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傾国狐のまつりごと-食われて始まる建国物語-  作者: つね
 第2章 サエイレムを狙う者
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御前試合 前編

無事に閲兵が終わったのも束の間、元老院の悪意がフィルを怒らせます。

「ティベリオ様、やはり欠席する訳にはいかないでしょうか?」

 用意された観覧席に着いたフィルは、隣に座るティベリオに小声で囁いた。もうすぐ始まる剣闘士による御前試合のことだ。

 剣闘士の試合は、帝国における娯楽として定番である。殺害禁止のルールで行われたサエイレムの闘技大会とは違い、相手を殺すまで戦う場合も多い。


 ただ、今日は祝祭であり、ここは皇帝宮殿前の広場だ。ベテラン剣闘士の模擬試合程度のものだろうとフィルは考えていたのだが、試合の内容は、どうやら剣闘士と魔獣の殺し合いになるらしい。

 リネアやメリシャにそんなものを見せたくないし、フィルも見たくない。


「すまんが、我慢してくれ。一応、帝国初代皇帝の偉業を称え、祖霊に捧げるものとされておるからのぅ。欠席すれば、連中が難癖つける材料になる」

「仕方ありませんね…」

 魔獣との戦いを再現し、跋扈する魔獣を倒してこの地を平定したという初代皇帝を称える、そういう筋書きなのだそうだ。

 そもそも帝国領の範囲には古来、魔獣はほとんどいない。初代皇帝の業績を誇張するための伝説だ。実に下らない、とフィルは思う。

 フィルは、半分後ろを振り返った。

「みんな、しばらく我慢しててね。無理に見なくていいから」

「はい、大丈夫です」

「メリシャ、良い子にしてる」

「ご心配には及びません」

 後ろに控える三人に申し訳なさそうに笑みを向け、フィルは広場に視線を戻す。


 ちょうど、数名づつの兵士に押されて荷車に載った檻が2つ、広場に入場してくるところだった。檻の中を見てフィルは眉を寄せる。一つの檻には雄牛の頭に筋骨逞しい身体を持つ魔獣ミノタウロス、これが試合の相手だろう。

 だが、もう一つの檻には数人の狐人族の女性が入れられていた。

「あれは、一体…!」

 ティベリオも知らなかったようで、表情を強張らせている。

「参列の皆様、これより魔獣の恐ろしさをご覧頂きます。このような魔獣が帝国の東、魔王国の土地には未だ跋扈しているのです」

 壮年の男が壇上に上がり、得意げに宣言した。

 さっと兵士が駆け寄り、狐人の女性たちの入った檻の扉を開けた。瞬間、彼女たちは悲鳴を上げて飛び出す。しかし、その勢いはすぐに止まった。彼女たちの片方の足首に付けられた枷から頑丈なロープが伸び、檻に繋がっていたからだ。

 そして、バンッと音を立ててもう一方の檻の扉も開き、のそりとミノタウロスが外に出た。

 兵士たちはさっさと広場の外へ出て、頑丈な門扉を閉じてしまう。


「あやつめ、あの娘たちを襲わせるつもりか!…なんとむごいことを」

「ティベリオ様、あの男は?」

 椅子から立ち上がり、フィルは低い声で尋ねた。

「あやつが小グラウス。ベナリトリア総督、大グラウスの息子だ」


「シャウラ、来て!」

「はっ!」

 ティベリオの答えを聞いた瞬間、フィルは観覧席の手すりを飛び越えた。

「フィル殿!」

「彼女たちを助けます!」

 慌てて叫ぶティベリオに言い残し、広場の上を走り出す。すぐ後ろにシャウラが続く。


 これは自分への仕返しだ。フィルはそう思った。落成式典の剣舞で大グラウスに脅しをかけ、公衆の面前で恥をかかせた仕返しに、リネアと同じ狐人族の女性をフィルの目の前で殺し、見せつけるつもりなのだと。

