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傾国狐のまつりごと-食われて始まる建国物語-  作者: つね
 第2章 サエイレムを狙う者
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ティミアの申し出

読んで頂いてありがとうございます。PV&ブックマークが増えると励みになります!

 メリシャの今後のことは改めてじっくり考えるとして、今すぐ考えるべきはアラクネ族の件だ。

 メリシャを狙っている件も問題だが、アラクネ族自体も問題を抱えているように見える。


「…使節と言えば、エリンはアラクネ族の族長やティミアを知っているんじゃない?」

「はい。族長も戦士長も覚えています。アラクネ族の使節との交渉には、私も出ていましたから」

「エリンは族長にどんな印象をもった?」

 フィルの質問に、エリンは少し眉を寄せる。

「多少、小狡い印象はありますが、帝国にもそんな貴族はたくさんいますし、特に際立った印象はないですね」

「ティミアとの関係は、どんなふうに見えた?」

「はい。それなりに信頼しているように見えましたが。ティミア殿も率直に意見を言っているようでしたし」

「そう…」

 フィルは複雑な表情で顎を撫でる。

 どうも族長に対するフィルの印象とエリンの印象が重ならない。エリンの印象では、ティミアとの関係も悪くなさそうだし、傑出した人物とまでは言えなくても、当たり前の言動はしていたようだ。だが、フィルが見た族長の言動は、非常にヒステリックで、ティミアのことも蔑ろにしているように見えた。


「パエラ、族長の名前、リドリアだったっけ?以前はあんなじゃなかったって言ってたよね?」

「うん。フィルさまやウルドさまたちを見た後だと、やっぱりダメだなぁ、とは思うけど…以前はあんなにキンキンしてなかったかな。ティミアの意見もちゃんと聞いてたし」

「なんか、体調も良くなさそうだったよね」

 短い時間だったが、フィルが見たリドリアの容貌は明らかにやつれており、不健康そうに見えた。

「そうだね…何か病気なのかもしれないけど。元々、あんまり外に出ない人だったし、お酒好きだから…飲み過ぎ?」

「お酒ねぇ…」

「特に、帝国のワインが好きでね。戦争中は、帝国軍の補給部隊を襲って分捕ったりしてたみたい」

「アラクネ族の襲撃には我々も手を焼きました。被害自体は大したことないのですが、補給品を荒らされると前線の部隊に不安が広がって士気が下がるので、地味に堪えるんです」

「あはは…ごめん。サエイレムに来る前だけど、あたしもやったことある…」

 口をヘの字にするエリンに、パエラは頭を掻きながら謝った。


「戦争が終わってからは、ワインも手に入らないのよね?」

 ふと、フィルはリドリアから甘いワインの匂いがしたのを思い出した。


 素焼きの壺で保存されるワインは、時間がたつと発酵が進みすぎて酸味が増し、また水分が蒸発してどんどん濃くなっていく。

 作ってから時間がたつほど味が落ちるため、帝国本国でもワインに色々な添加物を入れて味を誤魔化し、更に水や湯で割ったり、蒲萄のシロップや蜂蜜で甘みを足して飲んでいるくらいだ。

 戦争が終わってから、もうすぐ1年近い。仮に戦争中に奪ったワインが残っていたとして、どんなに気を付けて保存したとしても、1年以上も前のワインからはあんな甘い匂いはしない。


 だが、当然ながら正規に帝国から買い付けられるようなルートはない。帝国と魔族との交易自体、ケンタウロス族とサエイレムの間で始まったばかりなのだから。

「アラクネ族でもワインを作っていたりするの?」

「それはないよ。ワインが作れるだけの蒲萄畑なんて、森の中じゃできないし」

「じゃあ、どうやってワインを手に入れたんだろう?」

「うーん、…帝国の街道で商人を襲ってるとか?」

「いや、そういった報告はないな。もしあれば、我々が討伐に出ている」

 三人は黙り込む。


「…フィル様は念のためと仰いましたが、本当にベナトリアと密かに繋がりを持っているのかも知れませんね。そこからワインを手に入れているのかもしれません」

「ベナトリアが、アラクネ族にワインを送っている?…ワインだけではないのかもしれないけど、その見返りは何だろう?」

「今の段階では何とも…ベナトリアがアラクネと接触しているという証拠もありませんし」

「そのあたりも、ティミアから聞き出せるかな……」

 フィルは、冷めてしまったお茶をもう一口。

「エリン、ティミアの顔を知ってるならちょうどいいわ。ティミアと会うときには、あなたも一緒に来て。わたしとパエラとエリン、3人で行こう」

「はい、承知しました」

「……うん、わかった」

 即答するエリンに対して、数舜遅れてパエラも頷いた。

 

