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傾国狐のまつりごと-食われて始まる建国物語-  作者: つね
 第2章 サエイレムを狙う者
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老公の来訪

 メリシャたちと港に出かけた翌日。

 午前の仕事として、執務室で書類仕事を片付けていたフィルのところに、グラムが駆け込んできた。

 彼がそんなに慌てることは珍しい。


「どうしたの?ベナトリアの尻尾でも掴んだ?」

「いえ、それはまだ調査中です。それよりも、フィル様にお客様が!」


 書類から顔を上げ、フィルは首をかしげる。

「来客の予定は聞いてないけど、どなた?」

「そ、それが…」

 と、開きっぱなしになっていた執務室のドアから、堂々と人影が入ってきた。フィルの側で控えていたシャウラが素早く腰の短剣を抜いて前に出る。


「総督殿の部屋はこちらかな?」

 入ってきたのは、白髪の老人。

「ティベリオ様?!」

 フィルは、昨日港の食堂で出会った老人の顔に、思わず声を上げる。


「フィル殿か…まさかとは思ったが、やはりか…こいつは愉快だ!」

 声を上げて笑い始めたティベリオに、フィルはシャウラに目配せした。シャウラは短剣を鞘に戻し、元のように控える。


「フィル様、すでにご存知のようですが、こちらはティベリオ・グラスス・アルスティウス様、先々代皇帝の弟君、皇帝陛下の大叔父であらせられます」

 グラムはその場に跪いてフィルに報告する。

 フィルもティベリオの前に、ゆっくりと跪いた。

「昨日はご無礼をいたしました。サエイレム属州総督、フィル・ユリス・エルフォリアです」

「フィル殿、そんなに畏まられては困る。さ、立たれよ」

「はい…」

「きちんと顔を見せてくれぬか」

 フィルは立ち上がり、ティベリオを見上げる。


「…美しくなられたな。前に会ったときは、まだ幼子だったが…」

 感慨深げにフィルの顔を眺めるティベリオ。

 …思い出した。ティベリオを見たことがあると思ったのは気のせいではない。確か数年前、正確な時期はよく憶えていないが、ティベリオが何度か父を訪ねてきたことがあった。

「ティベリオ様、どうぞこちらへ」

 皇族であるティベリオと話をするのに、執務室にある会議用の味気ないテーブルでは流石に具合が悪い。フィルはソファのある隣の私室にティベリオを案内した。

 ただ、フィルも思いがけないことに少なからず動揺していたのだろう。私室でメリシャが遊んでいることをすっかり忘れていた。ドアを開けてティベリオを通したところで、ソファの上で羊皮紙の束を広げているメリシャに気付いて、あっと口を押さえる。


「フィルー、お仕事終わったの?…あ、昨日のお爺ちゃんだ」

「おー、よく覚えていたなぁ。賢いぞ。お嬢ちゃん、お名前は?」

「メリシャ」

 とてとてと駆け寄ってきたメリシャを目を細めて撫でるティベリオ。


「ティベリオ様、申し訳ありません。すぐに別の部屋を用意しますので…」

「いやいや、ここで構わんよ。大事な用があってきたわけではない。サエイレムのことは本国でも噂になっておっての。一度、見せてもらおうと思ったのじゃ」

「お爺ちゃん、こっち」

「ここに座っていいのかい?」

 広げていた羊皮紙をささっと集めて脇に置き、メリシャはポンポンとソファを叩く。ティベリオがそこに座ると、メリシャも隣にポスンと座った。


 フィルも、くすっと微笑んで向かい側に座る。

「フィル様、どうかされましたか?」

 使用人室で何か用事をしていたリネアが声に気付いて顔をのぞかせる。

「あ、昨日の…」

「リネア、悪いけどお茶をお願いしていい?」

「は、はい。わかりました」

 フィルはスケビオとカークリス、そしてグラムとシャウラも私室に招き入れる。


 スケビオとカークリスはティベリオが座るソファの横、グラムとシャウラはフィルの後ろ、そしてフィルとティベリオの前にお茶を置いたリネアは、使用人室の入口にそれぞれ控える。

