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傾国狐のまつりごと-食われて始まる建国物語-  作者: つね
 第2章 サエイレムを狙う者
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パエラの同胞

 ぺちぺちと頬を叩く感触に、フィルはうっすらと目を開ける。

「フィル、おはよう」

「…メリシャ?」

「フィルが起きないと、ご飯が食べられないよ」

 もそもそと身を起こす。外はすっかり明るい。ずいぶんと寝坊してしまったようだ。


「おはよう、メリシャ。よく眠れた?」

「うん、すごくぬくぬくだった」

 にぱっと笑うメリシャ。ワンピースに浮かんでいるアルゴスの目も、メリシャの表情に合わせて目を細めている。

「よし、起きよう!」

 んーっと伸びをして寝床から降りたフィルは、メリシャと手を繋いで隣の居間へ移動する。すでにリネアが朝食の準備を終えていた。

「リネア、おはよう。ごめんね。寝過ごしたかな」

「おはようございます。フィル様。せっかくの休日ですから、ゆっくり眠るくらい良いと思いますよ」

「ありがとう…」

 昨夜の夢のことを少し思い出したが、頭の隅に追いやる。桶を持って湖に行き、顔を洗うと頭がすっきりした。


 湖では、パエラが燻製肉を挟んだパンを齧りながら釣りをしていた。自分の糸を釣り糸にして、脚の一本を竿のように器用に使い仕掛けを操っている。

「おはよう。パエラ」

「おはよう。フィルさま」

「寝室に来なかったけど、どうやって寝たの?」

「あたしは、自分の糸で居間にハンモック張って寝たよ」

「寒くないの?」

「ふっふっふ、あたしの糸はなかなか優れものなんだよ。フィルさまも今度寝てみる?」

「なんか、蜘蛛の巣にかかった獲物ってイメージしか想像できないんだけど」

「ひどーい。でも、確かに見た目はそんな感じかも……お、きたきた!」

 パエラが、くいっと脚を上げて糸を引っ張ると、20cmほどの魚が糸の先に付いていた。

「へぇ、うまいのね」

「お昼のメニューはお魚だよ。期待しててねー」

「うん、期待してる」


 フィルが小屋に戻ると、すでにメリシャはテーブルに着いていた。

「待っててくれたの?ありがとう」

 フィルが椅子に座ると、メリシャはにこりと笑ってフィルを見上げる。

 リネアも席に着き、三人で声をそろえた。

「いただきます」

 メニューはさっきパエラが食べていたものと同じ、燻製肉を挟んだパンだ。それに小さく刻んだキノコと野草を煮込んだスープが並ぶ。

 小さな口には少しばかり大き目のパンを勢いよく齧るメリシャ。その様子にフィルとリネアは思わず微笑んでしまう。


 「お昼のお魚、ここに置いとくねー」

 小屋の扉の外から、パエラの声がした。

「ありがとうございます」 

 窓から顔を出して礼を言うリネアに、パエラはひらひらと手を振った。

「じゃぁ、あたし、ちょっと出かけてくる。何か罠にかかったみたいだから、見てくるよ」

「行ってらっしゃい、気を付けて」

 身軽に跳躍して森の中へと消えるパエラを見送り、リネアはテーブルに戻る。

「パエラ、どっか出かけたの?」

「はい。森に」

「そう…」

 パエラに釣りを教わろうと思っていたフィルは、少し残念そうな表情を浮かべた。


(どれ、麿たちも外に出るか)

 するりと妲己と玉藻の姿が部屋の中に現れる。

(フィル、妾も少し散歩に出かけてくるわ)

 妲己は壁をすり抜けて外へ。


 玉藻は昨日と同じように窓側で書物を開いた。

「玉藻、それ何読んでるの?」

「これはのぅ、麿が宮中に入る少し前に流行した物語じゃ。一人の貴族を主人公に様々な女性との恋愛、貴族社会での栄達や没落なんぞを描いておる。…しかし、フィルの嗜好には合わないと思うぞ」