 ティミアと約束した夜。アラクネの里から一番近い国境に、フィルとエリン、パエラの姿があった。

 その様子は三者三様。直立不動でじっと地平線を見つめるエリン、そわそわと落ち着かず、数メートルの範囲を行ったり来たりするパエラ、そして近くにあった倒木の太い幹の上に座って、暇そうに欠伸をしているフィル。


「やっぱり、振られたかなぁ」

 フィルが、んーっと伸びをしながらつぶやく。三人がここに到着してから、すでに3時間。まだティミアの姿はなかった。

「もうちょっと、もうちょっとだけ待ってよ、フィルさま…きっと…」

 フィルが待ちくたびれた思ったパエラが、慌ててフィルに駆け寄る。

「わかってる。こうなったら朝になるまで待つよ。…エリン、悪いけど付き合ってね」

「もちろんです」

「パエラも、少し落ち着いたら」

「でも…」

「ティミアはきっと来るんでしょ。パエラが信じないでどうするの」

 フィルは、倒木の上からスタッと地面に降り立ち、パエラの脚をポンポンと叩いた。


 更に時はたち、うっすらと地平線が明るくなり始める。

「…あれ…?」

「フィル様、来たようですが、これは…」

 パエラとエリンが同時に困惑したような声を上げた。倒木に背を預けて、うとうとしていたフィルは、慌てて立ち上がる。


 向こうからやってくるのはティミア、だけではない。数十と思われるアラクネ達がティミアの後に続いていた。

「まさか、戦士たちを率いてこちらと戦うつもりで…」

「そんな!…そんなことないよ。ティミアがそんなことするはずない…!」

 言いながら、パエラも不安そうに近づいてくるティミアたちを見つめる。 

「二人とも、心配しないの。…たとえそうだとしても、わたしは負けないよ」

「そうでした。私としたことが、つい」

 思わず背中に背負った大刀に手をかけたエリンが、苦笑して手を離す。


 やがて、お互いの顔がよく見える程の距離まで近づき、ティミア達は足を止めた。フィルも、エリンとパエラを両脇に従え、ティミアの真正面に立つ。

 よく見れば、ティミアが連れているアラクネたちは、戦士ばかりではない。武器を持たない者、老人や子供、赤ん坊を抱いている者もいる。戦士と思われる者たちは弱い者に手を貸しているようだった。

「遅くなりました」

 ティミアは、まずフィルに頭を下げた。

「いいえ、よく来てくれました」

 フィルも穏やかに返す。

「そちらは、エルフォリア軍のメリディアス軍団長ですね。お久しぶりです」

「ティミア殿も。壮健で…、いや、少々お疲れなのではないか?」

 エリンの返事に、ティミアは力なく笑った。


「安心しました。メリディアス軍団長が従っておられるということは、こちらは本当にサエイレムの総督殿なのですね」

「その通り。フィル様はエルフォリア将軍の娘。将軍から我ら軍団と総督の地位を引き継がれた、私の主だ」

 エリンは、ティミアの後ろにいるアラクネたちにも聞こえるように、胸を張って宣言する。

「ティミア、これは一体どうしたの?こんなにたくさん連れてきて…」

 パエラが、少し怒ったような表情でティミアに詰め寄る。


「パエラ、私達も里から逃げ出してきた」

「は…?」

 ぽかんと、ティミアを見る。

 ティミアは、8本の脚を大きく折り曲げて、フィルの前に身をかがめ、頭を垂れた。

「総督殿、私以下43人のアラクネ族を、サエイレムで受け入れてはもらえないでしょうか…」

 フィルは、黙ってティミアを見下ろしている。


「あの、フィルさま…」

 言いかけてパエラは口をつぐむ。ティミアは里を捨て、従ってくれる者の命を背負ってここにいる。ここで受け入れてもらえなければ、全員路頭に迷うだろう。受け入れてほしいと、自分からも頼みたい。

