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傾国狐のまつりごと-食われて始まる建国物語-  作者: つね
 第2章 サエイレムを狙う者
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強行突破

急いでサエイレムに戻るべく、帝都を出港したフィルたち。しかし…


※誤字修正ありがとうございます。助かります。

 バルケスの指揮で出発の準備を整えていた軍団は、フィルが戻ると直ちに港に向けて動き始めた。戦時さながらに大楯を構えた重装歩兵が先頭に立つ軍団を止めようとする者はいない。港の衛兵たちも黙って見守るばかりだった。


「全員、乗船せよ。急げ」

 バルケスの号令で、次々と兵達は船に乗り込んでいく。昨日のうちに出港準備を伝えていたおかげで、船の出港準備も問題ない。

 太陽が真上に上る頃、船団は帝都の港を出港した。外海に出て帆を広げ、一路サエイレムを目指す。


 帝都へ向かう航海は追い風だったが、帰りは風向きが逆になるため、時間がかかってしまう。もどかしい気持ちを抑え、フィルは甲板から行く先を見つめていた。

 

 問題が発生したのは、翌朝のことである。

「閣下、前方に軍船がいます」

 待ち伏せていたのか、先回りされたのか、船長の指さす方向には帝国の軍船がいた。両舷に3列づつのオールを備えた『三段櫂船』、海軍の主力を成す大型の軍船が5隻、船団の進行方向を塞いでいる。


 舷側の張り出し部とその下部からびっしりと数十ものオールが突き出し、船首と船尾は高く反りかえっている。

 中央と船首に立つマストに帆は張られていないが、向かい風で自由な操船ができないこちらと違い、多数の漕ぎ手を乗せている軍船は、風に関係なく動くことが出来る。漕ぎ手が操るオールが規則正しく動き、図体に似合わぬ速度でこちらへ向かってくる。


 近づいてきた軍船に対し、フィルは甲板上に設けられた小屋の屋上に立って声を上げる。

「海軍将兵に告ぐ!わたしはサエイレム総督である。皇帝陛下の許しを得てサエイレムへの帰還を急いでいる。わたしの邪魔をするな!」

 軍船からの反応はない。が、船団の前を退くつもりもないようだ。

「閣下、どうなさいますか?」

「この船が先頭に出ます……船長、悪いけど、わたしに付き合ってもらえる?」

 前にいる軍船を睨みながら、フィルは船長に応じた。

「了解です」

 船長は小さく頷いて船員たちに針路の維持と帆の操作を命じる。周囲の船に合図を送り、船団の先頭に出ることを伝えると、前を行く船が左右にずれて進路を開いた。


 フィルの乗る船と軍船との距離が縮まっていく。だが、軍船の速度が少し遅い…このままいけば、こちらが先に軍船の前を横切ることになるが…。

 フィルはハッとした。漕ぎ手で推進力を得ている軍船が、風に頼る商船より遅いはずがない。こちらが前を通過するタイミングでぶつけるつもりなのだ。そして、軍船の舳先には船の横腹を破るための鋭い衝角が付いている。

 ただ進路を妨害するだけでなく、そこまでするつもりなのかと、フィルは軍船を睨んだ。

 …ならば、こちらも容赦しない。


 フィルは手のひらを空に掲げ、青白い狐火を生み出した。まず一番近くにいる軍船の甲板を焼き払う。

 フィルの手が振り下ろされ、幾つもの火球が軍船の甲板へ投げ込まれた。着弾した火球は砕けるようにパッと散らばり、炎の波となって甲板を舐める。

 燃え広がるというより、炎自体が生き物のように手近なものに絡みつき、その悉くを燃やしていく。火柱となったマストが音を立て倒れ、甲板上の櫓とその上にいた士官らを巻き添えにした。


 指示を出す者がいなくなった漕ぎ手の動きが混乱し始め、軍船の動きが鈍り、あらぬ方向へと船首を向け始める。だが、彼らとて素人ではない。後ろにいた軍船は機敏に前の船を避けて、フィルたちの前方へと進み出た。

