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傾国狐のまつりごと-食われて始まる建国物語-  作者: つね
 第2章 サエイレムを狙う者
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サエイレム防衛戦-フィルの決着 後編

大グラウスを追い詰め、自分の命を狙った理由を問い質すフィル。彼が言い放った理由とは…

 フィルの構える剣の切っ先は、真っすぐに大グラウスの首元に向けられていた。

 いつまで待っても警備兵の気配が全くしないことに、大グラウスの赤ら顔は、見る見る蒼白になっていく。

「き、貴様…」

 フィルは、じっと大グラウスを睨み付けたまま、ゆっくりと口を開いた。

「どうして、わたしの命を狙った?刺客だけでは飽き足らず、魔獣オルトロスまで持ち込むなど、度が過ぎている。そこまでして、サエイレムが欲しいのか?」

 フィルの問いに大グラウスは、顔をしかめて目を逸らす。

「元老院にとって、わたしはそれほどまでに邪魔だったのか?」

 フィルは、剣の切っ先を大グラウスの首筋に当てた。スッと刃が触れて一筋の血が垂れる。


 開き直ったように、大グラウスは大声で答えた。

「…わからないのか!エルフォリア卿…帝室の血を継いでいるかもしれない娘が、本国から目の届かない場所で富と力を着々と蓄えているのだ、邪魔に決まっているだろう!」

「えっ…?!」

 フィルは思わず息を呑む。


「わたしの父はアルヴィン・バレリアス・エルフォリアだ。どうして帝室の血なんて…」

「エルフォリア将軍の妻は先代皇帝の元妃だ。正妃ではなかったため、エルフォリア将軍に下げ渡されたのだ!…将軍は先帝と共に剣を学んだ幼馴染、妻となった元妃は先帝の乳母の娘だった!」

「だからと言って、それが…」

「先帝は元妃をとても大切にされていたらしい。そんな元妃がどうして下げ渡されることになったのか、理由はわからないが、エルフォリア将軍に嫁いだ後も、先帝は折に触れては何度もエルフォリア将軍の屋敷を訪れていた。そのような時期に元妃が生んだのがおまえだ!本当は先帝の娘なのではないかと疑われても仕方なかろう!」

「そんなはずはない!…嘘だ!」

 大グラウスの言うとおりなら、自分は先帝と母の不義により生まれた娘ということになる。剣を持つフィルの手が震えた。


 フィルに母との思い出はない。顔すら覚えていない。フィルを生んで1年とたたぬうちに亡くなったからだ。産後の体力が落ちた時期に、流行り病にかかったのだと聞いている。

 だが父は、幼いフィルに母のことを良く話してくれた。とても楽しそうに思い出を語り、そして失ってしまったことをとても悲しんでいた。

 それなのに、母が父を裏切っていた、自分が父の娘でないなんて、有り得ない!そんなことは絶対にあってはならない!

「嘘ではない!全て本当のことだ!」

「黙れ!黙れ!黙れっ!…わたしの父様と母様を侮辱するな!」

 フィルは大グラウスを怒鳴り付けた。剣を握り直し、大グラウスに向かって振り上げる。

「ひぃっ!」

 奇声を上げた大グラウスは、立ち上がることもできずに、ずるずると這うようにフィルの前から後ずさる。

 フィルは剣を頭上に振り上げたまま、一歩、一歩、大グラウスに迫った。その表情は、怒りと不安に歪んでいた。


 追い詰められ、壁際まで後ずさった大グラウスは、背に壁の感触を感じて顔を強張らせる。

「くそっ!」

 咄嗟に壁にかかっていたタペストリーを引き剥がし、フィルに向かって投げつけた。フィルの視界が塞がれた隙に、先程まで酒を飲んでいたテーブルに駆け寄り、今度は酒瓶をフィルに投げつける。

 瓶から飛び散るワインを、フィルは反射的に後ろに飛び退いて避ける。大グラウスはフィルが離れたのを見て立ち上がり、窓際へと駆け寄った。

「待てっ!」

 このままでは逃げられる。フィルは床を蹴るが、大グラウスは窓枠に手をかけて外の庭に飛び出そうとしていた。


「…逃がさないよ」

 小さな声がした。


「っ…!」

 瞬間、大グラウスの身体がバランスを崩し、後ろに転がるように室内に倒れ込む。

「…え、なっ…!」

 大グラウスは自分の身に何が起きたのかわからなった。だが、その目の前で、自分の右腕の肘から先が窓枠からボトリと落ちる。自分の腕に視線を移すと、肘から先が無くなった腕から勢いよく血が噴き出し、今更ながらに激痛が襲ってきた。

「ぐぁぁぁッ!」

 右腕を押さえて大グラウスは床をのたうち回る。


「フィルさま、手を出してごめんなさい」

 窓の外の暗がりから現れたのは、パエラだった。その手には、血の雫が滴る銀のネックレスが握られている。シャウラからもらった鋼線入りのネックレス。それを窓枠に手を掛けた大グラウスの腕に巻き付け、切断したのだ。


「ううん。…ありがとう、パエラ」

 フィルはパエラに礼を言うと、再び大グラウスに向き直る。危うく大グラウスを逃がしかけたことで、少し落ち着きを取り戻していた。

 今は、大グラウスを確実に討たなくてはならない。フィルは心の中でつぶやく。

 大グラウスがわたしを狙った理由がどうであれ、ここで大グラウスを討つことこそ、わたしが今なすべきことだ。わたしが何者かなんて、今は考える必要ない。そんなことは後で時間をかけて調べればいい。


