青の狩場 2
「…」
イシスが話を終えても、メリシャは複雑な表情を浮かべて俯いていた。
アセトのことは許せない…けれど、イシスの境遇は確かに同情するし、彼女がメーデイアと名乗っていた頃、もしかするとアルゴスはまだ神々の一座であったのかもしれない。
そう思うと、アルゴス族の末裔である自分にも、アセトがああなってしまった責めの一端があるような気持ちになってしまう。
「メリシャ、自分のやってないことを背負う必要はないんじゃない?」
「…ありがとう」
耳元で囁いたパエラにメリシャは顔を上げる。その様子を見ていたフィルは、ホッとしたように小さな笑みを漏らした。
「イシス…よもやラーやホルスがそのようなことをしていたとは…メネスの神の一柱として、謝罪する」
沈痛な表情で、テトがイシスに頭を下げる。バステトにとって、ラーは父、ホルスは兄弟だ。ヒクソスの女神として、ふたりとはやや距離を置いていたテトだが、見て見ぬ振りをしていたとも言えた。
「バステト、貴女が謝ることではありません。貴女もアセトに酷い目に遭わされているではないですか」
「すまぬ…」
場に沈黙が訪れたタイミングで、フィルが口を開いた。
「アセトの目的はテトたち三神とメネスの人間への復讐。そしてアペプの目的は、テトたち三神とリネア…竜王ティフォンを倒すこと」
「予たちは、どちらからも恨みを買っておるというわけだな」
「吾輩たちへの恨みというよりも、ラーやホルスの尻拭いではないか。とんだとばっちりだ」
ため息交じりに言うテトに対し、不満げな態度を隠さないオシリスではあったが、彼とて素知らぬ顔ができるとは思っていない。
「それでフィル殿、アペプとどう戦うのか、策はおありか」
「策ってほどじゃないけどね…」
セトの質問に、フィルはやや眉を寄せて頷いた。
どうすればアペプとアセトを倒せるか。…まず、戦力としては、ティフォンとセトがいるこちら側が優位である。
だが、相手は大河の流れを味方につけている。
大河に潜んで移動し、いつどこに現れるかは完全に相手が主導権を握っている。それに、戦って形勢が不利となれば、大河に逃げ込んでしまえばいい。
ティフォンやセトも、水上や水中での戦いでは、アペプに勝るとは言い切れない。
できるならば、アペプを陸上に誘い出して戦えたら一番いいのだが、アセトがいる以上、そう簡単に誘いに乗ってはこないだろう。
ならば、どうするか…。
「アペプを、こちらに有利な狩場に誘い込んで、叩く」
メネス王国軍と戦った時と同じく、敵を罠にかけるのだ。
「悪いけど、テト達にはもう一度囮になってもらうつもり」
「…それは構わんが、それでもアペプが簡単に陸に上がってくるのか?予にはそうは思えんが」
テトが微妙な表情を浮べて言った。
「うん、わたしもそう思うよ」
あっさりとフィルは頷く。
「ならば、どうするのだ!何か方法があるのだろうな!」
やや苛立たし気に言ったテトに、フィルは、意地悪そうな笑みを浮かべた。
「アペプが陸に上がらないなら、アペプがいる場所を陸に変えればいいんだよ」
そして翌日、フィルが一同を案内したのは、アヴァリスから北西に少し離れた場所だった。
ティフォンとセトの背に分乗した一同が、空から見下ろしているのは、両側を緩やかな丘に挟まれた細長い盆地のような場所に、大小の沼地が点在する平地が広がる湿地帯である。
ヒクソス領は大河イテルが北の海へと流れ出る最下流部に当たり、毎年繰り返される大河の洪水によって運ばれた大量の土砂が積み重なった巨大な三角州である。
ギーザ近辺まで、ほぼ1本の太い流れを形作っていた大河は、ヒクソス領に入ると箒の先のようにたくさんの支流に枝分かれして海へと流れていく。
ペルバストやアヴァリスの側を流れ、タミアットで海へと注ぐのが『本流』という扱いにはなっているが、同じくらいの規模を持つ支川は他にも数本あり、さらにそれらから枝分かれした流れは、小さなものまで含めるとそれこそ数十にも上る。しかもそれぞれの流れは洪水が起こる度にルートが変わってしまうことも多かった。
そのため、ヒクソス領は土壌が肥沃な反面、水はけが悪く常に半分水に浸っているような湿地も多い。
今、眼下に見えているのもそんな場所のひとつで、アヴァリスの上流で本流から西に分岐した支流の先に当たる場所だった。
次回予定「青の狩り場 3」




