冥府の底 2
「ここが、冥府の底なのでしょうか…?」
「そうね」
滝壺の下にあるこの空間は、ここまで降りてきた縦穴の底の底だ。
縦穴の途中に滝壺に当たる水の層があって、頭上に見える水面はその下面。そして、さらに下には本当の穴の底に当たる砂漠のような地面がある。
リネアたちがいるのは、空間の中心から少し外れた場所だが、そこからでもこの空間の全体を見渡すことが出来た。
ぐるりと垂直な岩壁に囲まれた空間、その真ん中に、太さが100メートルはあるだろう、白い柱が立っていた。その上下はそれぞれ水面と地面に接していて、縦穴全体で見れば、この白い柱の真上に水の層を挟んで水煙の柱が屹立している格好になる。
その柱から、とても嫌な気配を感じて、ティフォンの目が細まった。
「妲己様、お気付きですか?」
「えぇ…気持ち悪いわね」
ぼそりと妲己も言う。あれは絶対にロクなものじゃないと直感が告げていた。
「リネア様!」
呼びかける声の方に目を向けると、地面に一頭の青い竜がいた。
ゆっくりと降下して、ティフォンがセトの傍らに降り立つと、青い竜は蹲っていた身を起こした。
「あなたが、セトなのですね?」
「はい、リネア様」
ティフォンが、妲己を下ろして竜人姿のリネアに変わると、セトもそれに合わせて人へと姿を変える。
「リネア様…今代のティフォンにお目にかかれて、光栄に存じます」
「こちらこそ、セトには感謝しています」
跪いて頭を下げるセトの前に立ち、リネアは微笑みつつ言った。
「セト、ここが冥府の底なのですか?」
「はい。ですが、まさか封印を通り抜けて、ここまでお越しになるとは思いませんでした…やはり、天界へ続く道に何かあったのですね?」
リネアは、水煙の柱の上まで飛んだこと、
そしてそこに冥府から出られなくする防壁が張られていたことをセトに説明した。
その防壁のせいで、自分たちのみならず、本来は天界へと昇るべき死者の魂も、行く手を阻まれて冥府に落ちてしまっていることも。
「…落ちてくる魂が多いとは思っていましたが、まさか全ての魂が冥府に閉じ込められていたとは…」
思ったよりも事態が深刻だったらしく、セトは低く唸った。
「セト、封印を通り抜けて、と言ったわね…ということは、ここはアペプが封じられている封印の中なのね?」
「その通りです。あれに見える白い柱、あの中にアペプが封じられており、上に広がる水の層が、ここと外界と隔てています」
リネアはもちろん妲己も、封印の境界を通り抜けたという感覚はなかったのだが…先程の水の層が封印の境界なのだとすると、あのアオサギの存在が、にわかに怪しいものに思えてくる。
なにしろ、ティフォンを先導し、真っ先に滝壺の水面に飛び込んだのは、あのアオサギなのだから。
外界と冥府の底を隔てる封印の境界をいともたやすく超えて見せた。封印というからには、内から外へ出るのは無理でも、逆は容易なのかもしれないが、それにしてもただの鳥にできる芸当ではない。。
そのアオサギの姿を探すと、少し離れた地面に降りて、じっとこちらに目を向けていた。
「あれは、冥府の大河からついてきた鳥ですな……ん?…まさか、ベンヌなのか?」
セトが何かに気付いたように声を上げた。
「セト、何か知っているのですか?…あのアオサギが私達をここまで先導してくれたのですが」
「リネア様、申し訳ありません。我がもっと早くに気付くべきでした。あれはおそらく霊鳥ベンヌ…冥府の王、オシリスの化身です」
「あの鳥が、オシリス神なのですか?!」
「…でも、オシリスの遺骸は地上にあるのよ?」
リネアは思わず目を丸くしたが、妲己はやや懐疑的な視線を向けている。
「はい。バステト神殿の地下からオシリスの遺骸が見つかったことは、リネア様から伺っています。あの霊鳥ベンヌは、オシリスの魂の化身なのです」
「では、あの鳥がオシリス神の魂そのものだと?」
「仰るとおりです」
セトは躊躇いなく頷いた。
次回予定「冥府の底 3」




