反乱
ティフォンに歯が立たず、逃げることしかできなかったフィル。
しかし、戻っていたアルゴス王宮には異変が起こっていた。
ティフォンから逃げて、パドキアまで戻ってきたフィルは、王宮前の広場に着地した。リネアとメリシャを降ろし、人間の姿に戻る。
広場には誰もいなかったが、アルラの部屋の場所はわかっている。フィルは王宮内へと足早に入っていった。とにかく、ティフォンのことを一刻も早くアルラに伝えなくてはならない。
フィルが冷静であったなら、王宮の入り口に門兵が一人もいないことを不審に思っただろう。だが、ティフォンに歯が立たなかったことで完全に動揺していたフィルに、そんな余裕はなかった。
「アルラ様は部屋におられるか?!」
廊下の向こう、部屋の扉の両脇に立つ兵士を見つけ、フィルは言った。彼らは黙ってアルラの部屋の扉を開ける。どうやらアルラは部屋にいるらしい。
フィルの力でティフォンに勝てない以上、このままでは、アルゴスはもちろん、サエイレムまで危険になる。その焦りがフィルの足を速めていた。
開かれた扉の向こうには、部屋の奥に立つアルラの姿があった。
「アルラ様…!」
「フィル様、入ってきてはいけません!」
アルラの叫びにハッとしたフィルが振り返るのと、パタンと音を立てて部屋の扉が閉められたのは同時だった。
部屋に入ったのはフィル一人。後ろにいたはずのリネアとメリシャがいない。
気付くと同時にフィルは扉に向けて狐火を放ち、破壊する。急いで廊下に出たものの、そこにリネアたちの姿はすでになかった。
「リネア!メリシャ!」
フィルは廊下の先に向かって叫ぶ。
「大人しくしてもらおうか」
フィルが見たのは、アルラの隣に立つ兵士が、アルラに剣を突き付けている姿だった。
廊下にいた兵士たちよりも色鮮やかな装備を身に着けているところを見ると、兵を指揮する士官なのだろう。それが主君である王を脅すなど、異常事態なのは間違いない。
「何のつもりだ!」
怒りを隠そうともせず、フィルは足音荒く詰め寄る。その手には青白い狐火が浮かんでいた。
「今すぐその剣を退け。さもないと、アルラ様を害するより早く、お前が消し炭になるぞ!」
「おとなしくしなければ、あの狐人の娘が血を流すことになる」
「ぐっ…!」
フィルは顔を歪めて足を止める。ギリッと歯ぎしりの音を立てて士官を睨み付けると、フィルは手の中の狐火を消した。
ティフォンの状況をアルラに話さなければと焦り、後ろにいたメリシャと、メリシャの歩みに合わせるリネアが遅れていることに気が付かなかった。フィルは悔やむ。
目の前にいれば取り返すのも容易いが、どこに捕らわれているかわからない以上、下手に手出しすることはできない。
「わかった……その代わり、リネアとメリシャに何かしてみろ、お前達は絶対に楽には殺さない!」
フィルは観念したように、どかりとその場に座る。
「まずは、しばらくここにいてもらおう。逃げたり我らに歯向かった時は、人質が死ぬぞ」
士官は、やや上ずった声で言うとアルラから剣を離し、逃げるように部屋から出て行った。
威圧的な態度をとってはいるが、内心は先ほど扉を破壊したフィルの力を恐れているようだ。
士官の気配が遠ざかると、フィルは小さくため息をつく。
本当にどうかしていた。まさかふたりを人質にとられるなんて、何たる不覚か…しかし、今更そんなことを言っても仕方がない。
まずは状況を知ることが必要だろう。フィルは力なく座り込んでいるアルラに尋ねた。
「アルラ様、何があったのですか?」
「…反乱です。メリシャをアルゴスの王にしようとする者達が、ティフォンの脅威を名目に反乱を起こしました」
「それは、私がメリシャを連れてきたからですか?」
これまで、アルゴスではメリシャは行方不明ということになっていた。
内戦鎮圧の後、密かにメリシャを王にと願う者たちも、肝心のメリシャがどこにいるかわからないのでは表だって行動できなかっただろう。そのメリシャがアルゴスに戻ってきたのは、彼らにとっては息を吹き返す絶好の機会だった。
フィル自身も指摘したことではないか。本当に、さっきまでの自分を殴りたい。
「いいえ、フィル様が悪いのではありません。…国内を固めきれていなかった私の不徳です。本当に、申し訳ありません」
アルラは深々と頭を下げた。
「反乱の首謀者はわかっているのですか?」
「反乱を起こしたのは、我が軍の若手の士官たちの一部です。おそらく先の内戦で反乱軍に加担した者たちだと思います。内戦後の追求を逃れて、機会を伺っていたのでしょう。彼らは、ティフォンの脅威に対して、私ではアルゴスを救えない。神の力を持つメリシャを王にするべきだ、と」
「なんてバカなことを…」
フィルはため息をつく。反乱にティフォンの危機を利用するなんて本当に馬鹿げている。ティフォンの脅威があるからこそ、今は国を割っている場合ではないというのに。
