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傾国狐のまつりごと-食われて始まる建国物語-  作者: つね
 第3章 アルゴス王国の危機
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アルゴスの女王

アルゴスの都パドキアに到着したフィルたち。その前に現れたのは…

「ま、魔獣っ!」 

 突然空から舞い降りた金色の大妖狐に、広場にいた者たちが蜘蛛の子を散らすように逃げ出す。代わりに、剣を手にした戦士が数名、飛び出してきたが、鎧は革の胸当てに籠手と脛当てのみ、手にした剣は、もしかすると鉄ではなく青銅製ではなかろうか。見慣れた帝国軍からすれば粗末極まりない装備である。


 フィルは、身をかがめてリネアとメリシャを降ろすと、人間の姿に戻る。そして、二人を背に庇いながら兵たちを見回した。

「聞け!わたしは帝国領サエイレム属州総督、フィル・ユリス・エルフォリアである。王弟カルム殿に取り次ぎ願いたい!」

 慌てて戦士の一人が建物の中に駆け込んでいくのを視界の隅で見ながら、フィルは後ろのリネアとメリシャに声をかけた。


「怖い?」

「いいえ、平気です」

「ちょっと怖い」

 リネアは軽く微笑み、メリシャは少し緊張した表情で答えた。


「メリシャ、わたしに掴ってていいよ」

「うん」

 メリシャは、フィルの後ろに隠れるように腰のあたりに抱き着く。故郷に帰ってきたことを懐かしんだり、喜んでいる様子はない。むしろ不安がっている。その様子を見れば、メリシャがここでどんな生活を送ってきたのか、想像はつく。


 だが、フィルは、もう一度メリシャに訊いた。

「メリシャ、ここはメリシャの生まれた町なんでしょう?帰ってきて嬉しくないの?」

「ううん。だってずっとお部屋にいなさいって言われるもん。メリシャはサエイレムが好き。フィルとリネアが一杯楽しいところに連れてってくれるし、おいしいものもあるし!」

 その答えにフィルは頷いた。これでフィルの心も決まった。

 メリシャはアルゴスには渡さない。フィル達と出会ってから、たった今まで、メリシャは一度として『帰りたい』と言ったことがないのだから。


「どんな事情かは知らないけど、わたしも頑張って『お話』しないと…ね、リネア?」

「はい。メリシャ、早く用事を終わらせて、サエイレムに帰りましょうね」

「うん」

 メリシャが頷いたところで、遠巻きにフィルたちを囲んでいた戦士たちが退き、一人の男性が近づいてきた。鎧を着けていない壮年の男性、おそらく彼がカルムだろう。


「帝国のサエイレム総督というのは、貴女か?」

「えぇ。わたしがサエイレム総督、フィル・ユリス・エルフォリアです。あなたがカルム殿ですね?先日、我が家臣のエリン・メリディアスがお目にかかったと聞いています」

「まさか、こんな娘が…」

 カルムは思わずつぶやく。まさか、こんな娘が総督だというのか。


 カルムのつぶやきを無視し、フィルは本題に入る。

「エリンから聞いた話では、メリシャをお探しだとか?」

「おぉ…メリシャ、やはり生きていたか」

 そこでようやく、フィルの腰にしがみついているのがメリシャだと気付いたようだ。近づこうとするカルムに、さっとメリシャはフィルの背に隠れる。

「メリシャはわたしの大事な娘です。それ以上近づかないで頂きたい」

「なっ…無礼な!メリシャはアルゴスの王の血を引く者。一族のもとに返すのが道理であろう!」

 強い調子で言うカルムに、ふっとフィルは小馬鹿にするような笑みを浮かべる。


「…下らない。メリシャ本人が帰ることを望むのであれば、わたしもそれ以上言うことはありません。ですが、メリシャは帰ることを望んでいない。だから、わたしは絶対にメリシャをアルゴスには渡さない」

