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傾国狐のまつりごと-食われて始まる建国物語-  作者: つね
 第2章 サエイレムを狙う者
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蝕むワイン

「やはり、帝国の人間が出入りしていたのですね?」

「はい。月に1回程度ですが、帝国の人間がやってきていました。いつも手土産として、馬車にワインの樽を積んできていました」

 ティミアたちがサエイレムに到着して5日。住まいや生活の目処も立ったところで、フィルはティミアを総督府に呼んだ。


 迎えに出したパエラとともに総督府にやってきたティミアは、執務室でフィルと向かい合う。とりあえずはフィルだけで事情を聞くことにし、執務室には同族であるパエラのみ、護衛を兼ねて同席している。


「その可能性も考えてはいましたが、裏付けが取れたのはありがたいです」

「…あの、フィル様、私にもパエラと同じように話して下さい。今はサエイレムで厄介になっている身ですので」

 落ち着かない様子で言うティミアに、フィルはわずかに苦笑しながら頷いた。

「わかった…ティミア、その帝国の人間の身分とか、どこから来たとか、わかる?」

「申し訳ありません。どこの誰とも詳しいことは私も知らないのです。リドリア様とその側近の者だけで対応していましたから…ほとんどの人間は、ただ雇われて荷を運んでいる者のように見えましたが、一団を率いているらしい男は、良い身なりをしておりました。周りの人間たちは『秘書官殿』と呼んでいましたが」

 ふむ、とフィルは頬杖をつく。…秘書官、か…サエイレム総督府にはそんな役職はないけれど、『官』が付くのは行政府の関係者だ。


「メリシャを捕らえるように命じたのは、リドリア?」

「はい。アルゴスから逃げ出した親子が領内にいるはずだと。しかし、いくら探しても見つからず、帝国領まで範囲を広げて探すよう命じられたところでした」

「国境を越えてまで探せと?…こちらに見つかれば、面倒なことなるとわかっていたでしょうに」

「はい。私も反対したのですが、聞き入れられず…申し訳ありません」

 ティミアは頭を下げるが、フィルはひらひらと手を振る。

「いいわ。わたしも国境を越えたわけだし、それは不問にします。それより、メリシャを捕らようとする理由は何か、聞いてる?」

「ただ、特異な能力を持つ娘だから、高く売れると」

「なるほどね…どこに売るつもりだったのかは、まぁ、想像通りか…」

「正直、不本意ではありましたが、族長の命令には従わねばならないと……我ながら情けないです」

「そんなことないよ!ティミアはみんなのために…!」

 自嘲気味に言うティミアに、思わずパエラが声を上げ、慌てて恥ずかしそうに俯く。


「パエラの言う通り、ティミアは一族のためを思って我慢したんでしょう?ティミアと族長が対立すれば、一族が分裂する可能性もあったわけだし」

「でも、結局は、こうして一族を分裂させてしまいました」

 ティミアは力なく笑う。

「パエラという頼る当てができたから、決行したんでょう?その判断は間違いじゃないわ」

「あたし?!」

 励ますように言ったフィルに、パエラが慌てた。

「当たり前じゃない。里に行った時のパエラとわたしの様子を見たから、ティミアは里を出ようと決めたのよ。当てもないのに里を出たら、みんなを路頭に迷わすだけじゃないの」


 全くわかっていない様子のパエラに、ティミアは姉の表情で言った。

「パエラ、はっきり言って、おまえは主であるフィル様への口のききかたがなってない。けれど、それでもフィル様はパエラを好きにさせている。きっと、かなり信頼されているのだろうと思ったんだ…だから、サエイレムに受け入れてもらえるよう、おまえにフィル様への執り成しを頼むつもりだった。おまえの立場が悪くなるかもしれないとも思ったが、リドリア様の下では里の者はもう限界だったからな」


