アルゴスの娘
夕方、小屋に戻ってきたパエラと妲己は、リネアのスカートを掴んで腰の後ろに隠れているメリシャの姿を見て、目を丸くした。
「リネアちゃんの、隠し子…?」
「違いますっ!」
「…この子、どうしたの?」
腰に手を当て、妲己はフィルに説明を求める。フィルの話を聞いた妲己は、ふっと息をついてメリシャを見た。
「それじゃ放っておけないわね。サエイレムに連れて帰るんでしょ?」
「えぇ、…だけど、サエイレムにいない種族みたいだし、どう生活させればいいのかわからなくて」
とりあえず食事は人間と同じもので問題ないようだが、種族によって生活習慣が大きく違うこともあるし、危険な能力を持っていることもある。正直、一抹の不安は拭えない。
「パエラ、あなたは何か知ってる?」
じっとメリシャ見つめていたパエラに、妲己は尋ねる。
「この娘、多分アルゴス族じゃないかな」
「アルゴス?」
「うん、百の目を持ち、常に自分の周り全てを見ているっていう種族。ただ見るだけじゃなくて、未来すら見通せるって。…あたしたちアラクネ族の土地の北に住んでるんだけど、あんまり交流もなくて、どんな暮らしをしているかは、よく知らないんだけど…あ、そうそう、すごく長生きだって聞いたことあるよ。もしかすると、この娘も実はフィルさまより年上かも?」
「そ、そうなの?…メリシャ、メリシャの歳は幾つなのかな?」
「…メリシャ、5歳だよ」
見た目通りの歳だった。フィルはホッとする。実は百歳だとか言われたらどうしようかと思った。
「アルゴスの暮らしには、何か特別な習慣とかあるのかな?」
「うーん、変な習慣の噂は聞いたことないけど…あたしに聞くより、その娘に確かめた方が間違いないと思うよ」
「そうだね。今すぐにサエイレムに帰るわけじゃないし、ここにいる間に確かめていけばいいか…」
フィルは、メリシャの前にしゃがんで頭をくしゃりと撫でる。
「メリシャ、これからは、わたし達と一緒に暮らそうね。困ったことがあったら何でも言うのよ」
「うん」
メリシャは、少し照れたように頬を染めて頷いた。
パエラと妲己が仕留めてきた獲物はウサギと山鳥が数羽づつ、それに野草やキノコも採ってきてくれた。妲己曰く、もっと大きな獲物も仕留められたらしいが、捌くのが大変なので小さなものを選んだとのこと。
小屋の外で焚き火をし、大鍋に沸かした湯の中に血抜きをした山鳥をくぐらせる。こうすれば、毛穴が開いて羽毛が抜けやすくなる。
妲己と玉藻は物に触れられないので、パエラとフィルが並んで鳥の羽を毟る。さくさく抜けて、意外と楽しい。メリシャがそれをじっと見ていたのでパエラが一羽渡すと、楽しそうにむしり始めた。動物を触ることには抵抗はないらしい。
その間にリネアが慣れた様子でウサギを捌いていく。さすがは猟師の娘である。
山鳥は内臓を抜いた中にキノコや臭み消しの野草を詰め、香辛料を効かせて丸焼きに、ウサギ肉は軽く塩をすり込んで大きな木の葉で包み、焚き火の下に埋めて蒸し焼きにした。今日食べきれない分の肉は適当な大きさに切り分け、明日以降食べられるように、焚火で燻しておく。
やがて肉が焼き上がり、サエイレムから持ってきた食材で作ったパンや豆のスープも食卓に並んだ。
テーブルをメリシャも含めて4人で囲み、食事にする。
妲己と玉藻はフィルの中に戻っていた。中にいないとフィルが食べた食事の味が二人に伝わらない。食事の必要はない二人ではあるが、彼女たち曰く、長年にわたって九尾と共に渡ってきたそれぞれの世界、それぞれの時代の食事は色々な違いがあって、楽しみの一つなのだそうだ。
メリシャは並べられた料理を好き嫌いなく食べた。食欲も旺盛だ。メリシャに訊いても、食べられないものや食べてはいけないものは、特に無いらしく、フィルとリネアは安心する。
