魔王国の正体
夕刻。ケンタウロス族長ウルドは、正式な賓客として総督府に招かれていた。
ウルドを迎えたフィルは、まず、大グラウスへの報復にウルドを巻き込んだ理由を正直に話し、丁重に詫びた。
フィルは何度も命を狙われるほど、帝国の有力者から疎まれている上に、帝国軍の討伐対象だったセイレーンも匿っている。
だから、本国と関わりの深い大グラウスに、サエイレムとケンタウロス族の友好を印象付け、場合によっては彼らがサエイレムの味方をするかもしれないと思わせる。
それが妲己と相談して立てたフィルの作戦だった。サエイレムと帝国の関係が悪化した場合の備えである。
もしも帝国軍とエルフォリア軍がぶつかり、それに魔王国側のケンタウロス族が参戦した場合、再び魔族との全面戦争に飛び火する可能性がある。
仮に今回のことを大グラウスが騒ぎ立てようとも、魔王国と再戦する余裕などない本国は、サエイレムに軍を送ることは躊躇うはず。そのために、ウルドの姿を大グラウスの前に出し、共闘すら演じてみせたのだ。
「ウルド様、こちらの思惑に巻き込んでしまい、本当に申し訳ありませんでした」
「ただの意趣返しでないことくらいは察して乗ったのだ。フィル殿が詫びるには及ばない。…それにしても、我の一撃がかすった時のあの貴族の顔、今思い出しても愉快だった」
声を上げてウルドは豪放に笑う。
「しかし、帝国の総督から、帝国への牽制に利用されるとは思わなかった」
「わたしは、帝国ではずいぶんと嫌われているようですので」
ウルドの言葉に、フィルは自嘲じみたつぶやきを漏らす。
「フィル殿が本国から嫌われるような人物でなかったら、我がここまで出向くことはなかった。むしろ良い事だと思うが、いかがか?」
「…確かに。そのとおりですね」
互いに笑みを交わしたところで、ウルドが切り出した。
「フィル殿、少し二人で話をしたいが、良いだろうか?」
「わかりました。わたしの部屋でよろしいですか?」
「あぁ、構わない」
フィルはウルドを自分の執務室に案内した。
リネアを呼んでお茶の用意を頼み、フィルはテーブルに着いた。向かい側にウルドも座る。足を折って絨毯の上に座る形だが、それでもテーブルが少々低い。
すぐにリネアがお茶のカップが二つ載ったトレイを運んできて、ウルドの前に差し出した。ウルドがその一つを取ると、一礼して下がり、フィルの前に残ったカップを置いて部屋を出て行く。
ドアが閉められるのを見計らい、ウルドが口を開いた。
「あのお嬢さんが、昨夜の騒動の発端なのだな」
「はい。リネアはわたしの命の恩人であり、大切な家族です。リネアに手を出す者は、誰であろうと許しません」
「あの貴族はフィル殿の逆鱗に触れてしまったわけだ…しかし、魔族の娘を家族とは、帝国の総督からそんな言葉を聞くとは思わなかった」
ウルドは、そう言ってお茶に口を付ける。まだフィルはお茶を口にしていない。フィルとリネアに対する信用を示す、ウルドの気遣いだった。
「ウルド様、お話とは何でしょうか?」
「うむ、…フィル殿、かつて敵として戦った我らにどうして交易の話を持ち掛けたのか、理由を聞かせてほしい。単に、我々を懐柔しようというのではあるまい?」
「わたしは、魔族と敵対するつもりはありません。人間との魔族の共存の道を探りたいのです」
切り出したウルドに、フィルは落ち着いた口調で答える。
「…だが、まだ戦争が終わって1年もたたぬ。その相手と誼を通じたとなれば、帝国から余計に睨まれるのではないかな?」
「確かに…わたしがやろうとしていることは、帝国への反逆と見られても仕方のないことです。しかし、帝国と魔族が再び争わないためにも、必要なことだと思っています」
「では、人間を嫌う魔王国に対しては、どう対応するつもりなのか?」
「特には何も。…ケンタウロス族のように、人間とも話をしてくれる種族と交流が持てれば、まずはそれで良いかと」
ふむ、とウルドは腕を組む。何かを迷っている、そんな様子に感じられた。
