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傾国狐のまつりごと-食われて始まる建国物語-  作者: つね
 第1章 サエイレムの新総督
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ケンタウロスの族長

 護衛としてシャウラとエリンを連れ、急いでアマトの館にやってきたフィルは、勝手知ったる館の廊下を足早に奥へと進み、ケンタウロス族の族長、ウルドと対面した。

 広間に飛び込む直前、エリンに呼び止められたような気もするが、一刻も早く挨拶をしておきたかった。


「あなたがサエイレムの総督殿か?」

「はい。サエイレム属州総督、フィル・ユリス・エルフォリアと申します。お出迎えもせず大変失礼をいたしました」

「いや……、気になさらずともよい」

 一瞬の間が、大抵のことには動じないウルドにとって、滅多にない驚きを表していた。

 サエイレムの新総督は神獣の力を有するとラロスから聞き、それを確かめに来たつもりでいたが、本当にそれを目にすると、やはり驚かずにはいられなかった。

 少し呼吸が乱れ、頬が上気しているのは、ここまで急ぎ足で来たせいだ。ドアを開けたウェルスを押しのけるように部屋に飛び込んできたフィルの姿に、ウルドの口元が少しだけ緩む。

「こちらこそ、急な来訪にも関わらず快く迎えて頂き、痛み入る。この街で、魔族がどのように暮らしているかも、少しばかり見させてもらった」

 そこまで言ったウルドが、堪えきれぬようにククッと笑い声を漏らす。フィルは、ウルドが笑う理由がわからず、怪訝そうな表情を浮かべた。

「総督殿、人間をお辞めになったとは聞いていたが、まさか帝国の総督殿が魔族と見まごうお姿とは。こうして目にすると、なかなか興味深いですな」

 ハッとして自分の腰を振り返ったフィルの目に、スカートの裾で豊かな毛並みの金色の尻尾が揺れているのが映った。

「…っ!」

 恐る恐る頭の上を探ると手触りの良い獣耳の感触…かぁっと赤面したフィルは、その場に座り込んで頭を抱えた。


「お恥ずかしいところをお見せしました」

 最近は意識しなくても狐の姿が『漏れる』ことはなかったのに…人間の国である帝国の総督が狐人姿では、交渉相手としてどう思われただろう。

 絨毯の上に座ってウルドと相対したフィルは、しょんぼりとうなだれる。

 隠すつもりはなかったが、魔王国に属する種族の長との初めての会見だ。一応、フィルも総督としての体面くらいは気にする。気負っていただけに余計に恥ずかしい。

「いや、我も非礼であった。許されよ…」

 ウルドはウルドで、フィルの落ち込み様に気まずそうな表情を浮かべている。お互いに無言になってしまった二人に、呆れたようにウェルスが口を挟んだ。


「姫さん、いつもみたいににシャキッとしろよ。族長殿に色々話したいことがあるんだろう?…狐人の姿を見られたくらい、いいじゃねぇか、今さら。狐の姿だって姫さんは可愛いんだから」

「ウェルス…」

 そういう問題じゃないんだよ、と非常に残念なものを見る目で、エリンはウェルスを見やる。

 じとりとウェルスを睨んだフィルがシャウラに目配せすると、シャウラの尻尾が音もなくウェルスの首に巻き付く。

「ウェルス、今すぐ黙るか、締め落とされるか、好きな方を選びなさい」

「ちょっ、待てよ!姫さん、俺、褒めたよな?!なんで怒ってるんだよ!」

「フィル様、とりあえず喉を潰しておきましょうか?」

「シャウラまで怖ぇえこと言うな!喉潰されたら、とりあえず、では済まんだろうが!」

「…はぁ…。ウェルス、あとで『お話』があるからね」

 慌てるウェルスに、フィルは大きなため息をついてシャウラに尻尾を解かせた。


「重ね重ね、お見苦しいところを見せしてしまいました」

 場の雰囲気を和んだところで、フィルは気を取り直してウルドに言った。相変わらずデリカシーのないウェルスには呆れるが、おかげで会話を仕切り直すよいきっかけになった。

「改めて、ようこそサエイレムにお越しくださいました。わたしのことはフィルとお呼びください」

「ではフィル殿、我のこともウルドと呼んで欲しい」

「ありがとうございます、ウルド様」

「…それにしても、フィル殿は、人間の配下にも魔族の配下にもずいぶんと信頼されているようだ。娘の身ながら、父君の跡を継がれるだけはある」

 ウルドは握った右手の上に左手を被せると、胸の前に掲げ、軽く頭を下げる。

「父君、エルフォリア将軍が亡くなられたことはラロスから聞いた。謹んでお悔やみ申し上げる。我らが知る帝国の将の中で唯一人、認めるに足る相手だった。…父君にも、そちらの軍団長殿にも、ずいぶんと苦しめられた。他の将であればたやすく一蹴できていたものを、悔しくもあるが、尊敬すべき将であった」