「おいしい?」
「…うん、すごくおいしいよ」
「良かったです。たくさん食べてください」
リネアが山鳥のを丸焼きを切り分け、メリシャやフィルの皿に盛ってくれる。パエラはすでに骨付き肉を手に持ち、豪快に齧り付いていた。
「フィル様も、たくさん食べてください」
「ありがとう…うーん、いい匂いだね」
肉を口に運ぶと、パリッと香ばしく焼き上げられた皮目と柔らかな肉の間からじゅわっと肉汁が溢れる。肉汁とともに香辛料の香りと塩気のある旨味が口に広がった。
「リネア、これは何かを塗って焼いているの?」
「はい。ガルム(魚醬)に、すりおろしたニンニクと蜂蜜、香辛料を混ぜ合わせたタレを塗っています。肉料理には万能に使えるらしいので、出発前に作って持ってきました」
「へぇ…この味、すごくいい…おかわりくれる?」
「初めて使ってみたんですけど、お口に合って良かったです」
フィルの差し出す皿を、リネアは嬉しそうに受け取った。
「そういえば、最近、初めて出してくれる料理が多い気がするんだけど?」
リネアが作ってくれる食事のメニューがずいぶん増えた気がする。前はもう少しシンプルな料理ばかりだったような気がするが。
「はい。あまり同じものばかりではフィル様が飽きてしまうと思ったので、総督府の厨房の方々に色々と教わっています」
「そうだったんだ…」
「でも、厨房の皆さんは、フィル様の食事が作れないのが残念みたいですよ」
少し困ったようにリネアは言った。厨房の人たちは親切にしてくれるが、突然やってきた魔族の娘に、最も大事な総督の食事を準備するという仕事を取られ、文句がないはずがないとリネアは思う。
一方、フィルは思う。厨房の皆には悪いが、大事な癒しの時間を奪われては困る。賓客との会食との時などには厨房の料理を食べているのだから、それで勘弁してほしい。
「…わたしは、これからもリネアのご飯をリネアと一緒に食べたいんだよ」
「はい。もっと美味しいものが作れるように頑張ります」
リネアはぐっと拳を握った。
わいわいと話が弾み、料理もいいペースで皆の腹に納まっていく。
「…う…」
だが、しばらくしてメリシャの手がピタと止まり、その顔を俯かせた。小さな肩も少し震えているように見える。おや、とフィルが顔をのぞき込むと、メリシャの目からポロポロと涙がこぼれていた
「どうしたの?何か嫌いなものがあった?」
フィルは慌ててハンカチでメリシャの涙を拭くと、心配そうに尋ねる。
メリシャは、ふるふると首を振った。
「ううん、違うの。…みんなで一緒にご飯食べるのは、すごく久しぶりで、美味しくて、楽しくて……夢じゃないかって思って、怖くなった…」
メリシャは、片方の手でフィルのスカートを握りしめていた。自分の隣にちゃんとフィルがいるのを確かめるように。
「大丈夫、夢じゃないよ。これからは、これが普通になるんだよ」
メリシャの頭を撫でる。メリシャの涙は止まっていたが、すんすんと小さく鼻を鳴らしている。
今朝まで、メリシャはたった一人で森を彷徨っていたのだ。フィルたちと囲む食卓が夢じゃないかと思えるのも仕方がない。
「メリシャ、いいものがあるんですよ」
リネアがキッチンに戻り、小ぶりな深皿を持ってきた。盛られているのは、ミルクに浸したパンを軽く焼いて、たっぷりと蜂蜜をかけた甘いデザートだ。
木のスプーンを押しつけると、もっちりと弾力のあるパンがぷつりと切れる。蜂蜜を絡めて掬い上げ、リネアはそれをメリシャの口に運ぶ。
「あーん」
甘い匂いに思わずメリシャは口を開いた。パクリと口に含んだメリシャの顔がとろける。
「どうですか?」
「トロトロで甘々で、すごく美味しい!」