 小グラウスがそう言ったわけではなく、証拠もない。だがフィルは目の前の状況に我慢ならなかった。


「シャウラ、ミノタウロスを抑えられる?」

「はい」

「わたしが彼女たちを助けるまで、お願い」

「…倒してしまってはいけませんか?」

「いいよ。シャウラの好きにやっちゃって!」

「承知!…フィル様、これを!」

 シャウラは、持っていた大刀をフィルに投げ渡すと、ミノタウロスの前に立ちはだかった。


 フィルは受け取った大刀を振りかざし、狐人の女性たちを繋いでいるロープを次々に切断する。

「あっちへ逃げなさい!」

 フィルは、観覧席の方を指さす。そして驚いた。ベールを取り、狐耳を衆目に晒したリネアが、観覧席の前のよく見える場所に立っていたからだ。

「みなさん、こちらです!」

 リネアが叫ぶと、同族だと気が付いたのだろう、狐人の女性たちは、よろめきながらもリネアの方へと駆け出した。


 シャウラは、腰の短剣を引き抜いた。本来ならば、ラミアがミノタウロスに勝つのは難しい。絶対無理とは言わないが、一対一でまともに戦えば、おそらく八対二くらいの割合で負けるだろう。だが、シャウラは気付いていた。


 あのミノタウロスは弱っている。観覧席に並ぶ帝国の要人たちに危険を及ぼさないよう、最初から薬で弱らせているのだ。そういう薬に心当たりがある。おそらく奴の意識は朦朧とし、ただ目の前の餌や敵を追い回すだけしかできない。そんな状態の相手に負けはしない。


 シャウラは身を低くして地を這い、一気にミノタウロスとの間合いを詰めた。すれ違いざまに短剣を振り抜き、殴りかかってきたミノタウロスの腕を深く切り裂く。血しぶきが飛び、ミノタウロスの絶叫が響く。

 そして、くるりと身を翻したシャウラは、蛇体を十分にしならせ、尻尾を振るった。

 グシャリと鈍い音がして、シャウラの尻尾にはめられた鉄の胴輪がミノタウロスの後頭部を直撃する。装身具に見せかけた鈍器の威力は、蛇体の怪力と遠心力が相まって、ミノタウロスの頭蓋骨を一撃で砕いていた。


 四肢を弛緩させ、前のめりに倒れ伏すミノタウロスの姿に、広場はしばらく静まり返った。強力な魔獣として知られるミノタウロスが一撃で仕留められたのだ。見ていた者は例外なくに呆気に取られている。


 シャウラは短剣に付いた血を振り払って腰の鞘に納めると、フィルの側へ戻る。

「フィル様、片付きました」

 フィルに一礼し、シャウラはなんでもなさそうな口調で言う。

「お疲れ様。…見事でした」

 フィルは、にこりと笑って頼もしい護衛を労う。

「奴は薬で弱らされていましたので」

「なるほどね…」

 フィルは、我に返って苦々しい表情でこちらを見ている小グラウスを一瞥した。


「さて、次はわたしの出番かな。シャウラ、観覧席でリネアたちを守っていて」

「フィル様はどうなさるのですか?」

「まだあいつがいる」

 フィルの視線の先には、巨漢の剣闘士が立っていた。ミノタウロスと戦う予定だった剣闘士だろう。

 そうだ、軍団のパレードの時に闘技場の前でこちらを見ていた剣闘士だ、と気付く。


「エルフォリア総督、これはどういうことですかな?」

 小グラウスが壇上からフィルを見下ろして言った。

「初代皇帝陛下を称える御前試合を邪魔するなど、不敬も甚だしい。皆様方、そうは思われませんか?」

 大仰に言う小グラウスに、元老院議員や彼らに近い参列者から賛同の声と拍手が起こる。


「わたしを不敬と言われるなら、この晴れやかな祝祭の日に、何の罪もない民の血で神聖な広場を汚そうとすることこそ、真に不敬と考えますが、如何か!」

 フィルは、大刀の柄でガツンと石畳を突き、反論した。先ほどより数は少ないものの、ティベリオや一部の属州総督たちから拍手が起こった。皇帝宮殿のテラスから眺めているであろう皇帝の様子は、ここからでは伺い知れない。

 

