メリシャの能力
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翌日、フィルたちは休日を終えてサエイレムに戻った。もちろんメリシャも一緒である。
門外まで迎えに来てくれたエリンは、メリシャを見て呆れた。
「フィル様、また何かあったのですね」
「休みをとってのんびりするはずだったんだけど……」
フィルは簡単に事情を説明する。
「フィル様のことですから、何かあるんじゃないかとは思ってました。でも、まさかアルゴス族の娘と一緒なんて…後で詳しく説明して頂きますよ」
「人をトラブル体質みたいに言わないでくれる?」
「でも、事実ですよね?」
「…う…」
色々やらかした自覚のあるフィルは、反論できない。
「と、とにかく、今日の夕方、執務室にみんな集めて。今後のことを相談したいの」
「わかりました」
早口で指示するフィルに、エリンは笑いを堪えながら返事をした。
夕方、執務室に集まった重臣たちに、フィルはメリシャがアラクネ族に追われている事情、アラクネ族の里でのことを説明した。
「フィル様、事情はわかりましたが、そう気軽に国境を越えられては困ります」
「ごめんなさい。でも、アラクネ族の戦士もこちら側で入っていたのだから、一方的な問題にはならないでしょう?」
渋い顔をするバルケス。フィルは神妙な顔で謝ってはいるが、考えなしにやったんじゃないとも主張する。
「それはそうですが…しかし、アラクネ族が領内に侵入しているとなると、国境の警備を見直さなくてはなりませんな」
「いいえ。人家も街道もない地域だし、その必要はないわ。今まで通りでかまいません。ただし、市民には北の森の奥には行かないよう注意をしておいて」
「承知しました」
フィルは、バルケスから視線を戻して全員を見回す。
「またみんなの仕事増やしちゃって申し訳ないけど、わたしのやりたいことは、アラクネ族がメリシャを捕らえようとした理由を探ること。そしてあの族長達を排除して、アラクネ族とも友好的な関係を結ぶこと。…どうかしら?」
「フィル様」
グラムが口を開いた。
「アラクネ族の内情を探るのは正直、難しいかと。魔王国の側には我々の情報網がありません」
「そうね。アラクネ族を直接探るのはひとまず置いて、とりあえずやってほしいのは、ベナトリア属州の動きを探ることかな。間にルブエルズ山脈があるから直接は接していないけど、一応、ベナトリアもアルゴス族とアラクネ族の土地の隣に当たるわけだし」
「帝国、ベナトリアがアラクネ族に接触している、ということですか?」
「リドリアはメリシャを『商品』だと言った。とすれば、どこかに売り渡すつもりだった可能性が高いと思う。その相手が帝国側なのかはわからないけど…念のためよ。何もなければそれでいいし。ベナトリアの動きはどのみち探っているでしょう?そこから何か得られないかしら…?」
「承知しました。落成式の一件以来、ベナトリアには配下を潜り込ませています。探りを入れてみましょう」
フィルはこくりと頷く。
「…アラクネ族の戦士長ティミアに、5日後の夜、今からだともう4日後だけど、国境で待っていると言い残してきたわ。もし会えたら、わたしの方でも、できるだけ話を引き出すつもり」
「フィル様、お言葉ですが、アラクネの長はサエイレムとの交流に否定的だったのでしょう?長の意向を無視してまで来るでしょうか?」
フラメアが疑問を呈し、テミスもそれに同意するように頷いた。
「魔族にとって一族の長の存在は大きいです。それはアラクネ族とて例外ではないと思いますが」
「フラメアやテミスの言うことはわかるよ。だけど、わたしは五分五分だと思ってる。アラクネの長は、同じく一族を率いるアマト殿やウルド様、グラオペのように、一族から信頼を得ているように見えなかった。言動もどこか危なっかしい印象だったし、健康面でも問題がありそう。…ティミアも、何か現状を変える手立てが欲しいはずだと思うの」
そしてフィルは、部屋の隅で黙って佇んでいるパエラに視線を向ける。
「パエラ、ティミアは来ると思う?…お互いよく知ってるんでしょう?」
ピクッとパエラの身体が震えた。
「…フィルさまは、どうしてわかっちゃうかなぁ」
「パエラはともかく、ティミアの態度はそうとしか見えなかったけど?」
パエラは肩をすくめながらフィルに歩み寄り、一同に頭を下げた。
「フィルさまの言う通り、あたしとティミアは姉妹のように育てられた幼馴染です。長の後継者に選ばれたティミアは戦士に、あたしは外に出て情報を集める間諜になりました。ティミアが陽で、あたしが陰の役どころってわけです。あたしがサエイレムに来たのも、帝国軍の情報を集めて仲間に流すためでした…でも、今は違う。あたしの主はフィルさまです」
「サエイレムに残ると決めた時に、ティミアのことは平気だったの?」
フィルの問いに、パエラは泣き笑いのような表情を浮かべる。
