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傾国狐のまつりごと-食われて始まる建国物語-  作者: つね
 第1章 サエイレムの新総督
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サエイレム港の落成式-その当日

 落成式の会場は、拡張されたサエイレム港のほぼ中央に設けられていた。招待客が座る席は天幕が張られ分厚い絨毯が敷かれた賓客席となっていたが、その他はロープで簡単に区切られているだけだ。その代わり、招待者以外の一般市民も自由に参加して良いことになっている。


 賓客席の中央に座っているフィルは、少し離れた場所に座っている大グラウスの姿を軽蔑の視線で眺めていた。数人の従者を従えた大グラウスは、用意させた長椅子に気だるげに寝そべり、手にした杯を傾けている。中身はおそらく酒だろう。

 フィルはもちろん、グラムやエリン、バルケスといったエルフォリアの重臣たちや、バレンを始めとする商業組合や港湾組合の幹部たちも、皆、絨毯の上に直接腰を降ろしていた。魔族と人間が同席する機会が増えたサエイレムでは、それが普通のものとなりつつある。

 例外は大騒ぎして長椅子を運ばせた大グラウスだけだ。


 朝、迎賓館に大グラウスを迎えに行ったフィルは、以後、会場に至るまで間、くどくどと繰り返し大グラウスの『忠告』を聞かされた。

 当然のように聞き流していたたため、ほとんど覚えていないが、要約すれば、魔族を人間同様に扱っているのがけしからん、家臣の教育がなっていない、おおむねそんなところだ。


 昨夜、総督府に戻ったフィルが聞いた経緯はこうだ。

 落成式の準備から総督府に戻ったグラムとテミス、そしてそれを出迎えたリネアの姿を、酒に酔って庭に出ていた大グラウスが見かけたらしい。

 そして大グラウスは、フィルが総督府を留守にしていることを知るとグラムを呼び出し、魔族が総督府にいることを咎め、リネアを自分達の酌婦として付けるように命じた。魔族でも人間に容姿が近い獣人の女性は、本国で酌婦や娼婦にされていることが珍しくない。もちろん、望んでのことではなく、戦争中に捕らえられ、奴隷として連れて来られた結果だが、大グラウスにとっては、下賤な魔族の娘など言われるままに差し出して当然、という感覚だったろう。


 だが、リネアはフィルの側付、つまり専属である。主であるフィルの許しなくそんなことはできない。当然、グラムは断った。


 自分の命令を断ったグラムに対して、大グラウスは、魔族が総督の側付でいること自体がおかしい、フィルが魔王国に通じていると告発しなければならない、言う通りにすれば今回だけは穏便に済ませてもよい、などと言い始めた。リネアを気に入ったというより、自分の命令が断られたことが余程腹立たしかったのだろう。それでも、断り続けるグラムに業を煮やし、ついに部下の護衛兵にリネアを力づくで連れてくるように命じた。

 そこへ、監視していたパエラから状況を伝えられたフラメアが、独断で第二軍団の兵を引き連れて迎賓館に乗り込み、大グラウスたちを黙らせたという。

 

 事情を聞いたフィルは、皆の対応に感謝した。グラムの応対はもちろん、パエラはよく手を出さずに我慢してくれたと思うし、フラメアは兵を動かす決断をよくしてくれたと思う。

 人間も魔族も関係なく、協力してリネアを守ってくれたことが嬉しかった。


 フィルが席に着いてからほどなくして、ウェルスに案内されてケンタウロス族の一行が港に現れた。

 賓客席に通されたウルドは、フィルの隣に座る。ラロスとロノメの兄妹は護衛の戦士とともに後ろの天幕の影に控えている。

「フィル殿、お招き感謝する」

「お待ちしておりました。本日は、よろしくお願いします」

「承知した。腕が鳴る」

 そう言って、ウルドは自らの腰のあたりに突き出している鉄槍の柄を軽く叩いた。

「…フィル殿、あれが例の?」

 大グラウスの姿をちらりと一瞥し、ウルドがフィルに囁いた。

「はい。隣領ベナトリア属州の総督、大グラウス卿です」

「そうか…」

 ふっとウルドは笑う。

「妲己との手合わせ、存分におやりください」

 フィルも微笑み返した時、大きくドラムの音が鳴り、進行役のテミスの声で、落成式が始まった。


「ふん、こうも魔族が多いとは…あの小娘が…!」

 会場の様子を眺め、不機嫌そうに大グラウスはつぶやいた。

 彼の視線の先では、演壇に立ったフィルが挨拶している。拡張したサエイレム港により南方との交易を拡大し、人間も魔族も共に暮らす豊かな街にする、そんな内容だが、大グラウスにとっては全てが忌々しい。


