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傾国狐のまつりごと-食われて始まる建国物語-  作者: つね
 第3章 アルゴス王国の危機
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ティフォン

巨竜ティフォンの姿を求めて北へと向かうフィルたち。ティフォンがアルゴスを脅かす目的とは。

 走り続けるフィルの視界に、廃墟と化した町の姿が入ってくる。緩やかな谷間に貼り付くように作られた町だった。

 この地方の地質の特徴なのか、白っぽい地肌の斜面に家々が並んでいる。しかし、その斜面には高熱で焼き払われたように、黒く煤けた跡が幾筋も走り、町を塗りつぶしていた。

 生き残った者はすでにこの地を去ったのか、それとも全滅してしまったのか、動く者は誰一人見られなかった。


 だが、その元凶の姿はここにはない。折しも日没の時間を迎え、町の跡に降りたフィルたちは、比較的損傷の少ない家を借りて一夜を過ごすことにした。

 パドキアまでの旅をするため、食料や水、毛布などは持って来ている。保存の効く食料は、本来あまりおいしいとは言えないが、家にあった竈を使ってリネアが作ってくれたパン粥は、干し肉の旨みが溶け出したスープに優しい塩味がつけられ、干したキノコが具になっていた。


 スープを吸ったパンをハフハフ言いながら飲み込んだメリシャの口元を、リネアが優しく拭っている。フィルは、それをじっと見つめていた。

「フィル様、お口に合いませんでしたか?」

 スプーンが止まっているフィルに、リネアが心配そうに尋ねた。

「ううん。そんなことないよ。おいしいよ」

 フィルは笑ってスプーンを口に運ぶ。リネアはホッとしたように自分もパン粥を食べ始めた。


「ティフォンとは、どのような竜なのでしょうね」

 リネアが尋ねた。

「神話の時代から生きる巨竜だって言うから、きっと九尾より大きいんじゃないかな。そんなのと戦いたくないなぁ…」

 顔をしかめて見せたフィルに、くすっとリネアが笑う。

「穏便に帰って頂ければいいんですけど」

「そうだね。でも、もし戦うことになってもリネアとメリシャは絶対に守るから、安心してて」

「はい…でも、フィル様も無茶はしないでください。お願いします」

「わかってるよ」

 返事をしたフィルは残りのパン粥を頬張る。

 だが…フィルを見つめるリネアの目には、わずかな不安の色が宿っていた。


 翌日、更に北へと向かったフィルたちは、灰色の地面が地平線まで広がる荒野の中で、ついにティフォンと呼ばれる巨竜の姿を視界にとらえた。

「あれが、ティフォン…」

 ある程度の高度を取りながら、フィルは地面に蹲る巨竜に近づいていく。


 短い首の上には、黒い角が突き出し鋭い牙の並ぶ口吻を持つ頭、盛り上がった肩から伸びる腕には折り畳まれた皮膜の翼が備わり、大地を掴む巨木のような太さの脚には鋭い鉤爪、背後に延びる長大な尾。全身は赤褐色の鱗に覆われている。


 その体躯は両腕の翼を畳んだ状態でも、サエイレム港に出入りする商船くらいの大きさがあるだろうか。細身の九尾と比べたら圧倒的だ。

 今のところ、ティフォンが攻撃を仕掛けてくる様子はない。ただ、気付いていないわけではないらしく、少しだけ頭を上げ、その視線はフィルへと向けられていた。


(お前は、遠き地の神か?)

 不意に、フィルの脳裏に声が響いた。どうやらリネアとメリシャにも聞こえたらしい。戸惑うように顔を見合わせている。

(わたしは九尾、狐の化け物だ)

 フィルはそう答えると、ティフォンの前に降り立った。意思が通じる存在であったことに、少しホッとする。

 背に乗せていたリネアとメリシャを降ろし、フィルは人間の姿をとった。


(ほぅ…)

 遙か上から見下ろすティフォンの目が細められた。

(お初にお目に掛かります。わたしはフィル・ユリス・エルフォリア。元は人間ですが、先ほどご覧に入れた大妖狐、九尾でもあります)

(我が名はティフォンだ)


 不意に、するするとティフォンの身体が縮んでいき、その姿を変えた。無造作に伸ばした赤い髪に琥珀色の瞳をした整った顔、だがその手足や胴体は衣服のように鱗に覆われ、頭には黒い角、腰からは太い尻尾が生えている。人の姿に竜の特徴が現れた、いわば『竜人』とでも呼ぶべき姿である。