「そりゃ気になったよ。すごく迷ったし、悩んだ。でも、ティミアは将来族長になる立場だし、…あたしはあんな里よりもサエイレムで暮らしたい。悩んだところで、どっちも満足いく答えなんて、最初から無かったんだよ。だから、あたしは自分がやりたい方を選んだの」
「…ごめんね。嫌なこと聞いて」
「ううん…フィルさま、ティミアはきっと来てくれると思うよ。あのとおり真面目だから、表立って長に逆らうことはできないけど、一族のことは誰より心配してる。里の暮らしはうまくいってないみたいだったし、あたしをフィルさまが庇ってくれたのを見てるから、きっとフィルさまのことは悪く思っていないはず」
フィルは、椅子から立ち上がる。
「グラムは、さっき言った通りベナトリアの動きを探って。フラメアは商業組合のバレンと協力して、グラムの手伝いを。商人たちの情報網も利用させてもらいなさい。…バルケスはラロスを通じて、ウルド様にアラクネ族やアルゴス族の動きについて何か掴んでいないか問い合わせて。こちらの事情は全て向こうに伝えていいわ。…テミスは、ハルピュイアに命じてアラクネの里を上空から見張らせて。特に里に出入りする者がいないか監視してほしい。でも、弓兵がいるから無理に近づかないよう注意してね。…エリンは総督府で待機。…みんな、頼むわね!」
『はっ!』
皆が一斉に立ち上がって部屋から出て行く中、エリンだけが不満げな表情で部屋に残る。
「フィル様、どうして私には何も命じてくださらないのですか?」
「エリン、わたしの部屋に来て。パエラも」
フィルは、エリンとパエラに手招きして、隣の私室に入った。
「フィル~、おかえり」
ソファに座っていたメリシャが、早速駆け寄ってきて、ボフッとフィルに抱きつく。
「メリシャ、ただいま。何をしていたの?」
「お話を読んでいたの」
見ると、テーブルの上に羊皮紙の束があった。リネアが文字の勉強に使っている平易な文章で書かれた物語だ。
「フィル様、メリシャは文字が読めるみたいです。読んであげようとしたら、自分で読めるって…」
リネアが、ちょっと残念そうな表情になっている。勉強の成果を披露し、メリシャの尊敬を勝ち取ろうと思っていたらしい。
「え?」
フィルはリネアを見つめ、続いてメリシャに視線を落とす。
「メリシャ、これ読めるの?」
「うん」
にぱっと笑うメリシャに、フィルは…すごいねぇ、と微笑んだ。
帝国で使われている文字は、帝国独自のものではない。地域により多少の違いはあるが、基本的には帝国よりもっと昔、神話で語られる時代の文明が残した文字を引き継いでいる。
そのため、魔族にも同じ文字が伝わっていること自体は不思議ではないのだが、平易な文章とは言え、メリシャのような幼い子がそれをちゃんと読めるのは珍しい。帝国でも、メリシャの歳でそこまでの教育を受けられるのは、皇族や上級貴族の子弟に限られる。
メリシャが特別なのか、アルゴス全体で教育レベルが高いのかはわからないが。
エリンを私室に呼んだのは、アラクネ族やアルゴス族の者と会ったことがあり、多少なりともそれぞれの種族のことを知っているからだ。
先の戦争の終戦交渉の際に、軍団長であるバルケスとエリンは、アルヴィンの幕僚としてケンタウロス、アラクネ、アルゴスの使節団を迎える立場にあった。
エリンを選んだのは、メリシャから話を聞くのに、よく言えば体格の良い、有り体に言えば威圧感のあるバルケスがその場にいるよりも、女性のエリンの方がいいだろうという理由だ。
リネアにお茶とお菓子を出してもらい、リネアとパエラも含めてみんなでソファに座る。
「メリシャ、あなたのことを教えてもらってもいいかな?」
「メリシャのこと?」
軽く首をかしげるメリシャに、フィルは少し言いづらそうに口ごもり、一つため息をついた後に口を開いた。
「メリシャは、どうしてお母さんと旅に出ることになったの?」
「…メリシャは、『見えすぎる』んだって」
ポツリと言った。
「見えすぎる…?」
「メリシャにもよくわからない。お母さんがそう言ってた。『見えすぎる』から街にいてはいけないんだって」
こんな小さな子が街にいてはいけないなんて、とフィルは密かに憤る。
「…それで、お母さんと故郷の街を出て、旅をしていたんだね」
「うん」
「どこへ行くつもりだったの?」
「フィル、ここはサエイレムなんだよね?」
「そうだよ」
「お母さんはサエイレムにいるえらい人に助けてもらうって言ってた」
「それって!…メリシャ、その偉い人の名前はわかる?」
「ううん。…お母さんは、しょーぐんって言ってた」
「そっか…」
終戦後もサエイレムに残っていた将軍と呼ばれる人物、それはアルヴィンだけだ。父を頼ろうとしていたのなら、ますます見捨てるわけにはいかない。
「フィルがメリシャを助けてくれる、サエイレムに連れてってくれるのが『見えた』から、メリシャはフィルを探してたの」
「…?」
メリシャの言葉が理解できなかった。探していた?フィルを?メリシャとフィルは森で初めて出会ったのに?
