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傾国狐のまつりごと-食われて始まる建国物語-  作者: つね
 第3章 アルゴス王国の危機
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メリシャの故郷

新章、はじまります。

母を亡くし、フィル達に引き取られたアルゴスの少女メリシャ。その故郷で何が起こっているのか。

「リネア、メリシャ、大丈夫?寒くない?」

 フィルは背に乗せたリネアとメリシャに尋ねた。

「大丈夫です」

「フィルの毛皮、すごくあったかいよ」

 九尾の姿のフィルが走っているのは、アラクネ族の領域の更に北、荒涼とした高原地帯だった。フィルは、アルゴスの都『パドキア』を目指してひた走っている。

   

 どうしてアルゴスの都を目指すことになったのか、そのきっかけは半月ほど前、アラクネの里の再建に備えて、ティミアが一族の戦士たちとともに里の様子を確認に行ったことに始まる。

 アラクネの里にベナトリア兵の残党が残っている可能性も考え、念のためエリンが第二軍団の軽騎兵200を率いて同行した。


 一行が北の森に沿って北上して国境を越え、ラディーシャ渓谷の入口までたどり着いた時、彼らと出会った。

 同じようなフード付きのマントに身を包んだ15人ほどの男女の一団である。何頭も連れている山羊のような家畜の背には旅のため荷物が積まれていた。

 互いに相手を確かめるように睨み合う。念のため兵たちは少し離れて待機させ、ティミアとエリンだけで一団に近づいた。

 エリンとティミアは、その中にいた一人の男性に見覚えがあった。


「もしや、アルゴスの王弟殿下ではありませんか?」

「いかにもそうだが…」

 ティミアに声を掛けられた壮年の男性は、訝しむようにティミアとエリンを見つめ、ハッと驚きの表情を浮かべた。

「そちらは、アラクネ族の戦士長殿とエルフォリアの軍団長殿…では?」

「はい、アラクネ族の…今は族長を務めておりますティミアです」

「エルフォリア第二軍団長エリン・メリディアスです。カルム殿下、お久しぶりです」

 エリンやティミアも参加した先の戦争の終戦交渉の場で、アルゴスの使節団を率いていたのがこのカルムである。アルゴスの現王-アルゴス族は自らの国を築いており、その元首は族長ではなく王を名乗っている-の弟であり、実質的な宰相格の人物である。


「やはりそうであったか。だが、どうしてお二人が一緒なのか。それに、アラクネの里が廃墟になってしまっているのはどういうことか。説明してもらえるか?」

 カルムは、少し厳しい目をティミアとエリンに向ける。

「私よりもティミア殿から説明してもらった方がいいだろう」


 エリンの言葉に頷き、ティミアはこれまでの出来事をカルムに説明した。アラクネ族の前族長とベナトリアの関わり、ベナトリアの軍勢に侵攻を受けて里が襲撃され、族長以下、少なくない犠牲が出たこと。そして、生き残ったアラクネ族は今、一時的にサエイレムに身を寄せており、里の再建に向けた調査のためここを訪れたことを告げる。  


「にわかには信じがたい話だが、ティミア殿と軍団長殿が一緒にいるということは、そういうことなのだろうな。我々が知らぬうちにずいぶんと外の世界は動いていたようだ」

 ため息交じりにカルムは言う。

「カルム殿下、貴方ほどの方がなぜこのような所に? 里をお訪ねになったということは、アラクネ族に何か用件がお有りでしょうか?」


「うむ、実は確かめたいことがあって里を訪ねたのだが…里の様子を見て、これはただ事ではないと思い、引き返してきたところだ。だが、アラクネ族が滅んだのではないとわかって安心した」

 カルムは、ティミアに少し戸惑うような、言い辛そうな、複雑な表情を向ける。

「確かめたいこと、とは?」

「それは…」


「私は席を外しましょうか」

 エリンがその場を離れようとすると、カルムはエリンを呼び止めた。

「いや、軍団長殿にも伺いたい。…実は、アルゴス族の母娘を探している」

 エリンとティミアは思わず顔を見合わせる。フィルとリネアが溺愛している少女の顔が浮かんだ。


「これは身内の恥なのだが、先の戦争が終わってすぐ、アルゴスでは王位の継承問題が持ち上がり、内戦が起こっていたのだ。その最中、王家の血を引く母娘が争いに巻き込まれるのを厭い国を出てしまった。ようやく賊軍を鎮圧し国内が安定したので、こうして行方を捜しているところなのだ。…アラクネ族の里に身を寄せてはいないかと思ったのだが…」