 身長はフィルの倍近い大きさがあるものの、顔立ちや、控えめながら膨らみのある胸からすると女性のようだ。

「あなたも姿を変えることができるのですね……女性だったのですか?」

「お前達に合わせただけだ。別の姿を取っても良いが?」

「いいえ!そのままで構いません」

「そうか」

 フンとティフォンは鼻を鳴らす。


 フィルは、後ろにいる2人を紹介した。

「こちら2人は、リネアとメリシャ。わたしの家族です」

「…戯言を。我らのような化け物に家族などあろうはずもない」

 じろりと目を向けられ、リネアとメリシャ少し身体をすくめる。

「九尾の力を受け継いではいますが、わたしは元々この世界で生まれ育った人間です。リネアとメリシャは血縁ではありませんが、それでもわたしの大事な家族です」

「ふむ。…まぁ、いい。…その者たちが何者であろうと構わぬ。……フィルと言ったな、我が興味があるのは、お前に我を滅ぼす力があるかどうかだ」


「…滅ぼす…?」

 聞き返すフィルに、ティフォンはもどかしそうに眉を寄せた。

「お前は、我と戦うために来たのではないのか?」

「ちょっと待ってください。確かにその可能性もあるとは思っていましたが、こうして話ができるなら、何も戦う必要なんてないんじゃ…」


「我はもう生きることに飽いた。滅びたいのだ。だが、我とてかつて神の末席に連なった者。自ら滅びることは叶わぬ。だが、この地上にはすでに神の気配も、我が同胞たる竜の気配もない」

 ティフォンは淡々と言う。


「…我を滅ぼすに足る力を持つ者はなく、無為に時を重ねていたが、不意にかつての神々のような力を感じた。我は驚喜した。ついに我が望みが叶うと。だから、こうして北の住処から出てきたというわけだ」

「わたしが、あなたを滅ぼす者だと?」

「そうだ。お前の力を感じたのは、我が住処から南。だから、我の方から南へと向かえば、遠からずお前も我の存在に気付くと思うておった」

「アルゴスの町を潰したのは、わたしに存在を知らせるため…?」

 フィルは唖然としてティフォンを見つめる。


「町?さて、よくわからぬが、そんなことよりもお前はここに来た。それこそ我の望んだことだ」

 そう平然と言うティフォン。フィルと戦って滅びる機会を得るために関係のない町を潰した…いや、潰したという自覚すらない。ただティフォンの進む先にあったというだけで、町は滅んだのだ。

 ティフォンは、人間や魔族の生死など気に留めもしない、人間が知らぬ間に足元を這う虫一匹踏み潰すような感覚でしかない。


「…ティフォン、わたしが戦わずに、この地を離れたら、あなたはどうするのですか?」

「知れたこと。お前を探し、どこまででも追う。我を滅ぼす気になるまでな」

 フィルの顔が強張った。ティフォンがフィルを追いかけてくる、それはサエイレムを人質にとられているのと同じだ。ティフォンは何の感慨を抱くこともなく、ただ足元の邪魔な石ころでも蹴飛ばすように、サエイレムを襲うだろう。


「…わかりました。わたしがあなたを滅ぼせば、それでいいのですね?」

「そうだ。我は抵抗せぬ。お前の力を容赦なくぶつけるがいい」

 ティフォンの声は明らかに喜んでいた。自分がこれから殺されようしているのに。

 ふと、フィルは九尾の言葉を思い出した。

『何もやってもつまらないとしか感じられない生に、もはや価値はない』

『化け物たる我も、己の精神の摩耗には抵抗できない』

 ティフォンも九尾と同じなのだ……それでも九尾は、自らの滅びを避けるため、他者の意識を取り込み自らを代替わりさせるという方法をとった。

 しかしティフォンは、そのまま滅びを選ぼうとしている。


 フィルは九尾の姿をとる。ティフォンは巨竜の姿には戻らず、ただその場でフィルを見つめていた。

「リネアとメリシャは、離れていて」

「はい、フィル様もお気をつけて」

 リネアがメリシャの手を引いて、小走りにその場を離れる。そして少し離れた地面の窪みに身を伏せた。

 フィルはそれを見届け、ティフォンと向き合う。

「では、いきます…!」

 闘技場でオルトロスを倒した時のように、フィルは自らの頭上に数十もの狐火を出現させる。ただ、その一つ一つの大きさはオルトロスと対した時の倍近い。


 絞り込まれた炎の槍が、一斉にティフォンへと降り注ぐ。それも一度ではなく、雨のように続け様に。まるでティフォンもろとも周囲を焼き尽くすように、炎の豪雨がティフォンに降り注ぐ。


「この程度か…」

 落胆したようなティフォンの声がした。並みの魔獣なら一瞬で焼き尽くされただろう攻撃にも、ほぼ何の傷を負うこともなく、ティフォンはその場に佇んでいる。


「くっ…」

 小さく呻き、フィルは全ての狐火を1つにまとめ、巨大な火球を生成する。そして、それを急速に圧縮し、細く細く絞り込んでいく。槍ほどに圧縮された狐火が、引き絞られた弓から放たれるように、ティフォンの胸板に突き刺さった。