「メリシャ、わたしとメリシャは、森で初めて会ったよね?」
「うん。でも、フィルとリネアがメリシャを助けてくれるのが『見えた』の。だから、フィルに会えたら助けてもらえるって思ったの」
フィルは、メリシャの言葉を反芻する。会うのは初めてなのに、それより先にフィルたちのことを知っていた?
「フィルさま、アルゴスは先が見えるって…これがもしかして、そうなんじゃない?」
黙って聞いていたパエラが口を挟む。
「先が見える…それって、これからどうなるのかわかるってこと?」
「たぶん。…メリシャはフィルさまとリネアちゃんが自分を助けてくれる未来を見て、二人のことを探していたって事だよね?」
パエラは、メリシャのスカートに浮かぶアルゴスの目を見ながら言う。
「メリシャ、そうなの?」
「うん…『見えた』の…フィルも『見える』のは嫌い?」
メリシャは不安そうにフィルを見つめた。
「ううん。嫌いじゃないよ」
フィルはメリシャに笑いかける。メリシャの言う『見える』とは、未来が見えること。だとしたら、『見えすぎる』というのは…
「メリシャは、これから何が起こるか、わかるんだね?」
「うん…だけど、それは良くないんだって。お母さんには見ちゃいけないって言われてた。…でも、お母さんがいなくなって、メリシャ、独りぼっちになって、お腹もすいて…、だから、食べ物がある場所や雨に濡れずに寝られる場所を『見た』し、メリシャを助けてくれる人を『見た』の……ごめんなさい」
「謝らなくていいんだよ。『見た』おかげで、メリシャは助かったんだから、それは悪いことじゃないよ」
フィルは、メリシャを抱き上げてぎゅっと抱きしめる。
「メリシャが独りぼっちのままにならないように、メリシャのお母さんが導いてくれたんだよ。きっと」
「…お母さん…」
母親のことを思い出したのか、じわりとメリシャの目に涙が浮かぶ。話はここまでにした方がいいだろう。
「メリシャ、リネアのお手伝いをして、夕ご飯の準備を頼めるかな。わたしは、もう少しエリンやパエラとお話があるから、それが終わったら、みんなでご飯にしようね」
「うん、わかった」
ごしごしと服の袖で涙を拭い、メリシャは頷いた。フィルは、立ち上がったリネアにメリシャを渡す。
「リネア、お願い」
「はい。…メリシャ、行きましょうか」
甘えるように首筋に顔を埋めるメリシャを大事に抱え、リネアはキッチンのある使用人室へ。
パタンとドアが閉まると、フィルは、はぁっと大きく息をついた。
「…もう、泣かせちゃうかと思った」
「いい娘じゃないですか。フィル様が気に入るのもわかります」
エリンが使用人室のドアに視線を向けて微笑む。
「そうだよねー。そんな娘を狙っているのがあたしの同族だと思うと、すごく申し訳ない気分になるよ」
「パエラが責任を感じることはないんじゃない?」
「でも、ティミアがその片棒を担がされてるのが、腹立つんだよ……リドリアの婆、本当になんとかできないかな」
ついに族長を婆呼ばわりし始めるパエラ。一族とはもう関係ないと割り切っていたつもりが、ティミアと再会して情が戻ってしまったようだ。
「さて、…メリシャの話、どう思う?」
フィルは一口お茶を飲んで口を湿らすと、二人に訊いた。
フィルが訊いているのは、メリシャの能力がどういうものか、ということだ。おそらくは、未来がわかるという能力のせいで、メリシャは故郷にいられなくなり、アラクネ族に狙われている。だが、一言で未来のことがわかると言っても、メリシャの能力は少し変わっているように思う。
所謂、予言や予知というものは、もう少し漠然としたものだ。予知を聞いてから当人がどのような行動を取るかによって未来は変化する。それが定まらない状態で予知するのだから、結果にはある程度が幅があって当然だ。
しかし、メリシャの場合は、先に予知があって、その結果から自分の行動を選択している。