 カルムは、渋い表情で話す。

「南へ向かったことはわかっている。アラクネ族の里にいないとすれば…いや、まさかアラクネの里が襲われた時に巻き込まれて…!」

 カルムの顔色が見る見る悪くなる。慌ててティミアが口を開いた。


「カルム殿下、もしやお探しの娘の名は、メリシャというのではありませんか?」

 カッと目を見開き、カルムはティミアに詰め寄った。

「そうだ!何か知っているのか?!知っているのなら、なんでもいい、教えて欲しい!」

「カルム殿下、落ち着いて下さい」

 エリンが冷静な声で言った。

 だが、メリシャとその母親がアルゴスの王族だったとは…。これはまずいことになったと内心ため息をつく。


 もちろん、母親の方がすでに亡くなっていることは正直に伝えるしかないが、問題はメリシャだ。

 …きっとアルゴスはメリシャを返せと言ってくる。その時にフィルが素直に応じるとは思えない。


「申し訳ない、取り乱した。だが、ティミア殿…軍団長殿もメリシャのことをご存じなのか?」

 少し息を整え、カルムはエリンに目を向ける。

「はい。名前はメリシャ、年の頃は5歳くらい、灰色の髪で瞳は緑、身体に百の目を持つ娘、で間違いありませんか?」

「そうだ、その通りだ!メリシャは生きているのだな?!」

 すらすらとメリシャの特徴を挙げたエリンに、カルムは喜色を浮かべる。


「はい。しかし残念ながら、母君はお亡くなりになられたと聞いております」

 カルムは少し目を伏せた。

「そうか、遅かったか…それは残念だが、メリシャが生きているのであれば、良かった」

 その言葉に、エリンの表情が固くなる。アルゴスにとっては母親よりもメリシャの方が重要らしい。つまり王族の血筋と言うよりもメリシャの能力を求めているのだ。それをフィルが聞けば、絶対にメリシャを返さないと言うのは間違いない。


 自らの言動が、エリンの認識を否定的な方向にどんどん押し流しているとも気付かず、カルムは言葉を続ける。

「軍団長殿、メリシャは今どこに?」

「その前にお伺いしたい。カルム殿下、メリシャの行方がわかったとしたら、国に連れ戻されるのでしょうか?」

「当然だ」

「メリシャ本人がそれを望まないとしても?」

「これは異な事を。メリシャはまだ子供だ。一族の下に戻るのは当然のことではないか?」


 想像していたとおりの答えに、エリンは仕方なさそうに言う。

「カルム殿下、メリシャは今、サエイレムにおります」

「おぉ、そうか。それであればどうすれば良い?我々が迎えに出向けばいいか?そうだ、メリシャを保護して頂いた礼も必要だな」


 返してもらえる前提で話すカルムに、エリンは釘を刺す。

「カルム殿下、メリシャは、すでに我が主サエイレム総督エルフォリア卿の養女に迎えられております。私の一存でお答えすることはできません。サエイレムに戻り、我が主に報告させて頂きます」

「総督の、養女…?」

 完全に予想外だったのか、カルムは唖然として繰り返す。

 実際には、まだ正式な手続きの上で養女になったわけではないが、フィルがいずれそうするつもりなのを見越した、エリンのハッタリである。


「ま、待たれよ。エルフォリア将軍がメリシャを養女となされたのか?!」

 カルムは終戦交渉に参加していたため、アルヴィンとも面識がある。

「話すのが遅れましたが、将軍アルヴィン・バレリアス・エルフォリアは亡くなりました。私の主であるサエイレム総督は、将軍のご令嬢であるフィル・ユリス・エルフォリア様です。メリシャはフィル様の養女として迎えられております。もちろん、総督の養女にふさわしい待遇でお暮らし頂いております。それにフィル様もメリシャを大層可愛がっておられますので、ご安心を」

 エリンは淡々と説明した。


「ぬぅ…」

 カルムは黙り込む。

「事情はご理解頂けたでしょうか?…私の口からはなんともお返事出来ませんので、この場はご容赦願いたく」

「うむ。軍団長殿の話は理解した。だが、メリシャは我々にとっても重要な存在だ。そのままというわけにはいかぬ。こちらも急を要している、国に戻って協議の上、すぐに交渉の使者を送らせてもらう」

 丁寧に一礼するエリンに、カルムは困惑と不満が半々といった様子で応じた。


「エリン殿、フィル様への報告は、どうするべきだろうか?」

「とりあえず、事実を報告するしかない。あの台詞をそのまま伝えたら、フィル様は怒るかもしれないが…」

 北へと去って行くアルゴスの一団を見送り、エリンとティミアはため息をつき合う。

 アルゴスの一団が里を見てきたということは、どうやら、アラクネの里の周辺にベナトリア兵の残党はいないらしい。里の様子の確認は、ティミアたちだけで行うことにして、エリンは部下の兵と共に一足先にサエイレムに戻ることになった。