 リネアはティベリオの身分を知らないが、フィルたちの様子から相当に高い身分だと察したのだろう。少し緊張した表情を浮かべていた。


 リネアの用意したお茶をフィルが口にする。フィルがカップを置くと、ティベリオも小さく頷いてカップに口を付けた。

「ほぅ、うまい」

 ティベリオは感心したようにつぶやく。

「リネアのお茶はおいしいんだよ。ご飯もおいしいの」

「そうかそうか」

 にこにこしながら隣に座るメリシャに、ティベリオの頬は緩みっぱなしである。すっかりお爺ちゃんと孫娘の図だ。

「フィル殿、ここは良い街じゃのう」

 ティベリオは窓の外に視線を向ける。


「活気があって、うまい食べ物があって、子供も安心して外を歩ける。…魔族と人間が一緒にテーブルを囲むなど、ここでは当たり前なんじゃな」

「はい。わたしはそうであってほしいと思っていますし、そうなるように仕事をしているつもりです」

「魔王国側のケンタウロス族とも、繋がりをもっておるそうじゃな」

 さらりと言ってティベリオはフィルの顔色を観察する。


「…はい。ケンタウロスの族長殿と会いました」

 一瞬、しらばっくれようかとも思ったが、フィルは正直に返事をした。ティベリオの口調に咎めるような響きがなかったからだ。


「本国では、サエイレムが帝国を裏切り、魔王国に付こうとしている、などと吹聴する輩もおってな。サエイレムのことはよく話題になっておる」

「魔王国との戦争は終わりました。もう戦争を起こさぬためにも、隣国とは友好的に交流を持つべきと存じます」

「確かに。その通りじゃな」

 ティベリオは、満足そうに頷く。だが、その目はじっとフィルを捉えている。

「だが、それだけではあるまい?」

 フィルは目を伏せ、しばらくの間、黙り込んだ。ティベリオも無言のまま、フィルの返事を待っている。


「お爺ちゃん、フィルをいじめないで」

 メリシャが、ぺしぺしとティベリオの太股を叩いた。

「おぉ、すまんすまん。メリシャ、わしはフィル殿をいじめているわけではないのじゃ」


 その様子に、フィルは顔を上げて口を開く。

「ティベリオ様、わたしは帝国を裏切るつもりはありません。…しかし」

「…しかし?」

「帝国がわたしを裏切るかもしれない、とは考えています」

「フィル様!」

 声を上げたグラムを、ティベリオは片手を上げて制する。


「ふむ。フィル殿の言いたいことは理解できる。だが、それをわしに告げて良かったのかね?…言ったであろう。本国では、サエイレムが帝国を裏切り、魔王国に付こうとしている、などと吹聴する輩もおると。帝国を疑うようなことを口にすれば、反逆の兆しありと思われるぞ?」

「はい。これはわたしの賭けです」

 フィルは微笑む。さすがに少しぎこちなかったが。


「わたしは、帝国の人間を信用することができません。わたしが総督に決まるまで散々嫌がらせを受け、総督となってからも二度、命を狙われました。しかし、帝国の全てを疑い、敵視するわけにはいかないことも承知しています」

「…わしのことは信用してもいい、そういうことかな?」

「はい。…ご不快に感じられたのなら、どうかお許しください」


「フィル、お爺ちゃんはいい人だよ。ちゃんとフィルが正直に話せば、助けてくれるよ」

 ポロリと口を挟んだメリシャに、フィルは少し心配そうな表情を向けた。

「メリシャ、『見た』の?」

「…あぅ…ごめんなさい」

 叱られると思ったのか、ピクリと身体を震わせ、メリシャはしゅんと下を向く。

「ううん、メリシャはわたしを心配してくれたんだよね?…ありがとう」

 メリシャは、上目遣いにフィルを見ていたが、ソファから降りてフィルの側に駆け寄り、甘えるように抱きついた。


「フィル殿、『見た』とは、何のことじゃ?」

「メリシャはアルゴスの娘です。百の目で未来を『見る』ことができるのです」

 メリシャの髪を優しく撫でながらフィルは答える。話すべきか一瞬迷いはしたが、味方になってもらう上では明かした方が良いと思った。

「なんと!予知ができるということか?」

「はい」

「メリシャを手元に置いているのは、そのためか?」

「違います!そんなことは関係ありません!」

 フィルは、思わず語気を強めた。


「フィル…?」

「ごめんね。大きな声だして…大丈夫だよ」

 フィルは、気持ちを落ち着けるように息を吐く。

「申し訳ありません、ティベリオ様。…わたしは、メリシャにはできるだけ能力を使ってほしくないんです。色々な未来を見るということは、きっと良くない未来…不幸な結末や残酷な結末に終わる未来もたくさん見てしまうのだと思います。この子に、そんなものを見せたくはありません」