「だが、このままでは初代皇帝陛下に捧げる試合ができぬ。…エルフォリア総督、せっかく用意した魔獣を倒してしまった責任をとり、そちらで剣闘士の相手を用意していただきたい…先ほどの魔族でも構いませんぞ。ただし、真剣勝負、戦う者の命の保証はできぬが」

 くくっと含み笑いをしながら、小グラウスは言う。彼らにとってはシャウラも魔獣と変わらないのだと思うと、こんな連中の相手をしなければならない事に心底うんざりする。


「わかりました。そう仰るのであれば…」

 居並ぶ元老院議員たちに、フィルは小馬鹿にするような笑みを浮かべて言った。

「このわたしが相手をします」


「なっ…!」

 ざわりと驚きが広がる。言い出した小グラウスまで目を見開いていた。

「バカな!総督ともあろう者が、自ら戦うなど認められるはずがない。先ほどの魔族に相手をさせればいい!」

 数舜たってから、小グラウスは慌てて怒鳴った。さすがに公の場で総督に危害を加えたとなれば、自分の立場が悪くなる。


「いいえ。ミノタウロスを倒すよう命じたのはわたしです。もしも、わたしが試合中に殺されることがあってもそれは不幸な事故。小グラウスに一切の責はない。それでいかがでしょうか?」

 フィルは、堂々と演壇の上の小グラウスを見上げ、そして観覧席の元老院議員たちを見回した。


「…いいでしょう。皆様もお聞きになられましたな。エルフォリア総督がそこまでの覚悟で戦うと申されるのであれば、お止めするのは無粋というもの。我ら一同、敬意をもって見届けようではありませんか!」

 芝居がかった口調を取り戻し、得意げな表情を浮かべて小グラウスは観覧席を見回した。元老院議員たちから盛大な拍手が起こる。


 小グラウスは内心で喝采を叫ぶ。少々驚かされたが、これは僥倖だ。あの生意気な小娘を堂々と亡き者にできる。しかも、自らの口で殺されても構わないと言ったのだから、絶好の機会ではないか。

 小グラウスが依頼した剣闘士は、この5年近くの間、帝都の闘技場で無敗を誇ってきた剣闘士のオラン。あの小娘、多少は腕に自信があるのかもしれないが、所詮貴族のお遊戯、幾多の試合で鍛え上げられたオランには敵うまい。


「皇帝陛下、それで異存はございませんか?」

 一応、この場の主人である皇帝にお伺いを立てる小グラウス。皇帝がフィルを庇うのか、元老院議員たちは興味津々だ。

「許す」

 皇帝は一言返事をした。場に微妙な失望と歓喜が交錯する。

「では、試合を開始します」

 これで決まりだ。無残に死ね、小娘が。小グラウスは口角をつり上げた。


(ここは、妾の出番ね?)

(妲己、お願い。煽るだけ煽っておいて無責任だけど)

(戦いなら妾に任せなさい。なかなか歯応えにありそうな奴ね。楽しめそうだわ)

 フィルと妲己が入れ替わった。すっと瞳の色が変化するが、小グラウスたちがそれに気付いた様子はない。

「妲己様!」

 そこにリネアが駆け寄ってきた。やはりベールは着けていない。狐人の姿を隠さず、リネアは帝国貴族たちの視線が集まる中に立っている。

「マントと剣をお預かりします。戦うのに邪魔でしょう?」

「ありがとう。…さすがリネア、よく気が付くわね」

 二つの意味でよく気が付くものだと思いつつ、妲己は、腰の剣とマントを外し、ついでに鎧まで外してしまう。それらを受け取り、リネアは大切そうに胸に抱えた。


「ベールはいいの?」

「はい、私はフィル様の側付です。誰の前であっても、この姿が恥ずかしいとは思いません」

 何の迷いもなく言い切ったリネアに、妲己は嬉しそうに微笑む。


「よく言ったわ。リネア。…妾もあなたに誇れる戦いをしないとね。安心して見ていなさい」

「はい。妲己様、メリシャと一緒に応援しています」

 リネアは軽く頭を下げて微笑むと、観覧席へと戻っていった。

次回予定「御前試合 後編」


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