「何を言っているのかわかってるのか?!メリシャを返せ、さもなくば…」

「さもなくば、どうすると?…もう一度、戦争を始めますか?」

 思わず口走ったところを冷静にフィルに切り返され、カルムは口ごもった。その気になればフィルは数万の帝国軍を動かせる。軍事力では圧倒的に優位だ。脅しがきくはずもない。


「…わたしは争いに来たつもりはありません。ここはメリシャの故郷、できればアルゴスとも友好的な関係を築きたいのです。そうでなければ、わざわざメリシャを連れてやってきたりはしません…ですが、友好とメリシャのことは別問題です。どうしてもメリシャを渡さなければ話も出来ぬと言うのなら、わたしはこのままメリシャを連れてサエイレムに帰ります」

 しばらくの間、広場を沈黙が支配した。


「総督殿、当方の無礼、お詫び申し上げます。どうかお許し頂けませんか?」

 穏やかな声が響いた。振り返ったカルムの視線の先に、初老の女性が立っていた。

 白いローブに身を包み、頭には金の小冠を載せている。周囲の戦士たちが一斉に跪いて頭を下げた。

 ただ、彼女は右足が不自由らしく手に杖を突いて足を引きずっていた。


 おそらく彼女がアルゴスの女王、フィルも姿勢を正した。

「私はアルゴスの王を務めております、アルラと申します。総督殿、お初にお目にかかります」

「アルラ陛下、サエイレム総督フィル・ユリス・エルフォリアです。こちらはわたしの側付のリネア、そして養女のメリシャです。先触れもなく不躾に参上しましたこと、こちらこそ無礼でした。どうかお許しください」

 カルムへの態度とは異なり、フィルも礼儀正しく一礼した。

「総督殿、話の続きは私の部屋でいたしましょう。ご案内します。どうぞこちらへ」

 女王自らフィルを王宮の中に案内する。

「リネア、メリシャ、行こう」

 フィルは後ろの二人に小さく頷く。フィルの後ろにメリシャ、その後ろにリネアが付いて、王宮の中に入る。カルムと数名の戦士が少し離れてついてきていた。


 アルゴスの王宮は、不思議な作りだった。

 丘の天辺にある王宮は、その敷地の半分ほどを先ほどの広場が占め、背後には巨岩がそびえているため、その間にある建物はかなり手狭に見えた。だが、その建物は王宮はほんの一部、王宮の主要な部分は後ろにそびえる巨岩の内部を掘り込んで造られていた。

 岩の内部と言っても、ただの岩窟というわけではない。白い岩肌には数々のレリーフが彫刻され、岩盤を削り出して造られた列柱が支える回廊や、ドーム型の天井を青いタイルで飾ったホールなど、王宮にふさわしい意匠が施されている。明り取りも巧みに配置され、元々の白い岩肌も相まって、内部は意外なほど明るかった。


 アルラは、しばらく通路を進み、扉を開けた。

「ここが私の部屋です。どうぞ、お入りください」

 アルラに促され、フィルたちは部屋の中に入る。さほど広い部屋ではなかったが、正面には窓があって光が差し込んでいる。棚や書き物机といった調度類は簡素で、部屋自体の飾り気もほとんどない。

 椅子やテーブルはなく、部屋の真ん中には分厚い絨毯が敷かれている。どうやら執務や応接のための部屋ではなく、彼女の私室のようだ。


「護衛は不要です。お前達はここで待機しなさい」

 アルラは戦士達に言うとカルムだけを部屋に通し、扉を閉めた。

「どうぞ、お座りください」

 アルラは、履き物を脱いで絨毯の上に直接腰を降ろす。

 それに倣い、フィルとリネアもメリシャを真ん中にして絨毯の上に腰を降ろす。カルムも3人と向かい合ってアルラの隣に座った。

 フィルたちが、普通に履き物を脱いで絨毯の上に座ったのを見て、アルラは少し驚いた。

「総督殿、帝国では床に直接座る習慣はないと聞いておりましたが…」

 不思議そうに言うアルラに、フィルは微笑む。

「はい。そのとおりです。しかし、サエイレムではこうして床に座って会合するのが普通です。椅子を使うのに向かない種族も多くおりますので」

 思い出してみれば、メリシャは初めてサエイレムに連れてきた時から、絨毯の上に直接座ることに抵抗を示さなかった。あれはアルゴスにも同じ習慣があったからなのか、とフィルは納得する。


