弾劾裁判 前編
弾劾裁判、開廷!フィルはどう切り抜けるのか?
「…以上の理由により、サエイレム総督、エルフォリア殿を告発し、総督職の罷免と軍団指揮権の剥奪を求めるものであります!」
広い法廷に小グラウスの声が響いた。昨日の無様な姿を忘れたように、熱弁を振るった上での告発である。
…とは言え、やはりフィルに対する恐れは拭えないようで、フィルと目を合わせることはほとんどなかった。
開廷された弾劾裁判の法廷には、正面に陪審員4人が並び、その真ん中、一段高い玉座に皇帝が着席している。
陪審員から見て右が被告席、左が原告席となっており、原告席には小グラウスと、共同告発者であるベナトリア総督大グラウスの代理として秘書官のルギス・ベルナートが着席していた。
今開かれている建国祭には、本来、各属州の総督も出席しなければならないのだが、大グラウス本人は高齢だの体調だのと理由を付けて欠席している。
…サエイレムへの侵攻の為に領地に留まったのは見え見えだ。
小グラウスとルギスが座る原告席の後ろには、彼らの用意した証人がいるはずだが、幕で覆われていて様子は伺えない。
フィルは被告席の真ん中に座り、隣にはベールを被ったリネアが座っている。後ろには証人として3人の男女。元剣闘士のオラン、昨日助けた狐人の娘の一人、シアナ、そして初老の男性が一人座っていた。
「グラウス議員、貴殿の告発が真実であると、どのように証明するのか」
陪審員の一人で、今法廷の進行役を務める執政官ネリウス・コルクルムが尋ねる。
「証人を用意しております」
小グラウスが言うと 原告席の後ろを覆っていた幕が取り外され、そこには枷を嵌められたアラクネがいた。その顔にフィルは見覚えがある。族長のリドリアだ。しかし、その目は落ちくぼみ、頬はこけ、まともな状態とはとても思えない姿だった。以前に見かけた時よりも更に酷くなっている。
「この者は、アラクネ族の族長であった者。軍勢に里を襲撃され、ベナトリアに落ち延びてきたところを保護しました。襲撃の際の恐怖からか、気性が少々不安定となっておりますので、止むを得ずこうして枷を嵌めております。しかし、サエイレム属州から越境してきた軍勢によって里が襲われたと、確かに申しております」
そして、小グラウスはリドリアの隣にいる男に目配せする。男が耳元で何やら囁くと、リドリアはハッとしたように顔を上げ、たどたどしい口調で言った。
「…私の…里は帝国の兵によって…襲われた」
「族長殿、里が襲われる前に、誰かが里に来たのではなかったかな?」
「…サエイレムの総督を名乗る娘が来た…。だが、すぐに追い返した…」
小グラウスはフィルの様子を伺うが、フィルは無表情のまま座っている。動じないフィルに少し顔をしかめ、小グラウスは問うた。
「エルフォリア殿、族長殿はこう言っておられるが、身に覚えはおありか?」
(まさか、リドリアを捕らえてここまで連れてきていたとはな。…アラクネの里を襲った時、いや、それでは間に合わぬ…それより前に里から連れ去っていたか)
フィルの頭の中で玉藻がククッと笑い声を上げる。
(まぁ良い、筋書きを変更する必要はない。あとは手札を晒す順番だけじゃ)
反撃の手札はフィルの手元にある。それどう使って裁判を引っ繰り返すか、玉藻は楽しそうに考えていた。
イネスが届けてくれたバレンからの書簡は、ティミアが持っていた鉛製酒器の出所に関する調査結果だった。
アラクネの里が襲われたという事実はグラムからの報告にもあった。それをフィルの仕業にするため、もはや廃人に近いリドリア連れ去り、証言させる策を立てたのだろうが、里から逃げ出した多くのアラクネたちをフィルは保護し、サエイレムに受け入れている。その証拠はリネアの頭の上にある。
小グラウスが御前試合の獲物として用意した狐人の奴隷、彼女たちはサエイレムから連れ去られたと言った。だが、戦争終結後の略奪や拉致は帝国の軍規で禁止され、取り締まりもされていた。多少の金品を隠して持ち出す程度ならともかく、生身の奴隷を連れて正規の街道を行けば、サエイレム領を出る時にまず見つかる。だとすれば、どうやって連れ去ったのか。
元剣闘士のオランは、小グラウスに『フィルを殺せと言われた』という偽証言をしてくれる。暗殺の依頼は当然、犯罪行為だ。ダメ押しの一手に使えるだろう。
(あの男、元老院議員など務めている割には感情的になりやすく、仕込みも甘い。…案ずるな、いくらでも衝く隙はある)
玉藻は、笑みを含んだ声で言う。少し緊張していたフィルは、ふっと軽く息をついて肩の力を抜いた。
「エルフォリア総督、答えられよ」
コルクルムの声に、フィルはゆっくりと立ち上がり、陪審員と皇帝の方に一礼して口を開いた。
「わたしは、アラクネの里を訪ねました。それは事実です」
「魔王国側の種族であるアラクネ族の里へ参られた理由は?」