 でも、受け入れることがフィルさまやサエイレムにとって良いことなのだろうか。

 アラクネ族は、あの忌々しい隣国の貴族と繋がりがあるかもしれない。ティミアたちを受け入れたことで、フィルさまが面倒なことに巻き込まれたりしないだろうか…あたしはフィルさまみたいに賢くないから、よくわからない。ティミアは助けてあげたいけど、フィルさまが困ることもしたくない。

 ぐるぐると考えがまとまらず、パエラは、ぐっと拳を握って下を向く。


「パエラ、ティミアはこう言ってるんだけど、どうしたらいいかな?」

 パエラの葛藤くらいわかっているくせに、フィルはパエラに尋ねる。

「どうしてあたしに訊くの。フィルさま…フィルさまは意地悪だよ……ティミアを助けたいに決まってるじゃない。でも、フィルさまがそれで困ったりしないか心配で」

 パエラは、泣きそうな顔でフィルを睨んだ。

 フィルは、ひとつ頷くとティミアに向き直る。

「ティミア殿、あなた方がサエイレムの市民、つまり帝国の民になりたいと言うのなら、それを受け入れることはできません」

「…そう、ですか…」

「フィルさま…!」

 落胆した声が二つ。


「話は最後まで聞きなさい」

 フィルは微笑む。

「でも、一族の問題を解決するために力を貸してほしい、いつか里に戻るまでサエイレムで保護してほしい、ということであれば、全員を受け入れます。力も貸しましょう」

 ガバッとティミアが顔を上げる。

「良いのですか?!」

「もちろん。サエイレムを頼って逃げてきた方々を見捨てるわけにはいきません。それに、アラクネと友好を結ぶのなら、あなたのような方と手を握りたい」

「フィルさま、ありがとう…」

 半べそのパエラの頭をよしよしと撫でて、フィルは九尾の姿になった。


「…やはり、そのお姿は信じられません。総督殿は人間ではないのですか?」

「元は人間です。最近、人間を辞めたような気もしますけど、詳しいことはサエイレムで話しましょう。パエラに付き添わせますから、サエイレムへ来てください…あ、そうそう、わたしのことはフィルと呼んでください」

「総督…いえ、フィル様はどうなさるのですか?」

「わたしとエリンは、一足先にサエイレムに戻ります。あなたたちの受け入れる準備もありますし……食料などは大丈夫ですか?」

「少しですが、手持ちはあります」

「国境沿いに南へ行けば、明日中には我が第一軍団の駐屯地に着くはずです。第一軍団長のバルケスを訪ねなさい。食事と寝床を提供するよう話を通しておきます。そこでゆっくり休んでから、サエイレムに来てください。ご老人や子供たちに無理させないようにね」

「ありがとうございます。助かります」

 ティミアはフィルに深々と頭を下げる。隣でパエラも頭を下げていた。

「では、サエイレムで待っています…エリン、帰ろう!」

「はっ!」

 エリンがひらりとフィルの背に飛び乗り、フィルは空へと駆け上がる。見上げるアラクネたちは、見る見る小さくなっていく金色の狐の姿を、ぽかんと眺めていた。


「フィル様、ティミア殿をどのようにお使いになるつもりですか?」

「使うだなんて人聞きの悪いこと言わないで…エリンも予想はついてるくせに」

 背中から尋ねるエリンに、フィルは前を向いたまま答える。


「ティミア殿をアラクネの族長に立てるつもりですか?」

「いずれはそうなるかな。わたしは、ティミアたちをそのまま受け入れるつもりだったんだけど、玉藻に止められたのよ。帝国の民にするより、アラクネ族にサエイレムが手を貸す形にした方がいいってね」

「なるほど。確かにその方が対外的には印象が良さそうですね」

「実際にどう動くかは、ティミアからもう少し詳しい事情を聞いてからの判断かな」

 フィルは、サエイレムに向けてさらに速度を上げた。

次回予定「蝕むワイン」

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