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傾国狐のまつりごと-食われて始まる建国物語-  作者: つね
 第2章 サエイレムを狙う者
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空からの使者

懐かしい出会いに喜んだのも束の間、フィルが裁判にかけられることに。

 フィルが宿舎に戻ると、バルケスが落ち着かない様子で待っていた。

 こちらにも弾劾裁判への出頭を命じる書簡が届いたらしい。

「大変なことになりましたな」

「えぇ。皇帝陛下はわたしの無実を信じて下さったけど、何か潔白を示す手立てを考えないと…」

 馬車から降りたフィルは、バルケスから受け取った書簡に目を通す。

 罪状と出頭せよという命令だけが書いてある、まるで有罪は決まっていると言わんばかりの乱暴な文面だった。


「馬鹿にしてる…!」

 悔し気に口を歪めたフィルは、手のひらを上に掲げて狐火を浮かべ、書簡に火を点ける。フィルの怒りを示すように、書簡はボッと青い閃光を発して激しく燃え上がった。


「さて……リネアとメリシャは疲れたでしょう?」

 フィルは、後ろで不安そうにしているリネアとメリシャを振り返る。さすがに笑顔でというわけにはいかなかった。

「はい…あの…私、なんでもします。お手伝いできることがあれば言ってください」

 とは言え、こういう状況でリネアにできることはあまりない。それは自分でもよくわかっている。しょんぼりと倒れかけたリネアの耳がピクリと動いた。

「…あら?」

「どうかした?」

「フィル様を呼ぶ声が聞こえたような…」

 辺りを見回すが、近くにいる者がフィルを呼んだ様子はない。門の外だろうか。


「…さまー」

 聞こえた。女の子の声?

「…ルさまーっ」

 だんだん近づいてくる。後ろ?…いや、上から?

「フィル様ーっ!やっと見つけました!」

 どしゃりと墜落するような音を立てて空から降ってきたのは、ハルピュイアのイネスだった。もう立っていられないのか、着地した瞬間に尻餅をついてしまう。

「イネス!大丈夫?!」

 フィルは慌てて駆け寄り、その身体を支える。

「疲れましたー!…でも、大丈夫です」

 荒い息をつきながらも、イネスはニッと笑う。そして、腰に巻いていた包みの結び目を解こうとするが、酷使した羽根が震えてうまく解けない。

「あう、うまく外れないよ…」


「イネス、わたしがやるからじっとしてて」

 見かねたフィルが、手を伸ばした。けっこうきつく結ばれていて、なかなか緩まない。

「イネスさん、これお水です」

「ありがとう、リネアちゃん…」

 リネアの差し出したカップの水を一気に飲み干し、イネスはプハーッと息をつく。

「とれた…」

 ようやく結び目が外れ、包みの中身は文書を送るための革製の筒だった。


「イネス、まさかサエイレムからここまで飛んできたの?」

「はい、グラム様がとにかく一刻も早くこれをフィル様に届けるようにと……でも、さすがに帝都は遠すぎたので、皆に助けてもらいました」

 軽い口調で言うが、そんなに簡単なことではない。そもそもハルピュイアが休憩なしに飛べるのは、どれだけ頑張っても帝都までの距離の半分にも届かないはずだ。


 イネスが、サエイレムを飛び立ったのは、昨日の昼。まずはセイレーンの島に向かい、島にいたテレルたちに魚を食べさせてもらった。そして、帝都へ向けて飛び立つ。感覚的に方向はわかる。ただし、ここから先には帝都まで陸地も島もない。

 イネスはフラメアに言われたことを思い返した。…船を探せと言われたのだ。


 南方との交易規模が拡大したことにより、サエイレムと帝都との間には常に多くの商船が行き来している。そして、帝都までの船の航路はほぼ決まっていた。その航路が、長年の経験から見つけ出された、双方の目的地間を結ぶ最も安全でかつ無駄のないルートだからだ。

