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傾国狐のまつりごと-食われて始まる建国物語-  作者: つね
 第2章 サエイレムを狙う者
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サエイレム防衛戦-その始まり

サエイレムに迫るベナトリア軍。いよいよ戦いが始まります。

 総督府のグラムの執務室。集まった重臣たちは、イネスが届けたフィルからの手紙を前にしていた。

 フィルから送られてきた手紙は2通。

 グラムたちサエイレムに残っている家臣たちに宛てたものと、ケンタウロス族の族長ウルド宛のものだった。

 ウルド宛ての手紙はハルピュイアのミュリスに託し、すでに空の上だ。半日と立たずウルドの手に届くだろう。


 フィルから家臣宛の手紙には、帝都で起こったことのあらましと、これからどうするか、フィルの考えが書いてあった。

「フィル様は、またとんでもないことをお考えになったものだ。この機会にベナトリアとリンドニアを奪い取ろうとは…」


「しかし、間違いなく名案ではありませんか。今回の件は、完全に元老院側の過ち、絶好の機会です。ベナトリアとリンドニアを領有できれば、フィル様は帝国最大の領主になれる。しかも皇帝陛下の後ろ盾も得られたとなれば、今後、本国からいらぬ手出しされる心配もなくなります!それに、思い出深いリンドニアがフィル様の手に戻るのです。エルフォリアの家臣としても喜ばしいことではありませんか」

 難しい顔で唸るグラムに対し、エリンは笑顔で言う。


「リンドニアはベナトリアの保護領になって、ずいぶん重税をかけられていると聞きます。再びエルフォリア家のものになるとなれば、民は歓迎するでしょう。ベナトリアについても、大グラウスの取り巻き連中はともかく、実務を司る役人たちはまともです。戦争の際、穀倉地帯のベナトリアから兵糧を調達することも多かったのですが、きちんとした仕事振りでした。元々政情の安定した土地ですから、彼らをそのままフィル様の下に組み込めば、統治の心配もありません」

 だからあんな馬鹿貴族が総督でも今まで問題無かったんです、と内心付け加えながらフラメアも賛意を示す。

 ベナトリアは豊かな土地で、かつサエイレムのような軍備の必要性も薄い。ベナトリアからの収入があれば、財政はずいぶん楽になるし、サエイレムの弱点である食料供給も安泰だ。財務官の立場としては文句のあろうはずがない。


「フィル様のお立場がより強くなるのでしたら、大変結構なことなのではありませんか?今後、魔族の各種族と交渉するにあたっても、十分な国力があるとわかれば、こちらの話を聞こうとする種族も多くなるでしょう」

 テミスとしても、魔族を認めるフィルの力が強まるのは当然歓迎だ。サエイレムの街だって、これからもっと発展するだろう。

 女性3人から言われては、グラムも苦笑するほかない。もとより、彼自身もフィルの策が最善であることはわかっていた。あとは、それをどうやって実行するかだ。


 コンコンと、ドアがノックされた。

「どうぞ」

 様子を伺うように入ってきたのは、パエラだった。テミスから呼ばれて、急いでやってきたのだが…。

「パエラ、アラクネたちの様子はどうだ?」

「とりあえず大丈夫…です」

 グラムの問いにパエラは短く答えた。フィルの前では気安く喋っているが、グラムたちと喋るのは少し苦手だ。丁寧な言葉がなかなか出てこない。フィルもリネアもいないとなると、緊張してしまう。フィルに早く帰ってきて欲しいと切に願っているパエラだった。