おそらく彼らは徐々に衰退するアルゴスの現状に我慢できず、かつての力と繁栄を取り戻す未来を夢想しているのだろう。『自分は正しいことをしている』という思い込みは、時に人をとても愚かしい行動に走らせるものだ。
「とにかく、リネアとメリシャを助けないと…」
フィルは、チラリと戸口を見る。壊れたままの扉の近くに人影はない。だが、この状況で見張りがいないということはないだろう。一瞬で倒されるのを警戒して、離れて見張っているのかもしれない。
「アルラ様、アルゴスの能力は…例えば、これからわたしがどんな行動をとるか、といったことが見えるのですか?」
「いいえ。メリシャならともかく、他の者にはそこまでの予知はできません」
フィルは少し安心した。行動を先読みされるようなら、下手なことは出来ないと思っていたが、その心配はなさそうだ。
(それなら、妾がちょっと探してきてあげる)
(そうじゃの。麿も手伝ってやろう)
フィルの背後から、ふわりと二人の人影が抜け出た。
「…!」
アルラは声を上げかけて慌てて口を押さえる。
「アルラ様、紹介します。この二人は妲己と玉藻。わたしの中に宿る、かつて神獣の意思だった者です。二人は実体を持たぬ幻ですかが、わたしと繋がっています。…2人にリネアとメリシャを探してもらい、どこにいるかさえわかれば、わたしが取り戻します」」
フィルは簡単に紹介する。妲己と玉藻は、アルラに軽く一礼するとそれぞれ壁の向こうへと消えていった。
「…そういえば、カルム殿はどうしたのです?」
アルラの側に控えていた王弟の姿が見えないのに気付き、フィルは尋ねる。
「カルムも捕まっています。私に言う事を聞かせるための人質です。自ら退位せよと迫られました」
「なるほど、そういうことですか…」
反乱側も十分な兵力が用意できていないのだろう。かつてのような内戦になることを避け、アルラからメリシャに王位を禅譲させて事を終わらせるつもりなのだ。
フィルとアルラは、部屋の真ん中に座って無言で待ち続けた。
王宮の中は静まり返っている。王宮内の兵が全員寝返ったとは思えないが、先ほどのように兵を率いる立場の士官が反乱を主導しているなら、その指揮下の兵は訳もわからず従っているのかもしれない。
無駄な血が流れないという点では良いが、いつまでもこんなくだらない反乱ごっこに時間を取られている場合ではない。いつティフォンが動き出すかわからないのだ。
妲己も玉藻も、なかなか戻ってこない。ティフォンのことも不安だが、フィルは何よりもリネアとメリシャの身を案じた。リネアは怪我をしてはいないだろうか、メリシャは泣いていないだろうか…お願いだから無事でいて……フィルは組んだ両手を祈るように額に当てた。
(フィル様…ごめんなさい)
フィルの側を離れてはいけなかったと、リネアは悔やんでいた。自分がメリシャを抱いてフィルに追いついていれば良かったのだ。だが、まさかアルラ王の王宮でこんなことになるとは思わなかった。
離れて先を行くフィルが入った部屋の扉が閉められると同時に、扉の前にいた兵士たちがリネアとメリシャを引き離し、それぞれに連れ去られた。廊下の向こうからフィルが叫ぶ声がした。ここにいると声を上げたかったが、素早く猿轡で噛まされ、後ろ手に縛られた。
連れてこられたのは、雑然と荷物や調度が置かれた広い部屋だった。リネアは部屋の奥の壁際に座らされる。手首のロープと猿轡はそのままだ。それほどきつく締められてはいないが、抜け出せるほど甘くもない。
リネアは、大人しく座っている振りをしながら、部屋の中の様子を伺った。部屋の中にはアルゴスの兵士が3人。そして、リネアが座らされている隣には、男が1人縛られ、転がされていた。時々くぐもった呻きを上げるので意識はあるようだが、彼はリネアよりも更に厳重に、両手両足を縛られ、猿轡に目隠しまでされていた。服装からすると、カルムという名のアルラ王の弟君ではなかろうか。リネアはちらりと視線を送る。王族にしてはずいぶんと扱いが酷いと思う。
自分が足まで縛られていないのは、非力な小娘と甘く見られたのかもしれない。手の自由だけどうにかできれば、隙を見て逃げられる。
リネアが考えていると、兵士たちの上官らしい男がやってきた。彼は部屋の中を一瞥し、リネアがおとなしく捕らえられているのを確認するとすぐに出て行った。だが、去り際に男が部屋の兵士たちに掛けた言葉を聞き、リネアは愕然とする。
「あの妙な力を使う娘も、すっかり大人しくなっているから心配いらん」
「…っ!」
リネアの目が見開かれ、猿轡を噛む口元に力がこもる。自分のせいでフィル様がこんな連中に従わされている…
リネアは自分がフィルの足枷になっていることが、どうしようもなく辛かった。
次回予定「リネア救出」
反乱軍によって捕らえられたリネアとメリシャ。フィルは救出に動き始めます。




