食堂の老人
数日後、ティミアとパエラは、10人ほどの仲間を連れて国境に向かった。
ティミアたちは国境に近い場所にあるリネアの小屋を隠れ家にして、少人数で里に忍び込み、個別に里の者を説得して逃がす。小屋を使うことをリネアが快く了承してくれたのは、言うまでもない。
ただ、あまり多くを一度に逃がすと族長たちに悟られる上、里の者が全て味方というわけでもない。中には族長たちを支持する者や、族長たちに密告して待遇を良くしてもらおうとする者もいるため、誰に声をかけるか見極めも必要だ。それなりに時間がかかりそうである。
グラムたちに頼んだ情報収集の方も、しばらく結果待ちだ。鉛製ゴブレットの出所についても、実物をバレンに預けて帝都の職人を中心に当たってもらうよう依頼している。
その日、フィルはリネアとメリシャを連れてサエイレム港を訪れていた。
お忍びのため三人とも、市井の人々と変わらない目立たない服を来ているが、メリシャの服が派手な水玉(目玉)模様になっているのと、体格の大きなシャウラが護衛についているので、目立つと言えば目立つ。ただ、慌ただしく人が行き来する港で、それをいちいち気にする者はいなかった。
メリシャがサエイレムに来てから、フィルたちがアラクネ族の件でゴタゴタしていたため、ずっと総督府から出ることができなかった。今日は初めてのお出かけである。
「フィル~、今日はどこに行くの?」
手をつなぐフィルを、楽しそうにメリシャが見上げる。
「今日はね、メリシャにおいしいものを食べさせてあげようと思って」
「…?…リネアのごはん、毎日おいしいよ?」
きょとんと首をかしげるメリシャ。その可愛らしい仕草に、フィルとリネアは顔を見合わせて幸せそうに笑った。
「シャウラ、パティナに色々と新しいメニューができたって聞いたけど?」
「はい、色々な食材が手に入るようになりましたので、料理人たちがパティナの具材や味付けを試行錯誤しています。香味野菜は定番ですが、卵にチーズを混ぜてみたり、南方の香辛料で味付けした挽肉を具材にしてみたりと、新しく何種類か売り出されています。変わったものでは、蜂蜜に漬け込んだ果実を具材にしたお菓子のようなパティナもできました。どれもおいしいですよ」
少しうっとりした表情で答えたシャウラを、じとりとした視線でフィルは眺める。
…シャウラはもう食べたんだ?抜け駆けはひどいと、紅い瞳が口ほどに物申している。
「あ、いえ、フィル様が休暇でお出かけの間に、内々の試食会がありまして、テミス様のお供で、その…」
「むぅ…」
この前の休暇の間、シャウラにテミスの護衛を頼んだのはフィル自身だ。それを言われると反論できず、フィルは悔しげに唸る。
「フィル様、また玉藻様に食い意地が張ってるって言われますよ」
くすくすと笑うリネアに、フィルは恥ずかしそうに頬を染めた。
「もう、玉藻だってわたしの中で楽しんでるくせに!…よし、今日は全種類頼んで食べ比べる!…ねー、メリシャも美味しいものたくさん食べたいよね」
「うんっ」
がっちりとメリシャの手を掴んで港の食堂に突進するフィルを、リネアとシャウラが慌てて追いかけた。
「このチーズが入ったパティナ、濃厚で美味しいです」
「こっちの香辛料の効いたやつもいいよ。メリシャにはちょっと辛いかな」
「うーん。メリシャはこっちのがいい」
昼食には少し早い時間で空いていたため8人掛けのテーブルを占拠しているが、その上一杯にフィルが勢いに任せて買い込んだ料理が所狭しと並んでいる。
「あたいは南方の商人が売っていた辛いスープもなかなか好きです。それに、身体の調子を整える効果もあるようですよ」
「そうなの?それはいいわね」
フィルもそのスープを一匙すくい、ふんふんと嗅いでいる。食欲をそそる香ばしい香りだ。
「香辛料はそのまま薬の原料として使われるものもありますから。ラミア族でも身体に良い効果がある料理の研究を始めています」
