バステト信仰を広げよう 2
ネフェルとテトを連れて、ハトラのもとに向かいます。
客殿は、王の一族の女性や子供たちの住居として使われていた王城の離れを改修し、外からの賓客のための宿泊所にしたものだ。
王城の建物とは直接つながっておらず、平屋の建物の四方は庭園に囲まれているため、警備や監視がしやすいという利点があった。
ここに賓客が入っている時は、警備兵を配すると同時、庭園に密偵を潜ませて監視するところだが、相手がハトラたちということで、そこまではしていない。建物の入口に警備兵が2人立っているだけだ。
ネフェルとテトを連れて客殿に入ると、ハトラとアミンは広間から続くテラスに座って庭園を眺めていた。メリシャたちが来たことに気付き、ふたりは立ち上がって頭を下げる。
「ハトラ、ネフェルを連れてきたよ」
フィルは、恥ずかしそうにしているネフェルをずいっと前に押し出した。
「ネフェル!」
娘の名を呼んだハトラは、ネフェルに駆け寄ると、その身を抱き寄せた。
「良かった。また会えてうれしいわ」
「母様…」
ネフェルも、おずおずとハトラの背に腕を回して力を込める。
再開を喜び合うふたりを邪魔しないよう、メリシャたちはアミンを連れてその場を離れ、客殿の広間で待つことにした。
しばらくして、ハトラとネフェルも広間へとやってきた。
「皆様、ネフェルを救って頂き、ありがとうございました」
ハトラが深く頭を下げると、ネフェルも一緒になって頭を下げた。
「どういたしまして。…でも、わたし達にも思惑があってのことだから、そんなに気にすることはないわ」
「それはそうかもしれませんが、救って頂いたのは事実ですので」
フィルは、軽く肩をすくめてハトラたちも座るように促した。
「ところで、こちらの方は初めてお目にかかると思うのですが…?」
ネフェルの膝の上にちゃっかり座ったテトに目を向けて、ハトラが不思議そうに訊いた。
「ネフェルとはずいぶん親しい様子ですね」
「こちらは、テト様」
「そなたはネフェルの母君なのかにゃ?」
「はい、ハトラと言います。あなたのお名前は、テトというのですか?」
子供をあやすようにテトと接するハトラを、フィルたちは微笑ましく眺め、アミンは慌てた様子で隣にいたフィルの袖を引く。
「フィル様、ハトラ様にバステト様のことをお伝えしないと…」
「ハトラ、紹介するわ。この子はバステト様、バステト神殿の主神である女神様よ」
「は…?」
ハトラは、頭を撫でようと伸ばしかけていた手を慌てて引っ込めた。
「そうだにゃ。テトは豊穣と森羅万象の流れを調える神だにゃ。でも、ネフェルの母君ならそんなに畏まる必要はないにゃ。ハトラにもテトと呼んでほしいにゃ」
「は、はい。バステト様がそのように仰せでしたら…」
ハトラは、助けを求めるように、チラチラとフィルに視線を送る。
「いいんじゃない?…テトが良いって言うんだから。わたし達と接するのと同じように接するくらいでいいと思うよ」
「わかりました。テト様、娘共々よろしくお願いいたします」
テトは、満足げにうむうむと頷いた。
「さて…」
こほんと小さく咳払いして、フィルはメリシャに目配せする。
「…ハトラ、ホルエムへの返書は今用意しているところだけど、先にボクの口から、さっきの提案の回答を伝えておくよ」
「はい、お伺いします」
ハトラは姿勢を正してメリシャを真っすぐに見つめた。
領土の割譲と租借は、メネス王国の首脳陣が悩みに悩んで決断したものだ。提案したフィル自身、まさか決断するとは思わなかったほど、普通なら取り得ない手段である。だが、今の状況は、そうせざるを得ないほど深刻だった。
メンフィスの南、テーベまでの間を支配する下メネス側の州候たちが、次々にネウト王国側に従い始めたのだ。それも、口先だけの恭順ではなく、ネウトから命じられた労役や資金の拠出にも応じ、完全に臣従していた。
ネウト王国の戦力は、下メネス側州候たちと比べて圧倒的に勝っているわけではない。それに、ギーザにはホルエムが率いるメネス王国の主力軍がいる。挟撃の危険に晒されているのは、むしろメンフィスのネウト軍だったはずだ。
それなのに、州候たちはどうしてネウトに臣従したのか。ネウト側が流した嘘の噂ではないかと何度も密偵を送って確かめたが、どうやら事実であるらしい。
ネウト王国がどんな手段をとったのかはわからない。だが、州候たちの臣従が事実であるなら、背後の憂いを解消したネウト王国は、すぐにでもメネス王国を潰しにかかるだろう。
王国軍の主力を擁しているとは言え、元の領土の大半を奪われた状態では、長期の戦いに耐えることはできない。そのため、是が非でもヒクソスとの同盟を成立させなければ、メネス王国は遠からず滅ぶ。
メリシャの答えがメネスの運命を決める……緊張した表情を浮べるハトラに、メリシャは告げた。
次回予定「バステト信仰を広げよう 3」




