フィルの休日
今回から新展開です。
※誤字の指摘、ありがとうございます!
サエイレム港の落成式から3か月。
港に出入りする船の数や荷の取扱量は着実に増え続けていた。おかげで、港で働く人間や魔族たちも仕事にあぶれることはなく、街全体も活気づいている。
今のところ、サエイレムからの荷は帝国本国でもこれまでどおり売買が行われていた。
本国の商業組合からは、抗議文に続き、幾度となく陳情書が届いている。中には元老院議員との連名で送られてきたものもあったが、フィルは全てに対して、一応、丁寧な文言で断固お断りの書簡を返送していた。ちなみに、毎回文面は同じだ。
本国の商人であっても、サエイレムにある商会に仲介してもらえば港は使えるのだ。実際、そうやって商船を送り込んだり、サエイレムの商会に委託して荷を買い付けている本国の商人たちもいる。
もっとも、そうした商人は以前からサエイレムと付き合いのあった中小規模の商人たちであり、戦争中、戦火をくぐってサエイレムの商人たちが運んだ商品を、正当な価格で買ってくれた恩人でもあった。彼らにしても、貴族と癒着し既得権益に胡座をかいている豪商たちを出し抜き、商売を拡大するチャンスなのだ。
落成式からまもなくして、ウルドと合意した国境での交易の場所として、国境のサエイレム側に市場が作られた。誰でも自由に店を開け、商売にかかる税金も免除されるとあって、まだ大きな量ではないがお互いの商品の取引が始まっていた。国境にはウルドの指示でラロスが派遣されており、バルケスと相談しながらうまくやってくれているようだ。
主に遊牧を生業とするケンタウロス族から仕入れた乳製品や羊毛は品質が良く、サエイレムでも好評で、代わりにサエイレムからケンタウロス領へは麦や豆類といった農産物のほか、南方から運ばれた香辛料なども送られている。帝国製の金属製武具もなかなかの人気商品だ。
そしてフィルは、バルケスやエリンとも相談して軍の配置と任務を見直した。
国境を警備していた第一軍団の兵力を三つに分けて、1ヶ月交代で国境警備、サエイレムの警備、そして訓練に交互に当てることにした。決して住みよいとは言えない国境の駐屯地の暮らしを1ヶ月我慢すれば、2ヶ月は街での任務となり、家族がいる者は家族と共に過ごせるようになったのだ。国境警備につく兵力は大きく減ることになるが、ケンタウロス族と和解した以上、あまり多くの兵力を国境に張り付けておく必要もない。
これまでサエイレムの警備に当たっていた第二軍団には、騎兵中心で移動速度に優れる特性を生かし、いくつかの小集団に分かれてサエイレムから延びる交易路の巡回警備の任務が与えられた。南方との交易量が増加した結果で、本国への海路だけでなく、帝国領内の他の地域との陸路による交易も活発となっている。そうなると、当然、荷を狙う盗賊も現れるようになるからだ。
そんなある日のこと。フィルは数日の休みをもらった。
サエイレムの統治に大きな問題はなく、本国も今のところサエイレムに何かしてくる様子はない。ケンタウロス族との交流も順調だ。
フィルがしばらくいなくなっても大丈夫だろう。サエイレムに到着してから、働きづめのフィルを心配していた家臣達も快く賛成してくれた。
そして、フィルはリネアとパエラを背に乗せて、九尾の姿でサエイレムの北の森を走っていた。向かう先は、リネアが住んでいた、北の森にある山小屋。
リネアと一緒にあの小屋を出た日から、もう半年以上になる。小屋の様子を見に行きたいし、誰もいない場所で少しのんびりしたいとも思った。
最初は、リネアと二人で行くつもりだったが、パエラがとても行きたそうにしていたので、護衛として一緒に連れて行くことにした。
もう一人の護衛であるシャウラは今回居残り。居残りの理由は、蛇体も含めると体長4mにもなるラミアは、九尾の姿であってもさすがに背に乗せて走れないからだ。シャウラには悪いが、街道を普通に歩くとリネアの小屋までは片道3日ほどかかるので、せっかくの休みが勿体ない。
シャウラは残念そうにしていたが、代わりにテミスの護衛を頼んできた。
「リネア、パエラ、ちょっと寄り道するね」
フィルはそう言って速度を緩めると、街道に近い森の中で止まった。二人を降ろし、人間の姿になる。そして、街道に出た。
街道の脇には、ちょっとした広場があった。