メリシャはリネアの小屋に食べ物があるという具体的な事象を『見た』と話していた。そもそも、リネアの小屋の存在すら知らない段階で、どうして『小屋へ行くという行動』をした後の未来が『見えた』のか。
森の中にリネアの小屋があり、そこに食べ物がある、という結果を先に知ったから、メリシャはリネアの小屋に行き、食べ物を見つけられたのだ。
同じように、フィルたちに助けてもらう未来が『見えた』からこそ、メリシャは森の中でフィルたちを探し、出会うことができた。原因と結果が逆のような気がするのだ。
三人で意見を出し合い、推測し、導き出された答えは、メリシャの見ている未来は一つではなく、百あるというアルゴスの目が、それぞれ別々の未来を見ているのではないか、というもの。それぞれの目に映し出される、様々な選択から繋がる未来を『見比べて』一番良い結果に繋がる選択を知ることが出来る。それがメリシャの能力なのではないか。
選択から結果を『見る』のでなく、望む結果に繋がる選択を『見る』能力。それが本当だとしたら、その使い道は計り知れない。メリシャの能力を使えば、サエイレムの繁栄は約束されたようなもの、一瞬フィルはそう思い、すぐにそれを打ち消した。
メリシャが『見る』様々な未来は、当然、良い結果ばかりではないはずだ。むしろ良くない未来の方が多いと思った方がいい。見るに耐えないむごたらしい未来だって有り得る。
もしかすると、フィルたちに助けてもらう未来を『見た』時には、同時に、森の中で独りぼっちのまま死を迎える未来や、野獣など襲われて食いちぎられる未来だって『見て』しまっているかもしれない。
あんな幼い子に、そんなものは見せたくない。
それに、メリシャの能力に安易に頼り続けたら、いずれ、どんな選択をしても破滅に向かう結果しか見えない、そんな詰んだ未来が予知されることになるのかもしれない、フィルはそう思った。
「フィル様、メリシャの身体に浮かぶ百の目ですが、私が終戦交渉の際に出会ったアルゴスの使節団の者たちには、そんな特徴はありませんでした。彼らは人間と同じ顔の二つの目の他に、額や手の甲などに複数の目を持っていましたが、メリシャほど多数の目を持つ者は見ておりません」
「アルゴスは人間に近い国家体制を形成していると聞いているけど、例えば身分の高い者、帝国で言う貴族や皇族に類する者だけが、メリシャのような特徴を持っているとか?」
フィルの質問にエリンは首を横に振る。
「いいえ、身分ではないと思います。使節団を率いていたのは、アルゴスの現王の弟君でしたが、彼にもそのような特徴はありませんでした。…もしかすると隠していた可能性もありますが、おそらく、メリシャの能力はアルゴスの中でも相当に特殊なのはないかと。…身分が高いというより、何か特別な血筋であったのかもしれません。高い教育を受けた様子があることからも、アルゴスの中でメリシャが特別な扱いを受けていたのは間違いないと思います」
「しかし、そんな娘が母親と共に故郷を離れることになった、アルゴス内部の問題かな?」
「わかりません…ですが、メリシャの能力はあまりにも利用価値が高すぎます。メリシャの意思に関係なく、利用しようとする者はいくらでもいるでしょう。故郷を離れることになった理由は、やはりそのあたりでしょうか…?」
エリンが難しい表情で言う。
「アルヴィン様を頼ろうとしたということは、もしかすると終戦交渉に来たアルゴスの使節団の中に、メリシャの母親がいたのかもしれませんね」
「そうだね…いくら父様を知っていたとは言っても、魔族が帝国に頼ろうとするなんて余程だと思う。…メリシャは、アルゴスには返さない方がいいのかもしれない」
「この街には他にアルゴス族はいません…ここで生きることが良いことなのでしょうか?」
心配そうに言うエリンに、フィルは少しの沈黙を挟んで口を開く。
「…わからない。だけどメリシャは、出会ってから一度も『帰りたい』って言わないんだよ…」
フィルは悲しそうな表情を浮かべて、そうつぶやいた。
次回予定「ティミアの申し出」




