閉ざされた道 3
(死者たちの魂は、最終的にはどうなるのかしらね?)
(どうなるか、…とな…)
妲己の問いに玉藻はやや眉を寄せた。
もちろん、妲己は、魂が受ける審判の結果を訊いているわけではない。
地上で死んだ人間の魂は、冥府に落ちる。そして、冥府の大河を下ってこの審判の場へと流れ着く。
だがそこから先、天界に上れずに落ちた魂たちはどこへ…?
(そういえば、アセトは大勢の人間が死ぬように仕向け、その魂を冥府に送り込んでおったな…?)
メネス軍によるヒクソス侵攻、南部州軍によるメネス王国の占領、そしてメネス・ヒクソス連合軍との戦い、実際画策したのはケレスやアンテフだったが、どれも裏にはアセトがいた。
彼女の目的は、支配者として君臨することでも、莫大な富を手に入れることでもなく、ただ大勢の人間が死なせること。
その対象は誰でも良く、メンフィスの民を犠牲にしたことにしても、戦争を利用して戦死者の魂を集める思惑がフィル達の介入で失敗したから、手近なところで代わりを調達したに過ぎない。
出口のない冥府に、なぜわざわざ大量の魂を送り込んだのか…?
(やはりセトに話を聞く必要がありそうじゃな)
玉藻がつぶやいた時、ティフォンは水煙の柱を吹き上げる大穴の縁に降り立った。
「あら、お前どこに行っていたの?」
いつの間にかいなくなっていたアオサギが、また戻ってきてティフォンの背に止まっていた。妲己が声をかけると、表情のわからない丸い目で妲己を見てから、くるりと首を巡らせる。
「つれないわねぇ…」
くくっと笑いながら妲己は肩をすくめた。
上から降ってきた魂は、水面に落ちると流れに沿ってそのまま大穴へと吸い込まれ、水と共に大穴の中へと落ちていく…とすれば、冥府に閉じ込められた魂が行き着く先は、この大穴の底なのか…?
(セトはこの大穴の底にいると言うておったな)
(はい)
(では、降りてみるかの。セトに会いに行こう)
「ちょっと待ってください!」
事もなげに言った玉藻に、リネアは慌てて声を上げた。ここから更に下に降りるとなれば、地上はますます遠ざかってしまう。
「リネア、どうした?」
玉藻は、ティフォンの背から上半身だけ姿を現した。
「玉藻様、セトに呼びかけて分霊を寄越してもらえばいいのではありませんか。下に降りるのは…」
「フィルからますます離れるのは、嫌か?」
「い、いえ、あの…その…」
図星を突かれて口ごもるリネアに、玉藻は真剣な口調で続けた。
「リネアの気持ちはわかっておるつもりじゃ。だが、事は思ったよりも重大かもしれん」
「どういうことでしょうか…?」
「リネアも知る通り、アセトは多くの人間を死に至らしめ、その魂を冥府に送り込んでいた。そして、この冥府では天界への道が塞がれ、死者の魂が閉じ込められた状態になっておる。…これは偶然だと思うか?」
「…冥府がこうなっているのも、アセトの企みだと?」
「まだ確たることは麿にもわからんが、偶然にしては出来すぎじゃ。だから、セトに詳しく話を聞き、この異変の原因を探る必要がある。そうは思わんか?」
「思います…」
「…それに、おそらくは地上でもフィルやメリシャがリネア救出のために動いているじゃろう。だが、あちらでは今の冥府の様子はわからぬ。何の備えもなく此方に来てしまったら、みすみす罠に飛び込むようなものじゃ。それはリネアの本意ではあるまい?」
「当然です。フィル様やメリシャを危険に晒す訳にはいきません!」
「そのためには、我らで冥府の異変の原因を調べ、できるなら取り除かなくてはならん。…それでも、セトのもとに行くのは嫌か?」
「いいえ…申し訳ありません。私が焦りすぎていました…」
「良い。リネアの気持ちはよく知っておるからの」
「そうよね」
黙って聞いていた妲己は、くすりと玉藻に笑みを向ける。
「…では、早速行くとしよう。…麿はリネアの中から見ておる」
妲己からやや目をそらしつつ、玉藻の姿はスッと消えた。
「さて、それじゃリネア、行けるかしら?」
「はい」
「…お前はどうするの?」
素知らぬ顔をしてティフォンの背に止まっていたアオサギは、妲己の声に応えるように翼を広げて飛び立つ。そして、まるでついてこいでも言うように大穴の中へと飛んでいった。
「行きます!」
ティフォンが大きな赤い翼を一振りすると、それだけで巨体がふわりと浮かび上がる。
そして、轟轟と音を立てて大量の水が流れ込み、白く煙っているその中へ、ティフォンは巨体を躍らせた。
次回予定「失われた過去 1」