広場の隅の目立たない場所に、フィルの背丈ほどの碑がポツリと立っている。フィルも見るのは初めてだったが、それが何かは知っていた。
白っぽい石で作られたそれは、墓碑だ。
ここはサエイレムに向かうフィルの一行が襲撃を受けた場所。フィルを守って死んだ護衛兵たちの墓碑は、バルケスが建ててくれたものだった。
しかし、ここで襲撃があったことは公にされていない。だから、碑には何も刻まれていない。滑らかに磨かれた表面が、少し寂しそうに見つめるフィルの顔を映している。
「みんな、来るのが遅くなって、ごめんなさい」
フィルは碑の前で地面に跪き、胸の前で手を組んだ。
「わたしはこのとおり元気です。みんなが守ってくれたおかげです。……みんなの仇も、ちゃんととったよ」
深く頭を垂れて、フィルは報告した。捕らえた者を拷問した結果、闘技場で襲ってきた刺客達がここでフィルたちを襲撃した犯人だったと調べはついていた。
フィルに倣い、リネアとパエラも頭を下げる。フィルの側に魔族がついているのを見て、兵たちは驚くだろうか。でも、きっと嫌な顔はしないとフィルは思う。
「フィル様、この方たちがフィル様を逃がしてくれたんですね」
リネアが、そっとフィルに尋ねる。
「えぇ」
あのときの事を思い出し、フィルは俯いたまま返事をした。
「失礼します」
リネアはフィルの隣に進むと、地面に手をついた。
「皆様、フィル様を守って下さって、ありがとうございました」
地につくほどに頭を下げ、碑に向かって礼を言う。
「リネア?」
「私もお礼を言いたかったんです。私がフィル様に出会えたのは、この方々のおかげですから」
顔を上げたリネアは、フィルに向かって微笑んだ。
再び九尾の姿をとったフィルは、森の上を走って、湖の畔に着地した。
フィルの目に映る風景は、半年前と何も変わっていない。美しい水を湛えた湖に、湖畔に広がる少しの草原と深い森、その中にポツンと山小屋が建っていた。
「やっぱり、きれいな場所」
フィルは、大きく息を吸った。
「リネアちゃん、サエイレムからここまで、よく歩いたね」
「はい。…私も、ここまで来る間のことは、よく覚えていないんです。街から逃げ出して、泣きながら歩いた記憶しかなくて…」
リネアは少し目を伏せてパエラに答える。
「…ごめん。辛いこと聞いて」
「いえ、大丈夫です。さぁ、中にどうぞ」
リネアは、フィルとパエラを小屋の中に案内した。
小屋の中は、二人が旅立った日のままだった。リネアは、窓の雨戸を開けて室内に光と風を入れる。
「わたしがここに泊めてもらったのは一晩だけだったけど、すごく懐かしい気がする」
フィルは室内を見回した。テーブルクロスも、椅子の上のクッションも、そのままだ。
「フィル様、パエラちゃん、自分の家だと思って、のんびりしてください」
これから3日間、フィルたちの休日が始まる。
(フィル、ここなら妾たちの姿を見せてもいいわよね?)
(麿も、ちと外に出たい。せっかくの暇にフィルの中でじっとしておるのも退屈じゃ)
リネアが入れてくれたお茶を飲んでまったりしていると、頭の中に妲己と玉藻の声が響いた。
フィルの中にいる二人のことは、フィルに関わるほとんどの者が知っているが、本当の姿を知っているのは、フィルとリネアだけだ。今はパエラもいるが、妲己に懐いているし、見せても大丈夫だろう。
「いいよ。出てきても」
「…?」
フィルの声にパエラが目を向けると、フィルの背からするりと二人の人影が抜け出した。
「フィルさまが増えたっ?!」
フィルの後ろに立っているのは、白金髪の褐色美女と黒髪の姫君、本来の姿の妲己と玉藻だ。
「あら、パエラ。妾のことがわからないなんて…」
よよよと、わざとらしく悲しんで見せる妲己に、パエラは目を丸くした。
「もしかして、妲己ちゃん?」
「どう?あまりにも美人でびっくりしたかしら?」
フィルにはない豊満な肢体を誇らしげにくねらせる。
「へぇー、それが妲己ちゃんの本当の姿なんだね」
興味津々でパエラは妲己に近づき、指をわきわきと動かしながら、抱き着くように手を伸ばす。しかし、触れようとした手はそのまま妲己の身体をすり抜けた。
「あれっ?」
「残念でした。妾の身体には触れないのよ。幻みたいなものだからね」
パエラは、露骨に残念そうな顔になるが、妲己は軽く苦笑してフィルを振り返る。
「フィル、妾はパエラと狩りに行ってくるわ。何か美味しい獲物を捕ってきてあげる」
