冥府の底 3
「オシリスも、魂と身体が分かれてしまっている…ってことなのね…」
妲己がつぶやいた。
身体と魂がある場所は逆だが、今のフィルと同じだ。
…オシリス自身の意思でそうなかったのか、フィルのように何者かにそうさせられたのかは、まだわからないが。
「オシリス、我のことがわかるか?」
セトは、じっとこちらを見ているベンヌに呼びかける。だが、ベンヌは不思議そうに首を動かすだけで、何も答えなかった。
「その鳥、妾たちにも何も話をしなかったわよ。本当にオシリスだとしても、彼の自我が残っているのかしら?」
「ベンヌからは、神としての力をほとんど感じません。もしかすると…オシリスとしての力も自我も失っているのかもしれません。霊鳥ベンヌは不死鳥とされ、決して死ぬことはないとされているのですが…」
妲己の指摘に、セトは小さく首を振った。
「そう…不死鳥ねぇ…」
妲己は、この鳥がオシリス神の化身であることは疑ってはいない。
妲己たちについてきたのも、この封印の場所まで先導してきたのも、おそらくはオシリスの意思…意思というより本能のようなものかもしれないが…とにかく、わずかに残ったオシリスの残滓がそうさせたのではないだろうか。
アペプの封印を施し、魂だけの存在となって冥府に降りたオシリスに、その後何があったのか。それは本人に聞いてみなくてはわからない。けれど、冥府の王であったはずのオシリスは、その力も自我も失い、ほとんど只の鳥になり果てている。
「リネア、セト、オシリスを元に戻す方法に、ちょっと心当たりがあるんだけど」
「本当ですか、妲己様!」
「試してみてもいいかしら?…少し荒療治になるけど」
「妲己殿、できるなら我からもお願いしたい」
セトも同意した。どのみち、このままではオシリスは死んだも同然。それならば…。
「わかったわ」
妲己はベンヌに目を向けたまま、真上に両腕を掲げて力を込め始める。ベンヌの頭上に狐火の群れが現れた。剣のように鋭く尖った狐火が数十本、決して逃がさぬとばかりに、二重の同心円を描いてベンヌを狙っている。
「あなたが本当に不死鳥なら、一度死んで戻っておいで!」
妲己は言うと同時に、ベンヌ目掛けて狐火の剣を一斉に撃ち込んだ。逃げる素振りもなく炎に包まれるベンヌの姿に、妲己は笑みを浮かべた。
「妲己様、何を?!」
「まぁ、見ていなさい」
驚くリネアを制し、妲己は火柱となって激しく燃えるベンヌをじっと見つめている。
「妲己殿…これは…」
「妾の国にも不死鳥の伝説があってね。其は死と再生の象徴、自らの身を焼いた炎の中から蘇る…とされていたわ」
一度死んで蘇る。そうすることでベンヌは本来の姿に再生し、自我と力を取り戻せるのではないか。賭けではあるが、その勝率は決して悪くないと妲己は考えている。
やがてベンヌの身体は燃え尽きていった。鳥の形はすでに残っていない。だが、炎はむしろ勢いを増して燃え上がっていた。
直後、突然にクェェ!という甲高い鳥の声が響き渡り、バサッと炎を撥ね退けるように青い翼が広げられた。そして、自らの燃え滓を吹き払うように力強く羽ばたくと、炎の中から一羽の鳥が飛び出した。
ぐるりと妲己たちの頭上を旋回してセトの近くに降り立った新生ベンヌは、輝くような瑠璃色の羽根を持ち、頭の上には王冠のような白く立派な冠羽があった。
やや困惑するように辺りを見回していたベンヌだったが、やがて光に包まれてその姿を人に似たものへと変え、光が消えた後には、白い衣装に白い冠を被った大柄な青年が立っていた。
セトに匹敵するほどの体格をした青年は、眉を寄せつつ額に指先を当て、軽く首を振る。
「…セトか、…うぅむ、吾輩は一体どうしたのだ…?」
「オシリス、我の事がわかるのか」
「当たり前ではないか。それにしても、ここはどこだ?」
彼はまだ少し混乱している様子だが、元の自我を取り戻すことには成功したようだ。
どうやらオシリスには、ベンヌでいた間のことを覚えていないらしい。
生まれ変わりに伴う一時的な記憶の混乱なのか、本来の記憶で上書きされて消えてしまったのかはわからないが、彼の協力を得ようとすれば、これまでの出来事を説明する必要がありそうだ。
リネアは、まずは自分たちのことをオシリスに紹介してもらうようセトに頼んだ。
次回予定「女王を継ぐ娘 1」