「ところで、話の続きの前に伺ってもよろしいでしょうか?」

「何でしょう?」

「差し出がましいとは思いますが、足がお悪いのですか?」

 アルラは今も足を曲げきれずに不自然な姿勢で座っている。

「はい、怪我がうまく治らず…このようなお見苦しい姿で申し訳ありません」

 アルラは苦笑交じりに答える。

「わたしに診せては頂けないでしょうか?よろしければ、治療させて頂きたいのですが」

 フィルは、アルラに申し出た。

 もちろん打算はある。これからの交渉に向けて王に恩を着せる、そして九尾の力を自然に誇示する。だが、アルラの言動にフィルは好感を抱いており、痛々しい姿を見ていられないという気持ちもあった。


「総督殿は、医術の心得をお持ちなのですか?」

「医術と言って良いかはわかりませんが、傷を癒すことはできます」

 フィルは、アルラの返事を待たずに近寄ると、ローブの裾をまくった。

「何を!」

 カルムが腰を浮かせかけるが、すかさずリネアが制止する。


 アルラの足は、膝から下の部分が不自然に曲がっていた。どうやら足に強い打撃を負い、骨を折ったようだ。表面上の傷は癒えているが、骨が歪んでいる。骨折をした後も無理をして動き続けたのだろうか。骨をきちんと固定しないまま時間がたったため、歪んだ状態で定着してしまったのだ。この状態では上からの体重をうまく支えられない。重さがかかる度に強い痛みが走ることが想像できた。こうして座っているだけでも痛みはあるはずだ。

 フィルは、曲がっている部分に手をかざす。フィルの手のひらとアルラの足に黄金色の光が宿り、足の形を整えていく。治療というより、一度塗りつぶして描き直すような強引な復元である。

 自分が何をされているのかわからないまま、アルラはじっと身を固くしてフィルに任せる。

「終わりました」

 光が消え、フィルはアルラから離れる。

「もう立って歩けるはずです」

 言われるがままに右足に力を入れ、ゆっくりと身を起こす。痛みはなく、力もちゃんと入る。アルラはまっすぐに絨毯の上に立っていた。手にしていた杖は足元に転がったままだった。


「姉上…大丈夫なのですか…?」

 カルムが信じられないようにアルラを見上げる。アルラ自身、こんなにも短い時間で自分の足が元通りになるなど信じられなかった。

「陛下、痛みや違和感はありませんか?」

 微笑んで見上げるフィルに、アルラは絨毯の上にきちんと座り直して深く頭を下げた。


「総督殿、感謝いたします。完全に治っています…まさか、こんなことが…」

「姉上の治療、感謝する。先ほどの無礼、どうかご容赦頂きたい」

 カルムは床に平伏していた。少々居丈高なところはあるものの、根は真面目なのだろう。彼が必要以上に威圧的になっていたのは、この国の現状がそれほど余裕がないということなのかもしれない。


「陛下、カルム殿、頭をお上げください。これはわたしが勝手にやったこと、今のお言葉だけで十分です」

「ありがとうございます」

 アルラはフィルと向き合った。

「陛下ではなく、アルラとお呼びください。恩人にいつまでも陛下と呼ばれるのは少々気恥しいので」

「アルラ様、ではわたしのこともフィルとお呼びください」

「わかりました。フィル様」

 フィルとアルラは微笑み合う。これでようやく話し合いに入る準備が整った。


次回予定「巨竜の脅威」

アルラが語る、メリシャを連れ戻そうとした理由とは?

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