テトの記憶 3
「ここ、ムルがあった広場…?」
確かテトから、聞いた覚えがある。
創建当時のバステト神殿にムルは無く、祭壇が設けられた儀式場だった、と。
…とすると、ここは創建当時のバステト神殿で、あの舞台のようなものが祭壇…?
「また誰か来るよ」
パエラが小声で言った。
広場の奥から人影がゆっくりと歩いてくる。すらりとしたスレンダーな長身の女性…?
「まさか、テト?!」
猫耳をもつ女性の顔にテトの面影があるのに気付いて、フィルは思わず言った。
幼女状態の今のテトとは違い、こちらへ歩いてくるのは妙齢な大人の女性だった。そういえば、さっきも見たバステト神像は、こういう感じだった。この大人の姿のテトが本来のテトなのだろう。
「バステト様、ご覧下さい」
テトは、恭しく捧げられた幼子を受け取り、片手に抱くと、もう片方の手に持っていたシストルムがかざし、シャシャンと軽く振って祝福を授けた。
「良い子じゃ。大切に育てよ」
「はい。バステト様の加護を頂いたおかげで、この子にも神の耳と尻尾が…これほど嬉しいことはありません」
夫婦は揃ってテトの前に跪き、祈りを捧げた。
「神の耳と、尻尾…?」
「フィルさま、これってまさか…」
テトが女性に幼子を返す際、くるんでいた布の一部がほどけ、幼子の頭が見えた。ふわふわした黒髪の中に、ピンと尖ったもふもふの猫耳…。
そういうば、テトが言っていた。
『ペルバストに住む者に力を分け与えた。猫の耳と尻尾があるのは、そのせいだ』と。
「ヒクソスって民族は、こうやって誕生したのね…」
「歴史的瞬間ってやつ?」
巫女はすでにヒクソスの姿をしていたから、この幼子が最初の一人という訳では無いが、こうやって徐々にヒクソスの人口が増え、やがてヒクソスという国を築くに至ったということは想像できる。
そこでフッと風景が変わり、フィルとパエラは総督府に戻されていた。
執務室はフィルが使っていた頃の姿そのままだった。窓際に置かれた執務机に、窓の外には前庭に面したバルコニー。執務机の上には、今までフィルが仕事をしていたかのように、羊皮紙の束とペン、総督の印章まで置かれていた。
机の手前に置かれた会議用のテーブルには、グラムやエリン、テミスたちが集まって色々議論したものだ。
「懐かしいね」
フィルは、テーブルの上をそっと撫でながら言った。
「うん、あたしはあの窓からよく出入りしてたっけ…」
かつての仲間たちを思い出し、ふたりでちょっとしんみりしてしまう。だが、ここはあくまでテトの中。感傷に浸ってはいられない。
「さっきの記憶は、たぶんテトがムルに閉じ込められる前だよ。テトも、自分の加護で猫耳と尻尾をもつヒクソスが生まれたって言ってたし」
「じゃ、だいぶ昔に遡ったってこと?…それなら、テトさまが覚えてない記憶も、この近くにあるのかな?」
「えぇ。そうだとすると、次は隣の…」
言いかけたフィルは、壁の一点を見つめて目を細めた。
「ないね」
パエラも気がついた。
執務室西側の壁には、隣の私室に通じる扉があった。だが、フィルとパエラが見つめる壁には何もない。部屋が隠されているということは、フィルの私室、さらにその奥の寝室に、テトが失った記憶が隠されている可能性がある。
「フィルさま、どうする?壁を壊す?」
「わたしの部屋にはリネアの部屋からも入れるから、先にそっちから見てみようよ。…今度は当たりかもね」
一旦廊下に出たフィルは、向かい側にあるリネアの部屋の扉に手を掛ける。
「さて、次はどんな記憶だろう…パエラ、いい?」
「いいよ」
頷き合い、ゆっくりと扉を押す。
「あれ…?」
風景が変化しない。この部屋には記憶が入っていない…?
首を傾げながら部屋の中を覗いたフィルは、その瞬間、言葉を失った。
次回予定「閉ざされた道 1」




