帝都上陸
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行きの航海は追い風に恵まれて順調に進んだ。セイレーンの島の沖でテレルたちと別れた船団は、帝都に向けて大海原に白い航跡を引いていく。
「帝都か…」
船縁から海を眺めながらフィルはつぶやいた。
フィルは帝都で生まれたらしい。…らしい、というのはフィル自身にはその記憶がないからだ。
生まれてまもなく母ユリスを亡くして、父の領地であるリンドニアに移り、サエイレムに向かうまでの14年間は、リンドニアの領都リフィアで育った。
その間、帝都に来たのは、父と一緒に何度かという程度だ。
前回来たのは、サエイレム総督への就任をめぐるゴタゴタの真っ最中だった。身の危険があるため帝都の屋敷から出ることはほとんどなく、サエイレム総督の信任状を受け取ると逃げるようにリンドニアに戻り、さらにサエイレムへと向かった。
帝都に思い入れはないが、ひとつ気にかかるのは、フィルが『ユーリお兄ちゃん』と呼んでいた少年のことだ。リンドニアの屋敷の離れに暮らしていて、幼いフィルを可愛がってくれた彼は、10年前、たくさんの大人たちが迎えに来て、リンドニアから帝都に連れて行かれた。
前回帝都に行った時、できたら彼を探したいとも思っていたのだが、そんなことが出来る状況ではなかった。今回もそんな暇はないだろう。そもそも、本名すら知らない少年を、10年もたってから帝都で探そうなど、ほぼ不可能と言ってもいい。
彼が帝都連れて行かれた事情も、フィルにはわからない。父ならば知っていたと思うが、今となってはもう訊くことはできない。
それに、父がずっとフィルに事情を話してくれなかったのは、相応の理由があるのだと思う。貴族の事情に巻き込まれていたのだとしたら、暗殺なり処刑なり、もう彼が生きていない可能性だって十分にある。
もう諦めた方が良いと頭ではわかっているのだが、できることならもう一度会いたいという気持ちは心の底に燻り続けていた。
「フィルー!」
船室から出てきたメリシャが、フィルの姿を見つけて呼んでいる。フィルは船縁を離れてメリシャに手を振った。
フィルが魔族であるリネアやメリシャを家族と呼んでいることを知ったら、ユーリお兄ちゃんはどんな顔をするだろうか。そんなことを思いながら、フィルは駆け寄ってきたメリシャを抱き上げた。
サエイレムを出港して3日後、船団は帝都近くの海域にさしかかっていた。
「フィル様、前方に帝国の軍船がいます」
甲板でメリシャを遊ばせていたフィルの所に船長がやってきて、小さく囁いた。
「このあたりに軍船がいるのは、普通のことなの?」
船長はフィルの質問に首を振った。
「そう。わたし達の出迎え…いえ監視かな」
フィルは、船団の前方に見える、たくさんのオールを船腹から突き出した軍船の姿を睨む。セイレーンの島の惨状を思い出すと不愉快だが、今はトラブルを起こすべきではない。
しばらくして、軍船は船団に近寄ってきた。船団の先頭を行く船が軍船と並ぶ。先頭の船にはバルケスが乗っている。任せておけばいいだろう。
ほどなくして軍船は船団から離れて帝都の方へと戻って行った。
「こんなところで、何日待ち伏せていたんでしょうなぁ…全く、ご苦労な事です」
小馬鹿にしたような口調で船長が言う。
「戻って誰にご注進するんだか…」
去っていく軍船の姿を見送りながら、フィルは隠すことなくため息をついた。
さらに1日の後。船団は帝都の港に到着した。
川に面しているサエイレム港は防波堤が必要ないが、海に面した帝都の港は、石積みの長大な防波堤で囲まれていた。港の入口にある人工の島には、フィルの乗る大型商船のメインマストよりも高い白亜の塔がそびえている。
「すごい、大きいねぇ。あの塔は何?」
「あれは灯台だよ。一番上に大きな篝火を灯す場所があってね。夜になると火を焚いて、真っ暗な中でも船が迷わずに港に向かって来れるようにしているんだよ」
船縁から身を乗り出して指さすメリシャの身体を支えながら、フィルは言う。
「へー」
「ずっと奥まで建物がびっしりです。こんなに大きな街、初めて見ました」
港の奥には、見渡す限りに立ち並ぶ建物の群…帝都の街並みが広がっている。
「この帝都は帝国で一番の大都市だからね。たぶん、サエイレムの10倍くらい人がいるんじゃないかな」
「そんなに…想像できません」
甲板で目を丸くしているメリシャとリネアに、フィルは説明する。帝都に良い思い出はないが、眺める分にはきれいな街だと思う。
船団が港の中に入ると、小舟が集まってきてそれぞれの船の周りに取り付いた。港の中では自由な操船が出来ないので、帆を畳み、この小舟に引かれて岸壁に接岸するのだ。サエイレムではセイレーンたちに依頼している仕事である。
「ここには、セイレーンたちはいないんだね」
「そう。ここにはほとんど人間しかいないの」
フィルは、真面目な表情でリネアたちを振り返る。
「リネア、メリシャ、シャウラ。帝都に上陸したら、じろじろ見られるかも知れないけど、我慢してね。でも、ひどいことを言われたり、何かされそうになったら、絶対にわたしに言うのよ。いい?」
