そして、現代へ 7
『傾国狐のまつりごと』いよいよ最終回です!
「妾たちのやってきたことは、ちゃんと伝わっているのよ」
「そっか…」
少し口元を緩めてフィルは頬杖を突く。
「それじゃ、わたしたちの仕事も、そろそろ終わりかな…?」
窓の外に目をやりながら言ったフィルに、ふんと玉藻が鼻を鳴らす。
「フィルよ、何をバカなことを言っておる。世界の安定には『剪定』が欠かせぬ。それはこれからも変わらんぞ」
「まぁ、そうね。フィルは最初から神獣を名乗って現人神となることで、人が神を作り出すのを阻止してきたでしょう。それなら、人の世を律する役目はフィルが負わないとね」
妲己もくすくすと笑いながら言う。
理想を言えば、人を律する存在など必要ない方がいいに決まっている。しかし人は時に過ちを犯す。
残念ながら人の世というものは、何らかの強制力によって律する存在がいなければ、秩序を保ち続けることができないのだ。
例えば、もし警察や衛兵といった者たちに、強制的に人を捕縛する力と権限がなければ、犯罪を防止することができるだろうか。
過ちを犯したのが一個人であれば、人の世の仕組みで対応できる。
だが、権力を持つ者、例えば一国の王などが過ちを犯し、それを止められる力を持つ者がいなかったら…?
そういう時、宗教や信仰は物事の善悪を一律に定義し、身分に関係なく内面から人を律する手段のひとつではあるが、今の世界にそこまで強く信仰されている宗教はない。
…妲己の言う通り、フィルが徹底的にその芽を摘んできたからだ。
信仰によって内面から律するのではなく、実在の現人神として、フィルは人を律する存在であり続けたのだ。
実際に手を出すのは最終手段ではあるものの、フィルたちはこれまで、世の秩序を乱す行為を『剪定』し、そうやって世界の秩序と安定を保ってきた。
「……そーだよねー」
フィルはごとりとテーブルに突っ伏す。
「フィル様が望まれるなら、人の手の届かない場所で、静かに暮らしても構いませんよ」
皆にお茶を配りながら、リネアが言う。
「ううん……やるよ。みんなで作り上げたこの世界を壊したくないからね。…こうして人の間に溶け込んで、世の移ろいを見ているのも楽しいし」
身を起こしてリネアを見つめ、フィルは笑う。
「メリシャ、これからもフィルさまにこき使われるみたいだよ」
「そうみたいだね…」
セリフとは裏腹に楽しそうなパエラに、メリシャも笑みを返した。
「フィルが九尾になって随分になるけど、まだ滅びたいとは思わないのね」
「先のサエイレム王国の時代を加えれば、もう4千年を超えているであろう。歴代の意識の中で、最も長いのは間違いあるまいよ」
「そうだね。けど、わたしはリネアを残して滅ぶわけにはいかないから。リネア、滅びたいと思ったら言ってね。わたしも一緒に滅ぶから」
「私の全てはフィル様のものです。いつまででもフィル様とともに生きたいです。…いつか、フィル様が滅びを望まれた時が、私の滅ぶ時です」
「そっか…じゃ、まだまだ一緒にいようね」
「はい。フィル様」
「ほんと、フィルとリネアっていつまでも仲いいよね。娘のボクでも入り込めないんだもん」
「まー、あたしは少しだけ間に入れてもらったけどね……そうそう、メリシャ知ってる?フィルさまはねぇ、夜はすごく初々しいんだよ。もう数えきれないくらい経験してるくせに、ちっとも変わってなくて、びっくりした」
「ちょっ!パエラ、また覗いてたの?!」
「いいじゃない。あたしはもう混ざれないんだし。メリシャを混ぜてくれたら、あたしも楽しめるのに」
「そ、それは…」
「ボクは別にいいけど?」
「メリシャ?!そんなこと言っちゃダメ!」
「もー、フィルさまは変な所で真面目だよね?」
「わたしが変なの?!」
「あらあら、…妾と玉藻もこうして実体になれたんだし、みんなで楽しむのもいいわねぇ。…ね、玉藻」
「麿まで巻き込むでないわ。そういうのは好かんのじゃ」
「冷たいわねぇ…ほんとは興味あるんでしょ?」
「こら、妲己…抱き着くな。えぇい、離せー!」
「あの…フィル様がよろしければ…私はそれでも…」
「リネア、ちょっと待って!わたしはよろしくないよ!」
恥ずかしそうに頬を染めたリネアに、フィルは慌てて首を横に振った。
…と、その時、フィルの危機を察知したかのように、キッチンから軽快なチャイムが聞こえてきた。キッチン備え付けのオーブンのタイマーだ。
「あら、焼き上がったみたいですね」
「リネア、わたし早く食べたいな!」
「…はい。少し待っててください、フィル様」
助かった…という顔でフィルはリネアに言った。
キッチンに向かうリネアが少しばかり残念そうな表情に見えたのは、フィルの気のせいだろう。
テーブルに運ばれて来たのは、甘い香りを立ち上らせる大きな林檎のタルトだった。
フィルの好物だったその菓子は、時を経て材料や調理法こそ洗練されたものの、かつてフィルの故郷にあったものと大きくは変わってはいない。そして、今でもフィルの大好物だ。
切り分けられたタルトがテーブルに並び、テーブルを囲む。
「「いただきまーす!」」
皆が美味しそうにタルトを頬張る後ろで、テレビが番組を流し続けていた。
『…一説によれば、サエイレム王国を建国した女王と女王妃は守護獣の主ではなく、彼女たち自身が神獣であったと伝える記録も存在しています。もし、それが真実だったとすれば…もしかすると、彼女たちは今もどこかで、この世界を見守っているのかもしれません…』
図らずも真実を言い当てたナレーションとともに、サエイレムの街を真上から映していた映像は、ゆっくりとティルトして、雪を頂く山脈の麓に広がる深い森を映し出す。
…番組的には、その映像に深い意味はなかっただろう。
しかしそこは、フィルがリネアと出会った場所。
今なお残る、全ての始まりの地。
ふと顔を上げて北の森の映像に気付いたフィルは、隣のリネアを見つめる。
リネアもまたフィルを見つめていた。
「リネア、初めて会った時に、わたしがリネアになんて答えたか、覚えてる?」
「はい、もちろんです」
「あの答え、言い直してもいい?」
「わかりました。では…」
リネアは、ふわりと微笑んでフィルに問いかけた。
「…あの…大丈夫ですか?」
あの時は、「大丈夫、とは言えないかな」と答えた。
ひとりぼっちで、もう死ぬんだと思っていた。……けれど、もう違う。
「大丈夫だよ。リネアがいてくれるから」
そう答えてフィルは笑った。
『傾国狐のまつりごと』 完
「傾国狐のまつりごと」は、今回をもって完結となります。
書き始めた当初は、まさか120万字に達する長編になるとは思っていませんでしたが、
連載開始から約3年3ヶ月、完結まで書き切ることができました。
ご愛読いただいた皆様のおかげです。本当にありがとうこざいました。
次回作は全くの白紙ですので、すぐに連載を開始することはできませんが、いつかまた次の物語で!




