失われた過去 1
失われたテトの記憶を求めて、総督府の中で手掛かりを探すフィルとパエラは、リネアの部屋だった使用人室の扉を開け、…その場に立ちすくんでいた。
「…そんなはずない…」
絞り出すようにフィルがつぶやく。その声は震えていた。
さして広くない部屋の中には、一人の少女がいた。この部屋は彼女のものなのだから、いるのは当然と言えば当然……なのだろうか。
いや、ここはサエイレム総督府の姿をしてはいるが、実物ではない。…だから、リネアがここにいるはずがない…のに。
「リネア…?」
恐る恐るといった様子でフィルは声をかける。だが、部屋の中に立っているリネアは、返事をすることなく、ただ無表情にフィルとパエラを見つめていた。
「リネア…!」
思わずフィルが部屋の中に一歩を踏み出した瞬間、リネアが動いた。駆け寄るようにフィルの方に近づき、腕を振り上げる。その手には、リネアが愛用していたナイフが握られていた。
「フィルさま!」
パエラが慌ててフィルの腰に糸を巻き付け、強引に引き戻す。リネアは、一瞬前までフィルがいた場所に躊躇いなくナイフを振り下ろした。
フィルが部屋の外に出ると、リネアはそれ以上追ってくることなく、ナイフを握ったまま部屋の真ん中に立ち尽くしている。
「フィルさま、大丈夫?」
「……なんで、どうしてリネアが…?!」
リネアに殺されそうになるという事態に、フィルは真っ青な顔で部屋の中にリネアを見つめていた。
本物のリネアではないとわかっていても、リネアの姿そっくりそのままの相手。しかも、忘れもしないリネアと初めて出会った日、フィルを守ろうとしてくれたあのナイフで襲われたのだから、フィルのショックは大きかった。
「ふーん…フィルさまにはリネアちゃんなんだ…なるほどねー」
パエラは、納得したように頷いた。
「フィルさまは見てて。偽物なんて、あたしがサクッとやっつけるから」
「待って!」
切断糸を繰り出そうとしたパエラを、フィルが止めた。
「大丈夫、あれは間違いなく偽物だから。だって、リネアちゃんがこんなことするはずないでしょ?」
パエラは部屋の中にいるのが偽物だと確信していた。
…なぜなら、フィルがリネアと呼んでいる相手の姿が、パエラにはメリシャに見えていたのだから。
たぶん、あの偽物は、閉ざされた記憶に近づけないように配置された番人だ。訪れる者が一番大切に思っていて、戦えない相手…例えば、家族、恋人、恩人、親友、そういった相手の姿に見えるのだろう。
だが、フィルは首を横に振る。
「わかってる。本物のリネアのはずないんだけど、もしも…もしもだよ、偽物を攻撃すると本物のリネアも傷を負ったりする魔術があったら…」
そんなことを泣きそうな顔で言われては、パエラも腕を下ろすしかない。
「もー、しょーがないなぁ」
パエラはため息交じりにつぶやいた。
ここはテトの記憶の中で、今見えているのは、何もかもそう見えているだけ。そんな幻のように相手を攻撃したって、本物に何か起こることなんてない、とパエラは思っている。
(けど確かに、リネアちゃんを殺すところなんて、フィルさまに見せたくないしなぁ…)
パエラは内心つぶやく。
「じゃ、粘着糸で縛り上げてあいつを動けなくする。それならいいでしょ?」
「うん…わかった」
心配そうな表情を浮かべながらもフィルは頷いた。
偽物はあくまで番人だ。部屋に入らなければ動きを見せない。
パエラは、部屋の外から粘着糸を放って偽物を縛り上げ、あっという間に繭のように、頭から足の先まで全身ぐるぐる巻きにしてしまう。
偽物は、棺に納められたミイラよろしく、丸っこい人形のようになって床に倒れた。
「一丁上がりっと」
プチンと糸を切って、手をはたきながらパエラは部屋に踏み込んだ。
呆気ない結末ではあったが、後味はよろしくない。…ったく、ほんとに趣味悪すぎだよ…パエラは、床に転がってなおモゾモゾ動いている偽物を一瞥して、顔をしかめた。
フィルにとってどれだけリネアを大切か。それを思うとこの偽物が憎たらしくて仕方なかった。パエラだって、メリシャの姿をした相手を攻撃するのに、何も感じていないわけではない。けれど、それ以上にフィルにとってリネアは特別過ぎる。
ただでさえ離れ離れになっているリネアのことが心配で心配で仕方がないのに、偽物だとわかっていてもリネアの姿をした相手と戦うことなど、フィルにはできようはずもない。
もしもフィル一人だったら、ここを突破できなかった。
そういう意味では、偽物のリネアが実に効果的な番人であったことは確かだ。
この先に隠されているのは、それだけ重要な記憶だということだろう。
次回予定「失われた過去 2」




