アペプの封印 2
「まぁ、そう言うだろうと思っていたわ。地上のメリシャたちと合流して、フィルにこの身体を返せば、まぁアペプが蘇ってもなんとかできるかもね」
妲己は呆れたように微笑みながら、頷いた。
長い付き合いだ。妲己にもリネアが何を言い出すかくらいは想像が付いていた。賭けだろうと何だろうと、地上への道を開く手段があるのなら、それでフィルを助けられるのなら、リネアがそれを躊躇うはずがないのだ。
そうでなくとも、このままアペプが力を増せば、間もなく封印の方がもたなくなる。そのときに、冥府の関門がアペプを押し留められる保証はないのだから、リネアの選択は必ずしも無謀ではないと妲己は判断していた。
「…セト、ごめんなさい。あなたたちがせっかく封じてくれたのに…」
「いいえ、リネア様。封印の間近にいながら、今に至るまで気付かなかったのは我の落ち度です。それに、奴が復活すれば、今度こそアペプの息の根を止める機会が得られる…むしろ感謝いたします」
「わかりました。…そのときには私も共に戦わせてください。元々、アペプは先々代のティフォンに反旗を翻した者。竜王を継いだ身としては放ってはおけません」
「はっ、感謝の極み」
その場に膝を着いて深々と頭を下げるセト。
「…わかった。吾輩も覚悟を決めよう。あの女にまんまとやられたのは吾輩の不徳の致すところだからな」
黙って見ていたオシリスも、渋々という感じで言った。冥府の封印を解くのが嫌というよりも、どう転んでも面倒なことになると予想しての反応だ。そして、付け加えるようにぼそりとつぶやく。
「……地上に出たら、バステトにも手伝わせてくれるわ」
こうして方針は決まった。ならば行動あるのみだ。
それからしばらくの後、ティフォンの姿は、氷の柱からやや距離を取った空中にあった。その背には妲己とオシリス、セトを乗せている。
「まず、冥府の底を開く」
重々しく言ったオシリスは、手にした『ネケク笏』を頭上にかざした。
ネケク笏というのはオシリスの祭具で、テトの持つシストルムのようなものだ。まっすぐな棒の先に、3本に分かれた房が付いた形をしていて、元々のモデルは穀物の脱穀に使う唐竿。植物神・農耕神の側面を持つオシリスならでは祭具である。
オシリスは、ネケク笏をブンブンと2、3度振り回して、逆さに広がる水面を指し示し、シッ!と口をすぼめて息を吐き出した。
次の瞬間、静穏だった水面がにわかに波立ち始め、容器の底が抜けるようにゆっくりと、下に向かって垂れ下がり始める。
中心に立つ氷の柱の真上から大量の水が冥府の底に向かって落下し、白く泡だって流れ落ちる水の壁が円を描く。
そして、氷の柱を取り囲むように形成された円形の滝は、外に向かって急速にその直径を広げていく。
おそらく最後には、縦穴の壁を流れ落ちる滝と一体となり、冥府の底が新たな滝壺になるのだろう。ここにアペプが封じられる以前は、そうだったのかもしれない。
だが、その壮大な光景に目を奪われているわけにはいかなかった。轟音を上げて流れ落ちる水の壁が、こちらに迫ってきていたからだ。
「オシリス、まさかあれを突っ切れってことかしら」
妲己がじろりとオシリスを睨む。水の層をくぐって冥府の底に来た以上、出る時もまた一度は水の層をくぐる必要がある、そのくらいのことは妲己もわかっているが、事前に説明くらいあって良さそうなものではなかろうか。
「かまいません。行きます。皆さん、伏せていてください」
オシリスの返答を待つ間もなく、リネアは行動を起こした。グッと身体を伸ばし、迫ってくる水の壁に向かって加速しつつ突っ込んでいく。
「うわぁぁぁ!」
「黙れ、舌を噛むぞ」
悲鳴を上げるオシリスを、後ろからセトが押さえつけて身を伏せさせる。
「リネア、こちらのことは気にせず、行きなさい!」
妲己に応えるようにティフォンは更に加速、全く勢いを落とすことなく水の壁に突入し、一瞬で貫通する。
水の壁を抜けたところで、ある程度の高度をとり、ようやくティフォンは速度を落とした。眼下では、縦穴の外周まで広がった水の壁が、上の湖から縦穴の壁沿いに流れ落ちる滝と一体化し、冥府の底は完全に水で満たされていた。
中心にそびえる氷の柱も大半が水没し、頂上近くの一部だけが滝壺の水面から突き出している。そして、その真上には滝壺から吹き上がる水煙の柱が遙か上に向かって延びていた。
次回予定「アペプの封印 3」




