サエイレムの夜宴
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皇帝の親族であるティベリオ。彼の提案が物語を大きく動かします。
幾つも焚かれた篝火が、迎賓館に面した水路の水面にゆらゆらと揺れている。
フィルは、水路に面した迎賓館の庭に敷物を敷いて宴席の会場にした。
人間用のサイズで作られた迎賓館の部屋は魔族たちには少し窮屈だ。それに、敷物の上に直に座って集まるのが、最近のサエイレムの流儀である。
「ほぅ、これは珍しい」
ティベリオと、お付きのスケビオ、カークリスは、物珍しそうに敷物の上に座り、柔らかな肌触りを確かめている。帝国の宴席は、長椅子に座ったり寝そべったりして参加するのが普通のため、こうして直接腰を下ろすのは新鮮に感じた。
「なるほど、確かに椅子を使うのに不便な種族もおる。これもフィル殿の考えか…」
フィルが集めた出席者は、人間と魔族がほぼ半々。フィルの重臣たち一同に、バレンたち商業組合の幹部や、ラミア族のアマト、セイレーン族のグラオペも来ていた。セイレーンたちには、あとで歌ってもらう予定だ。国境から駆けつけるバルケスが少々遅れているが、彼にもウェルスとラロスも連れてきてもらうよう頼んでいる。
北の国境に出かけているパエラたちを呼べないのが残念だが、今、あちらはそれどころではないだろう。帰ってきたら十分に労うことにしよう。
「ティベリオ様、どうぞ」
リネアが、ティベリオの杯に酒を注ぐ。大グラウスのような男には絶対にリネアを近づけないが、ティベリオは特別だ。それでも若干の葛藤を抱えながら、フィルはリネアにティベリオたちの世話を頼み、リネアは笑顔で了承した。
「リネア殿、すまんな。頂こう」
ティベリオも、フィルがリネアをとても大切にしていることは察している。本国の貴族にとって給仕の侍女は奴隷も同然だが、ティベリオはリネアを粗略に扱うことはしない。主人の振る舞いにスケビオとカークリスも倣っていた。
「リネア殿は、フィル殿と本当に姉妹のようだのぅ」
「はい。フィル様は私のことを家族だと言って下さいます。私の身の上を考えれば畏れ多いことですが、とても嬉しいです」
リネアは素直に答えた。
「しかし、リネア殿はフィル殿の命を助けたんじゃろう?…フィル殿からはそう聞いたが」
「フィル様は、私のことを『命の恩人だ』とよく仰いますが、命を救われたのは私の方なんです」
リネアは、フィルと出会った時のことをティベリオに説明する。そして、何回違うと言っても、フィルはリネアのことを『命の恩人』と言うのだと。
「なるほどのぅ」
ゆっくりと酒杯を傾けながら、ティベリオは頷く。
「リネア殿、フィル殿が『命の恩人』だと言うのは、本当にそうなのだとわしは思う」
「どういうことでしょうか…?」
「フィル殿はサエイレム来る前のことを、ほとんど話さないじゃろう?」
「色々嫌がらせを受けて、大変だったということくらいしか…」
「一言で言えばその通りなんじゃが、帝国貴族の嫌がらせというのは、それはそれは陰湿での。わしも本国を離れておったから後で聞いたんじゃが…いわれのない誹謗中傷はもちろん、隙を見せれば罪をでっち上げられ、旗色が悪くなれば味方だと思っていた者に裏切られ、しかも、暗殺や誘拐の危険がいつもつきまとっておる」
「そんな…ひどい…」
「しかし、頼みの軍団はサエイレムから離れられず、他の貴族からフィル殿を守ってくれる者はほとんどいなかった。文字通り、孤立無援じゃ。フィル殿の心が折れなかったのは奇跡だと思っておる」
ティベリオは、向こうで談笑しているフィルの姿にちらりと目をやる。
「耐えに耐えてようやくサエイレム総督の地位に就いたのに、道中でも襲われて自分を守ってくれた兵を殺され、自分も大怪我をしたとなれば、さすがにフィル殿も限界じゃろう。もう疲れた、もう死んでもいい、そう思っても不思議ではない…だが、巻き添えにしてしまったリネア殿を放っておけなかった。もしリネア殿がいなければ、フィル殿は神獣の助けを断っていたかもしれんな」
「…どうして、私のことなんか」
