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傾国狐のまつりごと-食われて始まる建国物語-  作者: つね
 第1章 サエイレムの新総督
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セイレーンの決断

「グラオペ様、もうバレてました」

 ライネが言った途端、水中から次々と頭が生えた。

 思ったより人数が多い。全部で40~50人ほどだろうか。だが、多くが生き残ってくれているなら、喜ぶべき事だ。フィルは立ち上がって背筋を伸ばす。


「えーと、この人はフィルさま、帝国の総督様です」

「ライネ、その紹介だけじゃ、わたし、セイレーンの皆さんに反感買いそうなんだけど…」

「えー?そうかな?」

「セイレーンの皆さん、わたしはフィル・ユリス・エルフォリア。ここから東の陸地にあるサエイレム属州の総督です」

 気を取り直し、海から顔を出しているセイレーンたちを前に、フィルは挨拶する。

「サエイレムに逃れてきたテレルからセイレーンの島に何があったのか聞き、ここまでライネに案内してもらってやってきました」

 セイレーンたちは無言だ。その表情には人間への敵意がありありと浮かんでいる。

「何をしに来られた?」

 セイレーンたちの中心にいた一人が、フィルに問いかけた。紺色の美しい髪に瑠璃色の瞳、テレルよりも少し年上に見える美女だった。


 フィルは、答える前に岩の上に膝をついた。そして、セイレーンたちに深く頭を下げる。

「この度の帝国軍の蛮行、セイレーンの島を汚し、多くの犠牲を出したこと、帝国の人間として深くお詫びします。謝って済むこととは思いませんが、本当に、申し訳なく思っています」

 セイレーンたちがざわめいた。お互い顔を見合わせる者、小声で囁き合う者、反応は様々だが、一様に戸惑いは隠せない。

 その中で、先ほどフィルに問いかけたセイレーン、一族の長であるグラオペは、じっとフィルを見つめていた。

 ライネは、仲間たちの様子を少し心配そうに眺めている。先日、自分たちの前でフィルが頭を下げた時、ライネも同じように戸惑った。仲間の気持ちは理解できる。だが、フィルのことは信じてほしいと思う。 

「ライネ、この娘が総督だというのは本当か?」

 グラオペがライネに尋ねる。

「本当にフィルさまはサエイレムの総督様だよ。私たちもフィルさまに助けてもらって、サエイレムで暮らしてるんだから!」

 ライネはグラオペに訴えた。


 フィルは、黙って頭を下げ続けている。その後ろでは、フィルに従うリネアも同じように跪いていた。 

 狐耳と尻尾を持つリネアが、人間でなく魔族の一種族であることはセイレーン達にもわかる。だが、リネアの服装はフィルと変わらず、夜は共に一枚の毛布にくるまって寝ていた。正直、それはまるで仲の良い姉妹のように見えた。

 人間、しかも帝国の上級貴族である総督が、魔族に対してそんな態度で接するなど有り得るのか。自分達を騙すための手の込んだ芝居ではないのか。ついそんなことまで考えてしまう。

「みんな!フィルさまは、帝国の総督だけど、魔族のことも嫌ったり虐めたりしないよ。だから、フィルさまの話を聞いて欲しい」

 ライネは仲間達を見回した。しかし、セイレーンたちは半信半疑だ。彼女らが島で暮らせなくなったのは帝国のせいなのだから、それも当然のことではある。


「総督殿、まずは顔を上げて頂きたい」

 グラオペが進み出た。

「私はセイレーンの一族を束ねるグラオペ。お初にお目にかかる」

 遠慮がちに顔を上げたフィルを、グラオペは見つめる。その視線はやや険しい。

「昨日、島と海が青白い炎に包まれ、人間が撒いた黒い水がきれいに燃え尽きるところを見た。島の上を飛ぶ大きな獣の姿もだ。…どういうことか、説明してもらえないだろうか」

「わかりました。正直に申し上げます。グラオペ様がご覧になった大きな獣は、このわたしです」

 そして、フィルは九尾の姿に変わってみせる。突然、目の前に現れた大妖狐に、グラオペや周りのセイレーンたちは息を呑んだ。

「あなたは、魔族なのか?」

「いいえ。元は人間です。しかし、死にかけていたところを、この九尾の狐に救われ、その力と知恵の全てを受け継ぎました。この姿も、島と海を汚していた油を焼き尽くし、取り除くことができたのも、全て九尾の力です」