「ウルド様、わたしからもお聞きしてよろしいでしょうか?」
「何かな?」
次の瞬間、フィルの問いにウルドは言葉を失うことになる。
「『魔王国』という国は、実際には存在しないのではありませんか?」
ウルドの頬がピクリと震え、しばらくの間、沈黙が部屋を支配する。じっとウルドを見つめるフィル、そしてウルドは腕組みしたままテーブルに視線を落としていた。
「……フィル殿、どうしてそう思うのか、伺ってもよろしいか?」
「はい。…わたしは、ラミア族のテミスから『魔族と言っても、種族が違えば考えも習慣も違う、人間とラミアよりも、もっとかけ離れた魔族だっている』そう聞きました。魔族であるテミスにも理解し難い種族もいると。言われてみて、わたしも納得しました。『魔族』という呼び方自体、人間以外の種族を一括りにして帝国の人間がそう呼んでいるだけです。姿形が違えば、考え方や価値観も大きく違って当然。魔族全てをひとつの種族であるかのように呼んでいるのが、そもそもの間違いです。しかし、だとすれば、人間とラミアよりも、もっと違うという種族同士が、はたして一つの国で共に暮らすことができるのか、わたしは疑問を持ちました」
フィルは悲し気に表情を曇らせる。
「そしてもう一つ。リネアの両親は、先の戦争で、同じ魔族であるはずの魔王国の軍勢に殺されました。サエイレムの魔族街は、帝国軍よりもむしろ魔王国の軍勢によって大きな被害を受けました」
「3年前の攻勢の時か…」
ウルドは軽く頷いて先を促した。
「わたしは、同じ魔族のはずの魔王国が、どうしてサエイレムの魔族たちを殺すのか、最初にリネアから話を聞いた時は驚きました。しかし、魔王国の軍勢は、たとえ魔族同士であっても同胞だとは思っていない、リネアはそう言いました。テミスの話とも一致します。帝国と戦った理由は、単に自分達の勢力圏に攻め込んだ帝国軍を押し戻したいだけ。自分達の勢力圏を脅かす者を追い出せればそれでいい。帝国に勝って自分達の版図を広げようなどとは考えていない。だから、後の支配のことなど考えずにサエイレムでは人間も魔族も関係なく住民を殺した。だから、元々自分達の土地でないサエイレムを属州にしたいという帝国の条件もすんなりと飲んだ。…そう推測しました」
そして、結論を言う。
「つまり、それぞれの種族が、帝国…いえ、人間に対抗するという一点で一致しただけの緩やかな同盟関係、それが帝国の人間が『魔王国』と呼んでいるものの正体。そうではありませんか?」
緊張した表情で、フィルはウルドの答えを待った。
「…恐れ入った」
ウルドは、観念したように首を振った。
「フィル殿の考えのとおり、我々の間には、帝国のような統一された国はない。先の戦争も、帝国という脅威のために同盟を結んだに過ぎない。…いや、同盟とすら言えないな。それぞれの種族が帝国軍と好き勝手に戦っただけ、せいぜい、互いの邪魔はしない、利害が一致すれば手を貸す、という程度が実情だ」
「では、帝国からの脅威を直接受けない、離れた場所に暮らす種族は、どうして参戦したのですか?」
「帝国に接して暮らす我々が帝国に支配されるようなことになれば、次は自分たちが帝国の脅威を直接受けることになるからだ。我らの土地が多少削られる程度ならどうでもいいが、完全に帝国のものになるのは困る、そういうことだ。…まぁ、あとは人間ごときがという侮りもあったのだろう、自分達が出れば帝国軍など一捻り、まさか引くに引けなくなって10年も戦争する羽目になるとは思っていなかったはずだ。だから、帝国から終戦の申し出があった途端にさっさと引き上げてしまった。あとの交渉は、帝国に接して暮らす我々やアルゴス、アラクネといった種族が対応した」
フィルは、自分の推測が正しかったことに安堵し、お茶を口に含む。
「…以前、父が戦場から戻ってきた時に話していました。『魔族の戦い方には、種族同士の協力や連携というものがまるでない。連携して仕掛けられたら危ない戦況でも、バラバラに攻撃を仕掛けてくるから各個撃破することができる。だから、一人一人の戦闘力では劣る人間の帝国が、長年に渡って優勢に戦っていられるのだ』と」