『はい』
「そしたら、そろそろ船を降りる準備をしましょうか。船が着いたら、軍団と一緒に宿舎まで移動するから。それで今日の予定はおしまい。久しぶりにお風呂に入って休みましょう」
真水が貴重な船の上では風呂など望むべくもなく、顔を洗うのにも不自由した。潮風と汚れでリネアの大事な尻尾も艶を失っている。お風呂という単語にリネアが嬉しそうに目を輝かせ、メリシャを船室に連れて行った。
船が港に着いて、続々と兵士や荷物が降ろされていく。
リネアたちを連れて下船したフィルを、港の警備を行う衛兵たちが待っていた。
「サエイレム属州のエルフォリア総督閣下とお見受けいたします」
中でも上位者と思われる男がフィルの前に進み出て慇懃に頭を下げる。フィルは、少し眉を寄せた。
「衛兵百人隊長のダルクスと申します」
「任務ご苦労。いかにも、わたしがサエイレム総督、フィル・ユリス・エルフォリアである。…何か用か?」
「閣下、大変恐縮なのですが、帝都には入ることのできない方々がおられる様子。我々としても職務上、見逃すことができません」
「どういうことか?」
一応聞き返すが、言いたいことは察しが付いてる。魔族を帝都に入れるなと言っているのだ。着いたそばからこれでは、先が思いやられる。
フィルは後ろで不安そうな表情を浮かべるリネアとメリシャにそっと微笑みかけた。心配ない。この程度の難癖、嫌がらせの部類にも入らない。
「閣下、元老院の通達に基づき、魔族が帝都に入ることは認められません。奴隷や剣闘士であれば話は別ですが」
口調だけは丁寧だが、まるで元老院の意向が帝国の法であるかのように言うダルクスを、フィルは鼻で笑う。
「元老院?知ったことか。わたしは皇帝属州を預かる総督である。皇帝陛下のご命令ならともかく、元老院に命令される謂れはない。どうしてもと言うなら、よかろう。我が軍団と一戦交えるか?」
続々と下船して隊列を整える軍団を背に、フィルは口角を上げる。
「い、いかに総督でも、それは帝国への反逆ですぞ」
「帝国への反逆?異な事を聞くものだ。いつの間に帝国と元老院は同義となった?度し難い増長だな……もうよい。お前の話は不愉快だ。下がれ」
わざと傲慢な口調で言い放ち、フィルはダルクスにしっしっと手を振った。
「リネア、メリシャを連れて馬車に乗りなさい。出発しましょう。シャウラは馬車の警護を頼みます」
「はい!」
リネアがメリシャの手を引いて2頭立ての馬車に乗り込み、その後に続いてフィルも馬車に向かう。シャウラがしゅるりと動き馬車の横を固めた。
「待て!」
笠に着ていた元老院の威光をフィルに軽く無視され、思わず叫んだダルクスに、上から怒鳴り声が降り注いだ。
「貴様、百人隊長風情が、総督閣下に対し無礼であろう!」
声の主はフィルではない。ダルクスの後ろには、立派な銀色の鎧に身を固めた重騎兵が2騎。怒鳴ったのはその一人だった。
「近衛軍団…!」
思わず横に退いたダルクスの前を進み、彼らは馬車に乗り込もうとしていたフィルの側で馬を降りた。そして、被っていた兜を取り、ガシャリと音を立てて跪く。
「エルフォリア総督閣下、遅くなりまして申し訳ございません。近衛軍団のスケビオ・アルバレス、カークリス・コルディア、お迎えに上がりました」
フィルはゆっくりと振り返り、彼らを見下ろす。ティベリオとともにサエイレムにやって来た二人だった。武官とは聞いていたが、まさか近衛だったとは。…だが、まずは初対面を装うことにする。
「アルバレス殿、コルディア殿、近衛の方々に出迎え頂き、陛下のご厚情に感謝いたします。我が軍団の先導、よろしくお願いいたします」
一礼して、フィルも丁寧に応じた。近衛軍団は皇帝の身の回りを警護する特別な部隊だ。一総督の出迎えなどしない。おそらくティベリオが気を使って寄こしてくれたのだろうと推測する。
「はっ!」
スケビオたちは衛兵達に道を空けるよう命令すると、再び騎乗し、整列した軍団の先頭に着いた。
「では、出発いたします」
バルケスの声に馬車の上のフィルが頷くと、先頭から隊列が進み出した。衛兵たちは呆然とした表情で軍団を見送っている。
スケビオとカークリスを露払いに、完全武装の軍団が横5列に並んで帝都の広い通りを進んでいく。先頭には重装歩兵300、軽騎兵200と続き、重騎兵100に守られたフィルたちの馬車が隊列の中央。後ろを狼人族の軽装歩兵300と重装歩兵200が固める。全体で500mにも達する隊列に、帝都の市民たちは目を見張る。そして、フィルたちの馬車を守るシャウラと後に続くウェルスたちを見て、驚きの声を上げた。
彼らは魔族のことをよく知らない。帝都で目にする魔族と言えば、戦争で連れて来られた奴隷や剣闘士くらいだ。魔獣と魔族を一緒に考えているものだって少なくない。
帝都市民たちの注目を集めながら、軍団は帝都の街を堂々と進んでいく。馬車の中、向かい側の席でベールを被ってじっとしているリネアとメリシャの姿に、フィルは少し難しい表情を浮かべていた。
次回予定「戦争の兆し」
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