「にわかには信じられない話だが、こうして島も海もきれいになっているのは間違いない。…それについては礼を言いたい」

 フィルは九尾から人間の姿に戻る。グラオペは、波打ち際にいるフィルの前まで近寄った。


「元々は全て帝国が原因です。油を取り除くことはできましたが、亡くなられたセイレーンも多くいたと聞きます。本当に、お詫びのしようもありません」

「帝国の仕業とは言え、あなたのせいではない」

 そう言うと、グラオペは鋭い爪をフィルの喉元に突き付けた。

「だが、帝国が我らにまた手出しすることがあれば、セイレーンは帝国の船を片端から襲う。国の連中にもそう伝えるがいい」

 フィルは恐れることなく、突き付けられたグラオペの手をそっと両手で包んだ。


「わたしからグラオペ様に提案があります。…生き残ったセイレーンの一族全員、わたしの街、サエイレムに来ませんか?」

「何だと?」

 グラオペは怪訝そうに言うと、掴まれた手を振り払う。

「これでもわたしは帝国の属州総督です。帝国軍と言えど、わたしの領地において勝手に行動することはできません。サエイレムに来て頂ければ、皆さんを守ることができます」

「どういうことだ?この島を離れろというのか」

「はい。この島を汚していた油は取り除きましたが、元のような豊かな海に戻るまでにはまだ時間がかかります。それに、セイレーンが島に戻っているところを見つかれば、また帝国軍がやってくるかもしれません。…残念ですが、わたしの手勢には海軍がなく、この島を守ることができないのです」

「……」

 グラオペは黙ってフィルを睨んでいる。フィルは話を続けた。


「サエイレムは、ここから東に行った大河ホルムスの畔にあります。海辺の街ではありませんが、セイレーンの泳ぎなら海までも遠くはありません。この島の様子を見に来ることもできます」

「テレルたちも今は、そのサエイレムに住んでいると聞いたが」

 グラオペは、隣でハラハラしてやりとりを見守っていたライネに視線を向ける。

「グラオペ様、サエイレムは魔族と人間が一緒に暮らしていて、フィルさまは魔族も大事にしてくれます。姉さんもルクシもモルエも、街で安心して暮らせています」

 ライネの言葉に、グラオペは黙って目を閉じる。フィルは帝国の人間だが、自分達を騙そうとしているようには見えない。

 もちろん、この島を離れるのには抵抗がある。しかし、前の襲撃で一族はおよそ半分に減った。また帝国軍に襲われたら、例え撃退できたとしても、大きな犠牲が出る。一族を繋いでいくには、これ以上数を減らすことはできない。それを考えれば、フィルの提案も悪い話ではないと思う。


 ひとつわからないのは、フィルがどうして自分達に手を差し伸べるのか、ということだ。正直、セイレーンがどうなろうと、彼女の領地には何ら関係ないはずだ。


「総督殿、二人だけで少し話がしたい」

 グラオペは、少し離れた岩陰にフィルを誘った。リネアが心配そうにフィルに近寄るが、フィルは小さく笑ってそれを制する。

「わかりました」

 グラオペの案内で岩場を少し歩くと、先ほどの場所から見えない位置に洞窟が口をあけていた。だが、入り口は海に半ば水没し、中の様子はうかがえない。


「総督殿、失礼する」

 そう言うと、グラオペはフィルを抱き上げた。いわゆるお姫様抱っこの状態である。

「ひゃっ!な、何を…?!」

 慌てて声を上げたフィルの様子に、グラオペはようやく笑みを浮かべる。

「それが、総督殿の素顔か」

「…」

 フィルは恥ずかしそうに顔を背ける。

「申し訳ない。こうしないと洞窟の中に入れないのでね。しばらく大人しくしていて欲しい」

 そのままフィルを抱えて洞窟の入り口をくぐった。


 洞窟の中は、狭い入り口とは裏腹に、大きなドーム状の空間になっていた。入り口から差し込む光が海底に溜まった砂に反射して洞窟内をほの明るく照らしている。

 グラオペが洞窟の奥へと進むと、広い岩棚が張り出していた。そこに、フィルを降ろす。

「なんてきれい…」

 洞窟内部の光景に、フィルと思わず感嘆の声を上げた。

「失礼した。ここは、私たちの隠れ家だ。大きな嵐などが来た時にここに籠もってやり過ごす。帝国に襲われたときも、ここに逃げ込めた者だけが何とか生き延びた。ただ、入口が火に閉ざされてしまい、逃げ込めなかった者は死に、テレル達のように島から逃げなくてはならない者たちも出てしまった。…テレルたちを助けてくれたこと、本当に感謝している」