 戦争前、ベナトリアの属州総督となった大グラウスは、本国で懇意にしていた交易商人たちと結託してサエイレム領主に圧力をかけ、サエイレム港を本国の商人が独占的に使用する特権を認めさせる寸前までいっていた。

 その領主が魔王国に処刑されてしまったせいで、全てご破算となってしまったが、戦争が終わって、再び利権獲得に動こうとした矢先に、新たに総督となったフィルが先手を打ち、サエイレム港から本国の商人を締め出すに等しい布告を出した。

 帝国の属州となったサエイレムには、帝国軍の力を背景に圧力をかけることができない。しかも、属州同士の軍備で言えば、精鋭のエルフォリア軍を擁するサエイレムの方がベナトリアよりも遥かに優勢だ。経済力ではベナトリアの方が勝るが、フィルの方針どおり南方との交易が盛んになれば、その優位も盤石ではない。


 大グラウスにとっては、自分の企てを邪魔するフィルの存在が目障りで仕方ない。昨夜は昨夜で、魔族の娘一人差し出せというなんでもない要求すら拒否され、そればかりか兵士に迎賓館を取り囲まれ、半ば監禁状態で一夜を過ごすことになった。思い出しても腹が立つ。


「閣下、エルフォリア卿の隣に、ケンタウロス族がいます」

 側近にそっと耳打ちされて目を向けると、挨拶を終えて席に戻ったフィルの隣に、壮年のケンタウロスがいた。

「ケンタウロス族は、魔王国に属する種族ではないか…」

 大グラウスは考えを巡らせる。自分がここにいるのを承知でケンタウロスの姿を見せた、小娘の意図は何だ?

 戦争は終わったとは言え、敵だった種族と同席すれば、叛逆を疑われる。失脚を狙う相手に好材料を与えるだけだ。いけ好かない小娘だが、それに気付かぬほど暗愚ではないはずだ。


 大グラウスが眉間に皺を寄せている間にも、落成式は滞りなく進行していく。

 商業組合や港湾組合の幹部の他、取引先である南方からやってきた異国の商人も祝辞を述べ、セイレーンの娘たちが美しい歌声を響かせる。本国では船乗りを惑わせると忌み嫌われているが、ここでは船乗りたちも含め、誰もが美しい声に聞き入っていた。


 そして、式も終盤に差し掛かった頃、フィルとウルドが揃って、広い岸壁の中央に進み出た。

 フィルはローブを脱いで、リネアに渡す。ローブの下は兵士のような動きやすいシャツとズボン、そして足元は帝国軍兵士が一般的に履いている革のサンダルだ。そして、さりげなく妲己と入れ替わると、エリンから自分の身の丈よりも長い大刀を受け取った。

 ウルドも馬体の横に取り付けていた鞘から、鉄槍を引き抜いた。長さは2mほど。槍と言うより、太い鉄棒の先端をそのまま刃に加工したような武器だ。刺す、切り払うはもちろん、柄の部分で殴られるだけでも致命傷になりかねないが、重量があり過ぎ、普通の者ではまともに扱えない代物だ。

「ウルド様、ご存分に」

「妲己殿の技量、楽しみだ」

 双方の武器を掲げ、刃と刃をカチリと打ち合わせる。

 

「これより、サエイレム総督フィル・ユリス・エルフォリア様と、ケンタウロス族族長ウルド様による剣舞をご覧いただきます」

 テミスの声が響き、調子をとるように、ドーン、ドーンとドラムが叩かれ始めた。

 ブン、と音を立てて妲己の大刀が風を切った。背骨を軸に、くるり、くるり、と回転しながら、大刀を優雅に振り回す。ウルドも、両手で握った鉄槍を八の字に振り回し、徐々にその勢いを増していく。

 両者は徐々に接近し、カァン、カァン、と何度か大刀と鉄槍が軽く打ち合される。二人はそのまますれ違い、ある程度の間合いをとったところで、動きが止まった。

 舞の体裁をとっていたのはここまでだった。

「いざ!」

 低く大刀を構えた妲己が、地面を蹴った。ラロスから聞いていなければ対応できなかったかもしれない、人間とは思えない速さの突進。ウルドはその場で鉄槍を構え、横殴りの斬撃を真っ向から受け止めた。


