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傾国狐のまつりごと-食われて始まる建国物語-  作者: つね
 第2章 サエイレムを狙う者
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弾劾裁判 後編

小グラウスの告発に対して、反論を開始するフィル。無罪を勝ち取ることはできるのか。

 フィルは、緊張して立つシアナの肩にそっと手を添える。

「この娘は、昨日の御前試合において、残酷にもミノタウロスの獲物にされそうになりました」

 誰がやったとは言わない。が、ここにいる者たちにはわかりきっていること。

 素知らぬ顔で話をするフィルに対し、小グラウスは忌々しげに顔を歪めていた。


「事情を聞いたところ、先の戦争が終わり、サエイレムに駐屯していた帝国軍が撤退する際に、一部の不心得者によってサエイレムから連れ去られ、奴隷として売られたとのことでした。…ですが、戦争の終結後、サエイレムでは一般市民への略奪や拉致は禁止されていました。我が父アルヴィンの命令により取り締まりも行われていたので、正規の街道でサエイレム領の外へ連れ去ることは出来なかったはずです」


 フィルはシアナに顔を向け、小さく頷く。シアナは、緊張した面持ちで頷き返し、口を開いた。

「私たちは、サエイレムから連れ去られ、正規の街道ではなく、ルブエルズ山脈を越えて帝国の領内へ連れて行かれました」

「バカな。あの山脈を越えるなど、無理に決まっている。所詮は奴隷、助ける代わりに嘘の証言をしろとでも命じられているのだろう?」

 小グラウスは、蔑むような視線をシアナに向ける。

「嘘ではありません!確かに楽な道ではありませんでしたが、山脈の切れ間を通り、魔王国側から人間の村へ確かに道が続いていました!」

 思わず声を上げたシアナの手を、横からリネアがそっと握った。


「…確かに、今のところ、シアナの証言の他に証拠はございません」

 フィルの言葉に、シアナが唇を噛む。

「しかし、わたしはシアナを信じます。シアナたちが連れて行かれた道は、おそらくアラクネ族の領域からベナトリアに続いているはず。サエイレムに戻り次第、裏道の存在を調査して、報告させて頂きます」

「エルフォリア卿、もはやアラクネの領域は自領であるかのような物言いですな。アラクネを滅ぼした今、その領域はもはや自分のもの、そういうことですかな?」


「グラウス議員、アラクネ族は滅びてなどおりません」

 フィルは、淡々とした口調で答える。

「鉛毒に蝕まれ正常な判断すらできなくなった族長たちのせいで、襲撃以前からアラクネ族の暮らしは窮乏していました。そのため、族長の後継者であった戦士長ティミアをはじめ、多くのアラクネ族の者たちが里から脱出し、サエイレムで暮らしています。彼女らに事情を話し、許しを得た上で調査をするつもりです」

「嘘だ!里は軍勢によって皆殺しにされたと族長から聞いているぞ!」


「ほぅ…」

 フィルの目がすっと細められた。

(…バカめ。族長と対立する戦士長に密かに手を貸し、アラクネ族を傀儡にするつもりだったとでも主張すれば、多少は巻き返しできたものを)

 頭の中では声しか聞こえないが、きっと玉藻は嘲笑を浮かべていることだろう。


「リネア、お願い」

「はい」

 シアナを下がらせ、フィルは法廷の中央に進み出た。その後にリネアも続く。そして、リネアは頭に被っていたベールを取った。

「陛下、恐れながら近衛の方がお持ちの剣を貸して頂けないでしょうか?」

 皇帝の正面に跪き、フィルは頭を下げる。

「許す」

 皇帝の脇に控えていた近衛兵がフィルに近づき、自らの剣を手渡した。


「ありがとうございます。…皆様、よくご覧下さい」

 すらりと剣を抜いたフィルは、その切っ先をリネアに向けた。リネアはベールを両端を握り、ピンと張って自らの頭の上に掲げる。

 剣を振りかぶったまま、小さく震えるフィルを真っ直ぐに見つめ、リネアは頷いた。

「大丈夫です。どうぞ、フィル様」

「はっ!」

 フィルが、リネアめがけて剣を振り下ろす。これにはフィルとリネア以外、法廷にいる全員が目を見開いた。だが、剣が肉を切り裂く音は聞こえない。鋭い剣の刃を、たった一枚のベールが受け止めていた。


「これは…!」

 フィルは、剣を引いて鞘に納めると近衛兵に返す。リネアは、持っていたベールを広げて、全く切り裂かれていないところを見せた。向こう側が透けて見えるほどの薄く、繊細な美しさを見せるベールが、剣の刃を完全に防いだのだ。

 フィルからベールの正体を聞いていたティベリオでさえ、実際に目にすると驚きを隠せなかった。


「総督、それは一体何だ?どうしてそんな薄布一枚で剣を受け止められる?」

 コルクルムが、少し掠れた声でフィルに尋ねる。


「これはアラクネの糸で織り上げた布です。アラクネの糸はアラクネにしか扱えません。このベールに使われている生地は、サエイレムで暮らしているアラクネたちが織ってくれたものです。これが、アラクネ族が滅びていないこと、そしてサエイレムとアラクネ族が友好的な関係にある証拠です」

 フィルは、視線を小グラウスに向けた。

「お疑いなら、サエイレムに来て確かめられればよろしいかと」

 小グラウスは言葉に詰まり、悔し気にフィルを睨んでいる。


 陪審員席からその様子を見ながら、元老院議長のボルギウスは苦々し気な表情を浮かべていた。

 今回の企てを聞かされた際、小グラウスの告発はいささか乱暴だとは思ったが、領地を離れて帝都にいる機会を狙えば、エルフォリア卿も大した手は打てまいと考えていた。だが、甘く見過ぎていたようだ。 

