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傾国狐のまつりごと-食われて始まる建国物語-  作者: つね
 第1章 サエイレムの新総督
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サエイレム港の落成式-その前日

 フィルがセイレーンたちをサエイレムに招き入れてから3ヶ月ほどがたった。

 島からやってきたセイレーンたちは、改築が終わって綺麗な水が流れるようになった運河に住んでいる。中にはテレルたちと一緒に総督府の泉で歌ってくれる娘もいて、フィルはご満悦だ。


 そして、もう一つ嬉しいことがある。サエイレム港の拡張工事がいよいよ完成するのだ。


 元々の港はサエイレムの中心から西の人間街の方に偏っていたが、これを東の魔族街の方へ大きく拡張した結果、入港可能な船の数はこれまでの2倍となる見込みである。

 荷を保管する倉庫や船員宿、港を警備する衛兵の詰所、税関などの設備も整えられ、フィルの構想どおり、それらの施設では魔族も多く働いていた。セイレーンたちを含め、港での仕事は未経験の者も多かったが、サエイレム所属の商船を相手に経験を積んで、だいぶ様になってきたと聞いている。

 

 玉藻が案を作った新しい港の使用規則は、すでにサエイレム市内はもとより帝国本国や各属州、それに南方の交易先にも商業組合を通じて通知され、すでに他領からサエイレムに本拠を移すことを打診してきた商会も幾つか見受けられる。

 使用料を課したことや、港の使用に関する権限を完全にサエイレム側が握っていることに、帝国本国の商業組合からは港を自由に使用させろと抗議の書簡が届いていたが、フィルはこれを無視した。

 そもそも、本国の商人たちに好き勝手させないように決めたルールなのだから、当然である。


 明日は港の工事完成を祝う落成式が予定されている。

 グラムとテミスは港で式の手順や準備の最終確認、フラメアは商業組合との打合せに出かけており、総督府の中もバタバタしていた。


 総督として初めて手掛けた大型事業だ。フィルとしても思い入れがある。フィルが執務室で落成式の式次第に目を通していると、窓の外のバルコニーから羽音がした。

「フィル様、いらっしゃいますか?」

 声の主はハルピュイアのイネスだ。

「いるよ。どうぞ」

 窓のほうを振り返ってフィルは返事をする。リネアが窓にかかっていた薄布のカーテンを開けると、イネスが入ってきた。

「失礼します」

「どうしたの?テミスから何か伝言?」

「はい、西の街道を見張っていた仲間が、サエイレムに向かう貴族と思われる一団を見つけました。テミス様が、すぐにフィル様にもお知らせするようにと」

 闘技大会で起こった襲撃事件の後、フィルはテミス配下のハルピュイアを使って空から街道を見張らせている。その網に何者かが引っかかった。


「貴族の一団?」

「はい、豪華な馬車2台と、周囲に10人ほどの兵士が護衛についています」

 フィルは首をかしげる。馬車2台に護衛兵を付けているとなれば、それなりの身分の貴族だと想像できる。ただし、落成式に招待した客ではない。形式上、本国の皇帝と元老院には港の完成を報告する書簡を出したが、落成式を行うことは外に知らせていないからだ。