「そうじゃな。わしとしたことが…、フィル殿が怒るのも当然じゃ。すまん」

 ティベリオは素直に謝罪し、メリシャを安心させるように笑った。


「メリシャに言われたとおり、わたしも正直になろうと思います」

「……?」

 フィルは、ティベリオの目の前で狐耳と尻尾を生やして見せた。

「これは、一体…!」

 さすがのティベリオも呆気にとられる。

「フィル殿が魔族…いや、そんなはずは……」


「フィルはね、大きな狐さんにもなれるんだよ」

 メリシャは金色の尻尾に抱きついてモフモフしている。

「…すまん、さすがにどう理解すれば良いのかわからん。どういうことか、説明してくれんか?」

 ティベリオは、半開きになっていた口を閉じ、戸惑いの表情を浮かべた。


 フィルは、サエイレムへの赴任途中に襲撃を受けて死にかけたところから、九尾に食べられたこと、二度目の襲撃など、これまでの事情を説明する。なるべく推測は入れず、事実のみを話した。

 黙って聞いていたティベリオは、重いため息をついてフィルを見つめた。

 フィルは、九尾の力の証拠として、手のひらの上に青白い狐火を浮かべている。


「にわかには信じられん話じゃが、こうして目の前で証拠を見せられては、信じぬわけにはいかん…そうか、フィル殿が帝国の人間を信用できんというのもよくわかる。わしが同じ立場なら、すぐに反乱を起こしておるわ。その神獣の力とエルフォリアの軍勢があれば、帝国から独立することも難しくないからな」

「正直、最初はそれも考えました。しかし、サエイレムが交易都市として繁栄するためには、帝国と完全に縁を切る訳にはいきません。帝国がこちらに手出ししないのなら、わたしはそれで良いのです」

「フィル殿は冷静じゃな…本国の愚物どもにも見習ってもらいたいものじゃ」

「恐れ入ります」

 感心して呟くティベリオに、フィルは軽く頭を下げる。


「ケンタウロス族と繋がりを持ったのも、南方からサエイレムを経て本国へと続く交易のルートを、魔族側にも広げたいと思っているからです。同時に、ケンタウロス族がサエイレムの味方をするかもしれない、そう思わせれば、隣領ベナトリアや本国もサエイレムへの手出しに慎重になるだろうと考えました」

「身を守るための牽制、そういうことかな?」


「はい。実際、ケンタウロス族の族長ウルド様とは、個人的な友誼はありますが、何の約束もありません。国境に市場を開いて、双方の商品を売り買いできるようにすることを認めて頂いたのみです」

「もしサエイレムが攻められたとしても、ケンタウロスが参戦する保証はないのか」

 むしろ少し心配そうな表情でティベリオは尋ねた。ケンタウロス族を巻き込んだフィルの牽制策は有効だが、それが見せかけだとわかれば勢いづく連中が出てもおかしくない。


「そのとおりです。しかし、例え我々だけで戦うとしても、父が鍛え上げた精鋭、むざむざ負けるつもりはありません」

「魔族の主力すら押し返したエルフォリアの軍団と戦いたいと思う者など、今の帝国軍にはおるまいがな…騒ぎ立てるのは自分が前線に立つことのない本国の貴族どもだ。全く、忌々しい」

 顔をしかめたティベリオは、カップに残ったお茶を一気に飲み干した。


「お爺ちゃん、お顔が怖いよ」

「おぉ、怖かったか…すまんのぅ」

 メリシャに指摘されたティベリオは慌てて笑みを作る。


「ティベリオ様、今宵はぜひ、こちらの迎賓館にお泊まり下さいませんか?」

 フィルは、その様子を微笑ましく眺めつつ、提案する。

「それはありがたいが、突然のことで迷惑ではないかな?」

「そんなことはありません。本国のような豪華な宴席は用意できませんが、…紹介したい者たちもおりますので」

「いや、本国の宴席なんぞよりも、昨日の食堂の料理の方が美味かったぞ……では、フィル殿のお言葉に甘えるとしようか。よろしく頼む」

「はい。では後ほど。…メリシャ、リネアと一緒にティベリオ様を案内してくれるかな?」

「うん、いいよ。お爺ちゃん、こっちだよ」


 フィルは、にっこり笑ってティベリオたちを見送ると、テミス配下のハルピュイアたちを集め、何人かに向けて伝言を頼んだ。

次回予定「サエイレムの夜宴」

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