「シャウラさん、今度、香辛料のことを教えてもらっていいですか?フィル様のお食事にも取り入れたいです」
ゆっくりと味を確かめるようにスープを飲み干したリネアが、身体に良いと聞いて目を輝かせる。
「わかった。使いやすそうなものを見繕っておくよ」
「ありがとうございます」
「メリシャはこっちのがすきー」
香辛料の香りは慣れないのか、メリシャはチーズ入りのパティナがお気に入りのようだ。
わいわいと楽しく食事をしていると、昼時が近づき、店の中も客が増えてきた。
「お嬢さん、こちらの席を使ってもよろしいかな?」
フィルが顔を上げると、上品な身なりをした白髪の老人が立っていた。後ろには壮年の男性が2人いる。
「あ、すいません。どうぞどうぞ」
フィルは、自分達の料理を少し寄せて、3人が座れるよう場所を空ける。
「すまんのぅ」
3人は、椅子に座って周りの様子を眺めている。壮年の男性の1人が、何かを探すようにキョロキョロしているが、どうも勝手がわからないようだ。
「ここに来るのは初めてですか?」
フィルが声をかける。
「あ、あぁ…本国からここに着いたばかりでな。船長からここの食事が美味いと紹介されたんじゃが、どうやって給仕を呼べばいいのかな?」
「この店は、給仕がいないんです」
フィルは、奥に並ぶ店のカウンターを指さした。
「自分で店のカウンターに行って、お金と引き換えに食べ物を受け取ってくるんです。食べ終わったお皿などは、入り口の横に返す場所があるので、そこに持って行ってください」
「なんと。料理を運ぶのも、片付けるのも、自分でやるのか?!」
「はい。その分、安く料理を提供できるんです。船乗りさんや港で働く人たちは、たくさん食べますから、安くて盛りが良いのが大事です。もちろん、味も大事ですけどね」
驚くティベリオに、フィルはクスッと笑って答える。
「奥には市場の露店みたいに、それぞれ違う料理を出す店が並んでますから、食べ物の好みが違っても、好きな物を同じテーブルで食べられますよ」
「ほぅ、なるほどのぅ。若い者と食事をすると肉料理ばかり食べたがって、この爺にはちと困るのじゃが、これならどちらも我慢しなくて良いのぅ」
老人は面白そうに微笑んで、席を立つ。多分3人の中では一番目上だと思うのだが、自分で買ってみたくなったようだ。
「よかったら、案内しましょうか?」
「食事中にすまんの。お嬢さん、わしはティベリオと言う。こっちは供のスケビオとカークリスじゃ」
「スケビオです」
「カークリスです」
二人も立ち上がって、フィルたちに頭を下げる。
「わたしはフィルといいます。…あ、買いに行く時に、一人は残っておいてくださいね。でないと、空席だと思われて席を取られますよ」
「…フィル?」
ティベリオは一瞬、怪訝そうな表情を浮かべたが、すぐに元の柔和な笑みに戻る。
「フィル様、私が行きましょうか?」
「いいよ。リネアはメリシャをお願い。シャウラは二人をよろしく」
「はい」
「承知しました」
「行ってらしゃーい」
スプーンを持ったまま手を振るメリシャに見送られ、フィルはティベリオを店の奥へと案内した。
「あの魔族のお嬢さんたちとフィル殿はどういう間柄なんじゃ?」
「わたしは家族だと思っています」
「家族か…」
当たり前のように言うフィルに、ティベリオは少し驚いて繰り返した。
「さ、ティベリオ様、何を召し上がりますか?パティナに串焼き、パン、揚げ物に魚料理、珍しいところでは南方の香辛料を使った辛いスープなんてのもあります」
「そうじゃな、パティナは大好物じゃ」
「ここのは本国で食べるより美味しいですよ。卵にこだわりのあるラミア族謹製ですから」
フィルは、パティナのカウンターに歩み寄る。
「あ、フィル様、いらっしゃいませ。…あれ?でも、さっきも買って行かれましたよね?けっこうたくさん…」
店番をしていたラミアの店員が、フィルを笑顔で迎えた。