「なるほど。耳の痛い指摘だ……エルフォリア将軍といい、フィル殿といい、敵として相対するなら最悪の父娘だな」
「最悪の父娘とはひどいです。…でも、褒め言葉と受け取らせていただきます」
フィルは、くすりと笑う。
「しかし、帝国が再び攻めるというなら、我々が受けて立つことに変わりはない」
「はい。魔王国がひとつの国家でなかったとしても、先の戦争と状況が変わるわけではありません。帝国が有利になるということもないでしょう。…ただ、わたしは、良かったと思っています。魔王国という統一国家がないのなら、それぞれの種族と、個別に話をすることも、仲良くすることもできる、ということですよね?」
「仲良く、か…」
ウルドは、子供じみた言葉に微妙な表情を浮かべた。
「もちろん、ただの仲良しごっこではなく、互いの利益も考えてのことです」
フィルは苦笑する。
「今後、サエイレム発展の要となるのが、大河ホルムスとサエイレム港を利用した南方との舟運です。ただ、いかに舟運を握っていても、交易品の販路が帝国向けのみでは、帝国に対する弱みになります。だから、魔族たちにも販路を広げたい。そして、魔族側の特産品もサエイレムを通じて交易路に乗せ、帝国や南方地域に売っていきたい。ケンタウロス族との友好関係は、そのためのものでもあります…ケンタウロス族以外にも、人間との共存に理解を示す種族がいるのなら、ぜひそれらの種族とも話し合い、良い関係を結びたいと思っています。そして、サエイレムは南方との舟運だけでなく、帝国、南方、そして魔族の3つを結ぶ交易路の中心になる」
フィルは魔族たちと積極的に関わり、人間と平等に扱っている。それは、帝国本国の人間たちに対する嫌悪、リネアをはじめとするサエイレムの魔族たちに対する好意、というフィル個人の感情が影響している面も多分にあるが、一方では、魔族に対する融和姿勢を魔王国側の魔族たちにもアピールしたいという考えもあった。
「人間は魔族を嫌い、魔族は人間を嫌う、それを全て変えることはできません。お互い、受け入れがたい部分は必ずあるものです。そこを無理に近づけるつもりはありません。でも、このサエイレムでは長年にわたって人間も魔族も一緒に暮らしています。ならば、帝国と魔王国の間に、人間と魔族が共に暮らせる場所があってもいい、そう考えました。魔族とも人や物の往来を盛んにして交易を進め、人間も魔族も公平に扱い、来たい者は受け入れる。余分な国境警備の負担を減らし、その兵力を交易路の安全確保に充てる。サエイレムが発展すれば、街に住む人間も魔族も豊かになれる。そして再び、サエイレムを人間と魔族との間に立つ場所にしたい。かつてのようなただの緩衝地帯ではなく、互いの交流の場所にしたいのです」
フィルは真面目な顔でそこまで喋ると、一転して柔和な笑みを浮かべた。
「…つまりは、わたしとリネアが、誰の目を気にすることもなく、笑って暮らせる場所を作りたい。正直、そんなところです。ウルド様、どうか、わたしのささやかな願いに、力を貸して頂けないでしょうか?」
ウルドはフッと笑みをこぼす。人間の総督が、魔族の娘と共に暮らしたいがために、帝国を向こうに回そうと言うのか。なんとも面白い。この娘に賭けてみるのも一興か…。
「帝国は今でも我らの敵だ。しかし、フィル殿は敵ではない。我はそう判断した。フィル殿の構想が実現すれば、サエイレムと隣り合うケンタウロスの土地も栄えるだろう。…今後もフィル殿とは良い関係でありたいものだ」
「ありがとうございます」
ウルドの返事に、フィルは少し目を潤ませて深く頭を下げた。
父が敵として戦ったケンタウロス族との交流の始まり。それは、フィルにとって大きな一歩となった。
次回予定「フィルの休日」
サエイレムの建て直しもようやく一区切り。次回から新展開です。