「そうなの?…だけど流行したってことは、面白いお話なんでしょう?」


 興味ありげなフィルに、玉藻はにやっと少し黒い笑みを浮かべる。

「なにせ主人公は、自分の母親に似た人妻に憧れて男女の関係になった挙句、その人妻の幼い姪を誘拐して、自分の理想の女性になるように育て上げ、遂には妻にしてしまうのじゃ」

「なっ…」

 フィルの頬がさぁっと赤くなり、続いて気持ち悪そうに眉間に皺が寄った。

「まぁ、フィルの感覚からすれば許せぬ男であろうな。じゃが、物事の善悪は時代や立場によって簡単に変わる。善悪は脇に置いて、なぜこの男がそういう行動をするに至ったのか、女たちはどうしてその男に惹かれたのか。そういう視点で読んでみると存外面白いぞ」

「そういうものかなぁ…」

「人とは一筋縄ではいかんということじゃ。それに、フィルの思う善が、誰にとっても善とは限らん。人の上に立つ者として、フィルも気をつけんとな」

「ご忠告、覚えておきます…」

 扇で口元を隠して笑う玉藻に、フィルは疲れたように息を吐いた。


「いい、メリシャ。これからわたしは狐の姿になるから、驚かないでね」

 朝食の後、どうせサエイレムに帰る時には乗せるのだからと、フィルはメリシャに九尾の姿を見せておくことにした。決して、メリシャとどう遊んだらいいのかわからなかったからではない。

「フィル、狐さんになるの?」

「少し離れててね」

 フィルの姿が一瞬で九尾に変わる。黄金に輝く大狐が、メリシャに顔を近づけた。

「フィル、だよね…?」

「そうだよ。乗ってみる?」


 地面に腹を付けて、身をかがめる。それでも九尾の背中は高い。小屋のウッドデッキに座ってメリシャの服を繕っていたリネアが駆け寄って、メリシャを抱き上げた。

「リネアも一緒に行こうよ」

「はい」

 フィルの背に乗るのに一番慣れているリネアは、身軽にフィルの背に乗ると後ろからメリシャの小さな身体を抱える。

「うわぁ、もふもふだぁ」

 メリシャは、柔らかな金色の毛皮を夢中で撫でまわしている。


「リネア、いい?」

「大丈夫です」

「じゃ、行くよ」

 ゆっくりと立ち上がる。そして、地面を蹴った。ふわりと風をまとってフィルは空へと駆け上る。

「うわぁ、すごい」

 メリシャの歓声が上がった。森を覆う木々の梢の上を、フィルは軽い足取りで走っていく。


 背の上はほとんど揺れないので、バランスさえ崩さなければ落ちはしないが、キョロキョロと周りを見回すメリシャは、ともすれば身を乗り出しそうになる。それをリネアが軽く押さえていた。


 フィルが向かうのは、サエイレムとは反対方向。広大な森の更に北には、隣領ベナトリア属州との境界となるルブエルズ山脈が白い雪を被ってそびえている。そして、森の東側に広がる大地は、魔族たちの領域だ。

 森の西側には森を切り開いて通された街道が走っており、南へ行けばサエイレム、北へ行けばベナトリア属州を経て本国まで繋がっていた。本国までの途中には、フィルが生まれ育ったリンドニア属州もある。

 フィルは、更に高度を上げる。遠くにテテュス海の大海原が広がっているのも見えてきた。


「あれが海です」

 リネアが青く輝く海原を指さしてメリシャに囁く。

「うみ?」

「そう、塩辛い水がずっとずっと、見渡せないくらい遠くまで広がっているんです」

「お水が塩辛いの?誰かがお塩たくさんこぼしちゃったの?」

「どうして塩辛いのかはわからないけど、海にはたくさんのおいしいお魚もいるし、セイレーンたちが住む島もあるんですよ」 

「セイレーン?」

「そう。水の中で生きる魔族です。すごく歌が上手いんですよ。メリシャもサエイレムに行けば会えます」

 背の上で楽しげに話すリネアとメリシャ。セイレーン姉妹のモルエはメリシャと年が近い。サエイレムに帰ったら紹介しよう、とフィルは思った。


(フィル、妾の場所がわかる?)