 どうあっても通さないつもりなのか、とフィルは顔をしかめた。諦めないなら、こちらも反撃を続けるしかない。


 ドンッと、音がしてフィルの近くの甲板に大きな火矢が突き刺さった。軍船の櫓に設置された大型の弩弓から発射されたものだ。先端には黒い油が塗りつけてあり、刺激臭と炎を上げている。

「水ではダメだ!濡らしたボロ布を掛けろ!」

 船長が叫んだ。船員が水の滴る帆布をバサリをとかけると、ジュッと音がして炎が消えた。

「船長、詳しいのね?」

 海面上でも燃える原油の炎は、ただ水をかけるだけでは簡単に消火できない。水をかければより炎が広がってしまうこともある。軍人でもないのに、適切に対処して見せた船長と船員に、フィルは感心した。


「俺は帝国に負けて属州になった国の出身でしてね。帝国の海軍とも戦った経験もあります。油を塗った火矢は帝国がよく使う戦術ですから、対策法も当然心得ていますよ…ですが、帝国の市民になって、また帝国の海軍とやり合うとは思いませんでしたがね」

 ぼやくように言う船長に、フィルは冗談めかして言う。

「頼もしいわ。この『艦隊』の指揮を任せていいかしら?」

「閣下はどうされるので?」

「わたしは、ちょっと奴らを蹴散らしてくる」

 フィルはそう言うなり九尾の姿に変わった。

 

 目の前に現れた金の大妖狐に、船長と船員達も流石に驚き、思わず尻餅をつく者もいた。

「…っ!そのお姿は、闘技大会の時の神獣では…あれは、閣下ご自身だったのですか?!」 

 闘技大会の日、たまたま船がサエイレムに停泊中だったため、船長たちもあの襲撃騒動を観客席から見ていた。闘技場に乱入した刺客と黒い犬型の魔獣を倒したのは、総督が手懐けている狐の神獣らしい、という噂は聞いたが、まさか本人がその神獣に変ずるとは思ってもみなかった。


 船の甲板を蹴って空中へと飛び上がったフィルは、次の瞬間には火矢を放った軍船の上に着地していた。

 見たこともない金色の獣の襲来に、甲板にいた兵達は慌てて槍や剣を向けたものの、完全に腰が引け、一様に恐怖の表情を浮かべている。

「このまま大人しく帝都へ引き返すなら、見逃してやる」

 甲板の中央に立ち、フィルは自分を囲む兵たちをゆっくりと見回す。

 だが、それに対する答えは、ドシュッと音を立てて放たれた弩弓だった。…が、金色の毛皮に突き刺さる寸前で、矢は青白い炎に包まれて一瞬のうちに燃え尽きる。

「ば、化け物…!」

 紅い目がギロリと櫓を睨む。そして甲板を蹴って櫓に迫り、体当たりの一撃で櫓を崩壊させる。そして、大量の狐火を降り注がせて甲板を火の海にすると海面へ飛び降りた。


 これで残り3隻。うち2隻がフィルの乗っていた商船に迫っていた。

 あの船には、リネアとメリシャ、助けた狐人の娘達も乗っている。何があろうと守り抜かねばならない。風を蹴ったフィルは、一気に軍船に追いすがる。


 だが、突然、片方の軍船が大きく曲がり始め、もう一方の軍船の横腹へ大きな音を立てて衝突した。軍船の乗員たちにとっても思わぬ事だったらしく、甲板上では兵士たちが右往左往していた。

 衝角で横腹を破られた軍船は船底に海水が流れ込んで傾き始め、衝突した方も衝角を引き抜くことができず、沈む相手の重みで船体を沈め始める。まさかの同士討ちに、フィルは商船を守る位置で足を止め、軍船の様子を伺った。


