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傾国狐のまつりごと-食われて始まる建国物語-  作者: つね
 第2章 サエイレムを狙う者
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サエイレム防衛戦-その作戦

フィル、サエイレム、ベナトリア軍、そしてケンタウロス族。それぞれに行動を開始します。

「フィル殿からの手紙?」

 ケンタウロスの里に飛来したハルピュイア、ミュリスから手紙を受け取ったウルドは、早速封を切って読み始めた。

 それほど長い手紙ではない。箇条書きに近い感じで、要点だけが書き連ねてある。


「ふむ…」

 読み終えたウルドは、軽く口角を上げる。

「なかなか面白いことを考えたものだ。我らにとっても悪い話ではないな…」

 里に戻っていたラロスが、フィルからの手紙が来たと聞いてウルドのところにやってきた。


「父上、フィル様から手紙が来たとか」

「あぁ。ラロス、兄弟を全員集めてくれ。ロノメもだ。一族の今後のことについて相談したい」

 フィルからの手紙がそれほど重要なこととは思っていなかったラロスは、慌てて兄たちを呼びに幕舎を出て行く。

「帝国と我らの関係も変わるやもしれんな」

 ウルドは、小さくつぶやいた。



 西門での一戦があった翌日、東門には国境から移動してきた第一軍団の将兵が到着していた。

「メリディアス軍団長、撤収してよろしかったのですか?国境には最低限の警備として500ほどしか残っておりませんが」

 部隊を率いてきた第一軍団の幕僚が、部隊を出迎えたエリンに問う。

「大丈夫だ。これはフィル様の命令で、バルケス様も了承されている。ケンタウロス族がこの機に乗じて国境を脅かすことはない」

「ケンタウロス族のことは心配しておりませんが、アラクネ族の里を襲撃したという軍勢に気になります。…昨日、第二軍団が出撃したと伺いましたが、第二軍団で討つおつもりですか?」

「いや、第二軍団は別命によりサエイレムをしばらく離れる。そのために諸君らに戻ってきてもらったんだ」

「しかし、それではアラクネの里の軍勢がこちらに向かって来た時に防ぎきれないのでは?」

「大丈夫だ。当てはある」

 エリンは、ふっと笑ってすぐに表情を引き締める。


「全てはフィル様のお考えどおり。作戦の仔細は後ほど説明する…今日は兵を十分に休ませておくように!」

「はっ!」

 続々とサエイレムに入城していく第一軍団の兵を見送り、エリンは総督府へと向かった。



 現在の敵味方の位置と数は、おおよそ次の通りである。

 敵ベナトリア軍がサエイレム西側の街道沿いに2万、アラクネの里におそらく3千程度。

 エルフォリア軍が、サエイレムに第一軍団5千5百、国境の警備に5百、フィルの船団に閲兵部隊1千、そして別命により密かに北へ向かう第二軍団3千。

 

 大型弩弓の攻撃に怖気づいたのか、サエイレムを攻めるベナトリア軍は力押しを止めた。その後、軍勢の一部がサエイレムの北側を迂回して東へと移動を始めたが、その動向は、空からハルピュイアたちが偵察し、逐一サエイレム総督府に報告されていた。


 そしてその頃、閲兵部隊を乗せた船団は、大河ホルムス河口の船着き場に到着していた。

 船着き場に船が入れ替わりに着岸して、兵を降ろしていく。狭い船着き場に大型船をスムーズに出し入れできるのも、セイレーンたちの協力のおかげだった。

「フィル様、本当に兵は同行させなくて良いのですか?」

 上陸待ちの間に小舟でフィルの船にやってきたバルケスが、念を押すようにフィルに尋ねた。


「えぇ。必要ないわ。それよりも、サエイレムのエリンと連絡をとって、うまくやってね。敵味方の状況はハルピュイアたちが知らせてくれるから」

「わかりました。フィル様もご武運を」

 仕方なさそうに笑い、バルケスはフィルの前に跪く。

「ありがとう。…1千で2万と対峙しろなんて、わたしも無茶な命令だとは思ってる。だから、もし戦いになるようなら迷わず撤退しなさい。我が軍から犠牲を出さないこと、それが最優先の命令です」

「はっ!しかと承りました!」

 一度、深く頭を下げて、バルケスは小舟に戻り、船を離れていく。それを見送り、フィルは船尾に立つ船長に大きな声で告げた。

「船長!わたし達も出発しましょう!」

「出発だ!」

 船長の合図で、フィルの船だけが帆を広げる。そして舵を切り、北へと舳先を向けた。


「シアナさんたちが手を振ってますよ」

 フィルの隣に立ったリネアが、指を差した船の上で、帝都から連れ帰った狐人の娘、シアナたちが手を振っていた。

 シアナたちは、兵を降ろした船で先にサエイレムに帰る。ベナトリア軍は陸兵のみ。川を行き来する船は安全だ。グラムたちへの手紙には彼女達のことも書いておいたので、保護してくれるだろう。

