反乱の動機
リネアに続き、メリシャも救出したフィル。
そこにテミスからの手紙を持ってパエラたちがやってきた。
テミスは何を知らせてきたのか?
「フィル様、テミス様がここまで手紙を届けさせるということは、余程のことではないでしょうか?」
「そうだね」
リネアの指摘に、フィルは文書筒を開き、丸められた羊皮紙に目を通した。
掛かれていた内容は、ベナトリアからの逃亡者に関する情報であった。
逃亡者は、大グラウスの秘書官だったルギス・ベルナート。
帝都でのフィルに対する弾劾裁判の時、大グラウスの代理として裁判に出席し、アラクネの前族長リドリアに証言させた男だ。
フィルを罠にはめて罷免に追い込もうとした一連の事件、リドリアを里から拉致したり、それ以前に鉛張りの酒器やワインをアラクネ族に送り込んでいたのは、この男の仕業だった疑いが濃厚であった。
ルギスは、弾劾裁判が失敗した後、密かにベナトリアに戻ったところを、進駐していた第二軍団によって捕縛された。だが、領都イスリースへの護送中に隙を突いて逃亡したらしい。ルブエルズ山脈の"白骨街道"とあだ名される間道を通って魔族側に逃げた可能性が高い、と手紙には記されていた。
さらに、まだ確たる証拠はないと前置きされていたが、ベナトリア総督府に残されていた書類を調査したところ、ルギスがアルゴス王国にも接触していた形跡があるという。
ルギスが魔族側に逃げたとして、彼がアラクネ族の里に現れたという報告は入っていない。ならば、アルゴスを頼るのではないか。ベナトリアが起こしたサエイレム侵攻において、実はアルゴスはベナトリアと共謀していたのではないか。
テミスがこの情報を急いでフィルに届けようとしたのは、それを危惧してのことだった。
「テミスの心配はわかるけど、アルラ様がそんなことをしているとは思えないわね」
「そうじゃな…だが、アルゴスの内戦に乗じて、反乱側を支援していたのかもしれん。アルゴスの内戦が激しくなれば、ベナトリアの連中が隣のアラクネ族を襲撃しても、アルゴスが介入してくる心配は無くなるからの」
「玉藻ちゃん、もしかしてリドリアにメリシャを捕らえるように唆したのも、その男なんじゃないの?」
「メリシャの情報を反乱側から聞いていたのだとしたら、その可能性はあるの。旗印であるメリシャが手の内にあれば、反乱側の勢いも増す。首尾良く反乱が成功すれば、幼いメリシャを傀儡にして、ベナトリアの息がかかった政権ができる」
頷く玉藻に、パエラは顔をしかめた。リドリアのことは前から嫌いだったし、一族にもさほど思い入れはない。それでも、そのルギスという奴のせいでティミアやメリシャが酷い目に遭ったのだと思うと、腹が立つ。
「ルギスがアルゴスに逃げてきているとしたら、今回の反乱にも関係しているかな?」
フィルは玉藻に尋ねる。
「ふむ…今回は意図的ではあるまい。切っ掛けのひとつくらいにはなったかもしれんが」
「どういうこと?」
「…ベナトリアがフィルの領地になったことは、まだアルゴスには伝わっておらん。そのルギスとやらが、ベナトリア総督の秘書官を装って反乱軍の残党らに接触したのであれば、ルギスが積極的に煽らずとも、ベナトリアの支援を当てにして勢いづくことは考えられる。そこにメリシャが戻ったとなれば、連中が一気に舞い上がってもおかしくない」
「この反乱は、ルギスにとっても意図しない暴発だった…?」
「今更反乱に加担しても奴に利はないからの。…しばらくほとぼりを冷まして、密かにベナトリアか帝国本国にでも戻るつもりだったのじゃろう」
ほとんど推測ではあるが、状況的には考えられる筋書きだ。
「反乱なんぞ起こされて、一番困っておるのは実はルギスなのかもしれんぞ。何の後ろ盾もなく、口先三寸で連中を騙しおおせなくてはならんのだからの。奴がすでに罪人で、逃亡してきたことがバレたら、命が危うかろうて……どのみち、またもフィルを巻き込んだ時点で奴は詰んでおるがな」
「玉藻、ルギスの顔は覚えてる?」
「帝都の裁判の時にいた男じゃろう?…そういえば、下の男どもの中に似た顔がおったな。反乱の首謀者もろとも一網打尽にするにはちょうどいいのではないか?」
玉藻は、意地悪そうに笑った。
「パエラ、下の広間の話し声を拾える?」
「もちろん。ちょっと糸張ってくるね。そうだ、外へ逃げられないように、ついでに窓も網で塞いでおくよ」
パエラはスルスルと2階の窓から1階部分にぶらさがり、広間にいる連中に悟られないよう注意しながら、極細の糸で編んだ網をパッチのように当てて窓を塞いでいく。糸は半透明で極めて細く、一見では塞がれているように見えない。そしてこの網を構成する糸が、室内の声を拾う役割も果たしていた。
糸を自在に使うアラクネ族の能力は、諜報活動には本当に便利である。
