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傾国狐のまつりごと-食われて始まる建国物語-  作者: つね
 第2章 サエイレムを狙う者
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御前試合 後編

御前試合で剣闘士と戦うことになったフィル=妲己。その思惑はいかに?

「始めましょうか?」

 一切の防具を着けない軽装でオランの前に立った妲己は、ちょっと散歩にでも誘うような気安さで告げた。

「どうして鎧を脱いだ?」

「あなたの剣を受けたら、あんなもの、あってもなくても同じでしょう?」  

 当たり前のことを聞くなと、呆れたようにオランを見上げながら妲己は言った。


 オランはわずかに驚きの表情を浮かべた。

 確かにその通りだ。しかし、そこまで割り切れる者はなかなかいない。

 実質的には意味がないとしても、身を守る物を着けていれば、誰もが少しは安心するものだ。それを平気な顔で切り捨てることが出来るのは、相当に実戦慣れしている証拠でもある。こんな娘がそれほどの実戦を経験しているとは思えないが…


 少し前に、闘技場の前で見かけた総督の姿は、そこまで異質には感じなかった。魔族を側に置いている物好きな小娘だと思い、つい笑ってしまった。

 だが、今、目の前に立っている娘、いや娘の姿をした『何か』に、無意識に緊張している自分に気付き、オランはごくりと喉を鳴らす。

 

 ドーン!とドラムが鳴った。妲己は軽く腰を落として大刀を構え、オランも背に差していた両刃の戦斧を握る。

 心配、好奇、期待、侮蔑、そして信頼、様々な視線が二人を見つめた。

 ドーン!二度目のドラムとともに、二人は…動かなかった。妲己は単純に相手の出方を待っているだけ、オランは妲己がどう動くかわからず、うかつに攻められなかった。


「来ないの?」

 にこっと笑って妲己が言った。

「なら行くわよ!」

 瞬間、妲己が石畳を蹴った。警戒はしていた。しかしその速度は、オランの予想を遙かに上回った。人間、魔族は優に超え、魔獣並みと言っていい。

 慌てて戦斧を身体の前にかざし、即席の盾とする。直後、重い衝撃がきた。予想以上などというものではない、嘘だろうと叫びたい。あの小柄な身体で、どうしてこんな重い攻撃が出来るのか。自分と彼女では、おそらく4倍近い体重差があるはずだ。その自分が危うくよろめきそうになった。


 もしもオランが、サエイレムの闘技大会で妲己がラロスやウェルスと戦う様子を見ていたならば、半信半疑ながらでもその威力を受け流すなり対応しただろう。しかし、初見でそれを予測するのは、いかに歴戦のオランと言えど不可能だった。


 防がれたと気付いた瞬間、妲己は攻撃の勢いを利用して真上へと身体を踊らせる。 そして今度は大刀の石突きの部分が頭上から襲いかかった。

「ッ!」

 戦斧の背で辛うじて脳天への一撃は弾き、横へと体を倒したが、逸れた石突きが分厚い革製の肩当ての先端を抉り取る。少しでも回避が遅れていたら、肩当てを貫通してオランに突き刺さっていただろう。すたんっと身軽に着地し、妲己は大刀を再びオランに向ける。

「今度はそっちからかかってきなさい」

 挑発的に笑う。


「…うらぁっ!」

 オランとて身体能力には自信がある。大きな体躯を生かして間合いを一気に踏み込み、振り被った戦斧を妲己の頭上に叩きつける。

「っ!」

 妲己は攻撃を大刀で受け止め、刀身を斜め下に向けて切っ先をずらす。そして、反対に持ち上がった大刀の柄をオランの側頭部へと打ち込む。

「ウッ」

 オランは、咄嗟にその場に身をかがめるが、そこには妲己の左足が待っていた。

 右の脇腹を狙った妲己の回し蹴りを、わずかに左へと身体の向きを変えて避け、すれ違いざまに戦斧を薙ぐように打ち込んだ。妲己はその一撃を大刀の柄で受け止めると、その衝撃を利用して後ろに跳び、戦斧の間合いの外へと着地する。

 そして妲己は、構えを解いてじっとオランを見つめる。オランも妲己を追わずに息を整え、一拍の間が生まれた。


「ねぇ、聞いてもいい?」

 妲己が話しかけた。

「何だ?まだ戦いは終わっていないぞ」

「あなた、狼人の血が入ってるわよね?もしかして、サエイレムの出身だったりしない?」

 さらりと核心を突いた妲己に、オランは目を見開いた。だが動揺を堪えて問い返す。

「どうしてそう思う?」

「その体格は明らかに人間としては異常。…ウチの軍にも狼人族の面白いのがいてね。似てるのよ。その動きと、今のあなたの戦い方が。そして、狼人族はほとんどがサエイレムに住んでいる」