「実はな、イネスがフィル様から手紙を持ってきた。フィル様の船団はサエイレムまであと1日ほどの所まで戻ってきている」

 エリンの言葉に、パエラの表情がわかりやすく明るくなる。

「で、手紙の中にフィル様からパエラに伝言があった」

「フィルさまは、何て?」

「川を下って、海まで来てほしいと」

「海に?」

 エリンの言葉を、パエラは不思議そうに繰り返す。

「どうやらフィル様ご自身は、真っ直ぐサエイレムに帰ってくるつもりがないらしい。だからパエラに船まで来て欲しいということだ。…いいから、急いで支度を調えて港に行け。帝都行きの船に乗れば、フィル様たちの船団と会えるだろう。乗船の手はずはこちらでつけておく」

 手紙にはパエラを呼ぶ目的は何も書いていなかった。書く必要もないのか、書けなかったのか…。エリンはまずは指示のとおりパエラを送り出す事が先決と考えた。


「よくわからないけど、フィルさまが呼んでるなら行ってきます!」

 いそいそと部屋を出て行くパエラに、エリンが苦笑を浮かべる。普通、理由も知らされずに呼び出されれば不安に思うものだが、パエラはあの通りだ。

「よほどフィル様に会いたかったんだな」

「そうですね。サエイレムに戻ってきてからも、寂しそうにしていましたからね」


「しかし、フィル様はどうしてパエラを呼び出したんだろうか?」

 テミスは、口元に手を当てて少し微笑む。

「…文書には残せないようなことなのかもしれません。フィル様のお側にはシャウラもいますし」

 ハルピュイアを束ねるテミスには、手紙にあった指示の一つが気に掛かっていた。ハルピュイアを使って、ベナトリア軍から後方へ向かう伝令を追跡してほしい、と。そして、報告は船団にいるフィルのところへ直接知らせるようにとあった。

 伝令が向かう先、それは軍勢にサエイレムを攻めるよう命じた者、つまり大グラウスのところである可能性が高い。彼の居場所を掴んだフィルがどうするか、テミスは確信をもって予想していた。



 翌朝、ベナトリア軍は隊列を組んでサエイレム西門に進軍を開始した。重装歩兵を前に立てた長方形の陣を組んでいる。

 帝国軍では定石と言ってもいい、ファランクスと呼ばれる戦術だ。前面の兵が大楯を前に構え、盾の間からは長槍が突き出していた。2列目以降の兵は大盾を上に掲げ、隙間無く頭上をカバーする。盾で防御した砦がそのまま前進してくるようなものである。

 降り注ぐ長弓の矢を大楯で防ぎ、突撃してくる者は歩兵であれ騎兵であれ槍衾の餌食となる。まさに鉄壁。先の戦争でもその有効性は存分に証明されていた。

 …しかし、それは大楯が敵の攻撃を防御し得ることが前提。そして、魔族たちが持たなかった武器に対してどう対応するか、ベナトリア軍にそんなことを考えている者はいなかった。


 サエイレム側の攻撃は、低く震える弦の音と風を切る高い音によって始まった。一瞬の後、ゴッ!と鈍い音を立てて大楯に突き刺さった短槍に近い大型の矢は、あっさりと大楯を貫通して、それを持つ兵、そしてその後ろの兵までを貫いた。その攻撃が、十数本、一斉に放たれた。

 あっけなく前面の防御が崩れ、安心しきっていた後続の兵たちがにわかに慌て始める。頭上の盾を慌てて身体の前に降ろし、盾の隙間から前の様子を伺う。そこへ、第二射が突き刺さった。自慢の大楯は何の役にも立たず、胸を貫かれた兵は血しぶきをまき散らしながら即死する。


 サエイレム西門の防御陣地に据えられた、大型弩弓の一斉射撃だった。

 本来は攻城武器であるこの大型弩弓は、魔族との戦争においては対人兵器として使用された。魔王国の軍勢の中には、人間の数倍の体格を持つ巨人族もいて、彼らには人間用の武器がほとんと通用しなかったからだ。その威力は当然、人が持てる程度の大楯の強度など問題にしない。