「…リネアとメリシャも、あっちにいるはずだったのに…」

 フィルは、自分の隣でシアナたちに手を振るリネアを見つめながら、小さくため息をついた。


 フィルは、リネアとメリシャにも彼女達と一緒にサエイレムに帰るように言ったのだが、聞いてもらえなかった。

 『一緒に来て良いと言って下さるまで、手を離しません』と両側から手を掴まれては、どうにもならない。ふたりを力ずくで振り払うことなどできないし、パエラとシャウラも生暖かく見守るだけで助けてくれない。消極的にリネアたちの味方のようだ。それでは負けを認めるしかないではないか。


「もぅ、今回に限ってどうしてそんなに…」

 パエラに肩車してもらってご満悦のメリシャを眺めながら、フィルは困った顔でつぶやく。

「フィル様、私はずっとフィル様の側にいる、フィル様の支えになると誓いました。それなのに、フィル様が大きな事を始めようとされているのに、帰れと言われるのは、辛いです…」

「えっ…」

 悲し気な顔をして見せるリネアに、フィルは慌てる。

「ご、ごめんなさい!そんなつもりじゃないの…」


「はい。フィル様が私達を心配して言われたのはわかっています。でも、私もフィル様のことが心配なんです…私もフィル様を困らせてしまって…申し訳ありませんでした」

 リネアは、真っすぐにフィルを見つめた。

「フィル様は、この機会に、帝国の東方一帯を手に入れるおつもりだと聞きました。そうなれば、一つの国として帝国から独立することもできると」

「そうね…作戦通りにいけば、サエイレムに加えて、リンドニアとベナトリアがわたしのものになる…確かに一つの国と言ってもいい領土と人口を抱えることになるわ」


「フィル様が来られてから、サエイレムはとてもいい街になりました。私の同族も、他の魔族たちも安心して暮らせています。もちろん、人間の皆さんもです。それがもっと広がるのなら、私は良いことだと思います。…それに、確か、リンドニアという土地はフィル様の故郷なんですよね?」

「うん。サエイレムに来るまではリンドニアがエルフォリア家の領地だったから…」

「私、フィル様の故郷を見てみたいです!」

 故郷、か。…父の死から始まった騒動ですっかり塗りつぶされてしまったが、幼い頃、兄様と遊んでもらったり、父様と出かけたり、街にはお気に入りの店もあった。楽しかった思い出も、確かにフィルの中にある。


「そっか…うん!リネアに、わたしの故郷を見てほしい…リンドニアに行ったら、わたしの両親に挨拶してくれる?」

「ぜひご挨拶させてください」

 嬉しそうに笑うリネアに、フィルの表情も綻んだ。


「フィル、リンドニアってとこに行っちゃうの?」

 途中から聞いていたらしいメリシャが、フィルの腰に抱き着きながら心配そうに言った。

「大丈夫。わたしのお家はこれからもサエイレムだよ」

「良かった~」

 メリシャの髪を撫でながらフィルは思う。10年以上暮らしてきたリンドニアより、来てからまだ1年ほどのサエイレムに居たいと感じるのは、自分でも不思議だった。


 リンドニアは、決して悪い土地ではないし、人々も穏やかで幼い頃から良くしてもらった。好きか嫌いかと言われれば迷うことなく好きと言える。

 それなのに、リンドニアに帰ろうという気持ちにならないのは、どうしてだろうか。


 やはり魔族のみんなとの関わりが大きいのだろうか。リネアにメリシャ、テミス、パエラ、シャウラ、ウェルス、イネス、ミュリス…種族も個性もバラバラだけど、みんな大事な仲間だ。グラオペたちセイレーン族、ウルドたちケンタウロス族、ティミアたちアラクネ族と、種族単位でのつながりもできた。

 バルケスやエリンたち、エルフォリア軍の将兵たちもサエイレムに布陣して10年。フィルがサエイレム総督になると決まった後、リンドニアに家族を残していた者たちは、喜んで家族をこちらに呼んだ。彼らにとっても、もうサエイレムは大切な居場所になっている。


 そうだ。サエイレムは『わたし達の街』なのだ。皆が暮らしやすい街になるように、仲間とともに一生懸命に作り上げた街。まだまだこれからの部分も多いけれど、手応えは感じる。