「それだけ嬉しかったのではないかな。…人間は魔族にとって戦争していた敵のはずじゃ。それなのに、リネア殿は命を危険に晒してまで、初めて会ったフィル殿を助けようとした。そんなリネア殿を死なせたくない、なんとか助けたい。だからフィル殿は生きることを選んだのではないかな。だからリネア殿は『命の恩人』なんじゃよ」
「フィル様…」
ポロリと、リネアの頬を涙が伝った。
あの時、目が覚めた自分にすがりつき、声を上げて泣いたフィルの姿を思い出したら、自然と涙があふれていた。
「おっと、早く涙を拭きなさい。リネア殿を泣かせたとあっては、フィル殿に何をされるかわかったものではない」
「ぐすっ…そうですね。フィル様に見つかったら大変です」
ティベリオが慌てて差し出したハンカチで涙を拭い、リネアは微笑んだ。
「今話したのはわしの推測じゃ。だが、わしも伊達に長く生きておらん。当たらずとも遠からずであろうよ。…こんな話をしたことは、フィル殿には内密にな」
ティベリオは、人差し指を口元に立てる。そこへ、タイミング良くフィルが戻ってきた。
「ティベリオ様、リネアとずいぶんと話が弾んでいるようですね」
フィルは、にこやかな顔を向けてはいるが、わずかに眉間に皺が寄っている。リネアを取られたようで、少々不満らしい。
「いや、リネア殿とフィル殿は、本当に姉妹のようだと話しておったのじゃよ。のぅ、リネア殿」
「はい。私はフィル様が大好きです」
嬉しそうに笑うリネアに、フィルの眉間の皺も解けていった。
フィルはティベリオを水辺に案内し、グラオペに引き合わせた。
「ティベリオ様、ご紹介します。こちらが、セイレーン族の長、グラオペ様です」
「グラオペと申します。今は、フィル様のご厚意で、一族共々サエイレムでお世話なっております」
「ティベリオじゃ。一応、帝国皇帝の縁者ではあるが、今は何の役職もない隠居の身。気楽に接して下され」
ティベリエは、腰を折ってグラオペに軽く一礼した。
フィルは簡単にセイレーン族を匿うに至った経緯を話す。帝国の海軍が関与していると聞き、ティベリオは呆れたようにため息をついた。
「どうも腐っておるのは貴族だけではないようじゃのう。末端の兵はともかく、将はおそらく商人どもと繋がっておるな」
指先で顎を撫でながら、ティベリオはつぶやく。
「グラオペ殿、故郷を離れることになってしまったのは辛かろう?」
「いいえ。一族皆、サエイレムでの暮らしを楽しんでおります。フィル様には住む場所も仕事も与えて頂きました。島での暮らしは、実は単調なものでして、若い者の中には、ずっとこちらに住みたいと申す者もおります。一族の長としては、少々困っておるところですが」
苦笑するグラオペに、フィルとティベリオも笑みを浮かべる。
「フィル様、遅くなりました」
そこへ、国境から駆けつけたバルケスたちが到着した。
「お疲れ様。わざわざ呼び出してごめんなさい」
「本当だぜ、姫さん。訓練が終わったらすぐにサエイレムへ向かうと言われてへとへとだ」
「ウェルス、フィル様に無礼だぞ」
愚痴るウェルスを、バルケスがぎろりと睨む。ティベリオの前でなければ、鉄拳制裁だったろう。
「お久しぶりです。ティベリオ様」
バルケスがティベリオの前に跪き、ウェルスもそれに倣う。
「バルケス殿、久しいな。息災そうで何よりじゃ」
ラロスがバルケスの隣に進み出た。立ったままティベリオに一礼する。
「我はケンタウロス族族長ウルドの子、ラロスと言う」
「わしはティベリオ・グラスス・アルスティウス。武の誉れ高いケンタウロス族の長の一族にお会いできて光栄に存ずる」
一同は近くの敷物の上に移動し、まずは酒杯を傾ける。
「ケンタウロス族は、特にエルフォリア軍と激しく戦ったと聞いておるが、こうして共に居るのが不思議じゃな」
「我らは敵であろうと強者には敬意を払う。エルフォリア将軍は帝国の中で唯一、我が父ウルドが認める将。バルケス殿、エリン殿が率いる軍団も実に強かった。戦争が終われば、遺恨はない。それが我が種族の流儀だ」
「なるほどのぅ」
「将軍の娘であるフィル殿も、我より強い」
「なんじゃと?」
「我が父、ウルドと互角に打ち合える者など、我が種族の中にもそうはおらぬ」
「狼人の俺を蹴り飛ばしたりできるもんな。姫さんは」
ティベリオに、信じられないものを見る目を向けられ、フィルは慌てて手を振った。
