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傾国狐のまつりごと-食われて始まる建国物語-  作者: つね
 第5章 神話の終焉
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イシスの望み 3

「おぉ…すごいね」

 ぱちぱちと拍手するフィルに、リネアはやや照れたように微笑む。イシスは、思わぬ力業に呆気にとられていた。


 リネアはその場にしゃがんで穴の中に手を伸ばし、クリーム色の滑らかな石で作られた蓋付きの壺を取り出した。壺は、蓋の部分に人の頭を模した彫刻が施されており、ずんぐりとした丸みを帯びた形状をしている。

 フィルたちは知らなかったが、その壺は、死者をミイラとして葬る際、身体から取り出した臓器を別に保管するための『カノポス壺』と呼ばれるものだった。 


「壺を開けてください」

 イシスは言うが、フィルとリネアは不審そうな表情で壺を見つめる。開けた瞬間、封印されていた何かが…というパターンはありがちだ。


「大丈夫です、危険はありません。…嘘ではありません」

 疑ってばかりでは話が進まない。リネアは、注意しつつゆっくりと蓋を取った。下に手を置いて壺の本体を逆さにしてみると、中に入っていたものが、ぽとりと落ちてきた。


 壺に入っていたのは、ちょうど手のひらに乗るほどの大きさの、青い石でできた護符のようなものだった。メネスでよく見られる上部がリング状になった十字の形をした護符『アンク』によく似ているが、『アンク』では真っすぐに伸びる両腕が、垂れ下がったように下に向いている。


「これは、『チェト』と呼ばれるわたくしの祭具です。今のわたくしは、この祭具を依り代にしています」

 結び目をモチーフとし『イシスの結び目』とも呼ばれるチェトは、『生命』を象徴し、身に着ける者の生命力を活性化させると言われている。

 

「ということは、これをここから持ち出せば、あなたを外に連れ出せる、ということ?」

「仰る通りです」


 リネアからチェトを受け取ったフィルは、腰帯を一旦ほどき、チェトのリングを帯に通して腰に下げた。


「イシス、これでいい?」

「はい。よろしくお願いいたします」

 イシスは、祭壇から降りてフィルとリネアに頭を下げた。



「じゃ、帰ろうか」

「そうですね。メリシャが待っています」


 外に出て、リネアがティフォンに姿を変えると、イシスは驚愕の表情でティフォンを見上げる。


「か、神殺しの竜王?!」

「知っているの?」

「はい。竜族の王権であり、神々に戦いを挑み、主神ゼウスを倒したとされる伝説の竜…しかし、その後に神々との戦に敗れ、いずこかに封じられたと聞いていましたが…」

 神の策略によって代替わりに失敗したティフォンは、エドナ火山の下に長らく封じられていた。 


「ティフォンはわたしたちの時代に復活し、その力を受け継いだ今代のティフォンが、リネアなの」

「そうなのですね…では、アペプ…アポピスのこともご存知なのですか?」


「ティフォンの記憶にはほとんど残っていませんでしたが、セトから話は聞いています。ティフォンを継ぐ候補と期待されていながら、突然反旗を翻したと」

 リネアが答える。


「わたくしがまだ故郷にいた頃…神に反抗するティフォン廃し、竜族を神の側に引き込むため、アポピスは神々に唆されて『英雄』に仕立てられた、という伝承を聞いたことがあります」

 イシスは、フィルたちと同じく北の大陸の出身。しかもフィルたちよりもずっと古い時代に生きていた。


 神々やアペプと戦った先々代のティフォンがいたのは、それより更に前の時代だが、イシスの時代には、まだ竜や神々にまつわる多くの伝承や記録が残っていたという。


「それは初耳だわ。でも…そっか、なるほど…」


 天界の神々が、地上における自分達の駒として『英雄』と呼ばれる存在を作り出すことは先程聞いたが、アポピスがティフォンに反旗を翻した裏にも、ティフォンを排除したい神々の思惑があった…。

 言われてみれば、十分に有り得ることだとフィルも思った。


「ティフォンが、まさかこの大陸にいるとは思いませんでした…これなら、アセトを探す手間は省けそうですね」

 小さく笑みを浮かべたイシスは、スッと姿を消して、依り代であるチェトの中に戻った。 


 そして、フィルを背に乗せたティフォンは神殿跡を飛び立った。ティフォンが安定して飛行を始めると、フィルは優しくティフォンの首を撫でる。


「リネア、また心配させてごめんね…イシスの話を聞いた時、わたしがアセトに同情して、隙を突かれるんじゃないかと心配してくれたんでしょう?」

「…はい。フィル様はお優しいですし、…その…フィル様もお辛い目に遭われていますから…」


「…確かに、彼女の受けてきた仕打ちはひどいと思う。けれど、アセトの境遇がどんな悲惨だろうと、復讐するにふさわしい理由があろうと、そんなものは関係ないの。同情心を煽ればわたしが迷うとでも思っているのなら、アセトは一番大事なところを見落としてる」


「…見落とし、ですか?」

 リネアは不思議そうに訊き返した。


「どんな理由があろうと、わたしの一番大事なリネアを傷つけることは絶対に許さない。そんな相手に、容赦なんてしないよ!」

 フィルは力を込めて言うと、ティフォンの首筋に抱きついた。  

次回予定「アセトとアペプ 1」

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