 フィルの瞼の裏が熱くなる。武人の誇りを尊ぶケンタウロス族の長が、敵将であった父を認めていたことが嬉しい。

「ウルド様のお言葉、父にとっては何よりの誉れと存じます。亡き父に代わり、お礼申し上げます」

 フィルの後ろで、エリンが目頭を押さえていた。


 絨毯の上に置かれた低いテーブルに、食事と飲み物が並べられた。テーブルにはウルド、ラロス、ロノメ、向かい側にフィル、エリン、アマトが座っている。

 ウルドはワイン、フィルは果実水が入った硝子の杯を掲げ、軽く打ち合わせた。


「ウルド様、こうして族長自ら来られたということは、わたしの提案した件について、話を聞いて頂けるということでしょうか?」

 しばしの談笑の後、少し緊張した口調で切り出したフィルに、ウルドは杯の酒を軽く口に含み、ゆっくりと応じる。

「ラロスからは聞いてはいるが、フィル殿の口から改めてお聞かせ頂いてもよろしいか」

 杯をテーブルに置き、フィルは姿勢を正した。

「はい、わたしはケンタウロス族と友好的な関係を持ちたいと思っています。決して、帝国に従えとか、味方になれということではありません。隣国として人の行き来や交易を盛んにできれば、互いに利があるはず。…サエイレムと共存していく道を探ることはできないでしょうか」

「隣国として人の行き来を盛んにする、か。…しかし、それが再侵攻のための隠れ蓑でないと、どう保証して頂けるのだろうか?…10年前、先に手を出したのは帝国の方だ」

「それは…」

 フィルは言いよどむ。前はいきなり殴り付けておいて、今度は仲良くしようと言う。口先だけで信用されるとはフィルも思わない。

「ウルド様、申し訳ありません。今は、わたしを信じて頂くより他にありません…虫の良い話だとは承知しています」

 ウルドは、すぐには反応せず、じっとフィルを見つめている。

「すぐに認めて欲しいとは申しません。まずは、国境に交易のできる市場を設け、そこで双方の取引をしてはどうかと思います。本格的に国境を越えた往来を認めるかどうかは、わたし達の行動を見極めた上で考えて頂ければかまいません」

「…わかった。まずはフィル殿の提案のとおりとしよう。帝国の者が国境を越えないというのなら、こちらとしても異存はない」

 ウルドの答えに、フィルはホッと胸をなで下ろす。まずは第一歩。時間はかかるが、交流の中で信用を得ていくしかない。

「ありがとうございます」

 フィルは、少し後ろに下がって深く頭を下げる。

「将軍は良い跡継ぎを持たれたな。…軍団長殿、そうは思わないか」

「はい。我らエルフォリアの将兵一同、アルヴィン様と変わらぬ忠誠をフィル様に誓っております。ウルド様、万が一、一戦交える時はお覚悟を」

 やや挑戦的な笑みを浮かべるエリンに、ウルドも声を上げて楽しそうに笑う。

「将軍亡き後もエルフォリアの精鋭が健在なのは喜ばしいことだ。我が一族も引き締めねばな」

「ラロス殿、ロノメ殿ともに立派な戦士ではありませんか。ラロス殿は、先日の闘技大会でこのエリンを破っておりますし」

 一戦交える、なんて縁起でも無い、とフィルは軽くエリンを睨み、話をそらす。

 ウルドはフィルの言葉に少し口角を上げた。

「そのラロスをたやすく破ったのは、フィル殿ではないか」

「事情はラロス殿からお聞き及びと思いますが、わたしの中には、先ほどの狐の力とともに宿った、妲己と玉藻という二人の女傑がおります。闘技大会でラロス殿と戦ったのは妲己であって、わたしではありません」