 よりによって落成式の前日とは、偶然にしてはタイミングが良すぎる。だとすれば、何らかの方法で落成式の情報を掴み、乗り込んできたのか。

「あとどくらいでサエイレムに到着するの?」

「おそらく到着は今日の夕刻あたりかと」

「そう…悪いけど、引き続き、その馬車を見張ってくれる?何かあればすぐ知らせて」

「はい、わかりました」

 フィルの指示に、イネスはバルコニーから飛び立っていく。

「リネア、エリンをここに呼んで」

「はい」

 本国の息がかかっている貴族だとすれば、扱いを考えなくてはならない。


 リネアがエリンを呼びに行くの入れ替わるように、今度は柱を登ってシャウラがバルコニーにやってきた。

「フィル様、よろしいですか?」

 どうしてウチの者たちはドアから来てくれないのだろうか。フィルは苦笑いを浮かべてバルコニーに出る。

「シャウラ、何かあった?」

「はい、ウェルスが来ています。至急、フィル様にお知らせしたいことがあると」

 ウェルスは国境の第一軍団に預け、一軍の将となるべく勉強中。そのウェルスをここに寄こしたということは、軍団長であるバルケスも至急の案件と判断したということだ。

「わかった。ここに通して」

「承知しました」

 シャウラは、再びするすると柱を降りていく。

 その先を見ると、泉の側でウェルスがセイレーンたちの姿に見惚れていた。セイレーンたちを戦力とする時には、第三軍団に入れてウェルスの配下にしようと思っていたが、あの残念な表情を見ると、考え直した方がいいかもしれない。


 リネアがエリンを連れて戻ってくるのと、シャウラに案内されたウェルスがやってきたのは、ほぼ同時だった。

「フィル様、お呼びと伺いましたが」

「エリン、街道の見張りから報告があって、今日の夕刻あたりに他所の貴族が来るみたいなの。明日の落成式に捻じ込もうって魂胆かも」

「招待もないのに押しかけるとは、舐めてますね」

 エリンは不快そうに眉を顰める。

「しかし、相手の身分によっては相応の出迎えをしなくてはなりません」

「それなんだけど…」

 フィルは、言葉を濁してウェルスを見る。

「ウェルス、国境から急いで戻ってきたってことは、ケンタウロス絡みかしら?」

「さすが姫さん、察しがいいな。ケンタウロスの族長殿が、姫さんに直接会いたいと国境までやってきているんだ」

 ウェルスの言葉に、フィルは思わず立ち上がる。返答の使者ではないかとは思っていたが、まさか族長自らとは!…ということは、こちらをそれなりに信頼してくれているということではないか。好意的な返事がもらえる可能性は十分にある。このチャンスを逃すわけにはいかない。

「行く、すぐ行く、今すぐ会いに行く!」

 興奮して叫ぶフィルに、ウェルスは呆れた表情を浮かべる。

「落ち着けって、姫さん。街に来る貴族はどうするんだよ?」

「うっ…」

 タイミングが最悪だ。しかし、招かれざる客とは言え、貴族への対応を誤ると後々面倒だ。フィルは、ボフと椅子に腰を落とすと天井を仰いだ。


「わたしはここを離れられないわね…ウェルス、族長の一行は何人くらい?」

「族長殿と一緒に来たのは、ラロスとロノメ、そして護衛の戦士が二人、それだけだ」

 護衛が少ないが、ロクに自分の身を守れない帝国の貴族とは違い、ケンタウロス族は一人一人が優秀な戦士と聞く。族長自身、かなりの手練れなのだろう。

「よし、族長殿をサエイレムにお招きしよう。シャウラ、ハルピュイアの誰かを伝令に出せる?」

 国境からサエイレムまでは馬なら2時間足らずの距離だ。すぐに伝令を出せば、日のあるうちにサエイレムに到着できる。

「はい、直ちに呼び寄せます」

 シャウラはバルコニーに出て、街の上を飛んでいるハルピュイアに合図を送る。

 フィルは急いで執務机に向かうと、現地で対応している第一軍団長、バルケス宛てに手紙を書く。

 ・ケンタウロス族長とその同行者の入国と領内での移動を認める。

 ・族長一行は、フィルの賓客としてサエイレムへ招待する。

 ・第一軍団の騎兵をサエイレムまでの道案内に付けてほしい。

 以上3点を簡潔に記し、シャウラが呼んでくれたハルピュイアに持たせて送り出す。


 次にフィルは、シャウラにアマトのところに行くよう頼む。ケンタウロスの族長一行を、一旦、アマトの館で受け入れてもらうためだ。

 本当はすぐにでも総督府に案内したいところだが、帝国から来る貴族と鉢合わせになるのはよろしくない。

「ウェルスもシャウラと一緒にアマト殿のところへ行って事情を説明して。アマト殿の了解が得られたら、東門で族長たちを出迎え、館まで一行を案内。いい?」

「わかった。姫さんはどうするんだ」

「夜になると思うけど、わたしがアマト殿の館に出向きます。それまでの歓待はウェルスに任せる」

「俺が?!」

「軍団長は外国の使節を迎えるのも仕事のうちよ。今だって、国境ではバルケスが応対しているんでしょう?…いい機会だから、やってみるといいわ。向こうにはラロスもいることだし、うまくとりなしてくれるでしょう」

