緑の狩場 1
ヒクソス軍が放棄した砦に入ったメネス軍は、これまでにないヒクソス軍の行動に困惑する。
「…ヒクソスが、このような砦を造るとは…」
占拠したばかりの砦に本陣を移したアイヘブは、思った以上にしっかりした砦の造りに驚いていた。
砦の中に城兵が生活するための建物はなく、ただ城壁に囲まれた広場になっているところを見ると、確かに簡易の砦ではあるのだろう。しかしその城壁は、ただ丸太を並べて打ち込んだだけではなく、根入れが浅くても十分な強度を得られるよう、背後に控え柱を立てて構造を強化するなどの工夫が見られた。そんな技術をヒクソスは持っていなかったはずだ。
侵攻を決めた御前会議で、ケレス宰相はヒクソスを支援している他の大国などない、と主張し、その前提で侵攻が決定された。
確かに、メンフィスにやってきたメリシャと名乗る新たな女王は、獣人であるヒクソスの民ではなかった。ファラオに献上された斬新な建築様式の図面や、模擬戦で配下の幕僚と戦った側近の指揮能力も、確かにこれまでヒクソスにはなかったものだ。だから、高度な技術と軍事力を持つ大国が密かにヒクソスの背後に付いたのだと考えた。
だが、交易のためにヒクソスに向かう商人たちの中に密偵を紛れ込ませ、ヒクソスの様子を探らせたものの、アヴァリスの街の様子にこれまでとの大きな変化はなかった。メネスに奪われていた物資が国内に回るようになったため、民の生活は豊かになっていたが、メリシャ王がファラオに示したような新しい建築物が建つわけでもなく、ヒクソス以外の種族の姿も見かけない。
アヴァリスへ向かう途中で通過するヒクソスの都市、ペルバストで町全体を焼き尽くすほどの大火が起こった後も、住民はテントを補強したような簡易な家々で暮らし、徐々に再建されている建物も、特に珍しい様式ではないらしい。
この戦いにおいても、ヒクソスの軍勢は個人の武技に頼っての突撃を行ってきた。これまでのヒクソスの戦い方と何も変わらず、これまでと同様にメネス軍が勝利した。
だから、メリシャ王とその側近がヒクソスに新たな技術を持ち込んだ可能性はあるものの、それは彼女たち個人のものであり、その背後に他国の存在はない…その時までは、アイヘブもそう思っていた。
だが、この砦は異質だ。急造でここまでの砦を築けるとすれば、侮ることはできない。
それに、門を破った戦象部隊は、何が起こったのか全く分からないまま、あっけなく全滅した。象の死体を調べた結果、象を殺した武器は青銅の先端を持つ短槍のようなものだったが、先頭の1頭は一撃で頭蓋を貫通されていたことがわかった。その他の象たちも、青銅の防具と分厚い象の皮膚、筋肉を貫いた槍が内臓にまで達していた。恐るべき威力と言う他ない。
威力と言えば、城壁の上にいた敵の弓兵も強力だった。ヒクソスにも以前から弓兵はいたが、今回の戦いでは、射程、威力ともにメネス軍の弓兵に大きく勝っていた。数が少なかったので被害自体はさほどでもないが、厄介な敵ではある。
アヴァリスの制圧が至上命令である以上、退却したヒクソス軍への追撃は必須だが、反面、徴用兵はそろそろ軍務を解いて帰農させなければならない。考えを巡らすアイヘブのところに、砦の調査を行っていた副官のカシルが戻っていた。
「将軍、やはり砦やその周辺にヒクソス兵はおりません。全員が後方に退却してしまったようです。しかし…」
「何だ?」
カシルが言葉を濁したのに、アイヘブは怪訝そうに問い返した。
「はっ、櫓の内部や城壁の上を捜索しましたが、武器や食料の類は一切残されておりません。処分した形跡もありません」
「…はじめから、この砦は放棄するつもりだった、ということか」
「はい」
カシルは小さく頷いた。
砦はアヴァリスへ向かう街道を塞ぐように造られているため、砦の奥には森を切り開いた街道が続いている。そちら側には城門も城壁もない。
この街道は、ヒクソスが属国だった期間にメネス王国の命令で整備させたものであり、道幅や路面は馬車の通行を前提に造られている。ヒクソスからの上納品の輸送、そしてヒクソスが謀反を起こした時に素早く進軍するため道だった。
次回予定「緑の狩場 2」