「なるほど。だが俺には獣の耳も尻尾もないぞ」

「両親のどちらか、おそらく母親が人間なんでしょう?だから狼人の体格は受け継いだけど、獣耳や尻尾はハッキリとは遺伝しなかった、そんなところかしら?…そして、戦い方は父親から教わった」

 妲己は、淡々は指摘する。それはまるで知っていたかのようにオランのことを言い当てていた。


 無言のオランに、どうやら図星だったと悟った妲己は軽く。

「…どう?サエイレムに戻ってくるなら歓迎するわよ」

 オランは、ぐっと戦斧を握りしめる。そして、妲己に答えることなく戦斧を振り下ろした。

「…っ」

 少し渋い表情を浮かべ、妲己は軽く跳んでその一撃を避ける。ブンブンと振り回される戦斧の猛打を、弾き、避け、そして受け止める。

「何を怒っているの?」

 妲己は、その動きとは裏腹にとても優しい声で訊く。

「怒ってはいない。…ただ、10年前にあんたみたいな領主がいてくれたらと思うとな」

 以前の領主は、魔族を殊更に虐げはしなかったが、助けてもくれなかった。サエイレムに攻め込んだ帝国軍が魔族街で何をしようと、知らん顔だった。

 魔族を人間と同じように側に置いているこの総督があの頃にいてくれたなら、自分は両親を失うことも、剣闘奴隷として売られることもなかったかもしれない。

 それはこの総督のせいではないし、今更そんなことを言っても仕方が無いことはわかっている。

 ただ…悔しかった。


「…なるほどね。気持ちはわからなくもないけど、ハッキリ言うわ」

 妲己は、両手で大刀を掲げて戦斧を押し返しながらオランを怒鳴りつけた。

「知るか!そんなもの!」

 体格差を全く無視した、嘘のような光景。上から覆い被さる巨体を、小さな身体がゆっくりと押し上げていく。まさかの力負けに、信じられない表情のオランに、妲己は顔を近づけた。


「フィルだってねぇ、ここにいるバカどもから散々な目に遭わされて、それでもサエイレムを守ってるんだ!あなたには10年遅かったかもしれないけど、フィルをいい領主だと思うのなら、今からでも手伝いなさい!」


 妲己は怒鳴りながら一気に大刀を押し上げ、オランは思わず体勢を崩す。そこに、叩き伏せるように大刀の乱打が始まった。防戦一方のオランは妲己の剣幕に驚いていた。

 カァンと高い音がして、オランの手から戦斧が弾き飛ばされ、首元に大刀の切っ先を突き付けられる。オランは呆気にとられて自分を睨み付ける金色の瞳を見つめた。


「まだ戦う?戦うなら武器を拾う間くらいは待ってあげる」

 すっと刃を引いて、妲己はオランから少し離れる。

「いや、もういい」

 ゆっくりとオランは立ち上がる。そして、石畳の上に転がる戦斧を放ったまま、妲己の前に跪いた。


「オラン、まだ戦えるだろう!なぜ戦わない!」

 壇上から小グラウスが慌てて叫ぶ。

「死ぬまで戦うのが剣闘士だろう!戦え、そして倒せ!」

 勝ちは確実だと思っていたのに、なんという様だ。小グラウスは歯噛みする。あの小娘を葬る絶好の機会を逃す訳にはいかない。フィルはまだ無傷だが、オランとて同じだ。なのに負けを認めて終わるなど許さない。剣闘士風情が命が惜しくなったか。

 小グラウスはここまでの戦いを見ても、二人の戦力差を、オランに全く勝ち目がないことを理解できていなかった。


 チッと軽く舌打ちして、妲己は大刀を肩に担ぐ。

「オランって言うのね。…早速だけど、ちょっと手伝ってくれない?」

 妲己は、ちらりと壇上の小グラウスを見上げ、獰猛に笑った。

「あいつの肝を少し冷やしてやろうと思うんだけど」

「どうするつもりだ?」

 妲己は作戦をオランに囁く。それを聞いたオランは、子供のように笑みを浮かべた。戦斧を拾い上げ、妲己に向けて構える。


「そうだ、それでいい」

 小グラウスは安堵した。あの小娘が予想外に強いのは誤算だったが、最悪、共倒れでも構わない。とにかく、あの小娘をここで葬らなければならない。

 戦斧を振りかざしたオランが妲己めがけて突進し、ブンと音を立てて刃が妲己の頭上を襲う。

 妲己は横に跳んでそれを避けた。戦斧の刃が石畳を抉り、細かい石片が飛び散る。その隙を狙い、妲己はオランの横に回り込み、首筋めがけて大刀を水平に薙ぎ払った。オランがぐっと身をかがめて刃を躱し、低い回し蹴りで妲己に足払いをかける。