 昨日の今日で、フィルがここまで反証の材料を用意するとは思っていなかった。どうやら楽観視しすぎたようだ。


「ところで、グラウス議員に伺いたいのですが、昨日の御前試合で、わたしを殺すおつもりだったというのは本当ですか?」

「それは、エルフォリア卿がご自身で死んでも構わないと仰ったこと。もちろん私はそんなつもりはなかったが、剣闘試合は真剣勝負、何が起こるかわからぬものではないか」


「そうではありません。元々予定されていたミノタウロスと剣闘士オランとの試合でも、あわよくば試合中の事故を装ってわたしを殺すおつもりだったとか…どうですか?オラン」

 フィルは、証人席のオランに問いかける。

「そのとおりだ。試合の契約の際、試合中の事故に見せかけて総督を殺せば追加で報酬を払うと伝えられた」

 オランは証人席から声を上げた。


「グラウス議員…どういうことでしょうか?オランの証言が事実であるのなら、わたしは議員を告発せねばなりませんが」

 追求を打ち切らせるためのダメ押し。もちろん、証言はオランのでっち上げだ。


 しかしそれ以前に、サエイレムへの道中、そして闘技大会への刺客と魔獣の乱入と、フィルは2度襲撃を受けている。決定的な証拠はまだないが、襲撃を命じたのはグラウス親子だとフィルはほぼ確信している。この場でそれを持ち出されるのは彼にとっても困るはずだと考えた。


「し、知らん!少なくとも私はそんなことは命じていない」

 当然、身に覚えのない小グラウスは否定する。

 だが、彼自身、これまで散々フィルを葬る機会を伺っていたのも事実。もしかしたら配下の誰かが気を利かせたつもりで吹き込んだのかも…そんなことが頭をよぎった小グラウスの否定は、微妙に歯切れの悪いものとなった。


 大きくため息をついたのは、ボルギウスだった。告発するはずが、逆に告発されるようでは、このまま続けても勝ち目は薄い。皇帝とティべリオがフィルの味方なのは承知しているが、コルクルムも小グラウスの告発を疑いはじめている。評決に持ち込んでも負けるだろう。


「…陛下、どうやらエルフォリア総督の罪状には疑問があるようです。元老院より開廷を要請しておきながら大変申し訳ないのですが、本件の審理は打ち切り、閉廷とさせて頂きたい」

 ボルギウスは、傷が浅いうちに撤退を決めた。今ならまだ小グラウスが恥を晒した程度で済ますことができる。フィルの罪状についても、評決に持ち込まれて無罪と決まると次の告発が難しくなる。


「議長、総督は無罪で良いということか?」

「疑惑が完全に晴れたとは申せませんが、有罪と断ずるだけの証がございません」

 無罪と認めないボルギウスの言い方に、皇帝はやや不快そうな表情を浮かべたが、閉廷には同意を示す。

「では、コルクルム殿、閉廷の宣言を…」

 だが、他ならぬフィルがボルギウスの言葉を遮った。


「お待ちください。その前に、陛下にご報告させて頂きたいことがございます」

「申せ」

「サエイレムより知らせが参りました。今より2日前、所属不明の軍勢約2万がサエイレム属州内へ侵入、ベナトリアからの街道をサエイレムに向けて進軍中とのことです」

「何だと?」

 皇帝の声が低くなる。


「な…?!…おかしいではないか!サエイレムから帝都までは船でも4日はかかるはず。どうして2日前の報告が届くのだ?!」

 思わず声を上げた小グラウスに、視線が集まった。

「グラウス議員、我がサエイレムは魔族と共に生きる街です。我が配下には空を飛べる魔族ハルピュイアもおります。先ほどの報告は、そのハルピュイアが命がけでここまで飛び、届けてくれたものです」

 淡々とフィルは言う。


「軍勢が動いているだと?どういうことだ!」

 言ったのはボルギウス。ただその視線はフィルに向けられてはいない。ボルギウスは凄まじい表情で小グラウスを睨んでいた。


(ふむ…どうやら軍勢を動かしたのは、グラウス親子の勇み足のようじゃな。こんなに早く帝都に報告が届くとは、残念であったのぅ…魔族の能力を甘く見るからじゃ)

「議員、サエイレムから帝都まで船で4日かかるとご存知とは、お詳しいのですね?」

 ぐっと顔を歪める小グラウス。フィルはあえてそれ以上の追求はせず、皇帝に向き直る。


「陛下、建国祭の途中ではありますが、わたしは直ちにサエイレムに戻り、我が領地の防衛にあたりたいと存じます」

「間に合うのか?」

「サエイレムでも早急に応戦の体勢を整えているとのこと。数では劣っておりますが、我が精鋭の実力に疑いありません」

 フィルは、まっすぐに皇帝を見つめる。


「よかろう。…帝国内で余の許しを得ずに他領に軍を進めるなど許し難い。必ずやその罪を問わねばならん。サエイレムに侵攻する軍勢を賊軍と認め、帝国内での戦闘を許す」

「承知しました。必ず賊軍を撃退してご覧に入れます!」

 フィルは立ち上がって皇帝に一礼すると、くるりと踵を返した。

次回予定「強行突破」

一刻も早くサエイレムへと戻るべく、帝都を出港したフィルたち。

しかし、すんなりとは通してもらえないようで…

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