 フィルは、床で身体を丸める大グラウスの脇腹に容赦なく踵を打ち下ろした。

「ガハッ」

 大グラウスは、先ほどまで飲んでいたワインを口から逆流させながら、這いずってフィルから逃げようとする。

「グラウス卿、わたしは帝国の人間が大嫌いです。でも、ティベリオ様に出会い、皇帝陛下に出会い、帝国にも信じてよい人たちがいると知りました。だから、帝国と争うことは望みません」

 ゆっくりと歩を進めながら、フィルは語り掛ける。


「でも、わたしが何より守りたいのは、わたしを助けてくれる仲間たち、そしてサエイレムの街とそこに住む住民たちです。人間も魔族も関係ない、みんなわたしの大事な人たちです。わたしはそれを害する者に容赦しない」

 フィルは、大グラウスの襟元を掴んで力任せに引き起こす。それは、小柄な少女とは思えない力だった。大人の男性として平均以上の体格をもつ大グラウスの身体を、片手一本で吊し上げている。普通の人間にそんなことができるはずがない。


 フィルに睨み付けられ、大グラウスは恐怖に震える。

 この娘は港の落成式で、ケンタウロスの族長と真っ向から打ち合っていた。剣舞という名目ではあったが、互いに持つ武器は本物。受け損じればただでは済まない。帝国軍の手練れでもあんなことはできはしない。

 しかも、送り込んだ暗殺専門の傭兵団や魔獣オルトロスまでも、全て返り討ちに遭っている。考えてみれば全ておかしかったのだ。いかにエルフォリアの軍団が精鋭であろうと、それだけでは説明がつかない。

 …どうして気付かなかったのか、この娘自身が、化け物ではないのか、と。


「おまえは、わたしの大事なものに手を出した」

 ランプの明かりが逆光となり影が差したフィルの顔を見た大グラウスは、自分が決して許されないことを悟る。

「この、化け物…!」

 言葉は途中で途切れた。鈍い音がして、大グラウスの首にフィルの剣が食い込む。噴水のように血が吹き出すが、フィルは構わず力任せに剣を振り抜いた。

 

 ゴトリと床に大グラウスの頭が落ちた。切り口から吹き出す血が、フィルに降りかかる。

 フィルが手を離すと、力を失った大グラウスの身体はぐらりと横に倒れ、自らの首を血だまりの中に浸していった。


「フィルさま!」

 刀身についた血を振り払って鞘に納めたフィルに、パエラが駆け寄る。

「パエラ、終わったよ。…思ったより呆気ないものね」

 大グラウスの死体を見下ろすフィルの顔には、喜びも怒りもなく、とても虚ろに見えた。

 手のひらに狐火を灯し、大グラウスの死体に放る。ぱっと青白い炎が広がり、死体は瞬く間に燃えていく。フィルは、パエラを振り返った。


「…フィルさま、大丈夫?」

 パエラは心配そうにフィルを見つめる。

 意味はよくわからなかったが、さっき、大グラウスはフィルをとても怒らせるようなことを言ったらしい。大グラウスの首を刎ねた時のフィルの顔は、パエラでも少し怖かった。


「大丈夫だよ。パエラ、手伝ってくれてありがとう…これで全部終わったような気分になっちゃったけど、まだこれからが大変なのよね…」

 フィルは小さく笑みを浮かべる。その見慣れた表情にパエラは安堵した。


「フィル様、お見事でした」

 部屋の入口を固めていたシャウラが、小さくフィルに頭を下げる。

「うん。シャウラもありがとう。……さぁ、サエイレムに帰ろう。みんな、きっと心配してる」

「はい」

 部屋を出る時、フィルは一度だけ中を振り返る。

 すでに炎は燃え尽き、そこには壁に散った血の跡だけが残っていた。


 フィルたちが港に着いた頃、東の空は明るくなり始めていた。

 無言で歩くフィル、パエラ、シャウラの薄い影が岸壁の地面に伸びている。その先に、ポツンと立つ人影があった。

 船の側に立っていたのはリネアだった。胸の前で組んだ両手を握りしめ、祈るようにこちらを見つめている。近づいてくるのがフィルたちだと気付き、リネアは駆け出した。


「フィル様っ!」

 フィルはリネアに向かって伸ばした自分の手を見てハッとした。返り血でべったりと染まった手と服。これでは、またリネアを怖がらせてしまう…思わずフィルは手を引っ込める。

 だが、リネアは駆け寄った勢いのまま、大きく腕を広げてフィルに抱きついた。血で汚れるのにも構わず、フィルの身体をぎゅっと抱きしめ、その首筋に顔を埋める。

「お帰りなさい!」


「リネア、ただいま……わたし、血塗れだし、リネアまで汚れちゃうよ」

「構いません…フィル様が血で汚れるのなら、私も一緒に汚れます。……今度こそ、ちゃんとフィル様を受け止めることができました」

 首筋に感じるリネアの頬は濡れていた。それに気がついて、フィルの目にも涙が盛り上がる。


「フィル様、…本当に、お疲れ様でした…」

「…リネアぁ…わたし…わたし…っく、うぅ…」

 フィルもリネアの背中に腕を回し、首筋に顔を埋めた。

 抱き合ってすすり泣く二人の姿に、シャウラとパエラも微笑みながら目尻を拭った。


次回予定「皇帝特使」

大グラウスを討ち、サエイレムを巡る争いは終結しました。その後の顛末はいかに…?

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