の決定により、ベナトリアはサエイレム属州に併合された。つまり、今のベナトリア総督はこのわたしだ。だから、ベナトリアがアルゴスの反乱を手助けすることは絶対にない。わたしが許さない」
「ルギス殿…それは、本当なのか…」
士官たちに困惑の表情が広がる中、ルギスは無言のまま悔し気にフィルを睨む。
「お前たちの反乱もこれまでだ。アルラ様もすでに解放されている」
フィルはアルゴスたちにも告げた。
「メリシャはわたしの養女、アラクネ族の族長ティミアはわたしの友人だ。もしおまえたちが、メリシャやアラクネ族に手を出すなら、わたしとエルフォリア軍が相手になる。その覚悟でいるがいい」
反乱軍に、エルフォリア軍とまともに戦えるような戦力があるはずもない。それはアルゴスの士官たちも十分にわかっていた。
「…ッ!」
ルギスは、じりじりと後ずさる。士官たちの中には、剣に手を掛けている者もいる。
まぁ予想はしていたが、素直に降伏するつもりはなさそうだ。おそらくここの連中は九尾の姿のフィルを見ていない。こんな小娘1人、と思っているだろう。
広間の出口はここだけ、窓にはパエラの網が張られている。なら、せっかく来てくれたパエラに任せよう。自分はリネアとメリシャを守り、ここを通さないようにすればいい。フィルはそう判断した。
「パエラ、殺しさえしなければ、あとは好きにしていいわ」
「はーい」
スッとパエラがフィルの前に出る。
「ア、アラクネ族?!」
「なんか、ウチの里を奪う相談してたよね?」
パエラは自分の糸で編んだ投網を手にして、ニヤッと笑う。そして、無造作に網を天井に放り投げた。網は大きく広がり、士官たちの頭上に覆いかぶさる。
「うわっ!」
粘着質の網に絡めとられた者たちの上を踏み付けながら、パエラは広間の中を俊敏に跳ね回り、網から取りこぼした者を次々に糸で縛り上げていく。
パエラは、あっという間に広間にいた全ての者を身動き取れなくした。パエラの糸は妲己の大刀でも切れない強靭さを持つ。青銅の剣しか持たない士官たちが対抗できないのはわかっていた。
「さぁ、首でも落としちゃおうかなぁ…誰から行こっかなぁ…」
パエラは楽しげに言いながら、足先の鋭い爪を手近にいた士官1人に突き付け、ゆっくりと首筋に這わせる。
「ひぃっ!」
掠れた悲鳴を漏らし、男はパエラを見上げてガクリと気を失う。こんな程度でアラクネの里を奪えると思っていたのか、とパエラは呆れた。
ティミアに従うアラクネの戦士たちは、パエラから見ても決して弱くない。ルギスの口車に乗って里を攻めたとしても、こいつらは骸になって森の中にぶらさがるだけだっただろう。
フィルは好きにしていいと言ってくれたが、あまりの手応えのなさにどうでもよくなってきた。もう痛めつけるのも面倒だ。
「命を助けてやったんだから、感謝しなさいよ」
パエラは床に貼り付いたアルゴスたちにつぶやいた。
「はい、あんたはこっち」
パエラは、窓から逃げようとして網にかかっていたルギスを縛り上げ、引っ立てる。
そのままフィルの前に膝をつかせ、自分は少し後ろに離れた。ちらりとフィルに視線を向け、フィルはそれに頷く。
「ルギス、弾劾裁判以来かしら。こんなところで会うとは思わなかったわ」
こっちだって、まさかお前がこんなところに来ているとは思わなかった!冷たい視線で見下ろすフィルに、ルギスは内心叫ぶ。
「アラクネ族への鉛製酒器や鉛入りワインの提供、アルゴスの反乱軍への肩入れ、…そして」
フィルの声が低くなる。
「アラクネ族族長リドリアの拉致と、アラクネ族の里への侵攻の手引き。全てわたしを罠にはめるためにあなたがやったこと。それで間違いないわね?…大人しく罪を認めなさい」
…認めても、処刑は確定だけど、とフィルは内心続けた。
アラクネ族の側にも問題があったとは言え、この男によってアラクネ族が多くの犠牲を出したことは事実。フィルはそれを許すつもりはない。
「沈黙は肯定と受け取るけど、いい?」
ルギスは悟る。自分にもう助かる道はないのだ。そう思ってしまえば、気も楽になる。一転して飄々とした態度でフィルに言葉を返す。