 戻ってきたエリンから、アルゴスの一団の話を聞いたフィルは、特に怒った様子も無く、少しを首かしげて何事か考える。

「フィル様が意外に冷静なので安心しました」

「意外って…わたしにちょっと失礼じゃないかな?」

 やや口を尖らせてフィルは言う。だが、その理由は意外でもなんでもなかった。


「そりゃ、そのカルムとか言う男の言動は不愉快だけどね。わたしはメリシャを引き渡すつもりないんだから、文句の付けようもないくらい丁重な申し出だったら逆に困るじゃない。ちょっと腹立つくらいの物言いで良かったわ」

「なるほど」

「メリシャが帰ることを望んでいるのなら、わたしも納得するけど、きっとそれはない」

 フィルは少し悲しそうに、メリシャがいる私室の方に視線を向けた。

「メリシャは、わたしたちにも故郷の話をしたことがないんだよ…覚えていないわけじゃないと思うんだけど…」

「そうでしたか…」


「とにかく、エリンの機転のおかげでまずは時間を稼げた。メリシャを正式にわたしの養女にする手続きを早く進めないと。そのままわたしの後継ぎとして兄様に届け出てもいいわね。きっと兄様も認めて下さるでしょう」

「やはりお世継ぎをもうけられる気はないのですね?」

「しょうがないじゃない。わたしは人の姿をした狐の化け物だよ?」

「…はぁ」

 そんなの当たり前じゃないの?と不思議そうに言うフィルに、エリンの目が少し遠くなった。


 今さらではあるがアルゴスは、国を出たメリシャを連れ戻そうとしている。聞いた限りではメリシャの能力を必要としているようだが、事情はまだよくわからない。

 アルゴス側から、国として正式に申入れがあれば無視するわけにはいかない。結論としては断るにしても、何らかの協議は必要になるだろう。


 そこでフィルは、先手を打って自らアルゴスの都に出向き、アルゴスの王と直接話をしてみることに決めた。ベナトリアを領有した以上、ルブエルズ山脈を隔てて隣接するアルゴスとも、いずれは話し合う必要があると思っていたから、ちょうどいい機会だ。

 ただし、メリシャが自ら望まない限り、メリシャをアルゴスに渡すつもりはない。それがフィルとリネアの一致した思いだった。最悪、アルゴスとの断交も辞さないつもりだ。


 そうして、フィルは今、メリシャとリネアを背に乗せて北の高原地帯を走っている。

 眼下の地面には、ずっと一本の道が続いていた。帝国の整備された街道に比べると単なる踏み跡と言っても良いくらいの道だが、アルゴスの都パドキアへと続いているはずだった。


 アラクネの里を出てから1日走り続けたところで、緩やかな円錐形の小高い丘をそのまま街にしたような都市の姿が見えてきた。周囲にサエイレムのような堅固な城壁はなく、白っぽい地面が目立つ丘の斜面に貼り付くように建物が並んでいる。丘の天辺には、角張った巨大な岩がそびえていた。


 だが、少し様子がおかしい。よく見れば、丘の裾野あたりの建物が幾つか燃やされた跡があった。街の周りの平原には、街の東側を守るように急ごしらえの空堀と、その土を積み上げて上に丸太で組んだ柵を立てた防御壁のようなものがある。ただ、その柵も一部が倒されたりしており、何か争いがあったのは間違いなさそうだ。

 今はとりあえずおさまっているようだが…これが内戦の跡なのだろうか。


「メリシャ、あれがメリシャが住んでいた街ですか?」

「うん。だけど、メリシャはあまり外に出られなかったから、街のことを良く知らないの」

 背中の上で会話するリネアとメリシャの声を聞きながら、フィルは九尾の姿のままパドキアに近づいていく。最初から普通に訪問するつもりなどない。威圧も兼ねて、九尾のまま王の居るであろう場所に直接乗り込んでやるつもりだった。


 九尾の姿を見て、街の入口を警備しているらしい衛兵たちが慌てふためいている様子が見える。取り次いでもらうだけでも大変そうだ。そんな時間の無駄はしたくない。


「メリシャが住んでいたのは、丘の上の方かな?」

「そうだよ。あの大きな岩の近く」

「わかった。しっかり掴まってて」

 メリシャの答えに小さく頷き、フィルは斜面に沿うように都市の上を駆け上る。空中を走る九尾の行く手を遮るものなど何もない。


 丘の上にある白い巨岩の足下に、おそらく王宮であろうと思われる他の建物とは明らかに違う壮麗な建物が見えた。その建物の前は、町並みを見下ろすテラスのような広場になっている。ちょうどいいとばかりに、フィルはそこに着地した。

次回予定「アルゴスの女王」

アルゴスの都に直接乗り込んだフィルたち。フィルと一緒にいるメリシャを見たアルゴスたちは…

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