 リンドニアは良いところだったけれど、それはフィルが作り上げたものではない。

 だからサエイレムが好きなのだ。…だから、サエイレムに手を出そうとする者は許さない。


「船長、ベナトリアの海域に入るまで、どれくらいかかるかな?」

「そうですな…この天気と風なら、明日の夕刻より前には」

「ちょうどいいわね」

 フィルは、そう言ってパエラとシャウラを振り返った。

「パエラ、シャウラ、手伝って欲しいことがあるの。お願いしてもいい?」

「もちろんです」

「何でも言って」

 お願いの内容を聞くこともなく即答するふたりに、フィルはホッとしたような笑みを浮かべた。



「別動隊より伝令!騎兵約1千が、ラディーシャ渓谷に向けて接近中とのこと」

 ベナトリア軍を指揮する軍団長、ハミルカス・ガリウス・デシマスのところに知らせが届いたのは、サエイレムへの攻勢が失敗した日の夕方のことだった。


「それはエルフォリアの第二軍団だろうね。別動隊には、数で押し切ってそのままサエイレムを東側から包囲するよう命令を伝えなさい。相手が撤退するようなら、深追いせずにサエイレムへ向かうことを優先するように。街の北を迂回させているこちらの部隊と合流させる」

 あまり感情のこもらない声で、ハミルカスは伝令に命じた。


 ハミルカスはまだ30歳になったばかりの本国出身の貴族である。元老院議員を3年ほど勤め、元老院からの指名でベナトリア属州軍の軍団長に就いた。ベナトリアの軍務は閑だと聞いており、無難に勤め上げ、今後の出世に向けた箔を付けるための赴任のはずだった。


 だが、領内から新たに徴兵までして集めた2万もの軍勢を預けられ、上司であるベナトリア総督大グラウスから命令されたのは、サエイレム属州への侵攻である。十分な準備期間も与えられず、これまで軍事的な脅威がほとんどなかったベナトリアの軍は、実務を担う中堅の隊長クラスまで全てが経験不足。補給物資の手配にさえ手間取り、進軍速度も士気も上がらない状況だ。これで自分の責任だと言われてはたまらないとハミルカスは不満を募らせている。


「エルフォリア軍は国境からも兵力を引き抜き、サエイレム防衛に当たらせているそうですな。あれだけの防備で籠城されると厄介ですぞ」

 幕僚の一人が言った。何を当然のことを、とハミルカスは顔をしかめた。

「相手はこちらの半数に満たないのだ。当然、籠城策に出るだろう。しかもこちらには水上戦力がいない。港を持つサエイレムはいくらでも外から物資を補給し放題だ」

「それでは、こちらが完全に不利なのでは?」

「今回の進軍に合わせて、帝都ではサエイレム総督に対する弾劾裁判が開かれているはずだ。それで総督が罷免されれば、サエイレムは開城せざるを得ない。無理押しせず、街を包囲して吉報を待つとしよう」

 ハミルカスは、手元のカップに残っていたワインをあおり、やはり酸っぱいな、と眉間に皺を寄せた。

「今日の戦闘は終わりだ。兵たちには、不用意にサエイレムに近づかないよう徹底しろ。またあの弩弓を食らってはたまらん」

「はっ!」


 幕舎の入り口で、徐々に赤みを増していく夕陽を眺めながら、ハミルカスはため息をつく。

 噂でしか知らないが、サエイレム総督のエルフォリア卿はまだ成人前の若い娘らしい。それなのに、魔族と人間が混在するサエイレムを短期間のうちにまとめ上げ、南方との交易を着々と拡大させているという。それが事実なら、政務は役人に丸投げして自分の蓄財と娯楽に勤しむベナトリア総督とは大違いだ。果たして、そんな有能な総督が、グラウス親子の仕掛けた小細工になど引っかかるだろうか。


 戦争が終わって職にあぶれていた傭兵などを金でかき集めた別働隊、ハミルカスに言わせれば『ならず者集団』を使ってアラクネ族の里を襲ったのはいいが、帝都の小グラウスは、それをエルフォリア卿になすりつけることが本当にできるのか。この裁判の結果がこちらの戦いの趨勢を決めるのだから、不安で仕方がない。

 いかに戦力が多いとは言え、精強で知られるエルフォリア軍と正面からぶつかるのは御免だ。下手をすれば自分が戦死ということにもなりかねない。

 ハミルカスは厳しい表情で幕舎に戻ると、テーブルの上に肘をついて頭を抱えた。


 その日、サエイレム、ベナトリア、双方の間で戦端が開かれることはなく、静かに夜が更けていった。

次回予定「サエイレム防衛線-その展開」

目論みが綻び始めるベナトリア軍。そして部隊と別れて北へ向かうフィルの目的は…?

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