「そんなにひどいの?」

 フィルは、眉を寄せる。

「はい。先日の言動をご覧になった通り、リドリア様とその側近たちは昼間からワインに浸り、もはや一族を治めるどころではありません。里の暮らしは疲弊しきっています」

「そう…パエラから、以前はそこまでおかしくはなかったと聞いたけれど?」

「はい。以前は、一族の長として信頼できる方でした。アラクネ族は決して強くもないし豊かでもありません。帝国との終戦交渉が終わった後、リドリア様はこれからは人間とも、もっとわかり合う必要があるのかもしれないと仰っていました。里に帝国の人間が出入りするようになったのも、最初は良い事だと思っていたのですが、それが、あのようなことに。……いつから、とははっきり言えませんが、リドリア様たちの言動が明らかにおかしいと思い始めたのは、この一月ほどです」

 フィルは、顎に手を当ててしばし考え、パエラを振り返った。


「パエラ、ちょっとシャウラを呼んでくれる?」

「はーい」

 パエラは執務室のドアを開け、廊下で警備していたシャウラに声をかけた。

「シャウラ、フィルさまが来てほしいって」

「わかった」

 シャウラは、しゅるりと音を立てて身を翻し、執務室に入ってくる。

「フィル様、お呼びでしょうか?」

「毒や薬物に詳しいシャウラなら知っているかと思って。…だんだん、本人たちが気付かないうちに言動がおかしくなったりする毒物に心当たりはないかしら」

「詳しく聞いてもよろしいですか?」


 フィルは、ティミアに状況を説明させた。話を聞いたシャウラは少し眉をひそめながらティミアに質問する。

「そのワイン自体があれば調べられるのですが…そうですね…ワインを飲む時に使っている器は、どんなものだったか覚えていますか?」

「それなら、同じものを持っています」

 ティミアは腰に下げていたポーチから、一つのゴブレットを取り出しテーブルの上に置いた。


 フィルは、ゴブレットを手に取って眺める。銀の器に彫金で神話の題材が浮き彫りにされた帝国で流行りのデザインだ。器の内側は外側とは材質が違うようで、銀よりも少し光沢の鈍い金属になっている。

「わたしには普通のゴブレットに見えるけど……」

 フィルからゴブレットを渡されたシャウラは、ゴブレットの内側の金属を軽く爪で削り、顔色を変えた。


「里を訪れていた帝国の人間から、里の主だった者に贈られたものです…それなりに高価な品のようですので、受け入れて頂く際のお礼としてお納めしようと思い、持ってきたのですが」

 ティミアがそう言った瞬間、腰の短剣を抜いたシャウラがその刃をティミアの喉元に突きつけた。カンッと音を立ててゴブレットがテーブルを転がり、床に落ちる。

「ちょっと、シャウラ!」

「ふざけるな!フィル様に毒を飲ませるつもりか!」

「待って、ティミアにそんなつもりはないから、落ち着いて!」

 慌ててシャウラの腕を押さえたフィルに、シャウラは仕方なさそうに短剣を引き、腰の鞘に戻す。


「わかりました。フィル様がそう仰るなら…」

「私は、何か良くないことを言っただろうか?」

 青ざめた顔で聞くティミアに、シャウラはため息をついた。

「申し訳ない。つい、カッとなった。…フィル様、アラクネの族長たちがおかしくなったのは、この器とワインのせいだと見て良いでしょう。原因は鉛毒だと思います」

「鉛毒?」

「この器の内側には鉛が使われています。フィル様はワインを嗜まれませんが、鉛の器にワインを注ぐと、含まれる酸で器の鉛が溶け出して、ワインに甘みを付け、味を良くすることができます」

 フィルは、思わずごくりと唾を飲み込む。


「リドリアに近づいた時に甘い匂いがしたのは、そのせいか……で、それを口にするとどうなるの?味を良くするだけではないんでしょう?」

「はい。すぐに何か症状が現れるわけではありませんが、口にし続けると、体の中に鉛が溜まり、腹痛や頭痛を引き起こし、やがて食べ物も満足に食べられなくなり、最後には気が狂って言動がおかしくなります。…そして、衰弱して命を落とすことも」