「フィル様!どうやら間に合ったようだね!」

 足下から聞こえてきた声にフィルが視線を落とすと、波間から顔を出しているのは、紺色の美しい髪に瑠璃色の瞳をしたセイレーン。グラオペだった。

「グラオペ!どうしてここに?!」

「フィル様たちを迎えに来たんだよ。帝都からサエイレムに戻ってきた他の船からも、帝国の軍船がウロウロしているって聞いたからね」

 軍船が突然向きを変えたのは、その船首に10人以上のセイレーンたちが取り付いて押しているからだった。そうなっては舵も効くはずがない。彼女たちも沈み掛けている軍船から離れ、グラオペの周りに集まってきた。


「サエイレムに行こうと誘ってくれた時に言ったじゃないか。『もし本国と水の上で戦う時が来たら、遠慮なく私たちを使ってほしい。』ってね」

 グラオペは、戦うことが出来る年齢の者達を中心に一族の約半数を率いていた。

「ありがとう。助かった…」

「どうする?あの2隻は放っておいても沈む。2隻は炎上中、残りは1隻だね」

「わたしが決めていいの?」

「当たり前じゃないか、総督閣下」

 フィルは、残る1隻の軍船の甲板の上に跳び乗る。4隻の僚船の状況を見た兵たちは、もはやフィルが目の前にいても攻撃しようとはしなかった。賢明な判断というより、単に恐怖のあまり動けなかったという方が正しい。


「聞け。生き残った仲間を助けて大人しく帝都へ戻るなら、お前たちの命は助けよう」

 低い声でフィルは告げる。兵士達は、手にした武器を次々と海に放り捨て始める。戦う気は無いということを示しているつもりなのだろう。櫓に据えられた弩弓も兵が自ら弦を切って使用不能にした。とりあえず、フィルの提案に逆らう気は無いようだ。


 フィルは、その様子に小さく息をつくと船から飛び降り、グラオペたちのところに戻った。

「グラオペ、セイレーンからしたら全滅させてやりたいだろうけど…ごめんなさい」

 彼らがセイレーンの島を襲ったのかはわからない。帝国には他にもたくさんの軍船がある。だが、セイレーン達からしてみれば故郷を焼き、仲間を殺した連中の一部には違いない。

 しかし、フィルはそれを見逃した。

 もちろん全滅させてしまうという選択肢もあった。しかし、闘技場で全滅させた刺客たちとは違い、軍船に乗っている人間の半分以上は、動員された漕ぎ手や船員たちなど、兵士ではない者たちだ。その全員を問答無用で皆殺しにするのは、さすがに躊躇われた。


「…構わないさ。フィル様がそう決めたんだ。私達に文句はないよ」

 グラオペは申し訳なさそうに頭を垂れるフィルを見上げ、ふと笑う。いちいち配下に謝るのは主としてあまり良くないと思うのだが、こういう配下の気持ちを汲んでくれる娘だからこそ、助けてやりたいとも思う。 

「グラオペ、サエイレムにも軍勢が迫っていると聞いています。一緒にサエイレムへ帰りましょう」

「そうだね。みんな、フィル様たちと帰るよ!」


 フィルは商船の甲板へと跳び上がり、人間の姿に戻って着地する。甲板に刺さっていた火矢も抜かれ、甲板についた焦げ跡だけが残っていた。

「お帰りなさい!フィル様、お怪我はありませんか?」

 すぐにリネアが駆け寄ってきた。戦いになる前に、危ないから船室に隠れているように言ったのだが…

一拍遅れて、ボフンと腰に衝撃を感じる。メリシャが体当たりするようにフィルの腰に抱きついていた。

「フィル、大丈夫?」

「大丈夫だよ。リネア、メリシャ、わたしはどこも怪我してないよ」

 フィルはそう言って、くしゃくしゃとメリシャの頭をなで回した。


 船団は、ひたすらにテテュス海を東へ東へと急ぐ。

 舳先の向こうに広がるのは、水平線まで続く大海原だけ。サエイレムはまだ遠かった。

次回予定「建国への一歩」

サエイレムへと急ぐ船の上で、妲己と玉藻はフィルに何を語る?

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