「わたしから離れても大丈夫なの?」
「えぇ。あんまり遠くまでは離れられないけど、この森の中くらいなら大丈夫よ。(妾たちが外に出てる間は、感覚は伝わらなくなるわ。フィルだって、いつも妾たちに見られているのは嫌でしょう?)」
後半はフィルにしか聞こえないように伝え、妲己は笑う。
「繋がりが切れるわけじゃないから、離れていても声は届くわ。何かあれば呼んでちょうだい」
「ありがとう。獲物、楽しみにしてる」
「さ、パエラ、行くわよ」
「妲己ちゃん、待ってよ~」
ひらひらと手を振り、妲己は小屋の壁をすり抜ける。パエラも慌てて外に出ていった。
「麿はここにおる。そなたたちも散策でもしてきたらどうじゃ?」
玉藻は持っていた扇でフィルとリネアに戸口を指し示す。
「玉藻、ありがとう。…リネア、少し散歩に行こうか」
「はい。フィル様」
フィルはリネアと手を繋いで外に出る。
「リネア、あの場所に行きたいんだけど、わかる?」
「わかります。こっちです」
リネアには、フィルの言う場所がすぐにわかった。二人が出会った場所だ。
リネアにとっては3年間過ごした森。道がなくてもわかる。フィルの手を引いて森の中を歩き、太い幹から大きな枝が幾つも分かれた巨木の下で足を止める。
改めて歩いてみると、リネアの小屋からさほど遠くはなかった。
「そうだ、この木だ…」
フィルは、木の根元に腰を降ろし、大木に背を預けると、木々の間から見える空をぼんやりと見上げた。
ここで死ぬんだと思った、あの日と同じ、青い空。
「あの…大丈夫ですか?」
視線を下げると、フィルの顔を覗き込み、リネアが微笑んでいた。
「大丈夫、とは言えないかな」
フィルとリネアが初めて交わした言葉。フィルは穏やかな表情で目を閉じる。風が運んでくる森の匂いが心地いい。
「リネアも座って」
「はい」
フィルの隣に腰を降ろし、リネアも大木に背を預ける。
「リネアとここで出会って、色々なことがあったね」
ことりと、リネアの肩に頭をもたれさせ、フィルはつぶやいた。
「はい。驚くことばかりで、あっという間でした。フィル様と出会う前からは、想像もできません」
リネアも少し顔を傾け、フィルの頭に頬を寄せる。
「でも、今は本当に幸せです。フィル様と出会えたおかげです」
「わたしが頑張れるのも、リネアが側にいてくれるおかげだよ」
くすくすと笑い合う。
「九尾に感謝しなくちゃね。九尾が力を貸してくれなかったら、リネアと一緒にここで死んでいたんだから。…逃げろって言ったのに、リネアったらわたしから離れてくれないんだもの」
「独りぼっちで生きていくのが、もう嫌になっていたのかもしれません。正直、フィル様と一緒に死んでもいいかな、とも思ってました」
「そんなこと言われたら、喜んでいいのか、怒るべきなのか、わからないよ」
フィルは、呆れたように苦笑した。そして、ころりと身体を倒しリネアの太腿の上に頭を落とした。
「リネアにだけは、甘えていいよね?」
「フィル様…」
答える代わりに、リネアはフィルの髪を愛おしげに撫でる。
「他のみんなも大切な仲間だけど、みんなの前では、わたしは『主』でいなきゃいけない。みんなに頼ることはあっても、甘えるわけにはいかないの」
「皆さん、フィル様が少しくらい甘えても気にしないと思いますよ」
「そうかもしれない。でも、これはわたしがみんなの『主』でいるためのけじめだから。…みんなに甘えることを覚えたら、どんどんダメになっちゃう気がする」
フィルはくるりと顔を上に向け、だらしなく緩んだ笑顔を浮かべた。
「そうですね。そんな顔は、皆さんには見せられません。…フィル様のそんな甘えた顔は、私だけのものにします」
リネアも嬉しかった。フィルの周りにはたくさんの人がいる。自分には他のみんなのような強さも賢さもない。けれど、フィルの傍らは誰にも譲りたくない。フィルの一番近くにいるのは自分でありたい。それは密かなリネアの我が儘だった。
フィルは、リネアの手に頬ずりした。
「リネア…ずっと側にいてね」
「はい。私はどこにも行きません。ずっとフィル様と一緒です」
フィルは、嬉しそうに目を閉じる。
「もうしばらく、このままで…」
木漏れ日が温かく差し込む木の根元で、いつしか二人の少女は穏やかな寝息を立てていた。
次回予定「森の迷い子」
新キャラ(幼女)登場します。