 広い大海原は一見、障害物も何もなく好きに進めるように見えるが、もし気まぐれに航路から外れれば、波の下に隠れた未知の岩礁などに座礁する危険があるし、風や潮流が大きく変わることもある。

 だからサエイレムと帝都を結ぶ船は、おおむね同じ航路を進む。それぞれの船は、大きく間隔を空けてはいるが、テテュス海の上で列になっているようなものなのだ。


 フラメアが考えたのは、その船から船へと飛び石伝いに飛び、休憩と食事をさせてもらいながら帝都を目指すという方法だった。港で、ここ数日の船の出港記録を確認したフラメアは、帝都へ向かう商船がサエイレムから連日出港していることを確認し、いけると判断したのだ。


 セイレーンの島から帝都へ向けて飛ぶイネスの視界に、白い航跡を引いて前を行く大型商船の姿が映った。後ろから船に追いつき、船尾の甲板へと着地する。慌てて集まってきた船員たちに、イネスは首から下げた木の薄板を見せた。彼女自身は文字が読めないが、それは商業組合のバレンが持たせてくれた鑑札だ。イネスの身元を保証し、彼女がサエイレム総督への急使として帝都に向かっていること、そして彼女に水と食料を与え、船の上で休息を取らせるよう要請する内容が書かれていた。


 港にもよく来る小さな総督のことは、船乗りたちも知っている。彼女のおかげで港が使いやすくなり、うまい飯が食える食堂や快適な船員宿ができたことも知っている。

 我らが総督の一大事ならと、どの船も快くイネスに貴重な水と食料を分け与え、休ませてくれた。そうして数隻の船を乗り継いでようやく帝都上空に到着したイネスは、そこで最大の試練に直面する。


 フィルが、帝都のどこにいるのかわからない。帝都は広い街だ。人間もサエイレムとは比べものにならないほど多い。港にもたくさんの船が並んでいて、どれがサエイレムの船なのか見分けがつかない。

 どうやってフィルを見つけたらいいのか…帝都の上を飛び回り、泣きそうなくらい焦っていたところに、ちらっと青い炎が見えた。サエイレムの闘技場で見たフィルの狐火だった。天の助けとばかりにイネスはその炎めがけて急降下してきた、そういうわけだ。


「そう、フラメアがそんなこと思いつくなんてね…」

 イネスから話を聞いたフィルは、その無茶とも思える方法に呆れ、だが嬉しそうに頷いた。おかげで、船なら4日はかかるところを、たった1日で知らせが届いたのだ。


「フィル様、グラムは何と?」

 バルケスはフィルの手にある文書筒に視線を向ける。

「あ、そうね。読んでみないと…」

 筒の中に入っていたのはフィル宛ての文書が2通。1通はグラムから、もう1通は商業組合のバレンからだった。

 その場で、文書の内容に目を通したフィルの表情は、最初に怒り、そして笑みへと変化した。


 グラムからの報告は、おそらくベナトリアのものと思われる軍勢約2万がサエイレムに近づいており、またアラクネの里も何者かに襲われたとのこと。そして、それに対する当面のサエイレム側の対応が報告されていた。グラムらしい詳細な報告で助かる。そしてもう1通、バレンからの文書は前に依頼していた調査の結果報告だった。