 突如始まった戦いに、観客席からどよめきが漏れた。それは大グラウスとて例外ではない。手にした杯を口に運ぶのも忘れ、目の前の光景にただ驚愕する。


 大刀の刃を鉄槍で受けた瞬間に異様な手ごたえを感じ、ウルドは咄嗟に鉄槍を傾けた。ギィンッと甲高い音がして、鉄槍の表面を大刀が削っていく。見れば、鉄槍の柄に刃が食い込んだ跡が付いていた。

「っ…!」

 鉄槍すら両断しかけた斬撃の威力に、歴戦のウルドも思わず声を詰まらせる。だが、これしきで臆するものではない。ウルドは鉄槍を右腰に構えて駆け出し、妲己めがけて突きを放つ。馬体の質量と速度を生かした突きの威力は、帝国軍の大盾すら貫くケンタウロス族の得意技だ。


 まともに受止めるには流石に体重差がありすぎる。妲己は身を翻して突進を避け、大刀の柄で地面を突いた反動を利用して大きく跳躍した。ウルドの間合いから十分に離れたところに着地し、妲己は再び、くるりくるりと大刀を振り回し始める。高く低く、自在に軌跡を変化させる大刀の切っ先は、一陣のつむじ風のように勢いを増していく。

 避けられたウルドも、そのまま立ち止まることなく速度を増し、大きな蹄の音を響かせて妲己に向かう。手にした鉄槍が陽の光を受けて鈍く輝く。


 ウルドの間合いに入る寸前、タンッと軽く踏み込んで跳んだ妲己は、勢いのついた回転動作そのままに大刀をウルドの頭上めがけて振り下ろした。ウルドも、それを読んでいたように、鉄槍を振り上げて妲己の大刀を受け止め、そのまま力任せに妲己を弾き飛ばす。大きく空中に飛ばされた妲己は、大刀の重さを利用して巧みに体勢を立て直し、猫のように音もなく着地する。


 着地の瞬間、妲己は腰と膝をバネのように深く折り曲げ、前傾姿勢で大地を蹴った。弾丸のように一直線に向かうのはウルドの真正面。下からすくい上げるように槍の先端を逸らし、ウルドの脇腹めがけて大刀を水平に薙ぎ払う。

 ウルドは鉄槍の柄で大刀を弾き返し、前足で眼前の妲己を蹴り上げる。妲己は素早く大刀を引いてウルドの前足を受止め、同時に後ろに跳んで衝撃を最小限に抑えたが、それでも呆気なく吹っ飛ばされて、勢い良く賓客席へと転がり込んだ。

 そこは、ちょうど大グラウスの目の前。


「うわぁぁッ!」

 情けない悲鳴を上げて杯を取り落とす大グラウスの襟元を掴み上げ、妲己は大グラウスを長椅子から引きずり下ろす。

 次の瞬間、妲己を追って振り下ろされた鉄槍の一撃が、大グラウスが座っていた長椅子を真っ二つに叩き折った。その切っ先は、絨毯の上に転がった大グラウスの衣の裾を切り裂いている。

 大グラウスを守るべき従者や護衛兵は我先に逃げ散り、妲己に引きずられたまま呆然とウルドを見上げる大グラウスは、恐ろしさのあまり声も出せずに口元を震わせるばかり。

 その姿に、にやりと笑った妲己は、掴んだままの大グラウスの襟元をグイと引き寄せた。


「…次に妾たちに手を出したら、その首が落ちるわよ」

 ぼそりと低い声でつぶやき、ドンと押し倒すように手を離す。大グラウスは糸が切れたようにその場に転がるが、もはや妲己は一瞥もせず、賓客席を後にする。


「ウルド様、場外に出てしまいました。一旦、仕切り直しましょう」

「承知した。少々、力が入り過ぎたようだ。どなたが存ぜぬが、失礼した」

 ウルドもわざとらしく大グラウスに一礼すると、鉄槍を肩に担ぎ、妲己の後に続く。

 後には、放心して転がったままの大グラウス。その尻の下が濡れていたのは、杯の酒がこぼれたということにしておこう。

 醜態を晒した大グラウスは、こっそりと戻ってきた従者たちに会場から担ぎ出され、そのまま自領へと逃げるように戻っていった。

 

 再開された妲己とウルドの剣舞に名を借りた手合わせは、盛り上がる観客の声援を受けて熱を帯びた。  

 ウルドは殺し合うつもりこそないが、決して手を抜いてはいない。武勇で知られるケンタウロス族に対して、人の身で互角に戦う我らが総督の姿に、人間も魔族も熱狂した。

 終始、口元に楽し気な笑みが浮ベて戦った両者は、互いの首元に刃を寸止めしたところで終了となった。

次回予定「魔王国の正体」

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