「いえ…」

 フィルは悲しげに目を伏せる。グラオペも水から上がり、フィルの隣に座った。

「総督殿、何を考えているのか、全て話してほしい。ただの哀れみで我らを誘っているわけではないはずだ」

 顔を上げたフィルを、グラオペは瑠璃の瞳で真っ直ぐに見つめる。フィルも目をそらさない。

「セイレーンの皆さんにお願いしたい仕事があります」

 しばらくの沈黙の後、フィルは口を開いた。


「サエイレムは、大河ホルムスを利用した南方地域との交易の要衝。帝国本国にも対抗できる国力をつけるため、サエイレムの港を広げて、船の出入りを増やすつもりです。できれば、セイレーンのみなさんにも、港の仕事を手伝ってほしいと思っています。もちろん、報酬はきちんとお支払いします」

「何をさせるつもりだい?」

「港に出入りする船の補助です。広げると言っても港の中は狭いので、船は自由に動くことができません。入港してきた船を押して岸壁に着けたり、逆に出港する船を引っぱって岸壁から離したり、船が互いにぶつからないよう誘導したり、そういった仕事をしてもらうつもりです」

 そして、少し遠慮がちに続ける。

「それと…あの、できたら手の空いたときに歌ってもらえると嬉しいです」

「はぁ?!」

 グラオペは思わず声を上げた。


「テレルたちにもお願いして、総督府の泉で歌ってもらっています。人間にも魔族にもすごく評判いいんですよ。わたしも大好きです」

 力を込めて言うフィルに、グラオペは呆れる。

「港で歌を?…私達が船乗りに忌み嫌われているのは知ってるだろう?」

 グラオペは自嘲気味に笑った。セイレーンが船乗りを惑わし船を難破させる、人間の間でそう噂されていることくらい彼女たちも知っている。人間の迷信など気にするつもりはないが、突拍子もないことを言い出すフィルを、少しからかったつもりだった。


 だが、それを聞いたフィルの表情が変わった。静かな怒りを湛えた表情だ。ただ、それはグラオペに対してではない。

「かまいません。サエイレムの船乗りは、そんな噂を信じていません。セイレーンの歌が船乗りを惑わすなんて信じている船乗りなど、わたしの港には入らせません。わたしが目指すサエイレムの姿は、人間と魔族が共に暮らせる場所なのです」

「…なるほど、私達を試金石にするつもりか」

 グラオペは、ははは、と声をあげて笑う。

 セイレーンの迷信を強く信じている帝国の人間たちに、セイレーンが歌う港がどう思われるか。それが船乗りなら、当然近づこうとはしないだろう。セイレーンが歌う港に当たり前に入ってくる者たちではなければ、他の魔族と偏見なく接することなどできはしまい。グラオペの言葉は、フィルの意図を正しく言い当てていた。

「総督殿は帝国貴族のくせに、帝国がよほどお嫌いのようだ」

「当然です。わたしも帝国の人間に殺されかけましたから」

 フィルの言葉に、グラオペは笑みを消した。

「私たちと同じってわけか…帝国の中身もなかなか難儀なようだね」

 しばらくの間、無言で海面に視線を落としていたグラオペは、気持ちを落ち着けるように長い息を吐く。


「サエイレムに行けば、私達も普通に暮らせるのかい?」

「はい。住む場所や仕事もきちんとお世話します。魔族だからと差別することもありません。わたしが保証します」

 フィルは即答した。しかし、少し心配そうな表情になって付け加える。

「…ただ、街の決まり事は守るように協力してください」

 サエイレムでは人間や他の魔族とも一緒に暮らすことになる。セイレーンの他は渡り鳥しかいない島とは違い、さすがに何でも自由というわけにもいかない。

「テレルたちは、普通に暮らしているんだろう?」

「はい」

「私達の間にも守るべき掟はある。テレルたちが揉め事も起こさずに暮らしているなら、心配いらないだろう。街の決まり事を教えてくれれば、守らせる」

「ありがとうございます」

「礼を言うのはこちらだと思うんだけどね」

 グラオペは、苦笑する。


「総督殿。…いや、ライネと同じように、これからはフィル様と呼ばせてもらおう。これからは私たちもフィル様の下に身を寄せることになる。配下だと思って接してほしい」

「配下だなんて、そんなつもりはないのですが」

「いや、フィル様の街に住むのだから、そこは私なりのけじめだ」

「わかりました…グラオペ、これからよろしくお願いします」

 フィルは、真っ直ぐにグラオペの目を見て右手を差し出す。

「フィル様、こちらこそよろしくお願いする」 

 グラオペもそれを握り返した。そして、フィルの耳元に顔を寄せ、そっと囁いた。

「もし本国と水の上で戦う時が来たら、遠慮なく私たちを使ってほしい。…それも考えて誘いに来たのだろう?」

 フィルは一瞬驚きの表情を浮かべ、そしてそれは笑みに変わった。

次回予定「サエイレム港の落成式-その前日」

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