「ちょ、ウェルスまで…そ、それは、神獣の力を使ったからですよ。わたしが強いわけではないです」
「なるほど、それほどとはのぅ…」
ティベリオは、酒杯に視線を落とす。ラロスとウェルスに文句を言っているフィルの声を聞きながら考えた。精強な軍団を持ち、魔族にも信頼されている。そして自身もケンタウロスに認められるほど強い。そのフィルの力を皇帝のために役立ててもらえないものか。
もちろん、フィルやサエイレムに不利になることを強いる気はないが、皇帝の力を強めるためにその力はぜひ欲しい。軍事的にも、経済的にも、絶対にフィルには皇帝側に付いてもらわなくてはならない…ティベリオは確信する。
「フィル殿。話は変わるが、父君は凱旋式をしておらぬじゃろう?」
「はい。軍団をサエイレムから引き上げるわけにはいきませんでしたし、父もほどなく亡くなりましたから。でも、戦争が終わってもう1年になるのに、今更凱旋式というのも…」
凱旋式というのは、外国との戦争で勝利に貢献した将軍が、その軍団を率いて帝都をパレードする帝国の慣例だ。その将軍は凱旋将軍と呼ばれ、特別な地位と栄誉が与えられる。
魔族との戦争での功績により、アルヴィンにも凱旋将軍の称号は与えられていたが、結局、凱旋式自体は執り行われないままとなっていた。
「そこでじゃ、来月の建国祭に合わせて、皇帝陛下に軍団の閲兵を受けてはどうか。どのみち、建国祭には各属州の総督は帝都で皇帝に謁見しなければならぬことだし、どうだろうか?」
「閲兵ですか…バルケスはどう思う?」
フィルは、どう答えて良いか迷い、バルケスに意見を求める。
「フィル様、私は閲兵を受けるべきと考えます。我が軍の健在ぶりを見せつければ帝都での名声も高まり、フィル様を軽んずる輩もおとなしくなるでしょう」
「…そう」
フィルは悩む。バルケスの意見は理解できるが、今更、帝都での名声などどうでもいいし、軍団を帝都に送るとなれば費用もかかる。それだけの費用をかけて閲兵を受けたところで、サエイレムのためになるのだろうか。
黙り込むフィルに、ティベリオは酒杯を置いて頭を下げた。
「ティベリオ様…?」
「正直に言う。フィル殿、すまんが皇帝陛下に力を貸してくれぬか?」
「陛下に?」
「実は、皇帝陛下と元老院は、陛下が即位された時点から対立している。サエイレムが何かと槍玉に挙がるのも、ここが皇帝属州だからでもあるのだ。元老院は、皇帝陛下の力を削ぎ、自分たちの権勢の拡大しようしている」
帝国の属州には、『皇帝属州』と『元老院属州』の二種類がある。皇帝属州は皇帝が、元老院属州は元老院が総督の任命を行うのだが、皇帝属州は国境沿いなど安全保障上の要地や、異民族の領地だった地域など、統治が難しい土地が多い。
先の戦争の最前線であり、国境を守るサエイレム属州は、当然、皇帝属州とされている。
皇帝が直接任命する皇帝属州の格式は高い。だが、統治の難しさから、ほとんどの場合、軍事・行政・経済の全てに通じる優秀な人材を置かねばならない。だが、そんな優秀な者がいくらでもいるわけではない。本来であれば帝都で要職に就き、皇帝を補佐すべき人材まで総督として送り出さざる得ないのが悩みだった。
それに対して元老院属州は、情勢が安定した統治が容易な土地が多い。元老院議員上がりの大グラウスが総督を務めるベナトリアは元老院属州だ。
元老院が任命した総督は豊かな領地で収奪と蓄財に励み、得られた収入の一部を元老院に上納している。記録を誤魔化して帝国に納められるべき租税が元老院に回っている例も多々あるというが、それを監督すべき元老院がグルなのだから、それが咎められることもない。
ティベリオによれば、フィルのことが帝都で度々槍玉に挙げられるのは、元老院がフィルを失脚させ、サエイレムを元老院属州にしようと企んでいるからだという。フィルが持っているエルフォリア軍の指揮権、そして順調に拡大している南方との交易の利権、それらが欲しいのだと。
「フィル殿に閲兵を勧めたのは、元老院に対する示威も兼ねてのことだ。その上で、皇帝陛下の支持を得ればフィル殿の立場も強くなる。互いに利はあると思うが」
「そう、ですね…」
ティベリオの申し出は悪いことではないとは思う。皇帝の後ろ盾を得て立場を固められるのは、本国からの手出しを嫌うフィルにとってもありがたい。
