三神の策 3
テトたち三神とアセト・アペプは、障壁を挟んで互いに手を出せないまま対峙する。
さすがのアペプも、オシリスが自身の身を触媒にしてまで張った障壁を破るのは難しいらしく、幾度か体当たりをした後は動きを止め、とぐろを巻いて、じっと様子を伺っているかに見えた。
……そして日が暮れ、また夜が明けた時、空に異変が起こっていた。ちょうど神殿の真上に、灰色の分厚い雲が浮かんでいたのである。
そして、しばらくすると頭上の雲からポツリポツリと雨粒が落ち始めた。
海からの風が入るヒクソス領はまだしも、メンフィスの周辺は年間を通して雨が少ない。しかも、これから夏に向かうこの時期は、ほぼ雨は降らない言ってもいいのだが、そこにこの雨である。
そもそも、神殿の上だけを分厚い雲が覆っていること自体、明らかにおかしい。
テトたちも怪訝そうに空を見上げ、その視線は必然的にアペプへと向く。その間にも雨はどんどん強くなり、この地方では有り得ない、大粒の雨が叩き付ける豪雨となっていた。
これは自然の雨ではない。目的はわからないが、水を操る能力を持つアペプが意図的に大雨を降らせているのだ。
頭上が覆われていない障壁の中にも当然、雨が降り注ぎ、テトは顔をしかめながらシストルムをかざす。その力で、風の流れを操り、頭上を覆う雨雲を吹き散らそうとした。
「…なに…?!」
テトが思わず声を上げる。雨を落とし続ける厚い雲は、テトの意思には従わず全く動かなかった。ゴォォォと激しい音を立てて地面に叩き付ける雨は、止む気配なく降り続けている。
一体、アペプは何の為にこんなことを…?
テトは自分の力が効かなかった事よりも、アペプの目的が気になった。おそらくはアセトの入れ知恵なのだろうが、ただ雨を降らせることにどんな意図があるのか。
「バステト、まずいぞ!」
慌てたようなオシリスの声に、テトは考えを中断して顔を上げた。
「このままではオベリスクが溶けてしまう!」
反射的に見上げたオベリスクは、降り注ぐ雨で表面が洗われ、すでに角が丸くなり始めていた。
障壁の核であるこのオベリスクは、オシリスの身体が変じた塩でできている。そして、塩は水に容易に溶ける。このままオベリスクが溶けてしまったら、当然、障壁は維持できない。
「いかん!セト、翼で雨を遮れ!」
「わかった」
セトは、片翼を広げてオベリスクの上にさし掛ける。だが、すでに水を含んでしまっているオベリスクは、少しづつ溶けて強度を失っていく。
「くそ…長くはもたん…!」
「オシリス、どうにかならんのか!」
「無理を言うな!バステトこそ、雲を吹き散らせないのか!」
ぎゃあぎゃあと言い合うテトとオシリスに苦いため息をつき、セトは障壁の向こうからじっとこちらを伺っているアペプを睨む。
もうすぐ障壁が破れると確信しているのか、アペプに全く動きがないのが不気味だ。
ピシリと小さな音がして、オベリスクに亀裂が走った。
「まずい…!」
オシリスは慌ててオベリスクに自らの力を流し込んで修復しようとするが、直したそばから新しい亀裂が生まれている。
「…あら、そろそろ限界のようですわね」
それまで黙っていたアセトが、ニヤリと口を三日月型にした。とぐろの上に身を伏せていたアペプも、ぐぐっと鎌首を持ち上げる。障壁が消えたら、すぐにでも襲い掛かってくる体勢だ。
「くそ…」
テトは、亀裂が目立ち始めたオベリスクを見上げ、苦い口調でつぶやいた。それを見て、アセトは口元に手を添えて楽し気に笑う。
「さぁ、おとなしくアペプの餌になって下さいまし」
「どうするバステト、一旦退くか」
「うぅむ…」
セトの問いにテトは眉間に皺を寄せて唸る。
セトは飛べる。障壁が崩壊する前に空に逃げれば、アペプはすぐには追ってこられない。
だが、逃げたらどうなる……アペプはギーザやアヴァリスを襲うかもしれない。そうさせないためにアペプを足止めしたというのに、それでは本末転倒だ。
首尾良くアペプを閉じ込めたと思ったのに、まんまと形勢逆転を許したのが情けない。
せめて…フィルとリネアが戻ってくるまでは、奴を足止めするつもりだったのだが…
次の瞬間、無常にもオベリスクに大きな亀裂が走り、その半ばから折れて地面に倒れた。それと同時に、パァンと甲高い音を発して障壁も砕け散る。
「これで邪魔はものは無くなりましたわね」
ずるりと音を立てて、アペプがとぐろを解いた。
止むを得ん…自分達だけでどこまでもたせられるかわからんが……テトが悲壮な決意と共にシストルムを構えた瞬間、雲を割って落ちてきた青白い炎の塊がアペプを直撃した。
次回予定「奇襲失敗 1」