「はい、我がサエイレム属州は、ケンタウロス族、アラクネ族の領域と国境を接しております。戦争が終わった今、領内ひいては帝国の平和の為にも隣国とは友好的な関係を構築するべきと考え、交渉に出向いたのです」
フィルは、ハッキリとした口調で答えた。
「ですが、そこにいる族長のリドリア様から提案を拒絶されたのも事実…わたしの不徳の致すところです」
フィルの答えに、コルクルムは小さく頷く。
「交渉を拒絶されたため、軍勢を送り込み、里を滅ぼしたのであろう!アラクネの領域に国境を接するはサエイレム属州のみ。軍勢を送り込めるとすればサエイレム以外にはない」
小グラウスの隣でベルナートが声を上げ、直ちにフィルが反論する。
「我がエルフォリア軍は、アラクネの里を襲撃してはおりません。リドリア殿は『帝国の兵によって襲われた』と申されました。エルフォリアの兵であるとの証言ではございません」
「見苦しいぞ!総督ともあろう者が、往生際の悪い」
「静粛に!」
小グラウスを一喝し、コルクルムはフィルに視線を向ける。
「エルフォリア総督、ではアラクネの里を襲った者は、別の軍勢であると?」
「はい。…それにつきましては、わたしからもお話したいことがございます」
「伺おう」
コルクルムの許しを得たフィルは、まず初老の男性を証言に立たせた。
「この者は、帝都の彫金職人レギウス。レギウス、貴方が作ったものをここへ」
小さく頷いたレギウスは、布にくるまれていたゴブレットをテーブルの上に置いた。それを見たリドリアが「あぁ…」と切なげな声を上げて手を伸ばそうとする。
「リドリア殿、これはあなたのものですか?」
リドリアの隣にいた男が慌ててリドリアを押さえようとするが、フィルの問いにリドリアは落ち窪んだ目を大きく見開いてコクコクと頷く。
「陪審員の方々、わたしがリドリア殿と交渉に臨んだ時、リドリア殿はすでに健康を害されているご様子でした。今も、皆さまご覧のとおり、痛ましいお姿です。わたしがお会いした時よりもより悪くなっているように思います。その原因が、このゴブレットです」
「それが一体、なんだと言うのだ」
陪審員席の元老院議長ボルニウスが、苛立たし気に言う。
「アラクネ族に渡っていたこのゴブレットの内側には、鉛が使われています。外側は銀器ですが、わざわざ器の内側にだけ鉛を使っている、珍しいものです」
フィルが、珍しいと言ったのは皮肉だ。これが粗悪品ならば、加工が容易で安価な鉛を材料にすることも有り得るが、立派な銀器に細工を施していながら、内側だけに鉛を使う必然性はない。それが、意図的なものでなければ。
「なに?」
コルクルムの眉が吊り上がった。
「帝都では鉛器の使用が禁じられているそうですが、帝都の外ではその限りではありません。執政官殿、レギウスに罪を問うのはご容赦頂きたく存じます」
「む、確かにそうだが。…では、こんなものをどこの依頼で作った?」
フィルの言葉に、コルクルムは仕方なさそうに口調を抑える。
「レギウス、証言を」
「はい。これは、そこにおられるグラウス議員の使いの者から注文を受けました。お父上の領地ベナトリア属州へ送る物だと、同じものを5つ。これはその時の試作品です」
フィルの調査依頼を受けたバレンは、サエイレムと取引のある商人や職人達を通して帝都の彫金職人を当たり、ティミアが持ってきたゴブレットの出所が、このレギウスの工房だと突き止めたのだ。
イネスが届けてくれた書簡でそれを知ったフィルは、早速使いを出し、証言を依頼した。
罪に問われることを恐れて最初は作ったことすら否定したレギウスだったが、決してレギウスの罪は問わないことをフィルの名において約束し、証言の謝礼として相応の金貨も積んで、ようやく証言に立つことを了承してもらった。
「今、リドリア様はこれを見て自分のものだと頷かれました。このゴブレットでワインを飲み続けた結果、つまり鉛の毒に蝕まれた結果が、今のお姿です」
(あの様子では、もう長くはもつまい。あやつも哀れなものじゃ…)
玉藻のつぶやきを聞きながら、フィルは小グラウスを睨む。
「グラウス議員、ベナトリアは密かにアラクネ族に接触し、贈り物だと騙して鉛の酒器とワインを提供していた。そして、族長や里の主だった者が鉛の毒に蝕まれ、まともな抵抗ができなくなる頃を見計らって軍勢を送り込み、それをわたしの仕業にしようとした。違いますか?」
「何をバカな。サエイレム属州からしかアラクネ族の領域には行けないのだぞ。それともベナトリアの者がサエイレムの領内を勝手に通って行っていたとでも?!」
小グラウスはフィルを睨み返した。
「それにつきまして、次の証人を」
フィルの言葉を合図にレギウスが後ろに下がり、狐人の娘シアナが証言に立った。
次回予定「弾劾裁判 後編」
奴隷にされていたシアナは、何を証言する?
そして、フィルがリネアに剣を向ける?!