「わたしじゃなくてね。こっちがお客さん。本国から来たばかりで、ここの買い方がよくわからないみたいだったから」
フィルは、ティベリオをカウンターの前に立たせる。
「色々あるのぅ…」
「香味野菜のが定番ですね。あとは卵にチーズを混ぜてコクを出したものや、挽肉を使ったものもありますよ。こちらの果実のものは甘いお菓子ですね」
店員もすでに慣れたもので、客が人間だろうが魔族だろうが頓着しない。
「わしは香味野菜のと、甘いのをもらおうかの。スケビオはどうするのじゃ?」
「せっかくですから、全て1つづつ頂いて、食べ比べてみるのはいかがでしょう?」
「そうじゃな、そうするか。どれも気になるしの」
「はい、少々お待ちください」
昼時にはどんどん売れるので、作り置きしておいても熱々のままだ。売れ残って少し冷めたものは、店員のまかないとなり、違う店の店員同士で物々交換したりしているらしい。
「ありがとうございましたー」
スケビオが代金を払い、引き換えに注文されたパティナの皿とスプーンが載ったトレイを受け取った。
「フィル様も、また食べに来てねー」
「うん、またね」
「フィル殿はずいぶんと人気があるようじゃの。それに、買い方も手慣れておるし、普段から余程買い食いしていると見える」
「えぇ…まぁ、ほどほどに」
にやっと笑って言うティベリオに、ここを作ったのはわたしなので、とはさすがに言えず、フィルは適当に笑ってごまかした。
他のカウンターを回る度に、ティベリオたちは珍しい食べ物に目移りしていたが、流石に全ては食べきれない。ここは毎日やってるからまた来ればいいとフィルに諭され、ティベリオたちは幾つかの料理を買って席に戻った。
「ふぉふぁえりーー」
メリシャは、甘い果実のパティナを頬張りながらフィルを迎える。
「だめよ、メリシャ。ちゃんと飲み込んでからしゃべるのよ」
「うん」
蜂蜜に漬け込まれた林檎が、メリシャの口の中でシャクシャクと音を立てている。
「わたしも甘いのもらおうかな」
「どうぞ、フィル様」
リネアが取り分けて小皿に盛り、フィルの前に置いてくれる。
「ありがとう」
スプーンで切れるほど柔らかく、それでいて軽く歯ざわりが残る林檎の蜂蜜漬けは、絶品と言っていい。それにまろやかなスフレ状の卵が絡まる。卵の方には薄く塩味がついており、それがさらに果実の甘さを引き立てる。
「んーっ!」
頬を押さえてフィルは至福に浸った。
隣では、ティベリオたちが、早速買ってきたものを食べているが、無言でカチャカチャと食器の音だけが響いている。
フィルがそっと様子を伺うと、スプーンは結構な勢いで皿と口を往復していた。俗にいう『美味さは人を黙らせる』というやつだったらしい。
…気に入ってくれたならいいか、とフィルは食後のお茶を飲みながら微笑む。
「フィル、もうお腹いっぱい」
「よし、じゃあ港に行こうか。たぶんモルエがいるよ。久しぶりにセイレーンたちに歌ってもらおうか」
「行く!」
メリシャとモルエは、総督府の泉ですでに知り合い、仲良しになっている。少しだけ年上のモルエがお姉ちゃんぶっているのが可愛らしいと、リネアがうっとりしながら話していた。
使った食器を片付けてトレイにまとめ、フィルたちは席を立つ。シャウラが先に食器を返しに行き、フィルはティベリオたちに一声かけた。
「ティベリオ様、わたし達は先に失礼しますね。サエイレムを楽しんでいってください」
「あ、あぁ、フィル殿、大変世話になった。感謝する」
果実入りパティナの美味さに衝撃を受けていたティベリオは、フィルを見上げて笑みを浮かべた。
「気に入って頂けたようで良かったです。では、失礼します」
軽く頭を下げ、メリシャと手を繋いで店を出る。
ふと、フィルはティベリオの顔をどこで見たことがあるような気がしたが、思い出せなかった。
次回予定「老公の来訪」
※誤字のお知らせありがとうございます。助かります。