『ルギス殿、ベナトリアはサエイレムに勝てるのか?エルフォリアの軍団の強さは我らも知っているぞ』
パエラの糸によって拾われた声が、糸を伝わり2階の部屋にも聞こえてきた。
『案ずる必要はありません。その軍団の主たるサエイレム総督を、あなた方が王宮で捕らえているのでしょう?』
『あの娘が、本当にサエイレム総督なのか?…王宮の者たちからは、そう名乗ったと聞いているが、我々は見ていないからな』
『聞いたとおりの年恰好で、狐人の侍女を連れていたというなら、おそらく間違いないでしょう。その娘は、エルフォリア将軍の一人娘でサエイレム総督に任じられています。しかし、忌々しくもその軍団の力を背景に帝国への反乱を企てた反逆者です。だからベナトリアはサエイレムに討伐軍を向けているのですよ』
フィルは呆れたようにため息をついた。
「フィルさま、反逆者だって」
ニヤニヤと笑いながらパエラが囁く。
「今すぐ乗り込んでやろうかしら」
「面白そうだから、もう少し聞いてようよ」
『今は王宮で大人しくしているらしいが…帝国の総督を捕らえて、我らが帝国から睨まれることはないのか?』
『だから、反逆者だと言ったでしょう。総督の地位にありながら帝国に歯向かう重罪人です。殺してしまっても構わないのです』
『ならばいいが。そうなると、次はティフォンの脅威をどうするかだな』
『そんな魔獣の一体、アルゴスの兵力を動員して仕留められないのですか?』
『魔獣などではない。神話に語られる竜種なのだ。そう易々と仕留められはせん…ベナトリアの軍勢は支援してくれないのか?』
『そうしたいところですが、ベナトリア軍はサエイレム討伐の最中です。それに、帝国本国の手前、あまり表立って魔族であるアルゴスを支援するわけにはいきません』
『それはそうかもしれないが…』
「あんな話を信じるなんて、ここの連中はバカなのですか?」
普段人当たりの良いイネスまで辛辣な物言いになっている。
「ケンタウロス族やアラクネ族と違って、アルゴスは帝国内の事情を知らないからね…」
現実の情勢は全く違うのに、ルギスの言葉をまともに信じているアルゴスの反乱分子たちがなんだか滑稽に思えてきた。
「相手が事情を知らないからって、ルギスって奴もよくあんなに平気で嘘が言えるもんだね…」
パエラも呆れ顔だ。
『ティフォンと戦いたくないのなら、アラクネ族の領地を奪い取るのはどうです?アラクネ族はすでに滅んだも同然。ティフォンと無理に戦わずとも、あなた方に従う者だけでそちらに国を移せばいいのでは?』
「は?」
ルギスの言葉に、パエラが身を固くした。
『なるほど、それは良い手かもしれん。我らが奉ずるメリシャ様こそ、かつて神と呼ばれたアルゴス本来の力を持つお方。その未来視の能力で、きっとアルゴスをかつての繁栄に導いて下さるはずなのだ。それを理解できぬ者まで助ける必要はないな。我々で新たな国を作り、こちらはティフォンの好きにさせればいい』
『アラクネの生き残りがまだ多少居るようだが、蹴散らしてしまえばいいだろう」
「フィルさま、あたし、ちょっと下に行ってきていいかな?」
パエラがぴくぴくと頬を引きつらせながらフィルに尋ねる。
「奇遇ね…わたしも今そう思ったところよ。さすがに聞き捨てならない」
フィルも眉を寄せて不快そうな表情を浮べた。ルギスはもちろんだが、反乱側のアルゴスたちも、ずいぶん身勝手なことを言っている。
(あー、下の連中、終わったな)
イネスとミュリスは顔を見合わせて肩をすくめた。だが、彼女らもフィルたちを止めるつもりは毛頭ない。民を守るべき者たちが民を見捨てると言い、なおかつ他の種族の土地を奪おうとしている。フィルが怒るのも当然だ。
パエラとフィルを先頭に、全員一緒に1階に降りる。イネスとミュリスがいてくれるのだから、リネアとメリシャは2階で待たせた方が安全なのだが、フィルはどうしても二人を手の届く範囲から離したくなかった。
広間の見張りに立っていた兵士は、真上から降りてきたパエラによって一瞬で糸でグルグル巻きにされ、音もなく床に転がった。
広間のドアの前で聞き耳を立てる。ルギスの声が聞こえた。
『ティフォンが近づいてくるようなら、私は一度ベナトリアに戻り、対応を総督と相談してきましょう。できる限り支援を引き出せるよう努力します』
アルゴスたちを見限って、体よく自分だけ逃げるつもりらしい。そんなことさせるものか。
「ベナトリアに戻る必要はないよ」
バン、と扉を開けてフィルは広間に踏み込んだ。
長テーブルを囲んでいたアルゴス軍の士官たちが、ガタッと席を立ってフィル達に向き直る。彼らが今回反乱を企てた連中だろう。
そして、フィルから見てちょうどテーブルの反対側に、ルギスはいた。
次回予定「ルギスへの罰」
ルギスたちの前に姿を見せたフィル。ベナトリアによる陰謀の元凶とも言える男に対し、フィルは…?