「エルフォリア卿。聡明な貴女のことだ、私に尋ねるまでも無く、もう調べは付いているのだろう?」
「えぇ。…一応、あなたが認めるかどうか試しただけ」
「自分を法廷に立たせた者を、裁く気分はいかがですかな?」
「あんな茶番どうでもいいわ…わたしが許せないのは、わたしを陥れるために、無関係のアラクネ族を犠牲にしたこと」
「あぁ、あの蜘蛛の住処を襲わせたことですか。あの蜘蛛がもう少しまともに証言してくれれば、裁判を有利にできたかも知れないのに、やはり魔族などに頼ったのが間違いでしたな」
ふんと鼻を鳴らしながら、ルギスは言う。
フィルは後ろにいるパエラを振り返った。
「パエラ、この男の処断、わたしに任せてくれる?」
「いいよ。フィルさまが決めたことなら、あたしはそれでいい。きっとティミアもそう言うと思う」
「ありがとう」
気持ちとしては、この男をアラクネ族に引き渡して、恨みを晴らさせてやりたいが、この男は帝国の罪人だ。帝国が責任をもって裁かなければ、アラクネ族に対する信義にもとる。
だが、フィルは返事をしたパエラが少しだけ表情を曇らせたのに気が付いた。…ルギスはどうも死は免れないと開き直ったようだ。しかし、自分のやったことに対する罪の意識など全く見えない。 こういう状況になっても、この男は魔族を蔑み、その命を何とも思っていないのだ。パエラはそれが気に入らない。もちろんフィルも同じだ。
「ルギス、サエイレム総督の名において、この場でお前を処刑する。最後に言いたいことはあるか?」
「総督閣下を陥れ、サエイレムを掠め取ろうとしたのです。処刑も当然。覚悟はできていますよ」
芝居がかった口調で言うルギスに、フィルは冷笑する。
「勘違いしないで。わたしに対する一切の罪は、今ここで不問にしてあげる。わたしがお前を処刑する理由は、アラクネ族に手を出し、多くの犠牲を出したことに対する罪だ。魔族に対する人間の罪、帝国の責任で裁かなくては、魔族に対して申し訳が立たない」
「なっ…!」
ルギスは目を見開いてフィルを見上げた。
魔族など、所詮は獣や虫が多少の知恵を付けたような存在ではないか。魔族に対する罪?そんなことで処刑されるなど有り得ない。理不尽だ。それがルギスの偽らざる本心だった。
だが、どんなに理不尽だろうと、裁判権を持つ総督の決定は、帝国において正式な判決となる。
「エルフォリア卿!どうして貴女は、そこまで魔族に肩入れする?!」
ルギスが知るフィルの経歴は、将軍の娘として生まれ、帝国で育った生粋の帝国貴族だ。魔族に対する忌避感に個人差はあれど、魔族を人間同様に扱う帝国貴族など見たことがない。
それなのに、フィルは魔族を多く自分の周りに置いて重用している。身の回りの世話をする側付からして魔族の娘だ。
どうしてフィルはこれほど魔族に肩入れし、魔族もフィルに協力するのか。ルギスにはどうしても理解できなかった。フィルがこれほど魔族と親密でなければ、ルギスの工作はうまくいっていたはずなのだ。
「わたしと魔族の関係が、そんなに不思議?…最期だから、特別に教えてあげる」
怒りに顔を赤くするルギスの目の前で、フィルはニヤッと笑った。フィルの頭の上に金色の毛で覆われた狐耳が立ち上がる。
「…わたしが人間ではないからよ」
「バカな…魔族が…!」
驚愕の表情を浮かべたルギスを、フィルは狐火で火柱に変えた。
「フィルさま、あいつ絶対に誤解したよ。魔族がフィルさまになりすましてるって」
狐耳を消したフィルに、パエラが呆れたように言う。
「そうかもね…でも、嘘は言ってないよ。わたしはもう人間辞めてるし」
パエラは思う。魔族を蔑んでいたルギスにとって、自分を裁いて処刑したのが実は魔族だったなんて、最大の屈辱だろう。フィルさまは、少しでもアラクネ族の恨みを晴らそうとしてくれたのだろうか。
上目遣いに見つめるパエラに、フィルは悪戯っぽく微笑んだ。
次回予定「フィルの決意」
反乱は解決したが、ティフォンの脅威は何も解決していない。
自分ではティフォンに勝てないことに悩んだフィルは、ついに辛い決意を固める。