「確かにそうは聞いているが…」

 ウルドは戦士として興味をもっているようだ。確かに、話を聞いただけでは、フィルと妲己の違いを理解するのは難しいかもしれない。

「では、しばし妲己と代わりますので、ご自身でお確かめになられた方がよろしいでしょう。彼女も武人故、わたしよりもウルド様と話が合うかもしれません」

 フィルは、そう言って妲己と入れ替わった。


「ほぅ、これは…」

 目の前に座るフィルの気配ががらりと変わったのに気付いて、ウルドは目を見張る。

「族長殿、はじめまして。妾は妲己。闘技大会でラロス殿と戦った者ですわ」

 優雅な仕草で一礼した妲己に金色の瞳で見つめられ、ウルドの身体に無意識に力が入る。決して威圧的ではないが、研ぎ澄まされた刃を静かに突き付けられているように感じた。

「なるほど、ラロスでは勝負にならんか…」

 呟くウルドに興味をそそられたのか、妲己はウルドに杯を差し出す。

「まずは一献、いかがかしら?」

「いただこう」

 杯を受け取ったウルドに、妲己は酌をする。ウルドは注がれたワインを一息に飲み干し、空になった杯を妲己に差し出した。

「返杯を受けてもらえるかな?」

「喜んで。…妾もお酒を頂きたいわ」

 ウルドが注いだワインを飲み干し、ふぅっと息をついた妲己は艶然と笑う。

「お酒で勝負してもいいけど、族長殿は、妾と手合わせしてみたいのではないかしら?」

「良いのか?」

「フィルが妾を出したのは、たぶんこういう話になると思ったからでしょう。武人たるケンタウロスの信用を得るには、刃で語るのが一番ってね」

「…さすがは将軍の娘、これも作戦というわけか」

 はははと声を上げて、ウルドは笑う。


「今からやってもいいけど、さすがにこの服じゃ動きづらいわね」

 妲己は、ゆったりとしたローブにスカート姿の自分を見回す。

「明日の落成式が終わったら、お相手させて頂きます。お互い、存分に戦える方が良いでしょう?」

「よかろう。楽しみを取っておくのも一興、明日まで待たせて頂くとしようか」

 ウルドが頷いた時、急に扉の外が騒がしくなった。


「何事ですか?!」

 アマトがするりと席を立ち、扉の脇に控えていたシャウラに外を確認させる。すると、ラミアの侍女に案内され、一人の兵士が駆け込んできた。エリン配下の第二軍団の兵士だ。

「フラメア様から、至急フィル様とエリン様に知らせよ、と!」

 兵士は、身をかがめた妲己に伝言を伝える。妲己が聞いたものはフィルにも伝わる。

「…」

 ギッと妲己が歯ぎしりする音がした。

 妲己は無言のままエリンに目配せする。兵士から伝言を聞いたエリンの顔色も変わった。


「ウルド様、申し訳ないけれど、今夜はこれで失礼させていただきます」

「いかがなされた?」

「今、総督府に来ている隣領の総督が、留守の間に、ずいぶんと好き勝手してくれたみたい…!」

 吐き捨てるように妲己は言う。一応、怒りは抑えているが、握りしめた拳は小刻みに震えていた。

「今すぐ首を刎ねてやりたいところだけど、相手も総督とあってはそうもいかない…悔しいことにね」

 足跡荒く部屋から出て行こうとしたところで、妲己はピタリと立ち止まってウルドを振り返る。顎に手を当て、数瞬、じっとウルドを見つめていた妲己の口角が、ゆるりと上がった。


「…ウルド様、明日の落成式に出席して、妾と剣舞を披露してもらえないかしら?」

「剣舞?」

「そう。剣舞という名目で、先ほどお約束した手合わせをしましょう…ウルド様と打ち合うのなら、興が乗ってしまって、観客の顔を刃がかすめることもあるかもしれないわね…」

 妲己は、そう言って獰猛な笑みを浮かべた。その意味を察し、ウルドもにやりと笑う。

「面白そうだ。承知した。お相手しよう」

「感謝します。お付き合い頂いた埋め合わせは、いずれ必ず」

 妲己は、ウルドに深く頭を下げると、身を翻す。

「エリン、シャウラ、総督府に戻ります!」

『はっ!』

 妲己の後ろ姿を見送りながら、ウルドは楽し気に笑みを浮かべ、杯に残ったワインをあおった。

次回予定「サエイレム港の落成式-その当日」


5,000PV超えました。読んでくださっている方々、ありがとうございます!

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