 ウェルスはあからさまに嫌そうな顔をしたが、フィルは早く行けとばかりに手を振った。


 シャウラの後について仕方なさそうに出て行くウェルスを見送ったら、次は帝国の貴族への対応だ。

「エリン、まずは第二軍団から誰か出して、相手の身分と訪問の目的を確かめて」

「承知しました。分かり次第、報告させます。私も西門で待機して現場の指揮にあたります」

「お願い。現場の対応は、エリンに任せる…到着したら、そのまま総督府に連れてきて。街で好き勝手されるより、手元においた方がいいわ」

「はっ!」

 一礼してエリンが部屋を出て行くと、フィルは、ぐったりと椅子の背に身体を預ける。

「…あー、身体がふたつ欲しい…」

 フィルの中ではケンタウロスの族長への対応の方が圧倒的に優先度が高いのだが、帝国貴族の相手となるとフィルが出ないわけにもいかない。本当に面倒くさい…。

「フィル様、何もお手伝いできなくて、申し訳ありません…」

 リネアがしゅんとして頭を下げる。フィルが困っているのに、自分にできることがないのは辛い。

「気にしないで。これはわたしの仕事なんだから。…そうね、忙しくなるから、今のうちに何か食べておきたいんだけど、お願いしていい?」

「はい、すぐにご用意します」

 フィルの頼みに、リネアは嬉しそうに使用人室に駆け込んでいった。


「大グラウス卿、ようこそサエイレムへ」

 総督府の敷地内にある迎賓館。貴族の別荘を模した瀟洒な館は、運河から繋がる水路に面している。従者の手を借りて小舟から降りてくる老人に、フィルは軽く頭を下げた。

「エルフォリア卿、突然の訪問ですまない。ご迷惑ではなかったかな?」

 大迷惑だ!と言いたいのを完璧に隠し、フィルは笑みを貼り付けた顔を上げた。

「いいえ、とんでもございません。もっと早くにわたしの方からご挨拶に伺うべきところでしたのに、街の統治に手間取っておりました。若輩故の未熟とご容赦下さい」

「この街は魔族も多い、エルフォリア卿が難儀されるのも当然だ。むしろ、その若さでよくやっていると感服しておるよ」

 言っている言葉とは裏腹に、口の端を軽く上げ、老人は小馬鹿にしたような視線をフィルに送る。同じ総督という地位にあるが、決して対等とは見ていない。小娘と侮っている態度を隠そうともしていない。

「ありがとうございます…立ち話もなんですから、どうぞこちらへ」

 フィルは、老人を迎賓館の中へと案内する。顔を前に向けた瞬間、フィルの口はヘの字に曲がった。


 老人の名はリスキオ・プレブス・グラウス。通称、大グラウス。サエイレム属州の隣領、ベナトリア属州の総督である。本国の元老院議員を長く務めた重鎮で、魔王国と戦争が始まる前に息子に元老院議員を継がせ、自らはベナトリア総督に納まった。帝国貴族の間では、元老院議員の地位にある息子を小グラウス、父である彼を大グラウスと呼ぶのが通例となっている。


 アルヴィンが急死した後、内定していたサエイレム総督の地位をフィルが継ぐことに対して、元老院議員たちはほとんどが反対の立場をとったのだが、中でも強硬に反対したのが小グラウスだった。父である大グラウスがサエイレム総督を兼任すべきと主張したのである。

 だが、グラウス親子にも弱みがあった。自前の軍勢を持っていなかったのだ。軍を育てて維持するには時間も金もかかる。本国の貴族達は、自分の贅沢と蓄財が大事で、金食い虫である私設軍を擁する者などいない。