「よかった」
満面の笑みを向けるメリシャに、リネアも嬉しそうに笑う。
「リネアちゃん、それあたしも食べたい~」
子供がもう一人、いや羨ましそうに見ているフィルも含めて二人。
「はい、ちょっと待っててくださいね」
くすっと笑って、リネアはキッチンに向かった。
「もう寝てしまいましたね」
すうすうと寝息を立て始めたメリシャを愛おし気に見つめながら、リネアが微笑む。
「疲れているだろうし、お母さんが亡くなってからは、ずっと一人で寝ていたんでしょうから……一人で寝るのは、寂しいよね」
「はい…」
フィルとリネアは、たくさんの干し草の束の上に毛皮を被せた寝床の上で、メリシャを真ん中にして川の字になっていた。
「リネア、勝手にメリシャの面倒を見るって決めちゃって、ごめんね」
「いいえ。私もメリシャを引き取らせてほしいとフィル様にお願いするつもりでした」
家族を亡くし、一人きりになってしまった境遇は、フィルもリネアも同じ。放っておけるはずがない。
「メリシャとメリシャのお母さんに何があったのか、気にはなるけど、…話を聞くのは まだしばらく先でいいわね。まずは、わたし達と暮らすことに慣れてもらわないと」
「そうですね……妹ができたみたいで、なんだか嬉しいです」
「わたしもよ…明日も一緒にご飯食べて、一緒に遊んで…」
ふふっと笑い、フィルは目を閉じる。
「おやすみなさい、リネア」
「はい。おやすみなさい。フィル様」
ゆっくりと静かな夜が更けていく。
フィルは夢を見た。たぶん、子供の頃の夢。父がいて、フィルはメリシャより小さい4歳くらい。同世代の子供とはほとんど縁のなかったフィルだが、幼い頃に、年上の男の子に遊んでもらっていた記憶がある。その夢だった。
当時10歳くらいの男の子。エルフォリア家の旧領、リンドニア属州の都にあった屋敷でのことだ。物心ついた時にはすでにその男の子はフィルの家にいた。屋敷の離れで暮らしていて、よくフィルと遊んでくれた。物心つく前に母を亡くし、父しか家族を知らなかったフィルは、彼も家族のように感じていた。
(フィー、元気でいるんだよ。いつかまた会えるさ)
悲し気に振り返った彼が言う。フィルのことを彼と父だけは『フィー』と呼んでいた。幼いフィルは自分の名前が上手く発音できず、自分のことを『フィー』と呼んでいたからだ。
突然屋敷を出ることになった彼は、たくさんの大人たちと一緒に迎えの馬車に乗り込む。彼は帝都へ連れて行かれるのだという。幼かったフィルに事情はわからない。父も詳しくは話してくれなかった。ただ、別れるのが寂しくて、乳母に抱えられながら必死に手を伸ばした。
(…待って!フィーを置いて行かないで、ユーリお兄ちゃん!)
ハッと目を覚ますと、フィルは天井に向けて手を伸ばしていた。
…どうして、こんな夢を…
フィルは、手を降ろすとため息をつく。メリシャを見ていて、自分の幼い頃と重なったのだろうか。あの男の子…そうだ、ユーリお兄ちゃん…しかし幼い頃の話だ、ちゃんとした名前も、彼がエルフォリアの家にいた理由もわからない。
あれからもう10年。あの男の子が屋敷を離れた直後、帝国が魔王国に攻め込んで戦争が始まり、参戦した父は屋敷を長く空けるようになった。なんとなく、あの男の子がいなくなった時に、フィルの幸せな子供時代は終わってしまったようにも感じる。
忘れていたわけではない。もう一度会いたいとも思うが、本名も覚えていない少年を今更探すなんで無理だと、半ば諦めているのも事実だ。
…今はリネアが側にいてくれるし、サエイレムではみんなが待っている。何も寂しいことはない。
フィルは、もう一度目を閉じて毛皮の中に潜り込んだ。
次回予定「パエラの同胞」