長く続いていた戦争を終わらせ、フィルを総督の座に就けてくれた現皇帝。しかし、フィルは皇帝に会ったことがない。ティベリオが味方しているのだから、それなりに信頼できる御方なのだとは思う。
しかし、帝国の人間に対する不信は根深く、直接会い、自身の目で確かめなければ不安が拭えない。
フィルは迷う。
「フィル様、私はティベリオ様の申し出を受けても良いと存じます」
言ったのはグラムだった。後ろにはフラメアとバレンたち商業組合の面々を引き連れている。
「費用のことならご心配なく。交易の拡大で属州の収入は順調に上がってますし、国境に駐屯する兵力を削減したおかげで、軍費にも多少は余裕があります」
フラメアも賛成。そしてバレンも恭しく一礼した。
「閣下、本国まで軍団の輸送でしたら、商業組合加盟の商会が無償で請け負います」
「しかし、それではあまりに…」
申し訳なさそうに言うフィルに、バレンはにやりと笑う。
「本国までは海路で数日です。各商会の大型商船を使用すれば、さほどの負担ではありません。…お忘れですか?閣下が決められた港の使用条件に、エルフォリア軍の輸送を無償で行うという条項があったはずですが」
あっ、とフィルは声を出す。あの条項は、戦時のことを想定していたので、すっかり忘れていた。
「閣下には儲けさせて頂いておりますからな。少しはお役に立たないと、閣下に見限られては困ります」
「ありがとう。…みんな、感謝します」
フィルは表情を緩める。そしてティベリオに向き直った。
「ティベリオ様。閲兵の件承知しました。しかし、わたしからも一つ、お願いがあります」
「伺おう。皇帝陛下の意向もあるが、わしからできるだけ口添えしよう」
「閲兵を受ける我が軍の編成は、魔族も含めた混成とさせてください。我が軍は、このウェルスを軍団長として魔族で構成する新たな軍団を編成する予定です。今はまだ第一軍団の一部隊として訓練している最中ですが、皇帝陛下の閲兵には、ぜひその部隊を加えたいと思います」
「魔族の軍団か…」
「はい。サエイレムの魔族は帝国の市民です。当然、兵役を課すことになりますから、魔族の部隊も必要となります」
「確かにそのとおりじゃが…」
ティベリオは歯切れ悪く返事をする。自身は納得しているが、魔族を含む軍団を帝都に入れた時の貴族や市民たちの反応を計りかねていた。
「それに、わたし自身、護衛にはラミア族のシャウラがいますし、身の回りのことはリネアがいなくては困ります。メリシャも連れて行きます」
「メリシャも連れて行くのか?」
ティベリオは意外そうに聞き返した。てっきり、フィルは自分の大事な者たちを帝都に連れて行きたがらないと思っていたのだが…
「はい。わたしの近くにいるのが一番安全ですから。わたしは神獣の力を持っていますし、シャウラも優秀な戦士ですので」
せっかく帝都に乗り込むのだ。サエイレムは人間と魔族が共に生きるのだと帝都の連中に知らしめてやる。フィルはそう考えていた。
「そうか…フィル殿の希望はわかった。皇帝陛下に申し上げ、改めて返事をさせていただく。それでよろしいな?」
「承知しました…では、仕事の話はこれで終わりです」
パンと手を叩いてフィルは声を上げる。
「まだ料理も飲み物もあります。みんな、宴を続けましょう」
セイレーンたちの歌が響き、メリシャがモルエをティベリオに紹介し、ウェルスは大きな串焼き肉にかぶりつく。
グラオペとアマトは、互いに一族の長としての悩みを相談し合ったようで、ずいぶん上機嫌だったとフィルは後でテミスから聞かされた。
ラロスはケンタウロス族の乳製品を取り入れた料理を気に入り、ぜひ国境の市場でも食べられるようにして欲しいと言っていた。
ティベリオの供のスケビオとカークリスは、本来は武官らしく、先の戦争でエルフォリア軍がどのように戦ったのかバルケスやエリンに詳しく聞いていた。
賑やかな宴は、月が中天に上がるまで続いた。
次回予定「帝都への出陣」
これまで、火曜日と金曜日の週2回更新してきましたが、次回より、月曜・水曜・金曜の週3回更新といたします。
引き続き、読んで頂けるよう頑張りますので、よろしくお願いします。