 戦争が終わり帝国軍は撤退したが、サエイレムが魔王国との最前線であることに変わりなく、無防備ではいられない。結局、エルフォリア軍が抜けた後の穴埋めをできる者がいなかったことが、フィルの総督就任に繋がった。


 厚かましくもグラウス親子やその一派は、フィルにエルフォリア軍の指揮権を譲るよう圧力をかけてきたこともあった。父が大切に育ててきた将兵を譲れなどと、フィルからすれば余りにもふざけた要求だと思うのだが、彼らは、小娘が自分たちの意に従わなかったことが大層不満だったらしい。


 通された館の中心にある広間で、大グラウスはさも当然という風に、用意された長椅子に寝そべり、ワインの杯を傾けた。

「わざわざサエイレムに来られたのは、どのようなご用向きでしょう?」

「大したことではないよ。港を整備したと聞いたのでね。エルフォリア卿がどのように街を治めているのか、見せてもらおうと思ったのだ」 

 元老院へ送った報告が小グラウスから大グラウスに伝わったようだ。落成式のタイミングに合わせての来訪は、サエイレムに出入りする商人から聞きつけたか、間諜を送り込んでいたのか。


「左様でしたか。先触れを頂ければ、もてなしの準備を整えたのですが。…実は、港の落成式を明日に控えておりまして、急のご来訪に十分なおもてなしができそうにありません…」

 向かい側の長椅子に座り、フィルは頬に手を当て、困った表情を浮かべる。

「なるほど、それは忙しい時にお邪魔してしまったようだ。もてなしなど気にされなくとも結構。…そうだな、隣領の総督として、落成式にはわしも出席したいのだが、いかがか?」

 やはりそうきたか。フィルは内心ため息をつく。予想はしていたが、面倒くさいことこの上ない。

「よろしいのですか?辺境の一都市の港の改築に過ぎませんが?」

「謙遜なさるな。サエイレムは南方との舟運の要衝。手初めにその港の拡張に手を付けたことは慧眼だと思っておる。さぞ、立派な港になったことだろう。ぜひ拝見したい」

「ありがとう存じます」

「うむ」

 鷹揚に頷き、大グラウスは杯の酒を飲み干す。


「では、わたしも式の準備に出かけなければなりませんので、明日、改めてご挨拶とお迎えに参ります。今夜はゆっくりとお寛ぎくださいませ」

「すまんな、エルフォリア卿。こちらのことは気にせず、職務に励まれよ」

 フィルは立ち上がって一礼すると、酒杯にワインを注がせながら干し葡萄をつまむ大グラウスに背を向けた。


 迎賓館を出て、総督府の本館へと戻るフィルの横に、すっとパエラが並ぶ。

「フィルさま、言いつけ通りにやっといたよ」

「ありがとう。連中が何を喋っていたか、後で教えて」

 歩きながら小声で話す。パエラは、大グラウスが迎賓館に到着する前に、館の中に極細の糸を張り巡らせていた。

 パエラの作り出す極細の糸は、わずかな空気の振動もとらえ、人の動きはもちろん、会話の中身まで感知することができる。そして、その糸の先はパエラの手の中にある。


「むぅ、護衛の連中までフィルさまのこと悪く言ってるよ。ちょっと首を切り落としとこうか?」

 少しムッとした表情で言うパエラに、フィルは薄く笑った。

「言わせておけばいいよ。もう聞き飽きてるから」

「フィルさまは、もっと怒っていいと思うんだけど」

 素直に言ってくれるパエラの言葉が嬉しい。フィルは、そっとパエラの蜘蛛の胴体を撫でる。表面を覆う産毛は少し固いが、するりと撫でると案外手触りが良い。

「ひゃんっ!…な、なに?」

「ううん。パエラは優しいね。ありがとう」

 パエラは、照れたようにそっぽを向いた。

「…さて、次はケンタウロスの族長殿と会わなくちゃ」

「シャウラはもう部屋で待ってるよ。あたしは連中を見張っとく」

「よろしく」

「任せて」

 さっと、一瞬でパエラは庭の暗がりに消えた。


次回予定「ケンタウロスの族長」


※誤字報告ありがとうございます。確認の上、修正させて頂いております。


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