 突然、フィルの頭の中に妲己の声が聞こえた。声を意識すると、少し先の森の中に妲己の気配を感じた。

(わかるよ。何かあった?)

(えぇ、今、パエラにアラクネ族の戦士達が接触しているの。少し面倒なことになるかもしれない)

(それって、パエラの同族ってこと?アラクネ族が国境を越えて帝国側に侵入してるの?どうして?)

(相手の意図はまだわからないわ。わざと獲物が罠にかかったように見せかけて、パエラが見に行ったところを待ち伏せてた)

(わたしはどうしたらいい?)

(…ちょっと待って)

 妲己の声が、数舜、途切れる。


(マズいわね。パエラが捕まりそう。フィル、こっちに来てくれない?)

(わたし、リネアとメリシャを乗せてるんだけど)

(背中に伏せさせておけばいいわ。九尾の姿で威圧して、狐火の一発でも食らわせれば大丈夫でしょう)

 フィルは、一旦足を止め、背中のリネアとメリシャを振り返る。


「リネア、メリシャ、どうもパエラが良くない連中に絡まれてるみたい。ちょっと助けに行くから、二人は背中で伏せててくれる?」

「わかりました。フィル様、お気を付けて」

「うん…」

 少し不安そうに頷くメリシャを、リネアが抱きかかえるようにフィルの背に伏せる。

「すぐに終わらせるから、ちょっとだけ我慢しててね」

 フィルは妲己の気配を目印に、森の中へと駆け下りた。


「あたしは手伝わないよ!もう一族を抜けたんだから、放っておいてよ!」

 パエラの叫び声が聞こえた。

 パエラは数人のアラクネたちに取り囲まれている。8本の脚には糸が絡みつき、その場から逃げられないようだ。

 すっと、妲己がフィルの中に戻った。

(さぁ、少しばかり脅かしてやって!)

 少し怒ったような口調で言う妲己に、フィルも勢いを付けて跳躍し、パエラとアラクネたちの間に割り込むように着地した。


「フィルさま?!」

「パエラに何をしている!」

 言うと同時に狐火をアラクネたちの足下へと撃ち込む。慌てて飛び退いたアラクネたちを睥睨しつつ、フィルはパエラの脚を拘束していた糸を狐火で焼き切る。

「パエラ、怪我はない?」

「あの、あたし…」

「話は後で聞くわ。早くわたしに乗って」

「パエラちゃん、こっちへ」

 フィルの背からリネアがパエラに手を伸ばす。


「うん」

 パエラは素直にリネアの手を取り、フィルの背に飛び乗った。

 遠巻きにするアラクネ達の足下に、フィルがもう一度、狐火の矢を撃ち込むと、アラクネたちは次々と木立の向こうへと退いていった。


「とりあえず、小屋に帰りましょう」

「うん…フィルさま、ありがとう」

 リネアの家へと走りながら、フィルは背中のパエラの様子を伺う。じっと背の上で顔を伏せるパエラに、リネアとメリシャも心配そうな表情を浮かべていた。

 互いに無言のまま、フィルはリネアの家に到着する。3人を降ろすと、自分も人間の姿に戻った。


 リネアとメリシャには、先に小屋の中に入っていてもらい、フィルはパエラと一緒に、ウッドデッキの隅に座った。


「最初に言っとく。パエラがどこの誰でも、これまでどんなことをしてきたとしても、わたしはパエラを離さないよ。これからも、わたしの側に居てもらうからね」

 フィルは、戸惑うパエラの頬を両手で挟み、ぐいと自分の方へ向ける。

「いい?わかった?」

「フィルさま…痛いよ」

「護衛が主を心配させたお仕置き」

「…ごめんなさい」

 パエラは、しゅんと目を伏せる。


「パエラ、言いたくないことは言わなくていい。でも、何があったのかだけは教えてくれない?」

「ううん、フィルさまには全部話すよ」

 パエラはポツリポツリと話し始めた。

次回予定「アラクネ族の里」

アクセスが増えてきました。皆さま、読んで頂きありがとうございます。

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