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傾国狐のまつりごと-食われて始まる建国物語-  作者: つね
 第5章 神話の終焉
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南部への旅 2

 このように気候は厳しいものの、毎年起こる洪水のおかげで大河の河岸沿いには肥沃な土壌が堆積しており、ナツメヤシの林や、耕作地が作られている。市場と思われる一角には、大河で捕れた魚などとともに、野菜や果物が並べられていた。


 フィルとリネアは、市場の中にあった露店のひとつに立ち寄り、食事をとった。…正直、おいしくはなかった。


 ふたりは市場を歩き、時々買い物をしながら、町の者たちにイシスの話を尋ねた。しかし、残念ながらイシスに関する情報は、思った以上に乏しかった。


 遙か昔、まだ動物さながらの生活をしていた人々を導き、農耕や採掘の技術を与えてくれた、シエネの礎を築いた存在として伝わってはいたが、半ば伝説上の人物といった扱いらしい。

 過去には、神格化されていたこともあったようだが、一方で、北から下メネスの軍勢が侵攻してきた時には、助けることなく民を見捨てたという話も多く聞かれ、全体としてイシスのイメージは、あまり良いものではないようだ。


 シエネの人間たちも、今では古くからの言い伝え程度の曖昧な事しか知らず、当然、フィルたちが知りたかった、アセトの正体や目的に繋がるような手掛かりは何も得られなかった。


 ただ、大昔にイシスを祀った神殿の跡と思われる遺跡が、今も町の郊外に残っていると聞き、ふたりはその場所へと向かった。


 シエネの町から東に向かい、幾つかの砂丘を越えた砂漠の中、砂丘と砂丘の間にできた緩やかな窪地の底に、小さなオアシスがあった。


 豊かな水が湛えられた三日月型の泉と、その周りに茂る植物。ごく限られた範囲だが、地面は柔らかな草で覆われ、背の高い椰子の梢が夕闇に染まり始めた空を背景に、その姿を水面に映していた。


「きれいな場所ですね」

「うん。…今夜は、ここに泊まろうか」

 澄んだ泉の水に手を浸しながら言うリネアに、フィルは微笑む。


 オアシスは、砂漠の下から地下水が湧き出す場所に生じる。乾燥しきった砂と岩の大地の中で、小さいながら豊かな水と緑に覆われたオアシスは、砂漠の海にポツリと浮かぶ島にも似て、一際美しく見えた。


 砂漠の中で夜を明かすのに、これ以上の場所は望めない。

 リネアとふたりきり、…他に誰もいないのもいい。


 太陽はすでに西の空に傾き始めている。シエネの町まで戻れなくはないが、フィルはここでリネアとふりたきりの夜を過ごすことを選んだ。もちろん、リネアもそれを望んでいた。


 泉のほとりに沿って歩いていくと、三日月の内側、緩やかに泉に張り出す円弧の中に、朽ち果てた神殿と思しき遺跡があった。

 この地域では珍しい石造りの遺跡であったが、放置されてからずいぶん長い時を経ているらしく、すでにその大部分が崩壊していた。建物として原型を保っていたのは、祠のようなものが一つだけ。周囲には砕けた石柱や崩れた建物の残骸が散らばっていた。

  

 唯一残っていた祠は、5メートル四方ほどの大きさしかない真四角な建物だった。

 同じ大きさに揃えられた切石が規則正しく積み上げられていて、技術的には高度ではあるが、彫刻や壁画といった装飾もなく、壮麗なバステト寝殿やオシリス神殿からすると、極めて簡素としか言い様がない。


 扉も無く、ぽっかり開いた入り口から覗いてみると、夕陽が長く差し込んだ建物の中には、奥の壁際に祭壇だったと思われる階段状のステージがあるだけだった。


「……何もないね」

「そうですね…」 


 どうやら、今回の旅は空振りに終わりそうだと、フィルは苦笑を浮かべた。

 …まあ、それならそれでも構わない。ダメで元々、何か手掛かりが掴めれば僥倖、という程度のつもりだった。

 今回の旅は、リネアとふたりで出掛けること、それ自体が第一の目的だったのだから。


「今日はもう暗くなってきたし、中を詳しく調べるのは明日にしようか」

「はい」


 すっかり日は落ち、月の光が泉の水面に反射して辺り淡く照らしている。昼間に感じた肌を炙られているような暑さはすでになく、その名残を残す熱気も涼しい風に吹き払われようとしていた。

次回予定「南部への旅 3」

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