「申し訳ありません…まさか、そんなものだとは…」

 落ち込むティミアにちらりと視線を向け、シャウラは説明を続ける。


「フィル様が甘い匂いを感じたとのことですので、おそらくワイン自体、質の良くないワインに葡萄のシロップで甘味付けしたものだと思います。このシロップにも鉛が含まれている場合があります。鉛の鍋で果汁を煮詰めると、葡萄自体の甘みに鉛による甘みが加わって、より簡単に甘みの強いシロップができるのです。知らなければ値段の割に味の良いワインとして取引されることがあります。普通の毒のようにすぐに効果が出るものではないので、気付いた時にはすでに手遅れと言うことも」

「これは、意図的だと思う?」

「はい。ワインに鉛を溶け出させる以外に、わざわざ銀器の内側を鉛にする理由はありません」


「だとすると、このゴブレットは手がかりになるわね。…外側の彫金はかなり精巧にできているし、デザインも本国の貴族に流行しているもの。たぶん、本国…帝都あたりの職人に作らせたものだと思う。誰がこれを注文したのか、追えるかもしれない。早速、バレンに相談してみるか…」

 フィルは、床に転がっていたゴブレットを拾い上げ、テーブルの上に置き直した。


「奴らは最初から、アラクネ族を利用して使い捨てにするつもりだったのですね…」

 ティミアは悔し気につぶやいた。

「でも、今からティミアがそれを告げたところで、リドリアたちが聞くとは思えないわね…それどころか、もう話が出来る状態じゃないかもしれない」

 フィルは、厳しい表情で腕組みをする。


「フィルさま、あいつらは自業自得だよ。このまま自滅してもらって、その後に里を取り返せばいいんじゃない?」

 パエラはティミアや一緒に来た仲間たちさえ無事なら、あとはどうでもいいようだが…。

「フィル様、里にはまだ多くの者たちが残っています…虫の良いお願いだとは重々承知していますが、どうか…里を取り返すのに軍を派遣しては頂けないでしょうか」

 ティミアはフィルに懇願する。やはり残った者も見捨てられないようだ。

 里と一族を守るべき立場で育ったティミアと、孤立無援で敵地に送り込まれたパエラ、里の者に対する感覚は違って当然。どちらが正しいという話ではない。


 しばらく考えていたフィルは、首を横に振る。

「……ティミア、ごめんなさい。今回の件に帝国内部の人間が関与しているとなると、そこをはっきりさせてからでないと、我が軍を動かすことはできない。軍が国境を越える、それがどういうことか、わかるでしょう?」

「はい…」

 無理な願いだとはティミア自身も思っていた。

 フィルには、そこまでしてアラクネ族を助ける義理はない。ティミアだってパエラのコネにすがって助けてもらったようなものだ。一緒に逃げて来た者たち全員、街に住めるようにしてもらっただけでも、有り得ないほどの厚遇なのに、これ以上をフィルに求めるのはあまりにも身勝手が過ぎる。


 だが、フィルは更に言葉を続けた。ついこの前も『話は最後まで聞きなさい』と言われたばかりなのに、早合点はティミアの悪い癖だ。

「でも、先日の者たちと同じく、サエイレム属州の領内に助けを求めてきた者がいれば、わたしの責任において保護します」

 フィルは、テーブルの上で硬く握りしめられているティミアの拳に、そっと手を重ねた。

「ティミア、里の者を助けたいなら、わたしの手の届くところまで連れてきなさい」

 フィルの手の上に、パエラも手を重ねる。

「フィルさまばかり働かせて、ティミアは昼寝でもしているつもりなの?…しょうがないから、あたしも手伝ったげるからさ。……と、いうわけで、フィルさま、しばらくお休みもらってもいいですか?」

「なにが、と、いうわけよ。お休みはあげないけど、パエラはわたしの護衛から外して、当分の間、国境の警備監視の任務を命じます。…これでいい?」

「はい!承知しました!」

 わざとらしく畏まるパエラに、フィルはプッと噴き出してしまう。


「フィル様、パエラ…ありがとう」

 テーブルの顔を伏せて、ティミアは肩を震わせる。テーブルの上に、ひとつ、ふたつと小さな雫が落ちていた。

次回予定「食堂の老人」

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