「うっ…!」

 わずかにティフォンが声を上げる。狐火の槍はティフォンの胸に突き立っていた。しかし、全身に燃え広がり、焼き尽くすはずの炎は削られるように小さくなっていき、やがて燃え尽きてしまう。

「久しぶりに痛みというものを感じたが、まだまだこんなものでは我を滅ぼせぬ。…お前の力はその程度か?」

 ティフォンの声は不満げに聞こえた。


「…っ!」

 ティフォンの怪物ぶりはフィルの想像を越えていた。フィルは決して手を抜いてはいない。九尾の力がここまで通用しないとは思わなかった。


(かなり分が悪いわね…)

 妲己の声も、困惑している。

(…もしかするとあやつの力は九尾以上かもしれんな)

 玉藻も妲己も、これほどの敵と相対したことはなかった。狐が長い長い年月を経て力を得、大妖狐となった九尾に対し、竜種はそもそも地上最強の生物。生物としての地力が違う。


「我がただ的になるだけでは、本気になれないか?」

 ゆらりとティフォンが動いた。

「お前の家族とやらを踏み潰せば、少しは本気を出す気になるか?」


「待って!」

 フィルが叫ぶの同時に、ティフォンは軽く腕を振った。その瞬間、地面に亀裂が入り、リネアとメリシャが隠れている場所に向けてバキバキと音を立てながら地割れが伸びていく。

 フィルは、地面に降り、自分を盾にしてリネアとメリシャの前に立ちはだかった。地割れがフィルに届いた瞬間、強烈な衝撃を感じて弾き飛ばされる。地割れはそこで止まったが、フィルの身体は宙を舞い、リネアたちの上を飛び越えて地面に叩きつけられる。

 カハッと息が漏れ、腹部に激痛が走った。九尾の力を得て以来、感じたことのない痛みだった。

「ぐ、ぅっ…」

「フィル様!」

 リネアがフィルに駆け寄ってくる。

「ダメです!動かないでください」

 フィルに触れたリネアの手が血に染まっている。そこで初めて、フィルは自分の脇腹が大きく切り裂かれているのを知った。


「大丈夫、すぐに治すから…」

 金色の光が傷口を染め、塞いでいく。痛みが和らぎ、フィルは身を起こした。ティフォンはその場から動くことなく、無表情のままフィル達の様子を眺めている。

「フィル様、もう止めてください!」

 リネアは目を潤ませて、フィルの前足にしがみつく。

「ダメだよ…わたしが逃げたら、あいつはサエイレムまで追ってくる。さっきみたいにリネアやメリシャも狙われる……わたしがなんとかしないと」

 だが、フィルにも打開策はない。フィルの本気のつもりで放った攻撃も、ティフォンにはほとんど効いていない。力を受け継いでから日の浅い自分では、まだ九尾の力を十分に引き出せていないのだろうか。


(妲己なら、九尾の力をもっと引き出せる?)

(無理ね。今の妾はただ宿っているだけの存在。フィルを通して九尾の力を制御することはできるけど、フィルができる以上に引き出すことはできないわ…ごめんなさい)

 フィルは、悔しげにティフォンを睨む。


「…残念だ。お前も我を滅ぼすには足りぬ…だとしたら、我はどうすれば良い。どうすれば滅びることが出来る!」

 ティフォンもまた天を仰いで嘆く。このまま自暴自棄にでもなられたら、ティフォンを止められる者はいない。フィルは焦燥に表情を歪めた。


「フィル様、とにかく一旦退きましょう!このまま挑んでも勝てません!」

 前足にしがみついたままリネアが叫んだ。

「フィル、止めてよ。フィルが死んじゃうよ!」

 もう一方の前足にメリシャもしがみつく。振り払うこともできず、フィルは嘆きの叫びを上げるティフォンを睨み、そして足元のリネアとメリシャを見つめた。


(フィル、リネアの言う通りじゃ。ここは一旦退こう。何か策を考えねば、無駄死にぞ)

 静かに玉藻が言った。玉藻にも退いた後の妙案があるわけではない。だが、ここでもう一度挑んだところで、今度こそ殺されるだけだ。

(フィルがやられたら、リネアとメリシャも死ぬのよ)

 妲己の言葉にフィルはピクリと体を震わせ、うなだれる。それだけは、ダメだ。フィルはゆっくりと身を伏せた。


「リネア、メリシャ、乗って。ここから逃げる」

『はいっ!』

 急いで背に乗った2人を振り落とさぬよう注意しながら、フィルは身を翻した。そのまま全力でティフォンから離れる。


 それに気付いていたのかどうなのか、ティフォンはフィルを追っては来なかった。

次回予定「反乱」

九尾の力もティフォンには通用せず、アルラ女王と対策を相談するためパドキアに戻ったフィルたち。

だが、パドキアでは異変が…

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