「…バルケス、すぐに軍団をまとめてサエイレムに戻れるよう、準備をお願い。港の船長たちにも出港の準備をさせておいて」

 そう言って文書をバルケスに渡し、フィルは座り込むイネスの前に膝をついた。

「イネス、無理して飛んでくれてありがとう」

「…フィル様、私、間に合ったんでしょうか?」

 イネスは心配そうにフィルに訪ねる。自分が運んだ文書の内容は知らないが、サエイレムとフィルに関わる重大な事なのは分かっていた。


「もちろん。イネスが頑張って飛んでくれたおかげで、わたしもサエイレムもきっと助かる。…帰ったらちゃんとご褒美を用意するからね」

 フィルの笑顔を見て、力が抜けたように、ばたりと仰向けに倒れるイネス。

「よかった~!」

「ちょっと、イネス!大丈夫なの?!」

「はい、大丈夫です。でも、お腹が空きました…」

「リネア、イネスに食事を。ゆっくり休ませてあげて」

 フィルは、苦笑しながらリネアに言う。

「はい!イネスさん、すぐに何か用意しますから」

 イネスの身体を起こして宿舎の中へと連れて行くリネアとメリシャを見送り、フィルは早速バルケスに幾つかの指示を与えた。


 一刻も早くサエイレムに戻りたいところだが、まずは弾劾裁判を乗り切らねばならない。こちらの潔白を主張するための証拠、証人、情報、集めた手札をどう切っていくか、こういうことが得意そうな玉藻と相談しようとフィルが部屋に戻ろうとした時、門の方から声がした。


「ここはエルフォリア軍の宿舎だ。部外者の立ち入りは遠慮してもらっている」

「そう言われてもな…俺はオランって言うんだが、こちらの総督閣下にここへ来いと言われたんだが…」

「わかった。少し待ってくれ。確認する」

 まだ建物の外にフィルがいるのを見つけ、兵が駆け寄ってきた。

「閣下、今、オランと名乗る剣闘士が来ているのですが、ご存知でしょうか?」

「えぇ。オランなら大丈夫だから、通してあげて」

「はっ!」

 兵は門に戻り、おとなしく待っていたオランを中へ通す。


 オランはさほど大きくない麻袋をひとつ担いでやってきた。そして軽くフィルに頭を下げる。

「姫さん、厄介になりに来た。よろしく頼む」

「ちょっと待って!どうしてオランがその呼び名を使っているの?」

 片手を上げて制し、フィルは半眼でオランを見上げた。今、『姫さん』って言ったよね?


「あの後、闘技場に帰る途中に、狐人族の娘たちを連れた狼人族の連中に出くわしてな。たぶん試合中に言ってた『ウチの軍にも狼人族の面白いのがいる』ってのはたぶんこいつだろうと思って話しかけてみた」

「で、まさか意気投合して、わたしの呼び名も教わったとか言わないでしょうね?」

「姫さん、どっかで見てたのか?」

 あまりにも想像しやすい展開に、フィルはため息をつく。


「…総督やフィルって呼ぶより、その方が呼びやすいの?」

「あぁ、姫さんってのが一番しっくりくる。気に入らないなら、姐御や姐さんでもいいんだが」

「姫さんでいい」

 フィルは腰に手を当てて、仕方なさそうに頷く。だが、他愛もない会話で少し気が紛れた。


「せっかく来てもらったけど、今、ちょっとバタバタしててね。ウェルスと知り合いになったのなら、ウェルスたちの所にいればいいわ。サエイレムには…たぶん明日、出発するから」

「慌ただしいな。何かあったのか?」

「元老院の嫌がらせよ。わたしが魔族に勝手に戦争吹っ掛けたって言い掛かり付けられて弾劾裁判に呼び出された」

「おいおい、嫌がらせどころの話じゃないぞ。元老院の奴ら、本気で姫さんを潰すつもりかよ」

 眉間に皺を寄せてオランはフィルを見下ろす。

「それをどうやってひっくり返すか、色々考えてるところ」

 フィルは、ふと思いついてオランに尋ねる。


「そういえば、オラン。今日のミノタウロスとの試合、小グラウスからはどんな依頼を受けていたの?…わたしと戦うことになったのは、想定外だと思うけど」

「あぁ、なるべくミノタウロスを派手に倒せと言われたな…あとは…」

 言いかけて、オランはニヤッと笑う。


「戦いのどさくさに紛れて、姫さんを殺せと言われたな」

「オラン、それ嘘でしょ?」

 わざとらしい棒読みで言うオランをじとりとフィルが睨む。

「だが、俺がそう証言すれば、姫さんに有利にならないか?」

 しばらくオランを睨んでいたフィルは、やがて口の端を軽く上げた。


次回予定「弾劾裁判 前編」

フィルは裁判をどう引っ繰り返すのか。その手札とは?


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