 敵軍勢は一瞬にしてパニックに陥る。彼らにできることは、とにかく弩弓の射程外へと撤退することだけだった。


「奴ら、何も考えていないようですな」

 城壁の上でその様子を見ていたエリンに、西門の守備兵を束ねる大隊長が言った。

「先の戦争では巨人族相手に何度も使った手なんだが、それを全く警戒しないとは…敵将は戦う相手のことも調べていないのか?」

 呆れた様子でエリンは答える。あれでは前に立たされる兵がたまったものではない。


「しかし、これで西門には容易には近づいて来るまい。相手の次の手はどうなると思う?」

 エリンは、隊長に問うた。

「そうですな。西門を迂回して北の城壁に取り付くか、東門に向かうか、といったところでしょうか?…まさか、数を頼りに無理押ししてくることはないと思いますが」

「…そのまさかをやられるとこちらも困るんだが、やらないと言い切れないのが困る。末端の兵には兵役で徴用された領民も多い。敵軍とは言え、無駄な犠牲は避けたい」

 エリンは腕組みして敵兵の遺体や大楯の残骸が打ち捨てれた街道を眺める。


「だが、サエイレムを守ることはそれより優先だ。…万が一にも、市民に犠牲を出してはならんぞ。いいな!」

「はっ!心得ております」

 エリンは、大隊長にその場を任せ、東門へと愛馬ゼラを走らせた。


 

「船団が見えたぞ~!」

 マストの上の見張りの声に、不安そうに海を眺めていたパエラは弾かれたようにマストの帆桁に駆け上った。

 前方に目を凝らす。水平線に現れた幾つもの黒い点は、少しづつ輪郭を鮮明にし、やがてこちらと同じ船の形がはっきりとわかるようになる。

 パエラは、大きくなってくる船の姿をじっと見つめていた。あの船にフィルさまたちが乗っている。ようやく会える。やがて、船団から一隻の船が離れて、こちらに近づいてきた。

「パエラー!」

 甲板の上で、フィルが手を振っている。

 パエラは、帆桁の上から甲板に飛び降り、ここまで乗せてくれた船長に礼を言った。

「船長、あたし、向こうの船に行くね。ここまで乗せてくれてありがとう!」

「おう。しっかり総督様の役に立ってこいよ!」

 船員たちに手を振ってパエラは舷側に駆け寄ると、こちらとすれ違うように近づいたフィルの船に向かって大きく跳んだ。


 音も無く甲板に着地したパエラに、フィルが駆け寄ってくる。

「フィルさま!」

 パエラは、まるで獲物を捕らえるようにガバッとフィルを抱きしめる。

「ちょっ、ちょっと!パエラ…」

 自分から望んで国境に行かせてもらったのだが、やはり里のひどい状態を見るのは辛かった。今回サエイレムを離れてみて、フィルの護衛としての生活がいかに居心地が良かったか、今さらながら思い知った。


「どうしたの?いきなり…」

 フィルは、涙目でフィルを抱きしめるパエラに微笑んだ。

「フィルさま、あたし、頑張ったよ。里のみんなをできるだけ助けたよ。襲われた里の様子もちゃんと調べてきたよ」

「ありがとう。えらいよ」

「だからね、…あたし、フィルさまの側に戻りたい」

 里が襲われて、サエイレムに戻った時から、不安が募っていた。自分の護衛はもういいからティミアを手伝え、とフィルに言われるのではないかと。


「当然じゃない。だから呼んだのよ。…前にも言ったよね?『わたしはパエラを離さない。これからも、わたしの側に居てもらう』って」

 フィルは、ポンポンとパエラの背中を叩く。パエラは、ようやくフィルを離した。フィルの口から聞いて安心した。

「今から、パエラをわたしの護衛に戻します」

「はいっ!」

 心のつかえが取れたパエラは、にぱっと笑って返事をした。

次回予定「サエイレム防衛戦-その作戦」

戦争を拡大させないため、フィルたちはそれぞれの行動を開始します。

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