「きゃっ!」

 足をすくわれた妲己は、短く悲鳴を上げてその場に転がる。オランはすかさず戦斧を振り上げて妲己に振り下ろした。表情を歪ませながら、妲己は横に転がって斧の一撃を避ける。

 オランは二撃三撃と連続して戦斧を振り下ろし、妲己は間一髪でそれを避け続ける。だが立ち上がる隙がなく、無様に石畳の上を這いずっているように見えた。


 押し始めたオランに小グラウスは、よし、そこだ、と拳を握る。反撃もできずに必死に攻撃を避ける妲己の姿に、溜飲の下がる思いだった。

 だが、攻撃するオランと避ける妲己、それが徐々に自分の方に近づいていることに小グラウスは気がつかない。そして、二人の動きが先ほどまでよりもわずかに遅く、タイミングを合わせるように視線を交わしていることにも。


「うらぁっ!」

 大きく振りかぶったオランの一撃を避け、ようやく立ち上がった妲己は、無表情で大刀を構えた。

 そこは小グラウスの立つ演壇のそば。演壇は広場の床から2mほど高い位置に設けられたテラスのような場所だ。演説する者の姿が良く見えるよう、手すりも腰壁もない。


 ちらりと周りの様子を伺った妲己は、演壇に向かって駆け出すと、そのままひらりと演壇に跳び乗った。そして、立ち尽くす小グラウスに大刀の切っ先を向ける。

 観覧席からざわめきが起こるが、観覧席を守る近衛たちは動かない。

「…!」

「さあ、覚悟しなさい」

 妲己は冷たく笑うと大刀を低く構えて突っ込んだ。さほど広くもない演壇の上でのこと、その間は一瞬。

「…ひぃっ!」

 間抜けな悲鳴が漏れた。殺気をまとって突っ込んでくる妲己の姿が目前に迫り、その手に握られた大きな刃が自分に向けられているのを見て、小グラウスは完全に硬直する。

 ズバッっと音がして、布の切れ端が舞う。小グラウスのローブが下から上へと切り裂かれ、演壇の上に落ちた。切り裂かれたのはローブだけ、しかし目の前をかすめた強烈な斬撃に、小グラウスは自分が斬られたような錯覚に陥り、かすれた悲鳴を上げる。


「あなたの父親にも言ったけど、…次に手を出したら、首が落ちるわよ」


 完全に腰抜かした小グラウスを見下ろし、妲己はぼそりと低い声でつぶやく。小グラウスの腰の下はじわじわと水たまりが広がり、その顔は涙と鼻水でぐしゃぐしゃだ。その首に大刀を突き付けると、かくりと白目を剥いて気絶してしまう。


 妲己はその様子にプッと吹き出すと、笑いを堪えながら身軽に広場へと飛び降りた。

「うまくいったわ。ありがとう」

「いや、俺も楽しかった。…礼を言う」

 そして、観覧席に向けてオランは宣言した。

「俺の負けだ。降参する」

 ドーン、とドラムが鳴らされ、試合の終わりを告げた。


(妲己、お疲れ様。あいつを懲らしめてくれてありがとうね。)

(どういたしまして。さ、あとはフィルの仕事よ)

 戦いが終わると妲己はさっさと引っ込み、フィルに入れ替わった。オランとのやりとりは知っているが、さて、どう声をかけたものか…フィルが躊躇っているとオランの方が先に口を開いた。


「…あんたが総督か?」

 オランは少し驚いたような表情を浮べている。どうやら妲己とフィルが交代したことに気付いたらしい。エリン達に言わせると気配が全く変わるというのだが、自分ではよくわからない。


「えぇ。わたしはフィル・ユリス・エルフォリア。さっきまであなたと戦っていたのは妲己。でも、妲己があなたと何を話したかは、わたしも知ってる」

「そうか…」

 複雑な表情を浮かべるオランの胸を、フィルは握りこぶしで軽く叩く。


「オラン、さっさと荷物をまとめて、ウチの軍団が宿舎にしている屋敷に来なさい。借金が残ってるならわたしが払ってあげるから、一緒にサエイレムに帰ろう」

「借金まで払ってもらう理由がないが…」

「わたしからの個人的な謝礼よ。オランの協力であいつに仕返しできたからね」

 視線で演壇の上を指す。元老院の関係者か、何人かの男が小グラウスを担いで運び出すところだった。

 楽しげに笑うフィルに、オランも表情を緩めた。

次回予定「皇帝謁見」

小グラウスに一泡吹かせ、いよいよ帝国の頂点、皇帝との対面です。

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